和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

蟹座

2013-06-30 23:06:19 | 日記
0626から蟹座は12年の一度の幸運期に入ったといいます。

振り返るとそうかなと思える前兆がありました。

とにかく知りたい好奇心と、何かをやりたい積極性と、創り出したい創作意欲が、今年にはいってからどんどん大きくなっているように感じるのです。

ただ、それらの方向性が定まっていなかったり、かみ合っていなかったり、やみくもだったりと、中学生っぽい感覚が、面白いのですが疲れます。

元来そんなタイプでしたけれど、なりを潜めていたものが、なぜか元に戻った感じなのです。

12年に一度のチャンスなら、この一年でそれを生涯の姿勢にできないものかと願うばかりです。

エネルギーだけじゃ、周りに迷惑かけるばかりですけどね(笑)


杉山



日本酒美味しい

2013-06-30 08:58:45 | 日記
昨夜は塾生諸君八名と、沢山の種類の日本酒が揃うお店に行きました。

店構えは普通なのです。
カウンター席の後ろを通り、厨房横から階段入口で靴を脱ぎます。
隠れ家的と言うより忍者屋敷に近い、異常に急で幾つもの手摺りを握らないと登れない階段!

少しドキドキ、、、

その先にある、隠し部屋に通されました。

そこは六畳ほどの和室空間。

まず目に飛び込んできたのは、神棚のような所に飾ってある『十四代』

次に目についたのは、鴨居部分に飾られぐるっと部屋を取り囲んだ、額に入った銘酒ラベルの拡大コピー?

もう、ワクワクドキドキウキウキです!(笑)


日本酒のあてにバッチリな焼き味噌が数十種類あって、酒飲みにはこたえられないお店です。

もともとお酒に強くない私ですが、仕込み水を飲みながら、十種類ぐらいの日本酒と料理を楽しみました。

色んな話しで盛り上がり、気づいたら四時間以上も!
時間が経つのを忘れて話し込んでしまいました。

しかもお会計がけっこうリーズナブル。

武蔵小山には中々素敵なお店がある事を再確認しました。

また行きたいお店に出会った夜でした。


杉山







遺伝その二

2013-06-29 10:13:41 | 日記
『マムシ指』

聞いた事ありますか?こんな言葉。

マムシの頭のような形をした親指の事で、物凄く器用な指と言われています。

私、両手の親指がマムシ指なんです。

その形とは真逆と言える程、確かに器用です。

指の皮も薄くて熱い物が持てません。

冬のお茶は苦労します。


このマムシ指、家族にも親戚にもいません。

聞いた話によると10万人に一人の確率とか、、、、

嬉しいようなそうでないような。

器用な指だと書道に向いていると思われがちですが、それは最初だけです。

器用さだけで進んでいくと、壁にぶち当たったとき、その乗り越え方を知らないので苦労します。

巨人の星なら花形満
明日のジョーなら力石徹
ガンダムならシャーってところでしょうか(笑)

わかりづらい?

ならは、

ギタリストならジェフベック
ベーシストならなるちょ
ドラマーなら神保彰

わかる人にはわかるってところです。


壁にぶち当たる前にやめてしまわずにすむところが、ありがたい特性ですね。

この特性を生かすも殺すも本人の努力次第なのですが、この努力そのものが特性次第。

つまり努力を努力と感じない特性があって、はじめてその他の特性が努力の苦痛なしに磨かれ、素晴らしい個性を作るわけです。

とは言っても、壁にぶち当たらないわけではないので、才能がある分その時は大変でしょうね。


私の場合はただただ器用な指を、たまたま書道と出会ったことで、少し生かす事ができているかも、と言ったところです。

これじゃいかん!
残り時間がそんなにないじゃん!
と気付いてから、急ぎはじめたのですが、、、、、


壁にぶち当たっていることに気づかないのも才能です。
壁にぶち当たっていることを楽しむのも才能です。

後者はかなり、自虐的ではありますか、、、

私は前者か、はたまた壁にぶち当たるまで進んでいないのか、、、

それが正解のような気がします。

ですから壁にぶち当たるまで爆進して、ぶち当たった時はその時に考える事にしました!

キッパリ!


亡くなった私の書の師匠の右手親指だけが、私ほど極端ではありませんでしたがマムシ指でした。

生前に聞いておけばよかった、、、
マムシ指あるあるとか(笑)

他にも沢山教えていただきたい事があ
ったのに、、、、

でも、きっと教えてくれなかったと思います。
もう、自分で掴まなきゃいけない事なんです。


マムシ指を大切に、でも甘やかさず甘えず鍛えていきます!


杉山


遺伝

2013-06-29 07:37:00 | 日記
両親のどの部分を自分が引き継いだのか、見た目や性格ではなんとなくわかってはいても、時々不意に思い当たる事があるものです。

もうこの歳になると、遺伝した項目に好き嫌いはないのです。

事実を事実として認識して、ただただ改めて生命の奥深さに畏敬の念を抱くのみなのであります。


昨日両親との食事会で、父が不意にこんな事をいいだしました。

『汗かかないと、一生懸命に働いていないからだ!ってよく叱られたなぁ』


父は生まれる前に父親と死に別れ(父が生まれる二週間ほど前の年末に亡くなったのです)、5~6歳までは母親と都会の一軒家で暮らしていたのですが、その後病弱になった母親と、母方の実家である農家に身を寄せたのです。

それまで都会で育った父にとっては、青天の霹靂だった事でしょう。

父の父親が働いていた逓信省の官舎が目黒に在って、そこに住んでいた時は、近所の幼稚園に通っていたのですから、当時少しは裕福だったのかもしれません。
今でも幼稚園の制服姿の写真が残っています。

しかしそれから数年後、病弱だった母親も亡くなってしまうのです。

そこから父の扱いがどんどん厳しくなっていったようなのですが、その時分父の母親の父であり、家長でもあったおじいさんからよく言われたというのが
『汗をかいていないのは、一生懸命働いていないからだ!』
と言う言葉だったのです。


私も汗が中々出ないタイプなのです。
運動してもドラム叩いても、汗かくには時間がかかります。
体内に熱がこもって疲れ易いタイプなのでしょうか。
お風呂も長くは入れませんし、サウナなんてただただ地獄、、、、

夏でも額に薄っすら汗かくぐらいで、ちょっと前に話題になった(笑)脇汗は経験したこともありません。
たまに汗かいた時には全身ビッショリで、脇だけピンポイントなんて事はありませんから。

こんなところが似ていたのですね、父親と。

この汗のかきかたじゃ、誤解されちゃうかもな、、、

と言うか、おじいさんは憎くて私の父に厳しくあたったのでしょうか。

当時は戦前戦中戦後の大混乱時代です。
田舎の農家とは言え、食糧不足は深刻だったはずです。
働き手の出せない家の子供を、血縁関係があるからといって、無償で育てることに周りからの風当たりは強かったはずです。

家長であるおじいさんが父に厳しく当たることで、他の者からの風当たりは少なくなったのではないでしょうか。

父は暴力を一切ふるいません。
ですから父は暴力を受けて育ってはいないと思うのです。
つまり、言葉だけで厳しく当たられただけだったと推測できるのです。

これはおじいさんの計算だったのかもしれないのです。

父にその事を言うと、少し納得したところもあるような表情をしていました。


父が以前、姓名判断をしてもらったことがあるそうで、その時こんな事を言われたそうです。

『あなた、両親共早く亡くしてるね』

当てられた父はびっくりして、そんな事はない!今も生きている!と少しお酒も入っていた事もあって、嘘言って食い下がったそうです。

しかし占い師は平静に
『重いという文字が光りという文字の上にきている。だから間違いない』と。

『名前をもう少し考えてつけてくれていたら、人生変わっていたかも』と以前父は呟いた事がありましたが、そんな占い師の言葉があったからなのです。


長男である父が生まれる時、父の父親である重左衛門は42歳。
母親はみつ。
仲良く二人で写っている写真を見る限り、みつは10歳ぐらい年下だったかもしれません。

結婚した年齢はわかりませんが、待望の第一子だったはずです。
父重輝の誕生を待ち望んでいたことでしょう。
その歓びでお酒飲み過ぎで、生まれる直前に亡くなったのかもしれませんが、、。

生まれる前に重左衛門が子供の名前考えていたのかどうかわかりませんが、重輝の重は重左衛門の重。
輝の光はみつの光。
軍は当時の流れ、、ですかね。

よく考えてられています。

重左衛門の父は新助といいますから、名前から一文字もらう習慣はない家系だったのらでしょう。

父親だけでなく母親の名前から一文字づつもらって入れた事と、父親の上に置かなかった事を考え合わせると、重輝という名前はみつが考えてつけたのではないかと思うのです。

その事も父に話しました。

納得していました。


みつは実家に身を寄せた後、逓信省の官舎を親戚に住まわせ、いつか戻ってくる時の為に備えていたのだと思います。
それがみつの夢だったのかもしれません。

結果その官舎は戦後払い下げとなり、その優先権を得た父が買い、父は両親の思いの詰まった家で家族を作り始める事が出来たのです。

みつの夢は実現したのです。

昭和初期に建てられた、杉山家三代の思い出のつまった家も50年以上が経ち、限界がきていました。
昭和60年、事業用音楽スタジオを併設した家に建て直し、現在に至るわけです。


父は父の母親の夢を実現することが出来たのです。

あるいはさせられたのかも、、、

それは重左衛門も夢でもあったのでしょう。

それは、子供の頃の父を叱責して育てた、おじいさんの思いだったのかもしれません。


今、二人の位牌の入った仏壇は、日の差し込む明るい部屋にあって、毎日朝晩両親がお経をあげています。

私も時々ですが、感謝の気持ちを込めてお線香をあげています。


遺伝はDNAですが、継承するものはそれだけではないという、少し重っ苦しい三代に渡るお話しになっちゃいました(笑)

書道を伝承して行く事に通じるものがあると、私は思うのです。

杉山

























最古の『いろは歌』のほぼ全文が

2013-06-28 11:23:45 | 日記
京都市で出土したとのニュースが新聞に載っていました。

平安末期から鎌倉初頭の土器(直径9cmの小皿)に筆で平仮名が墨書きされていたのです。

実は30年前に出土していた物の再調査で判明したというのです。

随分時間がかかるものなのですね。
でも見過ごされなくてよかった!

『そ』と『つ』は現代では使っていない書体、と記事は報じていましたが、
『そ』は『所』、『つ』は『徒』の変体仮名でした。

『徒』は『徒然草』の『つ』ですから馴染みありますよね。

お皿が少し欠けていたので47文字中43文字が残っていました。

筆遣いはつたなく、字の順番を間違えていたり、最後の一行はスペース不足で余白に書き込んであったなどから、字を習い始めたばかりの人が書いたのではないかとの事。

当時はお皿に書いた平仮名をお手本として飾り、それを真似て平仮名の勉強をしたと、本で読んだことがあります。

確かにお手本になるような筆遣いではありませんね。

当時は紙が高かったので、何度も消せる皿が練習にはよかったのでしょうか?
でも素焼きだったら消しにくいでしょうし、、、

でも、子供の手習いには見えないのです。

当時漢字しか書かなかった男性が、お遊びで平仮名を書いた皿を、密かにこころ寄せている女性が貰い受けて、自室の銅鏡の蓋にでもつかいながら眺めていたとしたら、、、、、

ロマン感じますよね。

少し怖い、、、かも


ま、日本古代史の先生は、
『貴族の子供が手習いで書いたものではないか』
とコメント出してはおりますけれども、、、、、、


杉山