明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

雑談倶楽部(6)統一教会を断罪する理論

2022-09-23 16:48:23 | ニュース

1、阿武町は和解で終わり、では無い!

誤送金の問題となったフロッピーによる前時代的な処理システムは、その後どのように改善、または新システムへ入れ替えしたのか?。私は興味あるのだが、中々そういう報道がなされていないので伝わってこない。メディアはそれを報道して初めて一件落着すると思うのだが、残念ながらどこのテレビ局も「追跡調査」しているようには見えないのである。この誤送金問題は田口被告の人間性の詳細な報道や役場担当者の稚拙の対応、といったゴシップ記事の格好の話題だけに終わらせる問題ではない。オンライン・カジノといった犯罪の温床の解明は一旦置くとして、私は役場の送金システム及び誤送金対策としての「所有権」の問題は、早急に解決すべき重要課題だと思う。これ、一見地道なシステム改革の問題に見えるが、こういうことの追跡報道はどうすれば知ることが出来るのだろう。そこまでやってくれないと、私としては何だかモヤモヤして「不完全燃焼」のまま区切りがつかない。NHKの深夜番組でもいいから放送してくれないかな、というのがテレビ世代の嘆き節である。

2、統一教会へ最後通牒を突き付ける!

一般の経済活動では「将来い利益が見込まれる」として投資を募れば、当然その主張に十分な裏付けがなければならないのは常識だ。何かに投資すると言ってお金を預けて2倍3倍のリターンを約束するのであれば、実際にその「投資行為」が無ければならないのである。

では一部の宗教団体の言っている「ご先祖さまの祟り」という事、及び、子孫が献金することで「現状の苦しみから解放し」幸せになる事、という(統一教会の)教義の根本について、信者に多大なお金を要求しているのはどうなのか?

これも将来実現されるであろう利益を前提として現在の献金を求めているのだから、つまるところ「一種の投資」に他ならないのである。要は、「お金を払って」ご先祖さまの祟りによる苦しみを軽減または解消する行為だとも言える。これは医者が病人に対して「お薬飲めば治りますよ」と言ってるのと何ら変わりない治療行為である。では、医者なら免許がいるが、宗教では必要ないのか?

我々日本人が特に「宗教」というものの理解が「あやふや」なのは、宗教の本質である「信じる」ことと、相手の言っていることを「信用してお金を預ける」ことを「ごっちゃ」にするからなのである。キリスト教や仏教やイスラム教など世界の殆どの宗教は信じることを大切にするが、だからと言って信用させて「お金を集めたり」はしない。過去の歴史では「免罪符」を売って私腹を肥やした法皇がいたのは事実だが、今のバチカンはそんな「詐欺まがい」の悪どい金儲けは、やってないらしい(私は信者ではないので実態は分からないが、まあ本当だろう)。

統一教会があくまで信者の今の苦しみがご先祖さまの祟り(これも推測です)で、それから逃れるには財産を全て「献金するしかない」と言うのなら、これは間違いなく信者を痛みから解放する「治療行為」に該当すると言える。つまり「献金は治療代」だ。

さて、医者が病気を治療してその対価として料金を取るのであれば、何も文句を言う筋合いは全然ない。但し、こうこうこういう原因で患者が痛がっているから、こういう薬で原因を取り除いて治しました云々という、「ハッキリとした医学的根拠」を証明しなければ、治療は行えないのは当たり前である(もし訴えられれば民間療法として逮捕される)。

これを「統一教会の論理」に当てはめれば、信者の現在の状況は「ご先祖さまのせい」だという証明、及び、お金を教会に払うとその祟りが「消滅する」という因果関係の立証が求められて然るべきである。それを「裁判の場で具体的に証明」できないなら(信じることは可能だが)、お金を取ることは「違法」になる。つまり、実体の証明ができないことを言ってお金を取るのは「出資法違反」にあたるということ。

よって、統一教会は出資法違反で逮捕・解散するのが適切である。一件落着!


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