和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

数年前のアメリカテレビドラマにハマる

2015-07-30 09:30:17 | 日記
と言っても、ざーっと見るだけです。

平日毎日やっているのを録画しているので、時間あるときにまとめてみるのです。

今回はまっているのは、現代版シャーロックホームズなのですが、舞台は現在のニューヨーク。
しかも、ワトソンは女性。
しかも中国系。

ま、数年前の企画なので、まだアメリカと中国が仲良くしようとしていた頃ですね。

脚本がしっかりしているのと、演技力がよいのでつい見ちゃいます。

でも、基本『シャーロック』とつけばざわつく性格なので、それが『シャーロット』でも少しドキっとするぐらい馬鹿っぽいです(笑)

そういえば、八王子にシャーロックホームズをモチーフにした飲食店があります。

昼はランチも出していますが、夜はいい感じのバーになるようです。
ランチにしか行った事がないのでよくはわかりません(笑)

店内はシャーロックホームズグッズでいっぱいでした。

でも、今時どれだけの人にアピールできるのか心配です。

私なら、明智小五郎をテーマにしたバーやりたいですね。

ちょっとオドロオドロした感じが、大人向けにしかなるんじゃないでしょうか。

もちろん少年探偵団は出しません(笑)

ウェイターは明智小五郎のスタイルで決めたイケメン!

中に一人だけ怪人二十面相のスタイルをしたホールスタッフに、テーブルマジックできるものを配置します。

イリュージョンのショーもいいですね!

人気出ると思うんですけどね~









剣の達人は達筆な人が多い

2015-07-30 08:49:20 | 日記
宮本武蔵の書画の繊細さはご存知の方も多いでしょう。

武蔵晩年の作品は、修羅場をくぐってきた者でなければ書けないであろう、どっしりとした凄みが滲み出ています。

本当に彼は百戦百勝、無傷で晩年を迎えたのでしょうね。
そして晩年は心を鍛えあげることに集中していったのだとおもいます。

幕末の三舟の一人、山岡鉄舟の書も素晴らしいと感じさせます。
あまり知られてはいませんが、山岡鉄舟こそ単身乗り込んだ西郷隆盛との交渉で、官軍による江戸総攻撃をやめさせた人なのです。

勝海舟との会見の方が有名ですが、勝海舟が西郷隆盛と取り決めたことは、江戸無血開城の件です。
その前に、山岡鉄舟が西郷隆盛に江戸総攻撃を翻意させていなければ、江戸無血開城もなかったでしょう。

つまり山岡鉄舟は江戸の人々を救い、勝海舟は江戸城と徳川家を救ったと言えるのです。

山岡鉄舟は幕臣ですが、徳川家だけではなく、俯瞰の見地から天皇と国家、そして国民を救った人なのです。


山岡鉄舟は巨漢だったそうです。
190㎝以上あったとも伝えられています。
剣の達人は天下無敵。
道場や御前試合でその存在感だけで、相手を打ち負かしていたことでしょう。

そんな山岡鉄舟はきっと太い腕だったに違いありません。
イメージとしてはジャンボ鶴田か三沢あたりでしょうか(笑)

そんな剣道鍛えられた太い腕を持つ彼が書いた書は、実に実直で誠実な作品です。

明治政府に仕えてからのものが多いとは思いますが、見る者の背筋を伸ばしてくれます。

勝海舟の書もとてもいいですが、彼の作品には少し遊びが多いように思います。
性格なのでしょうか、少し目立ちたがりやなやんちゃな感じが面白いです。

新聞の取材も多く受けていたとききます。

今も残る勝海舟の書が多いのは、床の間に飾っておきたいという当時の需要と供給のバランスがあってのことではないでしょうか。



書とは面白いもので、書いた人物を知ってから再度見ると、見方がより深まるものです。

『書は人なり』の側面の一つなのではないでしょうか。

ストレス解消にもってこい、でもある

2015-07-30 08:08:14 | 日記
情熱を一気に叩きつけるような書の作品が目に付きます。

情熱の内容は、心象風景を表した作品とは違う、やり場のない怒りエネルギーがほとんどです。

それはストレス発散のようにしか見えてきません。
必然であっても、時代劇で目にする百姓一揆の旗指物に掲げられた、むしろに書かれたお題目のように見えてしまうのは私だけなのでしょうか。

現代的に言えば、デモのプラカードや判決後に走ってきてバットさと見せる『勝訴!』とか『不当判決!』とかでしょうか。

『勝訴!』以外はほとんど負のエネルギーが文字の源になっています。

と言っても『勝訴!』の文字に気品があるわけではなく、判決が出る前の多分前日には『不当判決!』と一緒に、同じ人が書いているのでしょうからそれを求めても仕方のないところではあります。

農民一揆の文字も、映画の作り物ですしね(笑)

しかし、こうも情熱を一気に叩きつけるばかりの作品が多いと、現代人のストレスは相当なもので、しかも書くことでそれを発散していることは事実として認めなければなりません。

つまり、書は現代人にとってストレス発散や解消において、とても役立っているということです。

その原因が何なのかは、作品をみるだけではわかりません。
どれもこれもうねうねうじゃうじゃしていてどろどろで、知りたくはないのです(笑)
きっと泥沼でしょうから、、、

憤りや怒りを抑えることは、大人ならある程度は必要です。
子供ならは勢い抑えられず、み出したっていいんです。

大人は抑制効かせながら気品漂わせないと、誰も知りたいとは思ってくれません。

知りたいって何を?

人間としての作者を、です。

どんな人生を送ってきたのか、どんな人生訓をもっているのか、話したくなるような、知り合いになりたくなるような気持ちになれるかどうかがポイントかもしれませんね。

話せなくてもいいです。
作品の制作過程を邪魔にならない距離から見させてもらうだけでいいのです。

目の前にある作品から、制作している作者の熱を、じわじわと感じられることができる作品が好きです。

上手いと言わせる書き方で書いた物は、工芸品以下でしょうね。

師の書を越えにかからなければ、いつまでたっても工芸品レベルと言えるかもしれません。

守るべきところはまもりながら、攻めるところは攻めないと、自分の作品にはならないのです。

そこに悩みや葛藤があるからです。

そしてそこに情熱が生まれてくる。

外的刺激で作られた情熱ではなく、きっかけは外からあったとしても、それをもがきながら内面で嫌でも成長させなければならないのです。

どんなに悩み苦しんでも、それをコントロールしながら吐き出すことができれば、結果見る者の心を打つ作品になるのではないでしょうか。

その作業がないままに書かれた物は、習作でしかありません。

習作を創造作品として見せられたらたまったものではありません。

人に褒められたい一心のエネルギーで充満した会場に長居はできません。


ところで、書の展覧会会場の冷房ってすごく効いていますよね。

寒いです。

腐った墨を使って書いた作品の、さらなる腐敗を防ぐ為なのでしょうか。

だとしたら、賢明ですね。