和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

『矛盾』再放送

2013-06-09 08:18:58 | 日記
書道ロボットなるものが登場していました。

慶応大学のある研究室が開発したマシーンです。

原理はロボットに書家にある文字の書き方を、書家がロボットのアームを掴んで書く事で記憶させ、それをロボットが再生するというものでした。

江戸時代のからくり人形が、『寿』という文字を書く映像を思い出しました。
からくり人形は歯車やカムをつかって『寿』という文字を、行書体で上手に再現していました。

今回紹介されていたロボットは、楷書体を書いていたのです。

これは難しいでしょうね。

しかも筆先を整えずに一文字書いていました。

書きあがった書は稚拙でしたが、小学三年生ぐらいの実力はあるのかもしれません。


私が楷書を教える時、一文字書いている間に筆先を硯で整えたり墨つぎし無いよう指導しています。

これは『空間の筆意』を重視しているからです。

『空間の筆意』とは、簡単に言えば一文字書く間に気を切らさない事です。

『仏作って魂入れず』じゃありませんが、文字に気をいれずして書道は成立しないからです。
書道は習字ではありませんからね。

勘の鋭い方はもうお気付きになったと思いますが、書道ロボットの問題点はここにあるわけです。

違い将来書道ロボットは、すべての書体を上手に書けるようになるでしょう。
すでにコピーやプリント、写真は作者の描いた形を再現しています。
古くから贋作は多く存在し、今も工芸品の中には、その真贋がわからない物も沢山あります。

形や肩書きにだけ価値を求める者がいる限り贋作は生まれ、そこに貨幣価値をつけたい者がいる限り、真贋のみを気にする風潮が絶えないのです。

そう、両者とも形や肩書きだけで商売している事に変わりは無く、書道ロボットも、贋作製造マシーンにさせられてしまう危険性があるのです。
勿論書道ロボットに責任はありません。
その研究によって学習とその再現、さらには組み合わせによる新たな創造までたどり着くかもしれませんから。

心を売って贋作商売している画家や書家は、自分の意志でやっていることなだけに、偽札づくりと何も変わらない犯罪者です。

そうです、心が肝心なのです。
心が気。
気は心。
気を込めて書くという事は、心を込めて書くと言うことなのです。

それは生きる喜びと、それが有限である事を知っている者にしか出来ない事なのです。

ですから幾多の苦難や歓びを感じながら、素晴らしい人生を全うしてきた人の晩年の書は、ひたすら美しく、何かを語りかけてくれるのです。

多分、その何かとは、人とその生き方についてです。


そんな境地に書道ロボットは行き着くでしょうか?



書道ロボットの存在は、我々の反面教師となってくれるかもしれません。
しかし、彼はそれを望んではいないでしょうね。

いつか人間になれる事を願い、なれ無い事を知りながらも人間に尽くし、最後は人類の為にその生涯を閉じたアトムやジャイアントロボ。

彼らは自らの消滅の道を選んだ瞬間に、人間になったのだと言えるかもしれません。
それは生の有限をはっきりと意識し、それを自分以外の為に役立てようと考え行動したからです。

その行為を短絡的に美意識として捉えるのは危険ですが、日本文化の根底に流れる『幽玄』という物は、そこにあるような気がしてならないのです。

我々日本人はその『幽玄』を感じる物に涙し、感動し、大切にしてきたのではないでしょうか。

散る花びらやそぼ降る雨などの花鳥風月はもちろん、和歌や俳句、能や歌舞伎、茶道、華道、もちろん書道、忠臣蔵や勧進帳など、日本人にしか分かりにくい物すべての根底に流れる感覚です。

風土からきたものなのか、日本語を話すことで育まれる物なのか。

不思議です。

紹介はできても、世界標準にはなれないものばかりですね。
また、しないほうがよいのかも、とさえ思ってしまう奥行の深いものばかりです。



だからこそ、その対局にあるロボットに、世界一興味深々なのかもせれませんね。


『つれづれなるままに、日本人』いったところでしょうか。

杉山