優れた技術力を持った国であり、その工業製品には国際的に高い評価が下されています。
妥協を許さない姿勢は、国民性からきているのでしょう
かつて、ドイツ人と、アメリカ人、スウェーデン人の技術者集団仕事をしていた人から聞いた話しでは、話し合いは永遠に平行線を辿るのではないかと思わせるほど、誰かが譲歩してもドイツ人だけは譲らず、妥協点を探ろうとしなかったと言います。
結果ドイツの言いなりになることを恐れた各国は積極姿勢を翻し、その一大プロジェクトは、お互い想定したメリットを誰も得る事なくつまらない物を作り出しただけで終わったようです。
でも技術者ではないドイツ人は、そこまで頑固ではありません。
かつて少しの間一緒に仕事したドイツ人営業マンは、日本のことを理解しようとしていました。
仕事の話しをしながら酒を飲むこともできました。
アジア担当の営業責任者でしたから、飲みも勉強と考えていたのかもしれませんね。
しかし既存のドイツ製品に対して、日本でもっと売るにはこうした方がいいとの話しになると、『なぜ?』『どうして?』という質問は執拗でした。
愛社精神もあるのでしょうが、ドイツ技術者が作った物に絶対の自信を持っていたのでしょうね。
ヤナセがメルセデスに日本専売仕様の車を作らせるなんて、とんでもないことなのでしょうね。
ヤナセの努力の積み重ねが偲ばれます。
そこにこそ、ドイツとの付き合い方のヒントがあると思います。
今やヨーロッパ経済のリーダーとなったドイツと、アジア経済の大国である中国と日本は、ドイツ人と正面から向き合わねばならい日が近いドイツ考えます。
ヤナセの姿勢はある意味、アジア的姿勢です。
和をもって尊しとする基本姿勢の上に、時間をかけて関係性を作り上げていく継続性ある忍耐力と誠実さ。
ドイツ人が好む書体は、きっと篆書や隷書でしょうね。
特に石に刻まれた北魏の書体に惹かれるように思います。
確かに、昔のドイツ車は北魏の香り漂う質実剛健さがありました。
骨太で頼れる、壊れた所を直しながら長く使える実用車と共通点を感じます。
日本車は総じて零戦思想でした。
軽くて運動性能と経済性がよければ、塗装が悪くて錆びてもOKな使い捨て実用車でした。
書体で表すと、かなが近いでしょうか。
使い捨て、とは思いませんが(笑)
国民性と書体の好みの関わりは、単なる思い込みかもしれませんが、国民投票してみたら面白いでしょうね。
テレビ放送でボタン押してもらい、統計とったら面白いことになるでしょうね。
『安全保障関連法案』や
『原発』
『沖縄基地問題』
『日中韓の諸問題』などについて、
各討論番組の討論のあと、視聴者投票するのをデフォルトにしたらどうでしょう。
もちろん組織票も入るでしょうから、視聴率も上がります(笑)
面白いと思うんですけどね。
話しがどんどん変わってしまいました~