断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

今日の神学論争――準備預金が中央銀行の負債でなきゃならないわけ(トークンとしての準備預金)

2016-11-06 13:57:04 | MMT & SFC
MMTとPM派との論争なんか読んでいると
やはり「負債」という言葉に対する考え方が
大きく違っている。準備預金が
政府あるいは中央銀行の「負債」であるかどうかより、
そもそも「負債って何?」という点で
埋めがたい溝があるような気がしている。
勿論、そんなものはただの解釈に過ぎないんで、
それだけとって言えば、どちらでもいいのだけれど、
しかし、その結論が
MMTは、極端な言い方をすると、中央銀行には
望ましい金利水準を定めた後は
市場の要求する通りに準備預金を供給すること
(あとは金融機関特に
その保有する資産の内容を細かくチェックし
指導・監督すること)だけを
求めている野に対し、
PM派は、100%準備預金制度、つまり
貨幣として流通する預金はすべて中央銀行の口座で
一括管理し、銀行は
信用創造で貸し出すをすることが認められない、
という、おいらからすると、ずいぶん極端(ラディカル、
というより)な結論になっているんで、
そうなってくると、この「負債」という言葉一つにしても
あまり曖昧にしておくのもなあ、という感じもある。
が、その一方で、単に、日銀が公表する財務報告書の中で、
準備預金を純資産と考えるべきか負債と考えるべきか、
というだけのことに限って言うのなら、
どっちでもいいといえばどっちでもいいのも、確かだ。
現に資金循環統計では企業の払い込み資本金は
負債として扱われている――金融市場から調達した
資金は、すべて負債として扱う。こうした分類は
それぞれの人がそれぞれの立場で目的に応じて分類すれば済む話なんで、
あまりこだわりすぎることもよくない、と思う。
そんなわけで、
今回は、準備預金あるいは民間金融機関の預金の
負債性の性格について、簡単に考えてみることにした。
特に、中央銀行の準備預金(及び紙幣)が
なぜ「トークン」に例えられるのか、
あるいは、特にモズラーが繰り返し言う
「準備預金というのは、
スタジアムのスコアボードの数字と同じだ」という表現の意味について
おいらなりの考え方を強調してみた。



中央銀行の準備預金に負債性があるか、
という話で、「期日のない負債だから
負債とは言えない」、という話があって、

まあ、確かに一般企業でも
DDSなんかで借入金を劣後債に切り替えて
返済期日がなくなると、
「資本性借入金」といって、
借入金なんだけど負債じゃない、だけど
純資産じゃないからやっぱり負債、
みたいな扱いになる。その意味で
準備預金(というより預金一般)だって
期日がないんだから(定期預金には満期があるが
これだって、普通預金との交換を約束しているだけだから
満期らしい満期という意味はない)、
負債性がない、という言い方にも
全く道理がないわけではない、と思わないわけでも
ないのだけれど、、、、、

銀行の預金の債務性というのは、確かに一つは
いつでも他人の負債(日銀券あるいは他の銀行の
預金)と交換できる、という事実に結びついている。
特に、多くの経済学者にとって、
現金(日銀の負債)との交換可能性が
ほぼ排他的に強調されている。だけれど、実際に
預金通貨が発生するとき、つまり、融資が実行され、
借入人の負債と銀行の負債(預金)が
交換されるときのことを考えると、実は
預金債務にも
期日らしい期日が全くないわけでもない、
ということに気が付く。
というのは、例えばX銀行が預金が発行するとき、
必ず相手勘定として貸付金が発生し、
そして貸付金が償還されるときには
必ずX銀行自身に開かれた預金口座に
しかるべき預金残高が残っており
そこからX銀行はしかるべき金額を引落するわけだから、
実際には、銀行が過去に預金として発行した負債のうち
その期日に貸付金と相殺されなければならない金額は
既に決まっていることになる。と、ことを単純化してしまうと
そういうことになるのだが、もちろん、実際には
そんな単純な話ではない。
そもそも発行された預金の
1円1円が、その貸付金の償還と結びついているわけではない。
もっというと、

通常は、貸出された預金が
全額償還の日までずっとその銀行内に開設された
預金口座間の振替えだけで流通し続ける、
ということはなく、少なくとも一旦は
ほぼ全額が銀行券に払戻しされたり
他の銀行へと送金される。つまり、
一旦は、X銀行の預金債務は、払い戻しや
送金という形で履行されるわけである。この段階で
X銀行は融資先(元預金者)には
何の債務も負わないことになり、
借入人のX銀行に対する負債だけが
残ることになる。

普通は
実際に償還の期日に引き落とされる残高というのは
その後、現金が預金されたり
他の銀行から送金を受け入れる、さらには
再び融資が行われる、等々により
新たに発行された預金である。
つまり、X銀行は、貸した資金が
返済されるまでに、新たにこの預金者に負債を
負うことによって、この借入人は
X銀行に自分自身の債務を償還することが
可能になる。X銀行はいったん債務を履行した後、
再び債務者となることで、
貸付金の回収が可能になる。
こうした事情のため、そもそも最初に預金が
生まれた時に取り交わされた返済の約定と、
実際に返済に使われる預金の間に結びつきを見出すのは
ばかばかしいと思えてしまう。しかし、
如何にばかばかしく見えようと、
少なくとも貸付契約が交わされた時点で、
その返済が履行されるときにはそれと同額の預金債務が
銀行のバランスシートから消滅することが
決まっているのである。


現金払い戻しや他の銀行への送金という形で
よそへ流出した預金通貨の持ち主は
X銀行とは縁もゆかりもない。今X銀行から
送金を受け取ったY銀行の預金者にとっては
元の借入人とX銀行の間の貸借関係とは
全くかかわりがない。もしその預金者が
過去にY銀行に対する債務を全く持っていないとすれば、
この預金はY銀行に対する純然たる資産であり、
Y銀行はただ現金の払戻しか
送金の指示があればそれに応じるだけの
Y銀行にとってはこの預金者に対する正味の負債である。
ただし、もし預金者が過去にY銀行から
借入をしており、そしてその償還期日が今日であれば、
その預金は、その償還(の一部)に使われることであろう。

借り換えのケースを除外すると(というのは
これも結局いつかは返済することが想定されているわけで
――まあ、継続企業の前提で
運転資金のこととか考えると、必ずしもそうとばかりも
言えない、ということもあるんだけれど――)、
政府取引や外国送金を考えない限り、
すべての預金通貨は、必ず、返済日に回収されることが
想定されている。実際には
銀行に債務がない個人・企業の預金というものも大量に
存在しているので、こうした関係は
分かりにくくなってしまっているけれど、
実際にもし銀行預金が貸付という形でしか
発生せず、貸付金の満期には必ず回収される、とすれば
すべての預金には、明示的ではないし
1円1円の預金と結びついているわけではないとはいえ、
必ず満期はあることになる。
銀行の負債性の内容というものが単に
日銀券との交換を約束し、
他の銀行への送金を請け負う、というだけのことであれば
これはどこかの銀行(日銀も含む)の負債が
他の銀行の負債へと移るだけのことであって、
部門全体としてみれば、その履行によって
債務が減少するわけではない。
この極端なケースでは、銀行部門にとって
債務が減少するケースは
金利手数料収入を受け取るか
貸付金の回収が行われる場合だけである。
貸付金の償還日が決められている以上、
預金債務の履行日も、(個々の預金と
結びついているわけではないとはいえ)
決まっているようなものである。

もちろんこれは極端な話である。
実際には、あたりまえの話だがこのような
関係が純粋に成立しているわけではないし、
それに「金融部門全体としては
送金や現金払い戻しによって債務の
履行が行われたことにはならない」ということに
妥当性があるとしても、個別の銀行にとっては
全く意味のない話である。金融部門全体が
どうであろうと、顧客の払戻し依頼や
送金依頼に対応できない銀行は
すぐに倒産するであろう。銀行に何ら負債のない
個人や企業が銀行預金を保有する可能性がある以上、
こうしたことは、理論的可能性としては、
常に起こりうる。(もちろん現在の金融システムであ
こうした倒産はまず起こらないように配慮して構築されては
いるわけだが、それはまた別問題である。)

さらに政府や海外との取引がある。
納税によって預金が引き落とされれば
その分の預金は消滅し、何らかの形で補われない限り
貸付金を回収しきれない銀行が現れる。
政府が支出をすればその分預金が新たに発行されることになり、
貸付金残高を上回る預金が存在する可能性が
発生する。

つまり、銀行部門全体にとっては
預金債務の履行とは貸付金と相殺する、ということでしかないのに
個々の銀行にとっては、そのようには扱えず、
むしろ中央銀行券との交換にこそ
その本質があるように思われる、というのは
結局のところ、よその金融機関(日銀も含む)の
負債との交換を約束しているからである。
もしも政府や外国との取引がなく
銀行が世の中に一つしかなければ
銀行の貸出金残高と
預金の残高は、かなり近いものになってくるのである。

ただまあ、預金残高と
貸付残高が乖離する事情というのは
他にもいっぱいあって、例えば

過去には何件もの整理・倒産がありその都度
回収不能な債権が発生する。
海外からの/への送金によっても
預金は銀行の預金者に対する債権と関わりなしに
増減する。
その他数多くの事情により
銀行の貸付金残高と預金残高とが一致することなど
あり得ないのだが、
しかし上記のとおり、貸付金によって発生した預金相当額の
預金には
回収や金利受け取りと同時に消却されるという意味で
日限らしきものが、全くないとも言い切れないことになる。

さて、一般の銀行預金に関しては
上の通りで、期日らしきものが全くないというわけでも
ないのではないか、程度の非常にあいまいな話をしたわけだが

これが中央銀行となってくると
もっと話は単純である。
なんせ、唯一の準備銀行である。
一般の銀行のように
他の銀行に送金するため、「資産としての準備預金」や
他の銀行に対する債権を保有していなければならない、
ということはない。逆に他の銀行からの
送金を受け入れることで「資産としての準備預金」が
増加することもない。おまけに、
中央政府の預金口座は、中央銀行にある。
そうすると、
中央銀行は他の誰かが発行した負債と引き換えに、
自分自身の負債である準備預金を発行しているだけであり
(職員の給与払や経費支払を除けば)、
そして、これらが償還されるときには
自分の負債と相殺することを約束しているわけである。
となると、準備預金とは単なる
預かり証――文字通りのトークン――に過ぎないことになる。

金融機関は、クロークに荷物を預ける際に
それと引き合えに引き換え札を預かるのと
同じように、金融商品を日銀に預けることで
日銀が発行する預かり証を受け取る。
そして、金融商品の期日が来て
債務が履行されるたびに、この預かり証を
返却しなければならない。
結局のところ、日銀当座預金残高あるいは
その振替えである発行銀行券勘定残高というのは
日銀手持ちの資産(国債であったり
銀行に対する貸付金であったり
優良企業の手形であったり)のうち、
将来、返却が想定されている分の金額を指すに過ぎない。
(返却が想定されていない部分は、
純資産、つまり純粋に自分のもの、ということである)
それが返却される――といったって、
荷物を返却するのとは違って、
単に、資産(発行者にとっては
負債)の残高が減るだけなんだけれど――ときに
引き取られるトークンが
日銀券であり日銀当預の残高である。
クロークでは、預かった荷物を
何の対価もなしに持ち主に返却するだろう。
それと同じく、日銀手持ちの有価証券も
何の対価もなく、消失する。ただその時に
トークンは回収される必要はある。
もしもクロークが、預かった荷物を
自分自身の「資産」に計上するなら、
同様に発行したトークンも負債に計上する必要が
あるだろう。さすがにこれを「純資産」に
計上することなどできない。
トークンには期日は書かれていないかもしれないが、
しかし、荷物を預かるのは、
今日1日だけとか、コンサートやお食事の間だけ、などと
決まりがある。それによって
トークンが回収される期日も決まってくる。

結局のところ、
日銀当座預金 & 発券銀行券というのは
日銀自身にとっては
日銀がオペレーションにより、いくら
市場から債券を取り上げたか(という言い方も
変だが)を示す数字に過ぎない。
そして取り上げた債券が履行されると同時に
この金額も減ってゆく。言い方を変えると
資産のうち、将来確実に減少する金額が
負債として示されていることになる。
結局のところ、日銀自身にとっては
預かった有価証券の額を示す
トークンでしかなく、そして
預かった有価証券を資産に計上している以上
この引換券のほうも負債に計上せざるを得ない。
これを純資産というわけには、どうにもいかない。

これがつまり、「貨幣とはトークンである」という表現の
示す意味だということではないだろうかな、。、。


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4 コメント

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Unknown (wankonyankoricky)
2016-11-13 00:11:55
期日について、言うと、

キャッシュ云々は、関係ないでしょう。
実際、高橋氏は
国民資産を処分することを念頭に置いて
「国の借金問題は解決した」とおっしゃっているのですから。

債務には期限のある債務と期限のない債務とが
あります。期限のない債務というのは
当座性預金やデパートの商品券のように
債権者が任意の時点で債務の履行を迫ることのできる
債務です。他方で期限のある債務とは
多くの銀行借入金や国債、社債、定期預金、
こうしたものが該当します

銀行から企業が資金を借り入れる場合、
契約書には多くの場合
「期限の利益」ということが書かれています。
つまり、債権者である銀行は
契約に定められた日限まで
「期限の利益喪失理由」に該当する事象がなければ
債権の行使を行えないのです。
債務の「期限」について、誤解している人も
少なくないようですが、
債務の期限とは、債務者にとっては
その日に必ず債務を履行しなければならない
義務を定めたものであると同時に、
その日までは、債務の履行を猶予されるという
権利を定めたものでもあるのです。
「○月○日までに銀行に返済資金を
積んでおかなきゃ」という義務は
裏を返せば
「○月○日までは、借入金を返済しないでも
いい」という「期限の利益」と同一なのです。
コベナンツ・ヒットでもない限り
銀行は、貸付人に対して
期限前に回収を迫ることはできません。
期限というのは、債務者の義務ばかりではなくて
権利でもあるのです。「期限なし」というのは
はるかに厳しいものです。
返信する
Unknown (wankonyankoricky)
2016-11-13 00:09:19
コメントありがとうございます。

さて、ご意見に関しまして、おいらの考えをちょっと
説明します。

簡単に仕訳で示しますけれど、

中央銀行の準備預金が発行される場合、
中央銀行側から見ると

D)貸付金   xxx
C)準備預金  xxx

そして回収(弁済)されるときには

D)準備預金  xxx
C)貸付金   xxx

となるわけですね。このパターンを
「証券返済債務」と呼んでおられるわけですね。
なお反対勘定は貸付金でなくても国債でも
金融商品なら何でもいい。
そして、この仕訳に表現される取引は
毎日、金融市場で
日銀と各金融機関との間で
行われているのだ、という事実に注意してください。
これは、実際に、日々、行われていることなのです。
――これ以上に日銀当預の「負債性」を
現すものがあり得るでしょうか?


次に、例えば金本位制の下では
次のような形で準備預金が発行される。

D)金地金    xxx
C)準備預金   xxx

回収時は

D)準備預金   xxx
C)金地金    xxx

このパターンを
「キャッシュ引渡し債務」と
おっしゃっていることになる。


そうすると問題は、
発行時に受け取った資産が
貸付金(あるいは第三者の債務証書)であるか、
金地金であるかの違いに思えます。
金地金を引き渡す義務があるわけではないから
準備預金には「実質的な
債務性」はない、とのことですが、
しかし、

中央銀行券が金と交換されるのは
そもそも発行時に金と交換されるからにほかなりません。
金本位制の下で貸付により準備預金が発行されているのは
事実ですが、事情はそれほど変わりません。
もしも銀行が金を対価とせず貸付により発行した通貨が
それを受け取った人の手によって
銀行に持ち込まれ金が引き出されたとして、
期日にはその人は銀行にその銀行券を
返却しなければなりません。そのためには
結局だれか(借入人本人かもしれない)が
銀行に金地金を売却することによって
確保するしかありません。
(逆に言えば、これがうまくできないから
成長する経済の下で
通貨が常に不足することになる。)


さて、そうすると問題は
中央銀行が準備預金を発行する際の対価として
受け取った債務証書が
それを発行した金融機関にとって
「実質的な」負債(あるいは
例えば国債なら、それが金融機関にとって
「実質的な資産」)なのかどうか、
というのが問題になる。ここでもし
銀行が中央銀行に渡す債務証書に
「実質的な負債(または資産)」としての
意味がないのであれば、
それを対価に発行される準備預金にも
「実質的な負債」としての
意味はないことになる。

おいら自身は、というと
銀行の借入金は、銀行自身の負債として
「実質的な」意味がある、と考えています。
これが履行できなければ
銀行は非常につらい立場に立たされることになる。
また、国債もそれを保有する民間銀行にとっては
資産として十分な意味がある。
従って、それの対価として
発行される準備預金にも
負債としての意味がある。


金融負債とか金融資産について考える場合、
その「実質的な」意味を考える場合には、
それが発行されてから償却されるまでのプロセスを
念頭に置く必要があると思います。
中央銀行と銀行は相互に将来履行すべき責任を
負いあったのであり、その片方だけを
取り上げて議論してもあまり全体像が
見えてこないのではないか、
これがおいらの結論になります。


さて、ご質問に対するおいらの考えは、
というと、


仮に、国民が中央銀行の経営状態に不安を持ち
債務の履行を迫りたい、しかし、
実際にどのようにして
逃れることができるのか、
という問いは、問いの立て方自体に
問題があるように思われるのです。

いざ債務の償還が不安視されたときに
債権者がどのような対策をとり得るか。
これは、債務の「実質」性を考える上で
不適切な基準だと思います。というのは、
そのような債務であれば、いくらでも
他にも存在しているからです。
例えば今日では、銀行の貸付金に対する
担保のカバー率は昔より著しく下がっており
ほとんどの場合、担保物件を差押えしたところで
回収にはなりません。銀行は
例えばプロジェクトの将来性を見込んで
それに賭けるわけです。勿論、
銀行は貸し出しの基準として、貸出先の
最低自己資本比率のようなものを定めています。
これは貸借対照表日付に
その会社が清算をした場合、
いくらが貸付人の取り分になるかを示すものと
されています。実際にはそのような価値が
実現すると信じている金融機関は存在しません。
法定償却率で減価償却された
稼働している機械など、処分したところで
簿価通りの価値になることなどまずありません。
おまけに銀行の貸付金には
期限の定めがあります。銀行は
あらかじめ定められた
「財務制限条項」に抵触する(コベナンツ・
ヒットといいます)事実、例えば
純資産比率があらかじめ定められた値を
下回るなどの事象がない限り、
契約で定められた期限より前に回収を行うことは
できないのです。つまり
たとえ貸付先の状況が不安になっても、
具体的にコベナンツに抵触する事象がなければ
回収するわけにはいかず、
そしてコベナンツにヒットするような状況では
まず満足な回収は無理です。
だからと言って、十分な担保のない
銀行貸し付けを「実質的な債務ではない」と
言えるでしょうか。
仮にそのような言葉使いをした場合、
その「実質的」という言葉によって
何を意味するのでしょうか。


日銀が債務を履行するのに困ることはない、
というのは
単に、最初に述べたとおりで
発行したものを資産に計上し
その対価として負債を発行しているからです。
これは単に、日銀が引き受けた諸証券の
価値を示すにすぎません。
しかしそれによって、日銀は
将来、こうした諸証券と対価に
自分の負債を引き取る(自分が過去に発行した負債と
引き換えに、諸証券を手放す)ことを
約束しているのだから、
実質的な負債に他ならないのではないでしょうか。
返信する
期日について (tamurin)
2016-11-08 02:27:41
日銀券や日銀当預が「期日のない負債」だと言うのは、
証書返還債務の期日が無いという意味では無く、
キャッシュ引き渡し債務を履行しなければならない期日は
永遠に来ないという意味なのだと思います。
返信する
実質的な債務とは (tamurin)
2016-11-08 02:11:53
銀行が預金通貨を発行して貸し出しをした時、
返済期日に(預金通貨と引き替えに)債務証書を返す義務を
銀行が負っているということになるかと思います。
これを証書返還債務と呼ぶことにしましょう。
一方で、銀行は預金通貨を求めに応じてキャッシュと交換する約束もしています。
これをキャッシュ引き渡し債務と呼ぶことにします。
日銀は証書返還債務を負っていますが、キャッシュ引き渡し債務は負っていません。
(日銀にとってのキャッシュは金や銀です)
 
さて、証書返還債務は実質的な債務だと言えるでしょうか。
 
ここで、ペーパーマネー(債務)の発行者の経営状態が危なくなった時に、
ペーパーマネーの保有者がどう行動するかを考えてみます。
デパートの商品券を持っている人は、一刻も早くデパートで使おうと
するでしょう。
要するに、早急にペーパーマネーの権利を行使し、
発行者に債務を履行させようとします。
 
預金通貨を持っている人は、一刻も早く現金を引き出そう
(キャッシュ引き渡し債務を履行させよう)としますよね。
一刻も早く借金を返そう(証書返還債務を履行させよう)
とする人は居ないでしょう。
それは単なる繰り上げ返済であり、あまり意味がありません。
 
仮に日銀の経営状態が危なくなった場合はどうでしょうか。
(日銀が倒産することは原理的に有り得ませんが、BSが著しく毀損していることが
判明して心理的に不安になることは有り得るでしょう)
日銀券や当座預金を持っている当事者は、その資産価値の減少から逃れるために
日銀に対して取れるアクションが無いのです。
(証書返還債務の履行を迫ることは単なる繰り上げ返済であり意味が無い。
せいぜい、日銀券を第三者に押しつけて外貨や金銀と交換するしかありません)
 
これは日銀の立場で言うと、どんなに経営状態が悪化したとしても
履行を迫られて困るような債務は日銀には無いということです。
(証書返還債務は、証書をただ保有してるだけで履行できます)
 
これが、「ベースマネーには実質的な債務性が無い」という表現の
意味するところだと考えます。
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