和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

剣の達人は達筆な人が多い

2015-07-30 08:49:20 | 日記
宮本武蔵の書画の繊細さはご存知の方も多いでしょう。

武蔵晩年の作品は、修羅場をくぐってきた者でなければ書けないであろう、どっしりとした凄みが滲み出ています。

本当に彼は百戦百勝、無傷で晩年を迎えたのでしょうね。
そして晩年は心を鍛えあげることに集中していったのだとおもいます。

幕末の三舟の一人、山岡鉄舟の書も素晴らしいと感じさせます。
あまり知られてはいませんが、山岡鉄舟こそ単身乗り込んだ西郷隆盛との交渉で、官軍による江戸総攻撃をやめさせた人なのです。

勝海舟との会見の方が有名ですが、勝海舟が西郷隆盛と取り決めたことは、江戸無血開城の件です。
その前に、山岡鉄舟が西郷隆盛に江戸総攻撃を翻意させていなければ、江戸無血開城もなかったでしょう。

つまり山岡鉄舟は江戸の人々を救い、勝海舟は江戸城と徳川家を救ったと言えるのです。

山岡鉄舟は幕臣ですが、徳川家だけではなく、俯瞰の見地から天皇と国家、そして国民を救った人なのです。


山岡鉄舟は巨漢だったそうです。
190㎝以上あったとも伝えられています。
剣の達人は天下無敵。
道場や御前試合でその存在感だけで、相手を打ち負かしていたことでしょう。

そんな山岡鉄舟はきっと太い腕だったに違いありません。
イメージとしてはジャンボ鶴田か三沢あたりでしょうか(笑)

そんな剣道鍛えられた太い腕を持つ彼が書いた書は、実に実直で誠実な作品です。

明治政府に仕えてからのものが多いとは思いますが、見る者の背筋を伸ばしてくれます。

勝海舟の書もとてもいいですが、彼の作品には少し遊びが多いように思います。
性格なのでしょうか、少し目立ちたがりやなやんちゃな感じが面白いです。

新聞の取材も多く受けていたとききます。

今も残る勝海舟の書が多いのは、床の間に飾っておきたいという当時の需要と供給のバランスがあってのことではないでしょうか。



書とは面白いもので、書いた人物を知ってから再度見ると、見方がより深まるものです。

『書は人なり』の側面の一つなのではないでしょうか。

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