断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

Mitchell Innes "What is Money ?" 続き ⑥ と、"Credit Theory of Money" ①

2015-08-10 00:04:17 | MMT & SFC
ブログのタイトルがおかしいが、勘弁してくれい。

かなり間が空いてしまったが、
Michell=Innes の続き。第1論文の"What is Money ?" は今日でおしまい。
引き続いて"Credit Theory of Money" の粗訳にはいります。

今、困っているのは、credit の訳語をどうするか。
「信用」では意味が分からない。
(簿記の)「貸方」という意味のときもあるし、「債権」という意味もあるし
「預金」という訳語にしたほうが意味が通るときもあるし
しかし、訳し分けてしまったら全体の意味が通じない。。。。
「企業に対するcreditが貨幣として流通することは
普通に見られる。現に現在では銀行のcreditが
一般に貨幣として用いられている」なんてな文章が出てきたら、
最初のcredit は債権だし、後のcredit も債権だけれど
これはつまり預金のことで、そう書かないと意味が分からない人だって
いるんじゃないかと思う。でも、訳し分けちゃったら
それこそ意味が通じなくなってしまう。。。。
と、いうわけで、まあ、いろいろ苦労が多いんだよ、
というお話。粗訳の段階なので、
いろいろわけわからんところがあるんだけれど、目くじら立てないで
読んでね。



P43:3 かくして債務と債権は銀行家の仲介により絶えず流通している。銀行家は債務と債権を保持し、
そして債務に期日が来ればそれを相殺する。これがキリスト生誕に先立つこと3000年前から今日に至るまで
変わらぬ銀行業の全科学である。経済学者economic writers に共通の誤謬は、銀行がもともとは
金や銀の安全な預入場所だったのであり、金銀の所有者は好きな時にそれを持ち出せた、というものである。
この考えは完全な誤謬であり、そしてそれが誤りであることは古代の銀行の研究によりはっきり示されている。
P43:4 検討対象となっている商取引、金融取引がいかなるものであろうと、
つまり市場で1ペニーの野菜を買うだけであろうと、政府による10億ドル債券の発行であろうと、
ひとつひとつのすべてに同じ原理が当てはまるのがみられる。古い債権の譲渡あるいは新しい債券の発行にも当てはまり、
そして国家であろうと銀行家であろうと農民であろうと、繁栄するか破産するかは、
この原則が守られているか否か、すなわち債務が期日になった時、利用可能な債権を提供できるか否かにかかっているのである。
P44:1 良き銀行家が目標としているのは、日々の営業が終わった時点で、自分の保有する他の銀行家に対する債務が、
彼らに対する債権及び保有する「法定貨幣lawful money」または政府に対する債権の額の合計を
上回らないようにすることである。こうした必要性のため、銀行家が「貸付ける」額は限られる。
経験によって銀行家はかなり正確に、自分が他の銀行家に提示しなくてはならなくなる小切手と、
自分が決済しなくてはならなくなる自分宛の小切手の額を知っている。そして彼はある1日に
彼が決済しなくてはならない債務が、その日に提示し相殺できるであろう債権の額を上回るリスクがありそうなら、
手形を買い取ったり貨幣を貸し付けることを拒否する――つまり将来決済しなければならない現在の債務が発生することを
拒否する。忘れてはならないが、将来のある時点において決済される債権を、
今、他の銀行家に対する債務と相殺することはできない。相殺される債務と債権は同時に「期日」になるものであることが
必要だ。
P44:2 一般に英国で手許現金、合衆国で準備と呼ばれているもの、要するに銀行手持ちの法定貨幣に大きすぎる重要性が
付与されている。そして一般的にはこう考えられている。物事の自然な流れとして、
銀行の貸出能力及び決済能力solvency はこうした準備の額に依存しているのだ、と。
いくら強調してもしすぎることは無いほど明瞭な事実であるが、科学的見地からは、法定貨幣の準備は銀行のそれ以外の資産と比べ、
より重要というわけでなないのだ。法定貨幣も他の資産同様単なる債権なのでありそれが預金の25%であろうと10%であろうと1%、
1/4%であろうと、銀行の決済能力には微塵も影響しない。合衆国では不幸にして法律によりこの準備率に
あり得るべからざる重要性が与えられている。疑問の余地なくこうした法律は近代に入ってから成長した過てる観念、
すなわち預金者は自分の預金を金または「法定貨幣」によって払戻しされる権利を持っているのだ、という考え方に
起因している。筆者の知る限り、明示的にそのような権利を記した法律はなく、いずれにせよ預金者にはそんな権利はない。
預金者は銀行家に対して彼の第三者に対する権利を譲渡したのであり、適切な言い方をするなら、
彼の唯一の権利とはその銀行家に決済能力があるという前提で、彼の銀行に対する債権を
誰かに譲渡する(相手がそれを受け入れるとして)ことだけである。ところが多くの国で採用されている貨幣法によって
もともと予想も意図もされていなかった間接的帰結がもたらされた。これらの法律は金や銀を決済の本位standard と
定めたわけではなく、単に債権者に政府が発行した鋳貨によって自分たちの債権が償還されるのを拒否できない、と
定めているに過ぎない。鋳貨が何の金属で作られているかは関係ないのである。こうした法律の置かれた理由は、
債務を償還するための法的手段を与えるためなどでは全くなくて、鋳貨の価値を保つことであった。つまり、
すでに説明したとおり、鋳貨の価値は、政府がそれをある価値で発行しても別の価値で受け取られるという理由で、
あるいは、政府が債務を負いすぎたため償還不能になるという理由で、常に変動してしまう鋳貨の価値を保つためだったのである。
P45:1 こうした法律の法的効果に関する議論は法律家に任せるほうがよかろう。市民に対する実際の心理的効果が
ここでの全問題だ。イギリスやアメリカのように本位standard 鋳貨が一定重量の金という国においては、法律において、
債権者は償還として債権の全額を、こうした鋳貨または銀行券を受け取るべしと定める一方で、
他の償還方法については言及がないため、市民にはそれが唯一の債務の償還方法なのであり、
それゆえ債権者[※預金者]は金貨による償還を請求する権利を持つ、という観念を植え付けることになったのである。
P45:2 この印象の不幸な影響には格別なものがある。預金者の心に猜疑が生じれば、預金者は即刻預金の鋳貨あるいは等価物
すなわち国立銀行の預金か「法定貨幣」による払戻しを請求する――この要求は満たしようがないし、
結果は銀行が支払い不能になるという想像が広まることによるパニックの拡大である。最初にこうした逼迫が一つ始まれば、
すべての銀行がその債務者から鋳貨や政府債務で債権を無理やり回収しようとするし、すると次には
その債務者たちが彼らの債務者たちから同じ回収をしようとすることになる。そして自分を守るため、
今度は支出をできる限り切り詰めざるを得なくなる。こうした状況が一般的になれば、売買は相対的に狭い範囲に限られることになるし、
買うことによってのみ債権は減少しうる一方で、売ることによってのみ債務は償還されうるわけだから、
誰もが期日となった債務の支払いのために騒ぎながら、誰も支払うことができない、なぜなら誰も販売できないから、
ということになる。かくしてパニックは悪循環に陥る。
P45:3 貨幣法を放棄することで、全市民が、銀行に預金するということは自分の債権を銀行に売ったのだ、
という意味であり、鋳貨や政府債権を請求する権利を得たわけではない、ということを理解すれば、
こうした状況を軽減する足しになるであろう。通常の状況下では銀行家は顧客の必要を満たすだけの鋳貨や
政府への債権を持っているだけであろうが、これはちょうど、靴職人が様々なタイプの靴の在庫を、
通常の状況で商売に十分な分だけ保有しているのと同じである。銀行家は現金で全預金者に払戻しすることはできないが、
それは靴職人がある時突然あるタイプの靴に異常な需要が発生してもそのすべてを供給できないのと同じことである。
仮に銀行家が通常必要とされている以上に現金を保有しているなら、それは現に合衆国であるとおり、
そうすることを法律によって強いられているか、多額の現金を保有しているということによって
市民がその銀行の決済能力に確信を持つからである。後者は、貸付を行うには「金属準備」が必要であるという市民の観念が
巨大になったことから派生したものである。
P46:1 おそらく、貨幣法によってどの程度鋳貨や銀行券の実際のあるいは見かけ上の価値を維持することに成功したのか
言い当てることは難しい。植民地時代には貨幣法はそのようなものではなかったらしい。実際、チェイス最高裁首席裁判官は
1872年の有名な貨幣は王裁判における反対意見で[※1872年米国鋳貨法成立時のことを指しているように思われる]
これらの法律の効果は意図したものとは逆になるという見方を表明している。つまり、
政府銀行券の価値を維持するどころか実際には減価させる傾向があるというのだ。筆者としてはチェイス裁判官に賛成する気はなく、
ただ貨幣法に貨幣単位を維持する効果があったとしても、金融業務が適切に行われている国ではこうした法律は
まったく余計なものであると思われる。チェイス首席裁判官の表現によるなら不換紙幣に関してはその通貨性を支えているのは
「債務が政府によって受領されること」という事実であって、貨幣法が支えているわけではない。
P46:2 しかしこう論じる人もいるかもしれない。少なくとも政府は、一種の標準standard「貨幣」を供給し、
そして、ある債権者が自分の債権を回収する際には、それで支払われたときには必ず受け取らなければならないと定めることで、
債権者が債権回収によって満たされなくてはならない本質とは何ぞやという論争が生じるのを回避することが必要である、と。
だが、実務においてそんなことを経験しなければならない困難などない。債権者が債権の回収を望むとき、通常、
彼が実際に求めているのは、債権者が変わることである。つまり銀行家に対する債権[に取り換えること]を
求めているのである。というのは、そのほうが簡単に利用することができ、あるいは未利用分を安全に保管できるからである。
したがって債権者の主張はこうである。あらゆる民間の債務者は、債務の期日には定評ある銀行家に対する債権を譲渡すべきである、
と。そして決済能力のある債務者とはすべて、このやり方によって債権者を満足させることができるのだ。いかなる法律も
必要ではない。ビジネスはすべて、こうして自分自身を規制しているのである。
P46:3 英国において正貨支払いが停止させられた期間、1797年から1820年までの20年以上にわたる期間、
金鋳貨は流通しておらず、流通していたのはイングランド銀行の銀行券であったが、これは法貨ではなく、
そして金で測った場合その価値は常に変動していた。しかし、それによっていかなる障害も認めることはできないし、
商業はそれ以前と変わることなく続いていた。もし鋳貨にそんな重要な意味があるとしたら、
こうした法律の無かった中国(個人的には他のアジア諸国も同じと考えているが)で商業が継続することなど、
まずありえなかっただろう。
P46:4 銀行問題ほうが銀行券の本質というテーマ以上には、思想的混乱がひどいわけではない。一般的には
こう思われている。銀行券は金の代替物であり、したがって銀行券の安全を守るためにはその発行が厳格に管理されることが
当然必要になるのだ、と。合衆国では銀行券の発行は政府債務に「基づか」ねばならない、といわれており、
英国では金に「基づか」ねばならない、とされている。その価値は金との兌換性という事実によっていると信じられているものの、
繰り返すが、こうした理論は歴史的には根拠がない。先に触れた機関、イングランド銀行は金への兌換を停止しており、
そして有名な地金委員会は金本位制がもはや存在していないことを認めざるを得なかったし、
国内銀行券の価値が[金価格の]影響を受けないという点も、多数の、偉大なビジネス経験者たちによって証言されたのである。
もし金に打歩が付き英国のあらゆる銀行券や貨幣の価値が下落したとしても、トマス・トゥックにより、
彼の有名な『物価史』において証明されたとおり、それは大英帝国が軍事作戦の対外支出をし、
そして諸外国に敗北したことによって負った債務の累積額がそれら諸外国に対する債権を大きく上回っていたためであって、
これら諸外国に対する英国ポンド貨の価値下落はその必然的結果だったのである。債務が清算されるに従い、
英国の債権credit も通常の価値へと戻り、当然、金のポンド価格も下落した。
P47:1 繰り返すが、ギリシアの貨幣は外国通貨に対し割引かれていたが、それはギリシアが諸外国に対し
債務超過だったからであり、そして少しずつ平価を取り戻すことができたのは、合衆国のギリシア系移民の貯蓄が
ギリシア銀行へ常に送金され預金されたからである。こうした預金は合衆国のギリシアに対する債務を構成することとなり、
定期的にギリシアが決済しなくてはならない対外債務の支払いの反対勘定[※相殺手段]となった。
P47:2 反対に合衆国のグリ-ン・バックの減価の場合には、貨幣は一国内で減価したわけだが、
政府の国民に対する超過債務が原因である。
P47:3 銀行券は、本質的には銀行の預金口座記録と変わるわけではない。こうした預金と同じで、
これは銀行の債務証書であり、そしてこの種のあらゆる債務証書同様、これは「約束手形promise to pay」である。
口座預金と銀行券の唯一の違いは、一方が帳簿に書き込まれたものであるのに対し、他方は
ルーズリーフに綴じられるものであることだ。一方は預金者の名前が記されるのに対し、他方は「持参人」名義のものだ。
どちらの預金記録方法にも、特定の利用方法がある。一方の場合、預金の全体または一部を小切手によって譲渡できるのに対し、
他方は、証紙を単に人手から人手へ受渡しするだけで、預金またはその一定の固定額の譲渡できるのである。
P47:4 貨幣数量説によってすべての政府は銀行券の発行額を規制すべしと考えられるようになった。「貨幣」の過剰発行を
避けなくてはならない、というわけだ。しかし銀行券に何か特別な危険が潜んでいるという考えには根拠がない。
銀行券の所有者とはただの銀行の預金者にすぎず、銀行券の発行とは、単に預金者に便宜を与えるに過ぎない。
銀行券の発行を規制する法律は、制限が柔軟すぎれば何の効果もなく、無意味である。制限が厳しすぎれば、
商業にとって現実の障害となり、そしてはた迷惑である。銀行券の発行を制限することで銀行業を規制しようという試みは、
銀行業の全問題を完全に誤解しているのであり、出発点からして誤っているのである。危険なのは銀行券ではなくて、
無分別imprudent または、不正な銀行業務である。銀行業務が債権債務原理の適切な理解の下、
誠実な人々により運営されることが保証さえされれば、銀行券の発行は彼らに任せておいて問題はない。
P48:1 繰り返すが、商業は貴金属と何ら関係があったためしはない。すべての金銀が消失したとしても、
商用は以前と同じく続けられ、そしてそれなりの価値の資産が失われることを除けば、何の影響もない。
P48:2 金の謎は、貨幣法とも相まって、中央銀行に何か特別な徳virtue があるかのような雰囲気を広めた。
中央銀行がその徳によって、一国の金ストックを守る重要な機能を果たしている、と考えられたのである。
おそらく何世紀にもわたる量貴金属の価格固定の努力が無駄に終わった後で、ヨーロッパ各国の政府が金の価格を
固定することにあるいは少なくともその価格の変動を狭い範囲に限定することに成功したとき、
本当のところ何が達成されたのかについて、他にも同じくらいもっともらしい説明がある。
P48:3 英国において金の価値が法律でその時点の価格、市場価格よりほんのわずか高い価格、に定められたのは
1717年のことである。しかし貴金属価格が、ともかくも一定期間にわたり王家の定めに従うようになるのは、
ナポレオン戦争終結後、しばらく経ってからのことであるが、金価格が安定したのには二つの理由がある。
債権の価値が以前より大いに安定したことと、19世紀の間、金生産量が大いに安定したことだ。これらの理由のうち、
第一のものはペストや飢饉がなくなったことや、昔は戦争につきものだった惨禍がましになったこと、そして政府、
特に財政関係がよく組織されるようになった結果である。こうした変化によって繁栄と債権――とりわけ政府債務――の
価値の安定がもたらされた。第二の理由によって、金の市場価格は上昇しなくなり、政府および中央銀行の、
固定価格で金をいくらでも買取あるいは実質的に同じ価格で売り渡すという責務が履行されたことにより、
減価を防ぐことができた。そうした事情がなかったとしたら、金1オンス当たりの市場価格が現在のように
3ポンド17シリング10 ½ペンスではなかったと断言して差し支えあるまい。実際、何年間か英国で兌換復帰の後、
金価格は3ポンド17シリング6ペンスまで下落した。
P49:1 実際、世界中の政府は、ともに共謀して金を買い占め、禁止的水準に価格を維持し、
貴金属鉱山所有者に大きな利潤を与え、その他の人類に損失を与えている。この政策の結果、
何10億ドルもの金が銀行や財務省の地下倉庫の中に溜め込められ、その穴倉から、二度と日の目を見ることは無い――より
合理的な政策がとられない限り。紙幅の制限もあるので、この辺で本稿を締めくくらなければならず、
信用credit 貨幣理論から生じるいくつもの興味ある疑問を検討することもできない。こうした疑問のうち、
最も重要なものはおそらく、現在の通貨システムと物価上昇の間の密接な関係であろう。
P49:2 将来の世代は、19世紀、20世紀の祖父たちが、それこそまさに従うべき高度な経済法則であり世界の富と繁栄とを
増すものだと信じて大真面目に金を地下牢に幽閉していたのを知って、笑うことであろう。
P49:3 何世代にもわたり、我々は珍妙な妄想を経済学、財政学の見識として鼻にかけてきたが、
これはもうそう長くは続かないことと、と期待したいものだ。ひとたびこのわれわれが生きている現代では
何の意味もない法律のくびきから貴金属が解放されれば、世界中を利するためにそれにどんな使い道があるだろうか、誰が知っていようか?



"What is Money ?" ここまで。
続いて、第2論文。


貨幣の信用=債権理論 Credit Theory of Money

[P50: The Banking Law Journal’s Editor による注記
「貨幣」については多くのことが書かれてきたが、イネス氏のような科学的著者のことはしばしば誤解されている。
多くのエコノミストや大学教授が先に公表された彼の論文に示された命題とは違うことを言っているが、
彼の議論を論駁できたものはなかったように思われる。本巻に続いて次巻以降でも、
第一論文に対する批判と反論の評論集を公表する予定であり、またこの本巻掲載の第二論文についても、
責任を持って批判と反論を紹介したい。]

P50:1 本誌1913年5月号に掲載された論文「貨幣とは何か」は、「金属貨幣理論」に対する反論である
信用貨幣理論の要約であった。前者はこれまでほぼすべての歴史家に信じられていたし、
実質的にはすべてのエコノミストが貨幣について真菜う際の基礎となっている。
P50:2 アダム・スミスの時代に至るまで、貨幣は貴金属と同一視されていたばかりでなく、通俗的には
それこそ唯一の真の富を形成すると信じられていた。通俗的な妄想がすべての真剣な思索家にも信じられていたなどと考えては
ならないが、しかしやはり富は貴金属に宿ってはいない、という原理を最終的に確立した功績について、
謝辞を受けるべきはA.スミスである。
P50:3 しかし貨幣の本質という問題になると、アダム・スミスのビジョンは彼を誤らしめ、彼の命題とは矛盾するものを
本質として語らしめることとなった。そうならざるを得なかったのである。今日でさえ、貨幣に関する歴史的事実に関しては
正確な情報は大して得られない。アダム・スミスの時代、たとえ彼が正しい貨幣理論の基礎として使いうる知識を
実際に持っていたとしても、それを基礎として理論を築き上げることはできなかったのである。スチュアートは
貨幣単位は必ずしも鋳貨である必要はないと感じとっていたし、マンは金や銀が外国防貿易のベースでないことを知っていた。
ボワギベールは銀によって担われている全機能は紙で果たせると大胆にも断言した。しかしこうした
わずかの中途半端な思い付きを別とすると、『国富論』において、この問題を解決されるべきものだとA. スミスに
気付かせるものはなかった。そして金銀は富ではないという彼の主要な主張の正しさを自分自身に納得させた時、
彼は二つの選択肢に直面した。[金銀が富でないとすると、]貨幣とは金銀ではないのか、
あるいは貨幣はそもそも富ではないのか。当然彼は後者を選択した。しかし、ここに至ってスミスが矛盾することとなったのは、
通俗的な妄想に対してではなく、人類が普遍的な経験から学んだ日常生活の現実に対してであった。もし貨幣が
富――通常、この言葉は唯一真の財産rich である不可思議な「購買力」を指している――でないとしたら、
人類の商業とは虚構をベースにしているものとなる。スミスによる貨幣の定義は富ではなくて「富を流通させる車輪」ということで
あるが、これでは我々の目の前の事実、貨幣を求めての奮闘、貨幣を蓄積しようとする願望を説明できない。もし
貨幣が車輪にすぎないのなら、我々はなぜ貨幣を蓄積しようとするのか。なぜ100万の車輪のほうが一つの車輪より使い出があるのか。
あるいは我々が貨幣を、全体で一つの車輪とみなすべきだというのであれば、なぜひとつの巨大な車輪のほうが小さな
あるいは中型の物より役に立つのであろうか。この比喩は失敗である。
P51:1 アダム・スミスの時代以来、貨幣というテーマで多くのことが書かれてきた。そして数多くの有益な洞察が行われてきた。しかし
我々はいまだに金や銀が唯一真実の貨幣であり、その他すべての形態はその代替物であるという発想を保っている。この
根本的誤謬の必然的結果は政治経済科学の諸分野に広まっている極度の混乱である。アダム・スミス以降、
公明な権威による著作において「富」「貨幣」「資本」「利子」「所得」の諸章を比較してみればどんな問題があるか、
注意しさえあれば誰でも気が付くだろう。どの二つの章を取り上げても一致させることのできる点はない。
P51:2 日常経験と経済教義の間の分離がいかに完全になされているかを最もよく知るには、例えばマーシャルの国民資本、
社会資本、個人資本etcに複雑に分割されている資本の章を読むことである。あらゆる銀行家と商人は資本には一つしかない、
それは貨幣である、ということを知っている。あらゆる商業取引、金融取引は、この議論が真であることを前提にしているのであり、
あらゆる貸借対照表はこのよく知られた事実に従って作成されている。[※ここでcapital とは、エクイティのことではなく、
総資産=負債・自己資本のことを指していると理解すべき。]ところが全経済学者は彼の全教義を、
資本は貨幣ではないという仮説の上に築いているのである。
P51:3 信用credit 貨幣理論を理解し受け入れる場合のみ、科学が既知の日常的事実といかに完璧に調和しているのかわかるのである。
P51:4 手短に言えば信用貨幣理論とはこうなる。販売と購入とは、商品を信用[債権]と交換することである。この
中心理論を源泉として、次の下位理論が派生する。債権あるいは貨幣の価値は金属の価値に依存しているわけではなくて、
債権者が獲得した「支払い」に対する権利により決まる。つまり、自分の債権を皆済し、債務者が自分の債務を「支払う」義務、
そして反対に債務者としての立場で考えれば、債権者に債権者に等価の法貨を払うことで自分自身を債務から解放する権利、
そしてこの法貨を受け取ることによって債権者が自分の債権を皆済しなければならない義務である。
P52:1 基本的理論はこうしたものだが、実務上は必ずしも債務者は彼が債務を追っている当の本人に対する債権を
獲得しなければならないわけではない。我々は皆買い手でもあり売り手でもあるので、同時に皆相互に債務者でもあり債権者でもある。
そして見事なまでに効率的機能的な銀行が存在し、そこに債権を売却すると、次は銀行が商業手形交換所となって、
社会全体の債権と債務が集められ相互に相殺される。したがっていずれかのしかるべき債権によって債務は決済される。
P52:2 繰り返すと、理論的には我々は何かを買うたびに債務者となり、売るときには常に債権を獲得している。ところが
実務的にはこの理論も、少なくとも進化した商業社会においては修正される。事業がうまく運んでいるなら、
銀行に債権[預金]credit が蓄積され、そうすれば新しく債務を発行せずとも蓄積された債権[預金]credit の一部を
売り手に単に譲渡するだけで買うことができる。あるいは繰り返しだが、購入を実行しようという時点では
蓄積され債権[預金]credit がなくても、銀行家の帳簿上に「貸付」を組成すれば、借入れた預金[債権]credit を
借り入れることができる。その場合、将来、その入手した預金と同額(それに多少の利子が加わるが)を
銀行家へ差し出す約束をしているのである。さらに繰り返しになるが、国内最大の財・サービスの購入者である政府は、
購入の支払いをするとき、将来徴税によって回収されることになる鋳貨とか紙幣と呼ばれる少額のトークンを大量に
発行しているわけだが、こうした政府に対する債権を我々は自分自身の債権とし、銀行へ譲渡するよりは少額の買い物の
支払いに用いることもある。
P52:4 ここ何世紀かで、政府のトークンは巨額となり、日常生活に用いられることが普遍的になったので
――その他の正貨をはるかに上回っている――、政府トークンが特別に「貨幣」という言葉と結びつけられることとなった。
しかしこれが他のトークンや債務証書と比べ、それ以上の請求権を持っているわけではない。自分自身の手形で
仕入れの支払いをする全商人、および銀行券を発行したり借越権を供与する銀行家は、政府が財務省の債務証を発行するとき、
あるいは金属片や紙切れに刻印を押すときとまったく同様、貨幣を発行しているのであり、
従って貨幣を主題として現在流通しているあらゆる誤謬の中で最も罪が重いのが、政府に貨幣の独占的発行機能を帰属させるという
思想なのである。もし銀行が貨幣を発行できないとしたら、銀行が事業を継続することは不可能であるし、
政府がある形式の貨幣の発行を邪魔した場合、一つの結果は、市民をして他のやや不便な形式の貨幣を蓄積させることになるだろう。
P53:1 歴史を注意深く研究すればはっきりするが、1ドル、1ポンド、あるいはほかのいかなる貨幣単位も、
既知のサイズ、重量に固定されたものではなかったし、宣言された価値も固定されておらず、政府貨幣も今日
多くの国々で享受されている特別な地位を常に有していたわけではない――いかなる意味においても。


なんだか、また中途半端になったが、
続きは後日あらためて。


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