断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

L. Randall Wray のModern Money Theory が届いた。

2012-09-28 22:28:17 | MMT & SFC
L. Randall Wray のModern Money Theory が
届いた。
注文したときには、配達が10月になる、という通知を受けたのだが、
その2日後には発送しました、という通知を受け取り、
その翌々日には届いた。
今週の、、、、水曜のことだった(たぶん)。

まだ、読み終わっていないのだが
(月末だぜ? 読んでる暇なんかねえよ。
いや、読んでる暇はなくても、
呑んでる暇はあるんだが。。。)

ちょっと、内容的には、う~ん、いいんだか悪いんだか。。。

序文にははっきり書かれている通り、
もう10年以上前に出版された、
Understanding modern money
(だったかな?)の、続編を意図して書かれたものだ。
もっとも、前著の出版以降も、
著者はいろいろな編著に参加しているし、
ワーキングペーパーもいろいろ出している。
ただ、先に言っておくと、
今年、Mar Lavoie との共著という形式で出版された
Wynne Godley のことがかなり意識にあったようで、
これはちょっと意外だった。
いや、ある意味、当然すぎるほど当然のつながりで
なんかね。

Wynne Godley の名前は
実は、おいらの記憶には、なぜか、あった。
で、なぜかが分からないので、
今回いろいろ古い本を引っ張り出して
なんだったか思い出そうとしたんだけれど、
結局わからなかった。
ともかく、おいら自身は、
今年に入ってから出版された(ペーパー版の話ね)
"Monetary Economicis" Wynne Godley and Marc Lavoie
を、たまたま入手していたし、
それを読んでいて、実はいろいろ思うこともあった。
どうでもいいが、本書は、一応、
大学院生向けのテキストという位置づけで書かれた
といっていいと思うし、
なるべく早めに翻訳が出されるべきだ、とも思う。
そう思う理由にはいろいろあるのだが、
今日はちょっと酔っぱらっているので、
あんまり書かないでおく(酔っぱらっていない時は
ブログなんぞやっていないので、つまり、
今後もあまり書くつもりはないわけだが。。。。)。
しばらく、非主流派の間では
主要なテキストの一つに位置付けられることになるだろうし、
場合によっては、トービンが
Pケインジアンに対して果たしたような役割を
主流派に対して果たすことになりうる書物である。。。
(に、なればいいな。。。)

が、こちらの、Wray の書物のほうは
そうはいかない。
もっとも、序文からは
本人が、過去のあらゆる発言をかなぐり捨てて
「私自身の立場は別として、
拡張財政主義者にとっても
緊縮財政主義者にとっても、
等しく役に立つ書物である」と、言っているだけあって
まあ、いろいろ、なんちゅうか、アレですよ。。。ご本人は
精一杯、ご自分の政策的立場を禁欲して、
いわゆる政治的中立とやらに気を使ったようではある。
それにもかかわらず、主流派の人々からは
おそらくは歯牙にもかけてもらえない内容であることは
間違いない。(そうでなくっちゃ!)

だが、それとは違った意味で、
前の Understanding moderon money と比べると
いまいち面白くなさそうである。
続編である、ということ、つまり、本書が
ある意味前著と等しく”啓蒙主義”的発想で
書かれている、ということ、そして、
啓蒙すべき内容については
前著と同じである、ということ、こうした点は
疑いなさそうではあるが、
しかし、歴史的叙述はすべてカットされているようである。
前著では、一般均衡理論による貨幣解釈が
さらっと、言及され、かつ一刀両断されていたが、
ここでは、そんなものに言及するまでもなく(たぶん、ね。
まだ読んでないから)、
まず、全く経済及び経済学について学習した経験がない人向けに
ISバランスの話が出てきて(ひえ~)、
で、次には、
ストックとフローの説明が出てくるんだが
(この辺はWynneの書物からヒントを得たようではあるものの)
その、ストックの説明が、
10年1日がごとく、あれなんですよ、

排水栓を開けたままのふろおけに
水を入れたら、何分で、水が風呂いっぱいになるか、

という、あの、ともかく、
すべての教科書に書かれてはいるが、
我々のようなぼんくら学生には
5000年かかっても理解できない説明が
相変わらず、載っているのである。
いったい、どこの世界に
わざわざふろの栓を抜いたまま
湯を入れようというバカたれがいるんだ?
経済学ってのは、そんなバカたれを想定しなければ
説明できないものなのか?
(その一方で、少なくとも主流派経済学の教科書では、
すべての人は、合理的に行動するわけである)
まあ、日本とアメリカは違うにせよ、
どうして、パスブック(預金通帳)の
入出金・残高の話ではだめなのだろう。
どうして、新車登録台数と廃車台数、現在の
実動台数の話ではだめなのだろう。
どうして、今年仕込んだ酒と、今年出荷した酒と、
いま、発酵樽の中にある酒の話じゃあ
ダメなんだろう。
どうして、、、、、
どうして、世の中で、一番バカな話を、
イワンのバカよりもっとバカな話を、
もっともらしく、教科書に載っけなきゃならないのだろう。
ストックとフローって、そんな難しい問題なのか?
と、まあ、少しでも将来の教科書が
わかりやすくなることを願いつつ、閑話休題。
(こういう低次元のところで、経済学を
刷新しようという著者の意欲が
疑われちゃうんだよなあ。。。)

話がそれてしまったが、
前著でWrayが、何を言っていたか、
簡単におさらいをしておこう。(といっても
おいらも、だいぶ前に読んだもんだから、
かなり記憶が怪しいのだが。。。)

Wrayは、そもそも貨幣とは何か、
という点に関しては、Minsky的な理解を完全に踏襲する。
これは、おいら流の表現になってしまうが、
要はIOU( I owe you ) のヒエラルキー構造
そのもののことを、貨幣と呼んでいるわけである。
もちろん、貨幣とは、第一義的には
価値尺度、いや、むしろ、尺度されるべき対象の「内在価値」あるいは
「真実価値」が、なんであれ、、そんなものは、結果としてしか
わからないのだから、、、を示している、というよりは、
単純な所有者の、願望を表記するための数値、としか
言いようのないものである。
しかし、この表現は、それほど馬鹿げたものではない。
なんせ、願望は、数値によって表記されるのである。
そして、この、願望として表記された数値を実現するものが
「貨幣」と呼ばれうるものなのである。
これは、ちょっとバカげた話ではあるが、
現実である。そして、この願望を満たすことができるものは
すべて「貨幣」である。つまり、「資本家は、
昨日まで豪語していた。商品こそ、貨幣だ。
いまや、すべては変わった。貨幣だけが商品だ。
鹿が清水を求めていななくように、資本家は、
貨幣を、この唯一の富の定在を求めて、叫ぶ」と、
いうのはともかく、貨幣は、結局のところ
決済手段だ、いうわけだ。
実際、民間銀行の預金による最終的決済が保証されている限り
民間企業の営業債務である商業手形は
その範囲こそ限定されているとはいえ、支払い手段として十分機能している。
手形の流通がこれほど頻繁なのは、
いわゆる企業城下町というものを形成することができた日本に特有の状況なのかもしれないが
(この面で、以前の中小企業分析は
非常に不十分なものであったと言わざるを得ない。
かつての中小企業分析が
労働条件や親会社に対する取引条件の分析に集中しており、
親会社と地銀を中心とする内部貨幣による決済ネットワークの分析が
あまりなされていなかったように思われるのである。けど、まあ、それはそれとして、)
海外では、それほど頻繁ではないらしい。他方で、
ABSやMBSといった営業債務は、実質的に
貨幣として流通しているらしい。(ここが問題なのだが、
日本の裏書手形のような形態で流通しているのか、
手形割引のような形で流通しているのか。
この辺の形態いよって、だいぶ変わってくるだろう。。。その辺の考察は
Wrayにはないように思われるし、ガーレイ&ショウや、
以前、ドゥルプラスあたりが書いた
Private money and Public Money にも、なかったように思う。Minskyや
Moorにも。

え~えっと、おさらい、とか言いつつ、
中途半端で申し訳ないが、
眠くなったんで、今日はもうここでおしまい。
本当は、Wrayの「政府部門の予算制約」の問題や
Employer of last resurt の問題や、
9月14日に公表された12年7月のマネタリーサーベイについても
書きたかったが、もう、だめじゃ。
また、明日以降(いつになるかはわかりません)、書くことにしよう。




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