断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

Wray & Tymoigne の Money Manager Capitalism について、一面的に。

2018-12-24 14:34:53 | MMT & SFC
今年も残すところ一週間である。
なんだか、全然更新しなかったなあ。。。。
いろいろ個人的に忙しくて。。。。

まあ、それはそれとして、、、、

MMT関連では今年はリーマンショック10周年ということもあり、
少しまとめてその辺もやりたい、と思っていたのだが、
ちょっとできなかった。。。。。ので、
まあ、イタチの最後っ屁じゃないが、
さささっ、、とごまかしておこう。


レイ&ティモワーニュによるMMC分析によると、、、、



リーマンショックに先行して
そもそもサブプライムローンバブルとは何であったのか
(そして何でなかったのか)、が、まず問われなければならない。
日本では、サブプライムローンバブル、というと
銀行が金のない家庭に住宅を担保にして
金を貸しまくり、それが焦げ付いて金融危機になった、
ぐらいのイメージしか無いような感じでもあるけれど
(まあ、その辺の理解は人によってだいぶ違うんで、
経済に関心がある人だと、また違った見方をしている人も
多いようですが)、

MMTの立場から言えば、サブプライムローンだけを分析しても
あまり意味がないことになる。
これは、政府予算や中央銀行の在り方を含む債務ヒエラルキー全体の
再生産に関わる問題だからだ。そして債務ヒエラルキーの再生産には
所得分配や民間消費投資支出の在り方など
全ての経済現象が関わってくる。

そもそもサブプライムローンとは何か。
実を言えばサブプライムローンは、サブプライムローンバブルの
直前に生まれたようなものではない。
むしろ戦後の『資本主義の黄金時代』、所得平等や社会権の実現、
「ゆりかごから墓場まで」などのスローガンとともに、
低所得層であっても住宅を持てるようにするため
(そしてそれが経済成長のためにも望ましいとされた)
政府主導で発展された融資業務分野である。
アメリカ合衆国では、社会主義の台頭や労働運動・社会運動の激化に
対応するため、
さらには戦争終結に伴う軍事支出の縮小
による投資需要不足を補うためにも、労働者階級への住宅供給は
必要とされていた。戦後の経済安定は
労務者階層の貨幣所得を以前に比べれば安定させたし、
低金利政策によって融資をしやすい条件はあった。とはいえ
そのままでは民間金融機関はなかなか労務者階層への
融資を広げることは出来なかった。この時代、いまだ1927年の金融恐慌の
記憶が冷めやまず、金融取引には厳しい監督と規制と業務区分が課せられており、
金利はもとより、金融機関が自由な金融商品を開発することなどできなかった。
そのため、低所得層に融資を実行するには
政府連銀が直接間接に資金を援助することで貯蓄貸付組合を
普及させたり、あるいは融資保証(代位弁済)を
提供するなど、賃労働者階級にも住宅ローンを受けやすくする
政策が取られた。
これによって『資本主義の黄金時代』つまり戦後から
60年代いっぱい、労働者の所得は向上したし、
それに伴い民間による住宅供給も増え、賃労働者でも
住宅を持てるような社会が実現した。

こうした状態は70年代を通じて崩壊し、
80年代に入るころには完全になくなった。
特にポール・ボルガーが連銀の理事長になると
極端なマネタリズム政策が取られ、それにより
オーバーナイト物のインターバンクレートが20%を超えるような事態が
発生すると、貯蓄貸付組合は立て続けに倒産し、
また政府の支出削減によって公務員や賃労働者の貨幣所得や
企業の営業利益も大幅に減退することになる。
そうした中、サブプライムローン市場は完全に崩壊する。
一方では労働組合に対する抑圧、労働市場の規制緩和により
賃労働者の貨幣所得が著しく不安定化し、
他方で政府は貯蓄貸付組合に対する資金援助や
債務保証などの縮小を行ったため、低所得層が住宅を持てる
可能性は、著しく狭められたのである。

しかしながら、80年代を通じて行われた金融自由化によって
90年代に入ると様相が変わってくる。
まずは銀行ローンの証券化である。
銀行ローンの証券界自体はすでに70年代から行われていたが
それは銀行による貸付債権の簿外化のためであった。
銀行は融資ディーラーに資金を融資する。
借入人に対して融資を行うのは、銀行ではなくディーラーである。
ただし、これだけではただの迂回融資だ。
だからディーラー(まずはこのディーラー自体が
形式上、銀行の子会社であってはならない)は、融資はするものの
それをすぐに証券化し、市場で売却することが
必要であった。そして売却資金で銀行に返済するわけである。

これは銀行にとっては、確かに債権の簿外化というメリットはあったが
それ自体が利益の源泉になるものではなかった。
証券を購入した人は結局のところ低所得層に資金を融資したことによる
デフォルトリスクを負うわけで、
さらに債権の所有者の利益は
ディーラー(SPV)を介して受け取る金利だけであった(こうした
金利の支払いを「パス・スルー」といって、後に発展する「パス・スルー」すなわち
元本部分から切り離された金利部分が独立して取引される
形態から区別される)。
市場が十分広がっていれば、価格変動による利回りも
得られるだろうが、最初からそのような市場が整っていたわけではない。
実際、このやり方では金利は著しく高くなり
低所得層にはローンが十分に行きわたるわけではない。

こうした状況が変化するのは金融の「イノベーション」の結果、
証券化の手法が変化したことによってである。

銀行なり貯蓄貸付組合が、直接融資先に資金を提供し
そして金利収入を得ている間は、
融資する側と融資を受ける側の間に一種の協力関係が生じる。
融資をする側としては、融資先に潰れられてしまっては大変に困ることになる。
だから融資に先立ち、返済計画を慎重に査定し、
目論見書や申告された所得に虚偽がないか、エビデンスを求め、
そして融資が実行された後も融資先をモニタリングする。
そして、意に反して返済や利払いに困難が生じた場合でも
すぐに回収に走ることなく、
それが外的理由による一時的な困難なのか、
恒久的な困難なのか、
返済を猶予すれば経営と利払いは可能なのか、
返済をストップしてももはや営業キャッシュフローを
プラスにする望みはないのか、
こうしたことを慎重に検討し、
その上で返済を猶予するなら猶予するし、
場合によっては一時的に利払いをストップすることも
検討するし、
関係諸機関の協力は得られないものか、
協力して、事態を打開しようとする。
それでだめとなり、万策尽きれば
早期に回収するだろう。特に融資先の困難が
マクロ経済的な状況に起因するのであれば、政府による支援が
大いに期待できるので、金融機関としては大いに
返済を猶予する余地ができる。
この点は、証券化が単に銀行資産からの簿外化を目的としていたかぎり
そう極端に変わるわけではない。
証券からの金利はパス・スルーであり、
当然のことながら証券の購入者も限られていたし、
銀行もまた、こうした業務から完全に手を切ることが
出来たわけではない。


90年代に展開された証券化事業はこうしたビジネスの在り方を
大きく変えることになった。
90年代のサブプライムローンの証券化に特徴的なことをかいつまんで
説明すると、大雑把にいえばプーリングと階層化である。
プーリングとは、要するにいくつものローンを
そのリスクごとにひとまとめにする、ということである。
ただし、事業の性質はなるべく多様にして、偏らないように
することが望ましい。なぜなら
ある地方の小麦農家だけをプーリングすると、
その地方で天候不順が起こっただけで
デフォルトが大量発生してしまう可能性があるからだ。
だから、同じようなデフォルト率であっても
出来る限り、農業と製造業とサービス業、漁業、、、
農業や漁業でもなるべく地域的にばらつかせるように、
デフォルトリスクに「確率的な相関関係」が無いようにすることが肝心である。
この種の「確率的」研究は、おいらはよくは知らんが、数多くあるらしい。
そりゃそうでなきゃ、こんな商品はできないわけだから、
そりゃあるんだろうけれど。。。。。
そして、時には同じデフォルトリスクの融資先を集め、
時にはさまざまなデフォルトリスクの融資策をまぜこぜにすることで
大きな証券の原資となる原資産を作り出した。

次にはこの原資産のプールを
少額の証券に分割する。
ここで問題になるのは、分割の仕方だ。
例えば500件の同じようなリスクの融資先(元本額は
いろいろあっても構わない)を一つにプーリングし、
そこから証券を2000口作り出すとき、
500件のうち、誰かの融資がデフォルトを起こした場合に、
2000口の証券のどこにそれを負担させるのか、ということである。
実は新たに発行される証券は「トランシェ化」されている。
要するに新たに発行される2000口の証券のリスクに
差をつけ、階層化するのである。通常は6つに階層化されているといい、
上の二つは「シニア」真ん中の二つは「メザニン」
一番下の二つは「エクイティ」と呼ばれる。
例えば融資先であるAさんが返済遅延したとき、
まずはエクイティクラスの証券の償還に
影響が生じる。Bさん、Cさん、、、とデフォルトする
件数が増えるに従い、
徐々に下のエクイティから上のエクイティへ、
それがほぼ全部(か、ある程度か、その辺は
証券によって異なっているんでしょうが)終わると、
次にはメザニンクラスへ影響が生じるようになっている。
いくらサブプライムとはいえ、実際のデフォルト率は
(当初は)0.5%を切ることが想定されていたため
(というと、如何にも少なそうだが、同額の融資で200件に1件
デフォルトしたら0.5%だからね)、
メザニンクラスやシニアクラスへ影響が波及することは
ほぼ全く考えられないことになった。
つまり、サブプライム層への融資から、国債並みに
安全確実な金融資産が提供されることになったのである。

と、ここまで読むだけでも、結構大変だったかもしれないが、
実はまだ本題には全く入っていない。
次も背景説明である。

銀行あるいは金融機関というものには様々な形態があるが
一部(例えば保険業など)を除くと、
基本的には短期で資金を調達し、長期で運用している。
例えば貯蓄貸付組合であれば
短期で小口の資金を組合員から集めて
それを住宅融資などに運用していた。
この構造は、預金設定により自ら融資資金を生み出すことができる
銀行にとっても同じことである。
銀行は融資先の負債を買い取り、自らの負債(預金)を融資先に
提供する。銀行の手元には融資先に対する比較的長期(必ずしも会計的な
長短という意味ではない)の債権と当座性預金という超短期(というか
期限の利益の全くない)負債とが発生する。
これがつまり「短期で調達し、長期で運用する」ということである。
(こうした状況を指して
「銀行が資金を短期で調達している」というのは
分かりにくいし、違和感を感じる人も多いかもしれないが、
財務的には普通の表現である。財務管理理論の教科書などでも
企業が自ら手形を発行して支払うことを「資金調達」と呼んでいる。)
銀行は自ら預金を発行することで資金調達しているわけだが、
ここで問題になるのはこの債務の履行である。
強調しておきたいが
銀行は、融資を実行するときには原資を必要と
しないが、しかし融資を実行したときに発行された預金債務の
義務を履行するときには、何らかの経済的資源を
必要とする。例えば預金者が払戻しを請求するなら
中央銀行券が必要だし、
他の銀行や政府への支払いを求めるなら
ベースマネーが必要になる。
といったって、常にそれに応じたベースマネーや
連銀券を保有していなければならない、というわけではない。
確かに小口の預金払い戻しに対しては
常に十分な連銀券をATMにおいておくことが必要になる。これは
避けられない。(大口の現金払い戻しについて言うと、
普通は大口の銀行券が必要になるときには
あらかじめ銀行に連絡するし、この辺は、日本もアメリカも
同じだと思う。だからよく、テレビドラマなんかで
誘拐犯が番号の続いていない現金で高額の身代金を支払うことを
要求するシーンを見るけれど、まあ、あれもなあ、、、、実際そういうことは
あり得ると思うんだけれど、でもあれやっても銀行もそうそうすぐに
キャッシュをそろえるわけにもいかないし、
いくら脅迫されている本人が警察に秘密にしようとしても
異常を察知すれば
絶対に銀行から警察に漏れると思うんだよねえ。。。。まあ職業上の
秘密だから、そういうこともないんかね。。。。。)
ただし、他の銀行への送金が行われる場合には
必ずしも今すぐ手許にベースマネーが必要なわけではない。
国債や優良企業のCPや手形、こうしたものが直接
決済手段になることもあるし、これらを市場で売却して
ベースマネーを手に入れることもできる。
ところが、特に民間のCPや手形だと
時として値崩れしたり、買い手がつかなくなるあるいは
受取を拒絶されるケースもある。
だからそうならないような安全確実な資産を
保有していることが必要なわけだ。

金融機関は常にこうした安全資産を求めている。
特に自分自身の負債が短期になればなるほど、
あるいはたとえ長期であっても、偶発債務としての性格が
大きくなると、こうした安全資産を保有していることが
絶対に必要になってくるのである。

そしてサブプライムローンの証券化によって生み出された
金融商品(メザニン・シニアクラス)は、
その原資産が極めてリスクの高いものであるにもかかわらず、
きわめて安定した金融商品として
安全資産の仲間入りをしたわけである。

さて、大変長々と書いたが、ここまでは前置きである。
ようやっとだが、本題に入ろう。


『資本主義の黄金時代』、つまり戦後、グラムシのいう
「フォーディズム」とケインズ主義財政政策と、緩和的金融政策が
採用されていた時代、戦時中に発行された国債が
金融機関に十分な安全資産を提供していた時代、
完全雇用に迫る失業率の低さに加え
強力な労働組合運動を背景に
賃上げが継続的に行われていた時代、
主要産業が独占化されており、価格競争が控えられていた時代、

こうした時代、アメリカの資本制経済は
所得の伸びを主導として発展することになった。
労務者階層の物質的厚生は、ガルブレイスの『豊かな社会』批判など
あったものの、確かに改善されていた(これはガルブレイスらの批判が
不適切であったことを必ずしも意味しないが)し、
労働者に対する相対的な高賃金の支払いが高支出を促していた。
この時期、家計による借り入れは必ずしも
国内の負債の大きな部分を占めていたわけではない。
終戦直後はやはり政府の借入が最大であり、
そして徐々に企業の借入が伸びるようになる。
家計は、旺盛な消費意欲にもかかわらず、
むしろ資金提供側であった。政府の赤字もこの時期はそれほど大きくはなく
企業が資金不足主体であった。

こうした状況は70年代を境に、とりわけ80年代に入ると大きく変化することになる。
2度のオイルショック、ベトナム戦争の敗退、イラン革命、財政赤字の増加、
スダグフレーション等々を背景に、経済的にはケインズ主義政策や
福祉国家の理念、労働組合保護、所得再分配などへ批判が巻き起こり、
新自由主義政策へとアメリカ全体が舵を切ることになる。
なぜそうしたことが生じたのかについては
ここで説明している余裕はないが、
いずれにしてもその後、
アメリカの経済は成長のエンジンを所得から「資産」へと
切り替えることになる。「所得から所有へ」「オーナーシップ・ソサエティ」など、
働いて所得を得ることよりは、資産を運用して資金を得ることの方が
重要であるかのごとき観念が、民間の金融会社のみならず
政府を通じても喧伝されるようになったが、それはもはや
政府は労務者階級や低所得層の貨幣所得を保証する義務を負うことは出来ない、
という観念と結びついたものである。

「所得から所有へ」という動きについては
ひとつには年金資金の問題があった。
早い時期から公的年金は赤字であった合衆国では
いち早く、企業年金の運用も確定給付から確定拠出へと切り替えが進んだ。
企業は労務者の年金を負担するが、
それは実際に退職後に給付される年金額を保証するのではなく、
現時点で年金費用を支払い、その運用は労務者(家計)自身に任せる、
というわけである。
この資金は巨額に上ったが
実際にはこんな資金を運用して確実に受取利息を複利で積み上げてゆくことのできる
事業など、そうそうはなかった。というより、
政府赤字が削減され、労務者の支出が減少する中で
企業の投資は当然減れば、それ自体によってさらに企業の収益も
減少し、さらには貿易赤字のせいもあり
所得フロー自体が圧縮される中で、蓄積された年金資金は
金融市場に流れ込むよりほか、なかった。

ここで問題になったのは
「マネー・マネージャー(MM)」といわれる人々、日本語的には
「ファンド・マネージャー」といったほうがピンとくる人が
多いかもしれないが、その動きである。
401kの運用者のグループは巨大であるため、
運用実績が平均より多少悪くなれば
たちまち英金より上位の運用実績のあるMMへと
資金を動かす。といっても、全てのMMの運用実績が
平均より上になる、ということはあり得ないわけだから、
MMたちは常にほんのわずかであっても
平均より上の運用実績を挙げなければすぐに資金が
枯渇する。つまりMMもまた、銀行などと同じ
短期資金を調達することで運用を行わなければ
ならない存在であるわけだが、
このような環境条件の下で
長期的に腰を据えた投資など行うことは出来ず、
常に金融市場で、わずかな利ザヤを求めて
資金を動かさなければならないことになる。
こうしたものの典型が、「ロングターム・キャピタル・インヴェストメント」であった。
二人のノーベル経済学賞受賞者を推すこのマネーマネージャーファンドは
複雑な方程式を用いて「アービトレージ」を求めて
行動し、そしてしばらくは実際に巨額の運用実績を
上げていた。ただし、注意したいのは、
クオンツといわれた物理学者たちが次から次へと
繰り出す確率的予想を理解していたマネーマネージャーは
いなかったし、その必要もなかった、ということである。
クオンツの言っていることは、正しい。なぜなら
全てのMMたちが彼らの予想の通りに
資金を動かすからである。文字通り「自己実現的予想」であるが
しかしMMたちにはこうするよりほかに
資金を動かす方法がなかった。多額の資金を抱えた
MMが、他のMMたちと違う行動をとり
その結果、運用実績が悪化し、
解約払戻しに応じることができなくなれば破滅である。
とはいえ、巨額の資金が金融市場に流れ込んだことにより
資産価格は上昇を続け、そしてそれに伴い、
実物投資も増え続け
90年代にはITブームと呼ばれる資産価格の暴騰が始まり、
数多くのデリバティブが「イノベーション」されることとなった。
しかしそうした中でも
労組を失い、海外から安価な労働力が流入してきたことによって
賃金は大きな上昇を見ることはなかった。
「賃上げ無き景気回復」の時代に入った。
それにともない、かつ輸入の大幅な自由化もあって物価上昇率も
相対的に低位のままに保たれた。暑すぎも寒すぎもしない
「ゴルディロック」の時代に入り、そして国債の「残高」が
とうとう減少し始めた。そしてこうした中で
サブプライムローンも急伸する下地が整えられていった。

アジア通貨危機、
ロングターム・キャピタル・インベストメントの破綻と
それに続くITバブル崩壊の結果、
連銀のグリーンスパンは急速に金利引き下げに舵を切る――別に、これによって
実物投資の減少を回避しようとしたわけではない。単に
資産価格の急落を食い止めただけであった。だが
これが結果的にサブプライムローンの拡大を後押しすることとなった。

ところで「サブプライム・ローン」というと
どのぐらいの「サブ」プライム層なのだろうか。
「サブプライムローンを売った男の告白」という本がある。
まあ、いろいろと真に受けるわけにはいかない部分のある本だ、という点は
確かにそうみたいなのだが、
しかしこの本によるなら、例えば夫婦で年収10万ドルの家庭であっても
条件が悪ければ――たとえば過去に借り入れ実績がなかったりすると――、
サブプライムローンでしか借入ができない
ケースもある。10万ドルといえば、1千万円以上である。
それでもサブプライム層になってしまう。それは
アメリカの雇用市場が不安定であり、
保険や社会保障が全く整ってい無い(かつてあったものも
ほぼ崩壊してしまった)ことを示しているのであるが、
同時に、日本人として奇妙に感じるのは
「過去に借り入れ実績がないと」、プライム層になれない、
という点である。もちろんただ借入れ実績があればいい、というわけではない。
多くはクレジットカードの利用実績であるが
これも、数回程度支払いが遅延していたって構わないのだが
借り入れ実績がないのはダメだ、というのである。つまり
借りた金をきちんと返済する習慣があるかどうか、
あるいは、それだけの所得がずっとあったのかどうかを
知る上でも役に立つのかもしれない。
とはいえ、日本人的な感覚では
やはり「借入はある方がないより信用できる」という発想はズレているように思う。

しかしこれは当然なのだ。というのは
アメリカでは労務者層の所得が低下していたため、
自分自身の所得フローで借入金を返済することは
大変難しいと思われるようになったからである――日本なら、
ますます借り入れ実績のある人間に対して貸せない条件が増えた、
と捉えるところだ。だが合衆国は違う。資金を借りて
それで住宅を買えばいいのである。
ブッシュ大統領による増税政策では、家計の借入金の所得控除が
廃止された。しかし住宅ローンだけは継続された。その結果、
住宅ローンを借りていた家計は
ある程度、返済が進むと、再びその住宅を担保に
ローンの借り換えをする。もしローンの残高が
住宅を担保にして借入れることができる融資額を
下回っていれば、それは消費支出に充てることができる。
その分の借入金は、クレジットカードでは税控除の対象にならないが
こうした住宅ローンから捻出した資金であれば
対象となった。このような形で「オーナーシップ・ソサエティ」は
進められた。その結果、住宅の保有率は上昇し、
それに伴い、住宅価格は上昇した。
アメリカ人労務者家計は、所得を減らされ、増税をされたからと言って
消費生活スタイルを大きく変えることは出来ない。
労働所得が減る中で消費生活を維持するためには
借入金を借り入れて住宅を購入し、
「ホーム・エクイティ・ローン」によってキャッシュフローを
維持することが、どうしても必要となった。
金貸し業者の審査姿勢が
「借入返済記録重視」になるのも無理のない話であった。


融資側の姿勢の変化は、他にもいくつかみられる。
冒頭に説明した通り、融資する側が
資金を貸し付けて、それを長期的に回収し
その間、金利を取る、という立場を維持する場合、
つまり「融資・回収」プロセスを所得の源泉とするのであれば
金融機関と家計の関係は
必然的に「リレーショナル・バンキングシップ」になる。
つまり時間をかけて審査し、回収条件を検討し、
そして融資を実行した後、万が一
融資先が財政的困難に陥った場合には
回収を急ぐことよりは、まずは
融資先の健全化を図ろうとする。
こうした金融機関の態度は、とりわけ経済が
急激に悪化するような状況においては重要な役割を果たす。
ところが金融ビジネスが「組成・売却」型になると
話は全然変わってくる。
融資する側は、一刻も早く似たようなリスクのプールを
蓄えて、証券化して売却してしまいたい。
一旦証券を売却してしまうと、
たとえ融資先側に経済的困難が発生しても
融資条件の変更は難しい。
多数の条件の融資が一つに集められているのである。
発行時の条件次第ではあろうが、
所得が減少してローンを返済できなくなったら
担保となっている住宅を売却して返済資金を
ねん出するよりほかない。
実際、ローンの返済計画には
所得キャッシュフローだけからの返済は不可能なので
住宅価格の値上がりによって、住宅を売却することで
キャッシュフローを得ることが書き込まれるようになった。
融資の審査はどんどん簡素化され
簡単なスコアリングで処理されるようになった。
話はズレるが、2000年代初頭、日本の金融機関の審査時間が
欧米に比べて長くかかりすぎることが
日本の金融機関の非効率を表すものとして攻撃され、
そして昔からのリレーショナルバンキングシップが
経営努力不足の象徴として非難されたが
実際には欧米でスコアリングによるスピード審査が
急速に広まったのは、こうした背景があったのであり、
そうした面を見ることなく
ただ金融機関の「非効率性」とだけ評価していた人たちは
今は一体どういっているだろうか。。。。

これまた『サブプライムローンを売った男・・・』からの
ネタではあるが、
この時期、SPVの顧客は180度変化した。
以前は、融資を受ける家計が彼らの客であった。
彼らは、客に融資をすると、それを証券化し、
買い取り先を探す。しかし2000年代に入ると
逆に金融機関のほうから、証券化証券を求めて
さっさと融資先を何とかしろ、という要請が入るようになる。
ローンオフィサーたちは
ともかく融資先を求めて、多少は――場合によっては極端に――
スコアが悪くても多額の資金を提供するようになってゆく。
これは要するに、数を集めさえすれば
いくらでも安全資産を生み出すことができるし、
いずれにせよ償還は値上がりした住宅を売却することで
行われるのだ、
という幻想のなせる技であったわけで、別に銀行が
効率的だったわけでは全くなかった。
こうしたSPVやSPEといったディーラーやブローカー、
ローン・オフィサーたちの収入は
確実な融資先を探し出し、融資の実行を手助けすることから
ともかく証券を組成し手数料(フィー)を稼ぐビジネスへと
変化してゆく。手数料も以前は
融資先から金利に上乗せする形で徴収していたものが
今では買い手側の大手金融機関が支払うようになった。

こうして国債並み(と思われていた)の安全資産を
手にした金融機関は、積極的に
新しい金融商品(デリバティブ)の開発にいそしむようになる。
すでに90年代には様々なデリバティブが開発されていたわけだが、
ここでデリバティブの構造を見るなら、

例えば製品を輸出しているA社が
為替スワップ契約をX銀行と取り結ぶ。
X銀行は、A社から手数料(フィー)を取る。これが
銀行の主たる収入源の一つであるが、それはまあいい。
(こうしたフィー収入のため、多くの金融機関が
様々な新規金融商品を開発した――金利ビジネスから
フィービジネスへ――、という経緯は重要ではあるが
今回の中心論点ではない。)
ここでも通常の融資取引と同じである。
A社はX銀行から毎月10万ドルを支払って
1ドル110円で円を買い取る契約をする。
これを1年継続するとなると、想定元本は
スワップ開始時点で
120万ドルであり、これが銀行に対する負債となる。
他方でX銀行はA社から毎月時価で
10万ドル相当の円を購入することを
契約する。X銀行は同時にA社に対して120万ドルの
負債を負うのである。
融資の場合とまったく同じである。銀行と
預金者は互いに同額の負債を負いあった。今回もまた
X銀行とA社は互いに120万ドルの負債を負いあうのである。
実際にはこの段階では1ドルも資金のやり取りは行われない。
ただお金としては架空の取引である。だが
会計上は、ともに(少なくともGAAPに準拠するなら)
負債と資産を計上しなければならない。
1か月後に実際に取引が行われる。
A社はX銀行から1100円を受け取るだろうか――いや、
受取らない。というのは、この時、1ドル120円に
上昇してしまっているからである。
A社は1200万円をX銀行に支払わなければならない。
というわけで、差額の100万円相当のドル、つまり
100/120ドルが、A社からX銀行に支払われることになる。
(中小企業では、こうして受払される差額だけを
損益計算書に表示し、通常B/Sには債権債務を表示することは
しない。)
見てわかるとおり、ここでは融資される想定元本は
キャッシュフローには全く影響しない。(状況によっては
例外がないわけではなく、それがサブプライムローンバブル崩壊とともに
大きな問題を引き起こすことになるわけだが、この時点では
まだそのようにはとらえられていなかった。)必要なキャッシュフローは
スワップされる為替の差額だけである。もし1ドルで変える円の金額が110円を
下回ればX銀行はA社に差額を支払わなければならないし、
上回ればA社から差額を受け取るだろう。実際の決済はドルで行われるので
円の調達さえ不要だ。
ところが、それでもスワップ取引を大量に抱えている金融機関にとっては
巨額の偶発債務を抱えていることになる。うまくいけば
入金ばっかりで、1ドルの支払もないかもしれないが、
下手をすれば何百万というドルを1日で用意しなければならないことも
あり得る。払うことになるかどうかわからないドルを何百万も
手許においておくわけにはいかないが、いざ支払いが決まってから
資金を調達しようといったって、充分に流動性のある
金融資産が手元になければ、容易な話ではなく、自分自身が
デフォルトしてしまうリスクを抱えることになりかねない。
従って、こうしたデリバティブビジネスを拡大してゆくためには
それに応じた、市場で常に売却可能な
大量の安全資産が必要になるわけだが
連銀が供給する国債だけでは十分ではなかった。
もしいくらでも安全資産が提供されれば
こうした金融商品はいくらでも提供できるが
他方で安全資産がなければ、それがこうした巨大な偶発債務を
生み出す金融商品の供給量の上限となる。

サブプライムローンは、こうした金融市場の要請に
応えるために大量に粗製乱造されることとなった。
おまけに、メザニン・シニアの証券を大量に作るためには
それに応じて超ハイリスク資産も大量発生することになる。
こうした超ハイリスク資産がどのようにして処分されたかは
また別の機会に譲るとして、

当然のことながら、プーリングとトランシェ化による
擬似安全資産の乱造に必要な原資産は
住宅ローンでなければならないわけではない。
中小企業の債務をプーリングしたCLO、ABS等々や、
発展途上国の「排出権」を証券化したものなど、
様々な将来キャッシュフローが証券化され
擬似安全金融資産を提供した。
そしてこうして組成された新たな偶発債務が
再びプーリングされ、新たな原資産として
証券化されていった。

こうした背景の下、
マネー・マネージャーたちは、ほんのわずかでも平均を
下回る運用実績が許されない状況の下で、
大量の資金を運用し、新しい金融商品に賭けつづけた。
それにつられて金融機関も自ら負債を発行することで
自己勘定による取引を続け、架空の利益を計上し続けることとなった。
それが「架空」なのは、数字はいくらでも
大きくなり得るが、決してそのすべてが最終的に
実現することはあり得ないからである。そしてそうこうしているうちに
背後でいつの間にか、
原資産の大量デフォルトの条件(償還額が
所得からの償還可能額を大量に上回る状況が到来すれば
――といったって、所得が増えない中で、融資が
どんどん低所得層に広まって行ったんだから
どの道いつかはそうなるに決まっているのだが――
担保資産の価格が急落し、それにつられ
償還減額がメザニンに迫れば
市場ではシニアまで価格を落とすであろう、
そうなれば、もはやその上に構築されたすべての負債/資産ヒエラルキーは
崩壊することになる)が迫っていたのだが
(そしてどうやら本人たちもそれに気が付いていたのだが)
彼ら自身も大量の負債を抱えているのだから
そこから抜け出ることが可能な立場にいたものは、いざこの段階では
極めて少数しかなかった。



さて、そろそろまとめよう。
サブプライムローンを拡大させたものは何だったのか。
『黄金時代』から何が変わってしまったのか。

何よりも重視しなければならないのは
合衆国の所得フローである。

労務者階級への所得が減少したこと、

それにもかかわらず、労務者階級は自分たちの生活(消費支出)水準を
大きく引き下げようとせず、住宅を保有しようとしたこと、

消費の資金源を「所得」より「所有」に頼るようになったこと、

その背景には合衆国の製造業、というより
フォーディズム的蓄積態勢の衰退、投資の減少、


そして政府の姿勢である。

財政を引き締め、総支出を減らし、民間の集計的所得フローを引き下げたこと、

国債の伸び率を引き下げ続け、ついにはマイナスにしたことによって
安全資産の供給を減らしたこと、

金融自由化を推し進め、業務の垣根を取り払い、規制・監督を緩和し続け
政府や中央銀行によって管理掌握不可能な
金融機関の「イノベーション」を奨励し続けたこと、

公的年金給付制度の未整備に加え、401k制度の導入など
所得フローを生み出すだけの目的では運用不可能な資金を
不確実な金融市場に大量に供給するように促したこと、

中産階級、とりわけ労務者階級の所得の低下を等閑視し
「所得から所有へ」「オーナシップ・ソサエティ」などのスローガンの下
労働所得による消費支出や借入金返済に不利になるような
税制をあえてとったこと、


そして金融部門である。

大量の資金を抱えながら、自ら負債を抱え、
そして平均収益率をわずかでも損ねることが
許されないマネー・マネージャーたちの立場、

金融自由化によって簿外資産を膨らませ、
期間を通じて発生する金利収入の獲得から
証券を組成しそのフィーと売却差額とから
主たる収入を得るように変わった銀行、

それに伴う査定のスコアリング化、

融資先と金融機関の関係の変化、

融資の証券化、ストラクチャー化、レイヤー化を
前提とする金融商品の爆発的増加、



ここで注意してほしいのは
現代の金融システムの性格である。
現代では中核的な金融は、基本的に
負債と負債を持ち合うことによって成立している。
もちろん、小規模な金融機関によっては
中央銀行券の手渡しによって融資が行われていることは
依然としてあるだろう。
ところが大部分の制度化された金融は、そのような実体はない。
この意味で
マクロ経済学の信用創造に関する又貸しモデルは
決定的な問題を含んでいる。
銀行は融資を実行するときにではなく、
融資によって約束された責務を実行するために
資産を必要としている。融資実行によって発行された
自分自身の負債は偶発性が高く不安定であるため、
保有する資産は、いつでも市場で決済用資産に
交換できるように十分に流動的でなければならない。
そのためには、充分に価値が安定している有利子負債が必要になるわけであり、
これがなければ
いかなる現代の制度化された金融システムも安定的に
機能することは出来ない。
短期金融市場の安定が求められるのはこのためであって、
金利によって実物経済に直接影響を与えることが
出来るからではないし、そんなことは
ひとたび金融システム自体の安定性が脅かされれば
もはや問題外になってしまう。
サブプライムローンの問題は、
こうした決済用資産を民間が供給できるか、という
いわば大きな実験だった、と振り返ることもできる。
そしてそれは失敗であった。
債務ヒエラルキーの上方には
より安定した資産が必要だし、
そしてヒエラルキー全体が安定するためには、
結局のところ、最下層の負債が常にきちんと
所得フローベースで償還されていることが必要なのである。
政府支出と税制と国債は、
この債務ヒエラルキーの上と下を固めるために
重要な役割を果たしている。


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