断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

ラーナーとミンスキーを比較する Part 1

2019-09-01 12:06:14 | MMT & SFC
Functional Finance:
A Comparison of the Evolution of the Positions of Hyman Minsky and Abba Lerner
機能的財政論:
ハイマン・ミンスキーとアバ・ラーナーのスタンスの変化を比較する


これから数回のエントリーで、去年、レイが公表したミンスキーとラーナーの比較についてのWPを
粗訳したものを載せる。あくまでも個人的に学習したものを似た志を持つ方の学習の便に
共有しようという目的なので、その範囲での利用にとどめていただきたい。

 このWPが書かれたきっかけは、どうやら直接にはミッチェルのミンスキー評価に関わるものらしい。
つまり、ミッチェルがミンスキーの、特にレーガン期以降の論文についてMMTの先行者として
積極的に評価していないことに対してレイが反論した形になっている。

これはMMTが決して一枚岩ではないことを示すものだという点で興味深い。ただし、
レイとミッチェルの間の意見の相違は、ミンスキーの評価をめぐるものである。
両者の一致したMMTの考え方を前提として、ミンスキーを、その枠組みについての先行者として
評価できるか否か、ということであり、MMTの内容についての理解という点では両者に(ここで扱われている
内容については)差はない。

これは、まあ、MMTマニアの人にとっては、いろんな関心の対象になるかもしれないけれど、
そうでない人にとってはどうでもいいことである。おいらが今回訳出する目的も、
そんな好事家趣味を満たしたかったわけではない。そんなことより、このワーキングペーパーが
現在日本でおかしな形で受け入れられつつあるMMT理解について、批判的な入門になり得ると
判断したのである。
不幸なことに――と、言っていいと思うが――MMTは現在、日本ではややおかしな形で
導入されてしまった。簡単に言えば、MMTは大規模財政支出を中核とする景気刺激策を提唱する理論だ、
という風に勘違いされてしまっているようなのである。先日来日したケルトン氏の講演も、
財政赤字を恐れることはなく、大規模な財政支出をするべきである、というメッセージが、
なぜか財政政策により景気刺激を行い、インフレになったら引き締めをする、という
裁量的景気政策の勧めへと変換されてしまった。これはMMT推進派も否定派も同じようなものであった。
だがこれだと、何のため、クルグマン氏とMMT(レイ、ケルトン、ガルブレイス)が論争したのか、
さっぱりわからなくなってしまう。

今回訳出するWPは、戦後の成長期の後、インフレーション、そしてスダグフレーションと
呼ばれる現象が生じた時、ラーナーとミンスキーがそれぞれどのように議論を修正したのかが素描される。
両者とも、「ファンクショナル・ファイナンス」の立場そのものは変えていない。しかし
スダグフレーションの発生は、この議論には何か深刻な矛盾ないし不備があったことを
伺わせるものであった。政府の政策により、資本制経済をほどほどうまく管理してゆくことが
可能である、といった楽観的な資本制経済観は、ラーナーにあってはミクロ経済を重視する
ファンクショナル・ファイナンスの「マネタリスト・バージョン」へと移行するところまで後退する。
ミンスキーは、修正「ファンクショナル・ファイナンス」の立場を崩さなかったにもかかわらず、
つまり、合衆国が財政破綻することはあり得ない、との主張を習性崩さなかったにもかかわらず、
最終的には、不況期にさえ、均衡財政を守らなければならない(スダグフレーションを回避するため)、
とする立場にまで追い込まれた。

ミンスキーも同様に、楽観を放棄することになりそしてミクロ的要因を重視することになるが、
その展開はラーナーより曖昧で分かりにくいものであった。それはミンスキーの資本制経済そのものに対する
見方に由来する。安定それ自体を不安定化の最大要因とみなすミンスキーの立場からは、
むしろ財政支出が「的を絞った」ものになることを通じて資本制経済の変動を縮小しようということに
なる。そのために提唱されたのが、「最後の雇用者」政策、金融規制・監督強化、投資の社会科といった、
現在MMTが主張しているものに近いものであった。ミンスキーにとっては、
資本制経済の制度に由来する矛盾を、制度をいじることなしに、財政政策や金融政策だけで
糊塗しようとすることは、それ自体が無意味であった。

今日では、インフレーションは、少なくとも「先進国」といわれる地域では収束して
かなりの年月が経っている。MMTはこれを、中央銀行の功績に帰すことなどせず、
単純に、経済社会環境の変化の結果としてとらえている(だから、中央銀行の努力でインフレを
起こそうとしても、無理である)が、恐らく今日であれば、両者ともファンクショナル・ファイナンスの
考え方を再び変更したであろう。

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Functional Finance:
A Comparison of the Evolution of the Positions of Hyman Minsky and Abba Lerner
機能的財政論:
ハイマン・ミンスキーとアバ・ラーナーのスタンスの変化を比較する


*本稿の執筆に当たりエリック・ティモワーニュEric Tymoigne、およびイタリアの
ピアチェンツァで 2017年6月に開催されたSTOREPカンファレンスの参加者に感謝の意を表す。


要旨

本稿では、ハイマン・ミンスキーとアバ・ラーナーの、財政政策に対する機能的財政アプローチを
比較する。本稿では機能的金融の主要原則は終戦直後の時期にはそれなりに
広く受け入れられていたことを論じる。しかしながら、フィリップスカーブの登場、
数量説への回帰、政府予算制約の認識の広まり、そして1960年代終盤のインフレの加速に伴い、
機能的財政は好まれなくなった。本稿ではミンスキーとラーナーの戦後期の立場の進化を比較対照し、
ラーナーの変化はミンスキーよりさらに先へ進み、財政政策より貨幣政策の利用を強調するタイプの
マネタリズムを受け入れるに至ったことを論じる。機能的財政に対するミンスキーの立場はもっと微妙で、
経済に対するいつもの制度的アプローチの線に沿ったものであった。しかし、
ミンスキーは彼の初期の考え方、つまり、経済を安定化させるためには政府の反循環的な予算が
重要な役割を果たさなければならない、という考え方を翻したことはなかった。というわけで、
ミンスキーは現代貨幣理論(MMT)の「先祖」の一人として数え上げられるべきではない、とする
主張に反して、本稿では、ラーナーよりミンスキーの業績こそ、MMTのさらなる発展の
基礎であり続けたものだ、と主張する。



イントロダクション


近年、現代貨幣理論(MMT)と呼ばれるマクロ経済学へのアプローチが展開されている。
筆者の見解では、これはいくつかの異端派経済学思想――その多くはポストケインズ派――の流れを
撚り集めたものである。大きくはゲオルグ・フレデリック・クナップ、アルフレッド・ミッチェル・イネス、
ジョン・メイナード・ケインズ、アバ・ラーナー、ハイマン・ミンスキー、ウィン・ゴドリーらの
業績を国家貨幣論、内生的貨幣論、機能的財政論、金融不安定性仮説、部門バランスアプローチに
統合したものだ。筆者はこれを、ミンスキー(1977)が自身の方針を一つのジンテーゼとして特徴づけた時と同じように
特徴づけたい。つまり「巨人たちの方の上に立つ」というわけだ。

本稿において、筆者はジンテーゼの命題について詳述するつもりはない。主要な結論だけは
繰り返しておくほうがいいだろう。自分自身で通貨を発行している通貨主権政府は
「貨幣不足」に陥ることはできない――自分自身の意図に反してデフォルトに追い込まれることはあり得ないし、
期限が到来した支払いはすべて常に支払うことができる。というわけで、
そうした政府はラーナーが「機能的財政論」と呼んだアプローチを採用して予算編成することができる。
ラーナーが意味していたのは、為政者は、予算上の影響より政策上の「機能的」結果に焦点を合わせるべきだ、
ということである。筆者の記憶する限り、 ラーナーの機能的財政論をMMTに持ち込んだのは
マッシュ―・フォーステーターだった。 [1] 偶然ではあるが、ラーナーは、
そのアプローチを開発していた1940年代に、ミズーリー・カンサスシティー大学(UMKC)に
所属していた。 [2] ラーナーの業績は機能的財政論の二つの原理を含んでいる。第一に、
ステアリング・ホイールとして経済を導く政府というメタファー、そして、
クナップの「国家貨幣」論のラーナー版で、これをラーナー(1941)は「国家の創造物としての貨幣」と呼んだ。

筆者たちが、のちにMMTと呼ばれるようになるものを作り出し始めていたころ、
ラーナーの業績は、われわれ異端派の間ですら驚きであり、論争の的となった。但し、のちに論じるが、
こうした知見は終戦直後の時期には珍しかったわけではない。ニューヨーク連銀の理事長であった
ベアスリー・ラウム(1946)は、彼が「収入のための租税は時代遅れである」と論じたとき、
ラーナーと同じ立場にいた。そしてミルトン・フリードマン(1948)でさえ、「経済安定のための金融と
財政の枠組み」においては、ラーナーと全く同じ結論を提起している――そこで彼が論じているのは、
あらゆる政府支出は貨幣を発行することによって資金調達されるべきであり、租税とは
貨幣を流通から取り除くことだ、というものであった。[3]

ところが戦後の二つの発展が国民政府予算についてのディスクールと思想を変えてしまったように
思える。第1は、消費者の予算制約の発想を政府に拡大することだった。家計同様、政府の支出も
財政的手段によって制約される、と言われている。家計の場合、支出は所得と信用へのアクセスに
依存している。だが、政府の支出は、租税収入、「借入」(国債販売)、そして金を刷ることに依存している、
と言われている。このうち最後の資金調達源は当然家計には利用不可能で、だから
政府にとっても何か回避すべきものであるかに思われるようになった。主な問題は、未制約の
貨幣印刷によってインフレーションが引き起こされるであろう、ということである。驚くことに、
フリードマンはこの恐怖をあおるのに大きな役割を果たした。1948年の論文における政策提言にもかかわらず、
である。しかし1960年代には、フリードマンは貨幣とインフレーションの間の数量説的関係を
復活させた――今や「貨幣発行により資金調達された」政府支出およびその本質的なインフレバイアスに反対に
転じる体制が整ったわけだ。

第2の展開は、1960年代半ば以降の現実世界の経済におけるインフレ圧力の上昇であるが、これは
一見すると総需要を高く維持するための "ケインズ"政策の採用と同時であるように思われた。もちろん、
それは経済理論と政策立案の展開にとって多くの含意を持っていた。1940年代にラーナー、 ラウム、
およびフリードマン によって書かれた重要な論文へと導いた洞察を放棄する必要はないものの、
事実上、完全雇用を追求する手段として財政政策を利用することは信用を失ったように思われた。

以下で見ていくように、ラーナーは1940年代には「ケインズ的」総需要管理を使用して、
完全雇用と低インフレを同時に追求することができると考えてた。これは既に1960年代初めには
問題を呼び起こした。というのもフィリップス曲線のトレードオフの理論が受け入れられたからである。
フリードマンが1968年にうまい具合に説明したとおり、事態は単純なトレードオフを超えて
さらに悪くなる。というのは失業率を引き下げようとすると、インフレーションが加速するからである。
1960年代後半ごろには、ラーナーもまたインフレに懸念を持つようになり、彼自身の
機能的財務理論について再考を始めた 。 以下では、ある種のマネタリズムに沿う形で、彼が
機能的財政論を放棄したことを検討する――政府の支払い能力について懸念したからではなく、
財政政策に依存することによってスダグフレーションが生じるかもしれない、という理由であった。

というわけで、政府予算制約理論の発展と、現実世界におけるインフレーションの発生によって
機能的財政論は完全に放逐され、異端派の間でさえ完全に見失われることとなった。
1990年代後半に入ってMMTが展開するにいたり(Wray 1998)、ようやっと復活した。

以下では、この問題に対する1960年から1990年代半ばまでのミンスキーの立場を検討する。彼もまた、
当初は主権政府は購入問題に直面していないという議論を明白に採用していたのに、
レーガノミクスによって合衆国連邦政府の予算は危険な状態にまで赤字が膨れ上がったとする見解へと、
立場を変えたように見えるからである。1980年代半ばから1996年の死に至るまで、ミンスキーは、
財政政策を引き締めて、政府債務が「適正化される validated」ようにするべきだ、と
警告していた。ミンスキーはしばしば「適正validate」という言葉を用いたが、これは
一経済主体が債務を償還する(金利と元本を支払う)ために外部資金を獲得する必要性という意味で
語られていたので、ラーナーの機能的財政の原則に反しているように見える。彼は、政府は税収を
もっと増やし、あるいは債務を償還するためもっと資金を借り入れることが必要だ、ということを
主張していたのだろうか。仮にそうだとすると、それは、主権通貨の発行者は自分自身の
資金切れになることはあり得ない、とする彼の(そしてラーナーの)初期の考え方を否定するものと見えるだろう。

2016年11月、 ミンスキーが1991年10月30日にウェストミンスター大学でおこなった講演のビデオ [4] が
利用可能になった。バード・カレッジのレヴィ―経済研究所はミンスキーによるプレゼンテーションの
音声記録をいくつか持っているが、講義のビデオはこれだけしかないことがはっきりしている。
状態はあまり芳しいものではないものの、彼のスタイルの雰囲気はある程度伝わる。実際、いつものことだが、
彼のプレゼンテーションを追うのは少々大変だ。というのは、センテンスの終わりに近づくと
声が低くなり口ごもることがよくあるからだ。こうした時、彼の意識はすでに先のポイントに
先走ってしまっているのである。 彼は通常、講義内容のメモを作成していなかった(彼は、
多くの場合、大学の講義に際してウォールストリートジャーナルのコピー以上のものを
持ち込まなかった )。しかし時には自分の論文から短いセクションを――いつもの講義の合間に
while riffing the rest[※ジャズがお好きな人ならなんて言葉を入れるか?]――読みあげることも
あった。そしてこれがビデオに残されれた1991年の秋の夕刻に彼が行っていたことである。1991年から
93年にかけて、ミンスキーは新しい本の原稿を準備していた。1990年にレヴィ経済研究所に着任にした後、
彼は1986年の本『不安定な経済を安定化する』の大幅改訂に着手したが、ギアを入れ替え、代わりに
より最近書かれたレヴィ―研究所のワーキングペーパーに手を加えて、それを各章とする
全く新しい著作を作ろうとしていた。筆者の考えでは、この講義はこうしたペーパーの一つまたは
複数のものをベースにしている。 [5] ミンスキーの講義を見た後、人によっては、ミンスキーの意見は
MMTと整合しておらず、ミンスキーはMMTの先行者ではないとまで主張することもある。 [6]

筆者としては、そうした主張は以下の(疑う余地がないように思われる)理由により
正しくはありえないと考える。UMKCはMMTを創造し普及するにあたって大きな役割を果たした。
ミンスキーのUMKC全体に対する影響力は大きなもので、実際決定的であった。筆者はミンスキーの下での
研究に進む前から、ケインズを読んではいた(そして大きく影響された)が、実際にはおそらく、
もし彼の下で研究をしていなかったら政治経済学および労働経済学を研究していたことであろう。
そしてミンスキーこそが筆者に、のちにMMTとなる主要な構成要素をもたらしたのである。政府は
自分自身の通貨で破綻することはできない、租税は政府通貨に対する需要を生み出す、
部門間バランスアプローチ、カレツキーの利潤方程式、最後の雇用者提案、変動相場制のメリット、
政府赤字・債務から得られる民間部門の利益、そして ―― そうまさに ―― 金融不安定性仮説。ミンスキーが
こうした素材をMMTがやったのと同じように組み立てなかったことは事実であるが、しかし
ミンスキーと会わなかったら、のちにウォーレン・モズラーやビル・ミッチェルと出会ったときに
筆者がこうした基本的なビルディング・ブロックをすぐ受け入れることができたとは、とても思われない。
ここではその他の、いわゆる「カンサス・シティー・アプローチ」にかかわっている人たちについて
言及することは避けるが、しかしその多くは、公式非公式に、筆者の生徒であった。ミンスキーを否定することは、
MMTの展開におけるUMKCが果たした役割を否定することになる。

さて、ミンスキーはここで機能的財政を放棄し、そして財政ハト派(あるいはタカ派とさえいう人がいるが)
アプローチ[7]を採用したという異論に対して、このビデオの中でミンスキーが確かに
ある不可解なことを言っているという点は認める。実際、レーガノミクス以後に書かれたものの
いくつかについては、筆者も、筆者がミンスキーに関するコースで指導していた学生たちも、筆者が
ミンスキーのコースで指導するたびに困惑していた(最初は1980年代にデンヴァー・ユニバーシティーで、
ついで、UMKC、そしてレヴィ研究所およびバード・カレッジで)もみな困惑した。彼の見解は変化し、
大きな赤字に対してより厳しいラインを引くようになったように見えるのである。こうしたのちの文章と
初期の文章とを調和させることは難しい――この点ははっきりしている。筆者としては、
こうした新しい立場を、ポスト・レーガン時代における議論だ、というコンテキストのもとで
検討したい。筆者としては、時代とともにいくつかの変化はあったものの、根本的な変化はなく、
政府財政に関する彼の初期の観点との間に重大な断絶もなかった、と結論付けたい。ミンスキーは
機能的財政の原則を破ってはいなかった。ただしその解釈は変更されたが、
それはすでに1960年代には行われていたのである。

筆者はミンスキーが機能的財政についてクラスルームの中でも外でも論じたことを思い出せない。
ただ一か所だけ、彼の論文にその言葉が使われているのを見つけた ― 以下で論じる
1960年の論文がそれである。一方で、これは奇妙に思える ― 財政赤字と政府債務に対する
ミンスキーの見方、およびラーナーとの近しい関係(ミンスキーは常にラーナーを最も影響された人物の
一人に挙げていた)[8]を考えると。他方で――これが議論したい点だが、―― ミンスキーは
機能的財政アプローチと、ラーナーの「ステアリング・ホイール」論(ビデオで言及されている)の
双方について、あまりにも機械的すぎると考えていたに違いない。筆者の考えでは、
彼はこれら両者の単純化されたバージョンを拒絶していたのである。それはちょうど、
ケインズに対するアルバン・ハンセンの解釈――現実の制度的側面を無視している――を拒絶したのと
同じである。(ミンスキーはハンセンのティーチング・アシスタントであったが、ミンスキーによれば、
彼は、ハンセンのケインズに対する「機械的」アプローチが嫌でハンセンのコースへ進むことは
選ばなかった―― というわけで、ミンスキーはシュンペーターを選んだ。)1960年代初めから、
ミンスキーは機能的財政のより微妙なバージョンを持っており、それが理由となって(だと思う)、
彼はこの言葉を使わなかった(Papadimitriou and Wray 1988)。

最後に、後で注記するつもりだが、ラーナーもまた初期の単純な機能的財政アプローチを後期の業績では
放棄している ― 筆者の考えでは、大体ミンスキーが10年前に考えたのと同じ理由であろう。ラーナーは
単純なバージョンが制度的な現実を無視していることに気が付くに至った。これは排他的にマクロレベルの
目標だけを追った政策形成であり、彼がミクロあるいは市場分析とみなしたものを無視していたのである。
ミンスキーはシカゴ大学流の制度学派でトレーニングを受けていた ― それだけに機能的財政および
「ステアリング・ホイール」を文字通りに受け止めることの問題点を早い段階で理解していた。


初期のミンスキーの考え方


政府が果たすべき適切な役割について、初期のミンスキーの立場は戦後のケインズ主義の展開に
影響されたものであった。これは需要ギャップと反循環的予算の必要性を強調するものである。さらに、
おそらくより一層重要だったであろうが、「戦争財政」によって、財政のキャパシティーは
租税収入に制約されないことが明確にされた。ラムルRuml(1946)のタイトルにある通りである。
「歳入のための租税は時代遅れである」。彼は続けて、国民政府の予算と、州および地方政府の予算の間の
峻別へ進んだ。

政府がその独立性を保ち支払い能力を維持するために課税することが必要だというのは、
州や地方政府にとっては正しいが、国民政府には当てはまらない。この25年間、世界史上最大の戦争の結果、
二つの変化が起こった。それは必要な通貨を賄うという面に関して、国民国家の地位を全く変えてしまったのである。

こうした変化のうち第一のものは、中央銀行のマネジメントにおいて、新しい膨大な経験が得られたことである。

第二の変化は、国内目的に関して、通貨の金との兌換が廃止されたことである。

現代的な中央銀行の様式で機能する制度の下で、国内貨幣市場からの完全な自由は存在するのであり、
そしてその通貨は金あるいはその他の何らかの商品との兌換があってはならない。

合衆国は中央銀行つまり連邦準備システムを有し、そしてその通貨は、国内目的に関しては、
いかなる商品に対する兌換性もない国民国家である。つまり合衆国の連邦政府はその
財政的必要を満たすことについて貨幣市場から完全に自由なのである。

ミンスキーがラムルの議論に精通していたかどうかはわからないが、この時代、これが一般的知見として
世の中に流布していたことは、ラーナーやフリードマンが同様の政策方針で先行していたことからも
明らかである。フリードマン(1948年)の政策提案は「経済安定のための金融と財政の枠組み」という
記事で表明された。この記事で彼は、政府は完全雇用の時のみ均衡財政を守るべきで、景気後退期には赤字、
景気過熱期には黒字とすることを提案していた。興味深いことに、彼の提案では、あらゆる政府支出は
「貨幣創造で賄われる」ことになっており、他方、租税納付によってマネーサプライは減少するわけだから、
財政赤字はネットで貨幣創造になる。というわけで彼は貨幣政策と財政政策を結びつけることを提案しており、
そのために財政を使って反循環的なやり方で貨幣発行量を管理しようと提案していたのである。 [9]

Lerner(1943年、1947年)版は「機能的財政」および「国家の創造物としての貨幣」アプローチと
呼ばれている――最初のものは予算政策に関するものであり、二つ目はその政策の理論的ベースを
提供するものである。。彼は機能的財政論の二つの原理を定式化した。失業があるときには政府は
支出を増やすべきであり、金利が高すぎるときには政府は貨幣(準備)を供給するべきである。この通り
ラーナーは財政政策と貨幣政策の間の通常の区分を守ったが、予算に関する勧告はフリードマンのものと
類似していた。さらに財政とは(「均衡」を達成するために定式化された)「健全」であるよりは、
(公共目的を達成するため)「機能的」であるべきだ、とする勧告はまさにラムルが押し出した
ポイントであった。ラーナー(1941)はまた、政策に対する「ステアリング・ホイール」アプローチを採用したが、
これがのちに「ケインジアン」ファイン・チューニングアプローチとなったものである。

ミンスキーは初期の研究で、ラーナーの機能的財政アプローチを引用したが、その中で
サミュエルソンの乗数加速度モデルを拡張するため、「巨大銀行」(中央銀行)と「巨大政府」
(財政政策)という制度的天井と床を付け加えて、内生的安定性を強化した。数年後、ミンスキーは
政府支出主導の拡張は、民間部門支出に主導された契機拡張より金融的に強固である、と論じているが、
これは暗黙裡にゴドリーの部門バランスアプローチを予見していたことになる(Minsky、1963)。

面白い原稿(イルマ・アデルマンIrma Adelmanと共著、1960)があり、そこでミンスキーは
経済安定のための予算編成を検討するモデルを展開した。 [10] この論文は、
「以下に示す問題のほとんどが機能的財政原理と関係している」との認識から始まり、まさにラーナーの
『制御の経済学』および『雇用の経済学』からの引用があるわけだが、同時に「本稿を基礎づけている昔ながらの
想定がある。つまり、完全雇用と物価安定は両立する」と認めている。同稿では「国債は独特であり、、、、
債務不履行リスクはない。…[唯一のリスクは]金利と物価水準の変化だ」と主張している。さらに、
国債は、民間部門の純金融資産に追加される。「民間部門の総資産は、経済における実物の価値と
国債の価値に等しい」。同稿の結論では、政策の組み合わせとして最善なのは、低金利、民間債務と
同じ率で国債残高を成長させること、両者の成長率を生産性の成長率と合わせることとされている。注意して
ほしいが、これは、恒常的に政府予算赤字を発生させ、国債残高を生産性の成長に合わせるという意味だ。
これはどう見ても財政ハト派の主張ではない(財政ハト派は景気循環全体を通じて予算を均衡させることを
狙っている)――これは民間部門に対して安全な金融資産を提供する、という意味で、
機能的なのだ。そして民間部門では、経済と民間債務が成長するに合わせてこの安全資産にレバレッジを
架けるであろう。[11]

しかし、1968年に出版された論文では、Minsky(2013)はより微妙な立場をとった。そこで彼は、政府は
タイトな完全雇用を追求すべきである、と論じている。それは3%と見積もられていた。のちに彼は、
以前はこれを総需要の全般的な増加で達成可能だと考えていた(呼び水政策、あるいはステアリング
ホイールアプローチ)が、今は考えを変えた、と述べている。「「間接的」総需要政策に頼っても、
かつて私ができるであろうと主張したことを達成するのは無理だ」(Minsky 2013, 329)。そんな政策をとれば
金融不安定性が増すだろうし、そして民間部門の支出を刺激すれば、そのうちいくつかは
債務を通じて外部から資金調達されることであろうから、クレジットクランチの引き金を
引くことになるだろう。また、高度化した部門で賃金・製品価格が上昇し全般的インフレーションが
発生するほうが、停滞部門で雇用に対する供給が十分に生み出されるより早いであろう。この政策は
平等を改善しはしないし、格差を悪化させることになりかねない(先と同じことで、高度化した部門に
おける所得の方がより改善されることで)。

こうした理由すべてにより、彼は目標を定めた支出、そして特に、失業者に対する直接的雇用創出に
好意的であった。「集計的需要の構造により大きな関心が払われることが、望ましい相対賃金の変化を
引き起こすには必要だということだろう。問題は、「直接的」需要がより平等という目標を達成できるのか、
あるいは、直接的需要があるときとないときと、それぞれの場合において直接管理というシステムが必要なのか」
(Minsky 2013, 329)。[12]「ここで示唆されている真のメリットとは、政府が最後の雇手になる、ということだ」
(Minsky 2013,338)。これは「ボトム・アップ」政策[※実は原文では"bubble up" policy なのだが、
ちょっと変なので書き換えた。。。確認が必要。](「トリクル・ダウン」ではなく)を通じてタイトな
完全雇用を達成し維持できる。これは格差を減らし、タイトな完全雇用を達成し、そして物価と金融双方の安定性を強化する。

確かなことは、彼は機能的財政を放棄したわけではなく、むしろ政府は何に支出するかを問題として
論じていたのである。問題は、一般的需要増加を通じて完全雇用を達成しようとするとその前に政府は
資金切れを起こしてしまうだろう、といったことではなく、むしろそのような政策は望ましくない
結果(インフレーションと格差)を引き起こしてしまうだろう、という点である。彼の主張では、経済への予算の
影響は、支出と課税がどこに向けられているかによって決まる。 例えば、軍事支出や移転支出は生産性が低く、
したがって消費財生産を強化する支出よりもインフレ的である。

同じ論文で、彼は予算のスタンスが通貨 [13] および金融の安定性にとって重要だ、とも論じた。
強い反循環的な変動が予算に組み込まれ、そうすることで多幸症的ブームを封じ込めるのに
十分なだけの大きさを持つ余剰が生産されなければならない。 [14] 彼はこう論じた。

1960年代には、ケインズの政策の勝利が明らかだった。ところがこのケインズ政策の採用の成功それ自体の結果、
経済は必然的に不安定化するであろう。この不安定性は不況あるいは深刻な停滞への性向の結果ではない。
むしろ、爆発への傾向のためだ...。家計および企業の、今年よりも来年のほうがよくなるという期待が
ますます大きくなってゆく。こうした期待をめぐる雰囲気の傾向が、1960年代中葉の民間投資需要の
爆発的増加という結果に行きついたのである。(Minsky 2013、 331) [15]

1960年代全体にわたる問題の一つは、この時期、政府予算は均衡さらには赤字へと傾いていったことである。
「1960年代、『現代的』財政政策の考え方と偶発的な戦争とが結びついた結果、民間投資が
「爆発した」時でも政府の収入は政府支出に比べ増加しなかった。つまり民間投資の爆発を相殺した
貯蓄は民間に由来する物であったことは間違いない。」(Minsky 2013,331)。これは奇妙な説明に
見えるかもしれない(そして、文脈から切り離してみると、貸付基金説に基づいていると解釈されるかも
しれない)が、ミンスキーは分配理論で展開されたポストケインズ派の業績のことを言っているのである。
注入/漏出の言葉で言い直すと、拡張期に政府予算が急激に黒字に転換しなければ、投資によって
民間部門の所得は引き上げれ、貯蓄による漏出が注入を埋め合わせるまで上昇する。これは望ましからざる
分配効果をもつ。

「カルドア型」関係においては利潤からの貯蓄性向の方が家計の可処分所得からの貯蓄性向より
大きいのであるが、その場合、民間部門で貯蓄が生み出されているときには常に、
所得分配は利潤に向かってシフトしている。所得分配にこうした変化起こるパターンの一つは、
インフレーションを通じたものである。貨幣賃金の上昇を上回る物価上昇が生じている場合、
実質賃金が低下する。この古典的なインフレパターンは1966年の間見られたもので、明らかに
物価上昇による強制貯蓄があったのだが、これが1967年の物価上昇継続の要因の一つである。というわけで、
投資ブームの間、「古典的」所得分配(賃金と利潤)が「悪化する」ばかりでなく、
この悪化は政治的に不適切なインフレーションとも結びついているのである。(Minsky 2013、 331)

同時期の他の「ケインズ主義者」と異なり、ミンスキーはフリップスカーブのトレードオフを
1960年の論文のとおり、常に拒絶していた。賃金上昇は緩慢なままで、それゆえ「インフレーションの
メカニズムはフィリップスカーブのそれではない」 (Minsky 2013, 331) と論じていた。むしろそれは
投資によって引き起こされた。というのは所得分配が利潤に向かってシフトするように
スーパーチャージされたからである。これはまた「金融市場に深刻な圧力をかける」ので、
「長期的な完全雇用がこうした投資需要の爆発的増加によって引き起こされることはありうるとしても、
その投資需要は完全雇用を継続するために必要な需要の持続的成長を達成することは不可能になる。
というのは、投資ブームは期待を取り巻く「多幸症的」な雰囲気によるものであり、そして投資ブームが
腰折れすれば、期待を取り巻く雰囲気も必然的に変わるからである」(Minsky 2013, 332)。それはFedが
金融引き締め政策を課すことで生じる。これにより金融市場では混乱と、そして時には「ミニ・パニック」が発生する。

従って、政府の拡張的財政スタンスを「安定化させる」ことは「不安定化」なのである。というのは、
それによって多幸症によって自己強化的な投資・利潤ブームが作り出される条件が生み出されるからである。
ここからインフレーション圧力が発生し、それが所得分配の利潤へのシフトを増幅させ、金融部門の
脆弱性を高めさえするのである。 [16] 救済は金融引き締めとクレジット・クランチという形態で現れる――
それが期待を引き下げる。「ひとたび期待をめぐる雰囲気が変化してしまえば、すべての民間部門は収縮する…。
当然、深刻な不況によって期待の変化がみなに知られるところとなれば、確信が再構築されるまでには
時間が必要になるであろう。」(Minsky 2013,332)。このサイクルを崩すために、彼は、
"潜在的な投資ブーム"を抑制し、代わりに雇用に対する直接的な需要によって完全雇用を追求する必要が
あると主張したのである。

要するに、この1968年の論文は、単に「ケインズ主義的」呼び水政策に対する暗黙の批判の中に
驚くべき先見の明を示しているばかりでなく(確かに、フリードマンによる1968年のアメリカ経済学会会長演説より
適切なものだ。というのは、単純なフィリップスカーブのトレードオフを拒絶している点では、これも
重要ではあるけれど、あり得なさそうな「ばかげた」メカニズムを必要としているのだから)、
「非効率」支出によるインフレーション率の上昇、不安定性、そして経済格差が過熱することを
警告しているのである。

ミンスキーはまた、政府債務に対してもより微妙な立場をとりはじめた。終戦直後の時期は、経済は政府債務を、
成長をレバレッジするための安全資産として必要とした(つまり、民間借り入れの担保として使われた)。
ところが、あまりにも多くの政府債務が経済に流れ込んだため、貨幣政策オペレーションは
割引窓口貸出を通じたものから、公開市場操作へと移っていった。 [17] 公開市場操作では、市場へ準備を供給することに
なるため 、中央銀行は、個々の銀行を 指導するdisciplineことができなかった。連邦準備制度が
割引窓口で準備を供給していれば、準備を必要とする銀行の帳簿を見ることができる――良い担保を
持っていない銀行に罰を与え、良い行動をとっている銀行にはご褒美を与えることができた。最後に、
巨大な政府債務の未償還残高のせいで、ブーム期に必要とされる反循環的な財政余剰を生み出すことが
一層困難になる。というのは国債の金利を支払わなくてはならないからだ。これがのちに彼が
立ち戻ることになるテーマである。


1 例えば Forstater (1998) 参照
2 実際、ラーナーは後にUMKC(1999年以降、MMT発展の主要なな役割を果たすことになる)となる私学にいた。
3 従って純赤字は、経済に貨幣を追加する。黒字は排出する。財政赤字を問題視するよりは、
 反循環的な赤字は強力な安定化装置である――財政(支出)と金融(貨幣発行)政策によって――とみなされていた。
4 https://www.youtube.com/watch?v=FLi2wdSA66A&t=2895sで入手可能
5 レヴィ―・インスティテュートでは未完成の草稿を編集しており、(私の希望としては)最終的には出版したい。
6 例えば、Mitchell(2016)を参照。
7 財政タカ派は均衡予算(あるいは黒字予算でさえ)求めている。財政ハト派は景気後退時には
 財政赤字を許容するが、景気回復期には黒字には反対するが均衡を求める(これらの言葉は
 ステファニー・ケルトンによるもの)。対照的に財政フクロウ派は機能的財政アプローチをとる。
8 ミンスキーは、しばしばミンスキーに帰せられている有名な言葉を引用することでラーナーを
 称賛した。「安定とは不安定化のことである」。
9 この提案は経済の安定化の助けになる強力な反循環的力となる。ただし、フリードマンは依然として
 善き数量理論家だったのかもしれない。というのは経済を安定化させるのは、政府の支出ではなく貨
 幣の変動だ、と論じることもできたからである。さらに、彼の反循環的刺激策のプランはルールベースの
 ものであり、裁量政策によるものではなかった。彼はまた、100%所要準備によって民間の銀行による
 貨幣創造を排除しようとしていたが、このアイディアはアーヴィング・フィッシャー及びヘンリー・サイモンズから
 とられたものであり、その場合民間銀行による「純」貨幣創造はないこととなっている――銀行が
 銀行貨幣の供給を拡張するのは、政府発行による準備を蓄積した場合だけになる。
10 Minsky and Adelman (1960)参照。
11  後にミンスキーは、第二次世界大戦によって発行された安全な連邦債務をレバレッジすることで
 戦後の成長は促進された、と論じることになる。
12ここでもそれ以外のところでも、ミンスキーはユニバーサル就業保障プログラムの創設を推進している。
 これは連邦政府が最後の雇用者として行動するものである。’Ending Poverty : Jobs, Not Welfare'
  (Minsky 2013) 参照。
13 ミンスキーはしばしば、ブレトン・ウッズ性の下での固定為替相場制のせいで実行可能な財政政策に
 制約が課せられていると論じていた。
14 多くの人が、ミンスキーの理論は大部分危機局面に関するものだ、と考えているのだが、実際には、
 彼は巨大政府と巨大中央銀行によって有効需要と資産価格にそれぞれ床が与えられている(反循環的財政赤字と
 最後の貸手政策)戦後経済においてはむしろ多幸症という推力の危険性の方を懸念していた。
15 この点は彼が『金融不安定性の経済学』で書いていることと全く一貫している。「政策的問題は、
 厳しい景気悪化の可能性を高めることなく、インフレーションと失業を弱め、かつ生活水準改善の速度を
 遅らせることのない制度的構造及び方策を工夫することである。」(Minsky 1986b, 295)そして、同じ本の中で
 こう記している。「現在の戦略では、需要に補助金を出すことで完全雇用を達成しようとしているように
 思われる。そのための手段は投資のための金融調整、財政投資、政府契約、移転支出、租税である。
 この政策的戦略によって、長期的インフレーションや、累積して金融危機となる短期的投資ブームと
 深刻な不安定性が先導されている。政策的課題は、経済不安定性、インフレーション、失業を先導することなく
 完全雇用を達成する戦略の展開である」(Minsky 1986b、308)。
16 ミンスキー(2013, 335)は次のことも示した。戦後期全体で、賃金には格差が生じた。というのは
 賃金上昇は賃金の元々の水準と正相関している――格差は拡大する。「したがって、1948-1966にわたって、
 調査された産業部門では、富裕層はより富裕になり、困窮層はさらに困窮し、そして、中間層はそれを維持した。」
17 これはミンスキーがFedの割引窓口オペレーションの研究に参加した時以来の関心事であった.

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2 コメント

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無題 (tam)
2019-09-04 03:53:40

>ミンスキーは、修正「ファンクショナル・ファイナンス」の立場を崩さなかったにもかかわらず、
>つまり、合衆国が財政破綻することはあり得ない、との主張を習性崩さなかったにもかかわらず、

文脈で判断すべきかもことかもしれまへんが、
これ「ミンスキーは」じゃなくて「ラーナーは」じゃなかと思います。。。
コメントありがとうございます。 (wankonyankoricky)
2019-09-07 13:19:33
コメントありがとうございます。
え~、ご指摘の通りで、ここはラーナーが正しいですね。誤字もひどいし(ご丁寧に、「終生」を意味もなく重ねて、しかも二回とも違う誤字ですね。。。。)い恥ずかしい次第です。

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