『老後』について元気な時に語るのはいささか気が引けます。
統計的にも50代は『老後』について考えていない人が多いのだそうです。
確かに同世代の話題にはまだでて来てはいません。
話題に上がるのは、健康についてばかり。
話を聞いていると、みんないろんな健康面での不安抱えているんだなぁ、と共感することも多いですね(笑)
元々内蔵の弱い人や、暴飲暴食で内蔵傷めてきた人が、健康面での悩み抱えている事が多いようです。
特に睡眠時間削って生活してきた人は、50代ごろになるといきなりガクッとくるようです。
そんな健康面での不安を抱え始めた50代にとっての『老後』は、まだ漠然としているのです。
ところが、現実的には定年退職の期日は確実に近づいています。
地方で仕事している後輩は、55歳で定年を迎えたそうです。
『えっ?もう?』と言う感じです。
就業形態変えて同じ仕事しているようですが、彼にとってはもう『老後』に入ってしまったのでしょうか?
多くの人の『老後』は、仕事をせずにそれまで蓄えてきた財産と年金を使って、趣味や道楽をやりながらのんびりと悠々自適に暮らしていくイメージなのだと思います。
でも私の『老後』は違います。
『仕事』はやめません。
若い頃と同じペースで仕事を継続することは不可能ですが、仕事はやめません。
仕事を定年で辞めることを目標にして仕事しているように話す人がいますが、まったくピンときません。
自虐的なのでしょうか、それとも単なる謙遜なのでしょうか。
多分『老後』を真剣に考えていないのだと思います。
私は、社会に役立っている事を感じられる仕事をすることで、生きる力を得られると思うのです。
『食べるために働いている』という人が
いますが、その仕事ももちろん社会に貢献する仕事です。
どんなにつまらないと本人が感じながら働いていても、社会と関わりもった立派な仕事です。
その仕事をやめて、一切仕事をしないで
やりたいことだけをやって悠々自適に暮らすなんて、寿命を短くするだけです。
『晴耕雨読』
晴れた日には畑を耕し、雨が降ったら家で本を読む。
それが仕事になると、
『雨の日にも風の日にも畑を耕し、本すら読めない。だから仕事はしたくない』
となるのかもしれませんね。
でも、仕事やめたら本が読めるとか、旅行三昧、温泉三昧だ~っ!とかは、妄想です(笑)
だって『やる気』という原動力がなくなるのですから、何をやってもすぐ虚しくなってしまいますよ。
『晴耕雨読』という熟語には、夢にまで見た桃源郷の生活で、すぐに朽ち果ててしまう自分を想像するのです。
私は人里離れた山奥で、誰とも関わらず暮らしたいとはこれっぽっちも思わないのです。
多くの喜怒哀楽の中にあって、それを俯瞰で見る心を持ち、社会と関わって居たいのです。
無職になったらボランティアしましょう。
無職になったら、家の前のみちを毎日掃除しましょう。
それは立派な無職という仕事です。
幸いにも年老いても社会に役立つ事が出来るうちは、自ら退くなんてことはしません。
少しぐらい邪魔な存在で居るぐらいで居るほうが、社会に貢献することもあるのです。
私は生きるために仕事をします。
なぜなら、意思をもって生きることは、それだけで素晴らしいことだからです。
『ノーワーク ノーライフ』
『ノーホープ ノーライフ』