明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ニュースに一言(20)宗教から財産を守る方法

2022-09-22 17:12:00 | ニュース

今話題になっている宗教団体〇〇協会とはどういう組織なのか。安倍元首相の銃撃事件以来、その実体が徐々に明らかになつてきた。ワイドショーでも細かく説明しているその教えというのが、今の不幸な人生から抜け出すには「全財産」を寄付しないと絶対幸せにはなれない、というものだそうだ(私の理解)。

これが世間一般の常識から大きくかけ離れたものになっているから、諸々の問題・異常事態が起きている。なぜ問題がここまで大きくなっているかというと、信者が洗脳されていて「自分の意志」で寄付しているので、他人が注意しても一切聞かないからなのである。自分の財産をどうしようと勝手であり、他人にああしろこうしろと指図される筋合いはない、というのが教会側の主張だ。これで破産者が続出しているという。

洗脳というのは悩みや苦しみから逃れようとして色々救いを求めた結果、「一つの答え」を見つけたと思い込む事である。洗脳される人の苦悩というのは殆どが「精神的な鬱」なので、それを取り払ってくれるものであれば、お金などは幾らでも払うのだ。そして、一旦信じてしまったら抜け出せないよう、「思考停止になるように」色々な仕掛けを張り巡らせているわけである。だから洗脳を解くのは並大抵ではない。

そこでこれを「宗教の教義」には踏み込まずに、「悪徳宗教団体」から善良な国民を守る方法、というのを考えてみた。何れも法律を制定して、全ての宗教団体に一律遵守させること。

1、宗教活動を精神的なものと経済活動とに分ける

① お金に絡まない場合は精神的な活動
会合や祈祷などの活動は、精神的なものとして教会の自由にさせる。一方、会費や祈祷料などの費用は事務費として経済活動に分類し、宗教活動とは明確に分けること。これにより宗教を純粋に精神的なものだけに限定して、お金と分離することが可能になる。

○ 宗教活動では金銭を得ることを法律で禁止する。

② お金が絡む場合は全て経済活動
本堂修理費や樹木剪定費や駐車場管理費および拝観料など、すべてお金が絡むものは事務費として宗教と分けること。また、宗教団体の運営を構成する活動、つまり「浄財の寄付」も形態は投資であるから、一般の寄付行為と同じく「経済活動」として扱う。これはリターン先が自分ではなく「団体または社会全体」と考えた場合の投資、と考えられる(私の考え)。投資であるからそれなりのリターンが必要であり、リターンが謳ったことと 違っていれば「出資法」その他の法律で悪徳行為を摘発出来る。勿論、本部の人間や教祖達がどのくらい収入があったかも明らかになるので、教団全体の「お金の流れ」が一般信者にもよく分かるのである。

○ 経済活動は通常の利益として納税対象とする。

2、壺や印鑑などを高額で売りつける行為は、必ずチェックが入る。

市場価値と余りにかけ離れた値段で物を売る場合、モノそのものの価値と「付加価値」を明示して、公正取引委員会の監査を受けること。希少価値や芸術的価値などが認められない場合は、正当な価格に下げて取引すること。幸せになるとか憑き物が落ちるなどの霊感商法は「宗教活動」になるから、それで値段を上げることは出来ない。これは宗教をターゲットとする法律ではなく、一般企業の活動全部について一律に判断するものであるから問題ない。

○ 宗教は精神的なものと法律で決めているから、お金を集めると違法である(既に1で法制化)。

3、御利益商法はご祝儀の範囲内で 

とは言っても、偶然幸せになったという人がお礼をしたいという気持ちまで、禁止してはちょっと酷である。そこで何か御利益があった場合には一定の範囲でお礼をするのは社交辞令として許されるものとする。

○ 合格祈願で希望大学に受かった場合、お礼は2、3万の範囲が適当だろう。

以上、健全な宗教活動については、人々の心の平安をもたらす場合もあり、一概に「悪」と決めつけるのも間違いだと思う。要するに、神様や仏様は「お金には興味無い」ということを、国として「はっきり認めること」が大切なのではないか。そこで学校教育で宗教というものを諄々と教えさとし、子供達が将来「詐欺」に引っかからないように、科学的な心を育てる必要があると思う。

お金さえ払えば、努力をせずとも幸せを買うことが出来る、という宗教は、実は「ギャンブル」と同じ事を言っている。「努力」とは、目的に至る道筋をある程度明らかにして、本人が理解し、それに向かって頑張ることで「目的」に到達しようという、一つの「方法論」である。スポーツでも学問でも、方法論があって努力がある。それで結果が出て、その方法が正しかったか間違っていたかが明らかになるのである。

だが宗教の場合は「天国とか浄土とか」何らかの幸せを未来に約束していて、この「未来に」というのがミソなのだ。誰も実証出来ないことを約束して、それを得るのに「お金を払わせる」というのは、実は昔から行われている古いやり方に過ぎない。これは三大宗教もやっているから、ある意味「ポピュラー」と言える。

しかし宗教の本質は、眼の前にある不幸から何とかして抜け出し、不安な心を「安心させる」ことで成り立っている。丁度いい不安がなければ「作り出し」てその人を陥れ、その後で「こうこうすれば抜け出せる」と誘い込むのだ。根本は心の欝だから「心理作戦」である。教会の作り出した不幸から脱出して「幸せにはなった気」になり、お金だけ取られて生活が破綻する。

もともと世の中に沢山ある「不幸な境遇」を苦しんで鬱状態にあるのに、それを悪魔や怨霊のせいにするわけだ。これが新興宗教の手口である。そして「金づる」を途切れさせないために、信者に布教活動などで新たに信者を勧誘させている(ネズミ講と一緒だ)。儲かるのは本部の人間だけであるから、これ程悪質な詐欺はない。しかし教義の内容をどうこう言ってもしょうがないと思う。本人が目を覚まさないと洗脳から抜け出すことは難しい。これがカルト教団の難点である。

そこで、少なくとも「お金を取られること」だけは防ごう、という考えである。だから宗教とお金をキッチリ分けること。これで、宗教で金儲けしようという「不貞な輩」が大分減るだろうと思う。

政府は早急に法案を成立すべし!

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なお、来世の存在を信じる人は、どうやっても宗教からは逃れられないと思う。これを解決するには、私の過去ブログ「人生の3大発見、その1:魂の行方・前編後編」を参照下さい。


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