断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

Scott Fullwiler の話③''''

2015-03-14 23:48:29 | 欧米の国家貨幣論の潮流

Scott Fullwiler の粗訳の続き。なんとか、あと一息、というところまで

こぎつけたが、、、、

バランスシートに引いた罫線が、きちんと再現できていない。

ワード原稿では消した部分が、消えないまま表示されてしまっている。

そのため、政府部門や金融部門、民間金融部門の区別が出来ず、

なんだか一枚のシートに表記されるような、おかしな形式に見えてしまう。。。

まあ、その辺は、読みながら常識で判断してください。。。。

最初にも書きましたが、これは誤訳はもとより誤字脱字のチェックもしていない

粗訳段階のものです。本当は、MMTに関心がある人たちの

勉強に供すれば、という意思で翻訳を始めたもので、もう少し

まともになってから、原著者の承認の上、ブログに載せればよかったのですが

自民党が憲法に財政条項を書き込む、なんて

いつもながら、口先では自主憲法制定だのなんだのと言いながら、

アメリカのまね以外には何もできない政党だな、と、いうのはともかく、

そういう新聞記事にあおられて、恥を顧みず、急ぎ紹介している次第です

(と、とりあえず言い訳だけしておく。全くの嘘ではないんだけれどね)。

最近になって、ようやく、ブログの下の方にある「ツイート」というところをクリックすると

最近、このブログに言及しているツイートが表示される、ということを知り、

何名かの方が、こまめに閲覧してくださっていることを知り、大変うれしく、心強く思いました。

ありがとうございます。

コメント欄をつけましたので、誤訳などの指摘があれば、

お願いします。

 

P18:2 それゆえ、財務省証券のことは、[MMTにおいては]「ファイナンス」オペレーションとしてよりはむしろ「金利維持オペレーション」として言及されてきた(Mitchell and Mosler, 2005; Mosler, 1995; Wray, 1998)。より一般的には、国債の販売が必要となる理由は、FFレート目標が銀行の保有している準備預金に支払われる金利(合衆国では現状ゼロパーセント)より高いからなのである。繰り返しになるが、この場合にはFedなり財務省なりが、財政赤字が発生すれば国債を売らざるを得ない。国債を売らなければ超過準備が発生し、FFレートが目標金利を下回ってしまう。もっとも、より正確に言うとすれば、財政赤字を所与とすると、これは新しい準備預金、流通通貨[※鋳貨・紙幣]の増加、民間銀行に開設されている財務省口座への追加とに分割される。流通通貨の変動は、銀行預金の代わりに現金を保有したいと考える銀行顧客の需要によって左右される内生変数の一つである。準備預金とは、前にも説明したとおり、一般的にはFedの裁量変数ではない。もし、ある一日に銀行が必要とする準備預金が事前にFedの予想していた額より大きければ、いくつかの銀行の準備口座は必然的に一時的な当座借越状態となる。というのは、Fedは単に銀行が所要準備なり決済を間に合わせるのに十分な準備預金を発行するだけだからである。現状のオペレーション手順のもとで、一定の財政赤字があったとき、準備預金の増加額は、銀行による準備預金に対する需要がいくら増加するかによって、決まる(そして前者はそれ自体、所要準備の性質に大きく依存する)一方で、それを上回る財政赤字があれば、財政赤字の準備預金に対する影響が相殺され、金利目標が達成されたならそれを上回る準備預金の増加は、民間部門への国債販売によって相殺されていなければならない。

P18:3 はるかに簡単な代替案は、中央銀行が銀行の保有する準備預金に対し目標金利と等しい金利を支払うことである(Feullwailer, 2005, p.547)。ポスト・ケインジアンやその他異端派の経済学者たちは、永らくFedによる準備預金供給は非裁量的である、と論じてきたが、少なくとも決済や所要準備を満たすために十分な預金が流通している限り、これは必ずしも当てはまらない。[※この、すでに今日の「異次元緩和」や「QE」を先取りしているような発言に注目すべきであろう。]  銀行がこうした目的のために保有したいと願う以上の準備預金が流通しても、オーバーナイト物の準備預金に支払われる金利を下回ることは無いだろうし、銀行が必要とする準備が事前の予想を上回った時でも、あらかじめ超過準備が流通していれば銀行が当座借越に追い込まれることもないであろう。この場合には、財政赤字が発生しても、Fedも財務省も国債を販売する必要はない。なぜなら準備預金に純増加があっても、オーバーナイト物の金利は低下しないからである。Abba Lerner(1943)が論じるように、国債を販売できるのは単に民間部門が国債を担保あるいはデフォルト・リスク・フリーの投資物件として利用したいと思っているからなのである。

P18:4 実務面から最も近年の例は、ゼロ金利時代の日本である。というのは準備預金に支払われる金利(ゼロパーセント)は目標金利と等しかったのだから。日本では巨額の財政赤字支出による準備預金増加の大部分が民間銀行に保有され、国債は中央銀行が相殺活動によって保有した。多くの人々がこれを「量的緩和」と呼んだが、こうした「緩和」によって超過準備の量が増えることになるのは、目標金利が準備預金に支払われる金利と等しい場合だけなのである。

P19:1 近年Fedの出版物上で、目標金利に等しい金利を準備預金に支払うという提案が別口で2件掲載されている。リッチモンド連銀のJeffrey Lacker の提案では、営業日の終わりに準備預金勘定を「スィープ(自動預け替え)」し、Fedが保有する国債に買戻し条件付きで投資させ、翌営業日の朝には再び準備預金口座に戻入する、というものだ。「スィープ」は準備残高に金利を支払うというのと同じことだというわけで、Lacker はFedによる貨幣操作に対する影響を次のようなものと論じる。

 

正しく言えば、スィープ・サービスによって目標金利と等しい金利が支払われれば、貨幣政策は大幅に単純化される。その金利で銀行が保有したいと欲するより多くの準備を供給するのである。どの銀行でも、連銀のスィープ・サービスより低いレートでは市場にオーバーナイト物の資金を貸出ししないであろう。借入を必要とする銀行は、スィープ金利にリスクに応じたスプレッドを上乗せすることで常に貸手を探し出せるであろう。したがって市場金利はそれぞれの借手に固有のリスクに応じたスプレッドは別として、スィープ金利を上回ることは無いであろう。ニューヨーク連銀は、単に金融システムに過剰な準備を供給するだけでよい。。。。(Lacker, 2006, p.9)

 

Whitesell(2006) の提案は、銀行が個別にFedと契約して、準備口座に残高を保有する、というものだ。契約された金額になるまでは、準備預金に目標金利からFedの預金はリスク・フリーであることを反映した分を少しだけ差引した利率で金利を支払い、その一方で契約を超える額については、金利を支払わない。「原則としてこうしたシステムの下での政策実行は1日1日の準備需要集計額について正確な予想を必要としない。かなりの幅の準備供給額が中央銀行目標に近い金利の下で成立するであろう」(Whitesell, 2006, p.10)両提案とも、さらに次のことを主張する。流通している国債に対する準備預金残高の量は、Fedが用いる金利維持の手法にも依存する。というのは、準備預金に対して支払う金利を目標金利水準に設定することによってFedは準備預金の「超過供給」を出すことが可能となり、それをしなかった場合に比べると非政府部門が保有する財務省証券の量を減じることができる。

P119:2 (6)式で示されたGBCの主流派解釈では、政府がその赤字を「マネタイズ」すると想定されていた。ところが、本節で示された木ポイントとは、GBCの名は誤ってつけられたものだ、ということだ。これは事後的な恒等式であり「予算制約的」ではないからだ(Mitchell and Mosler, 2005; Wray, 1998)。これは、主権貨幣を発行している政府は財政的制約にぶつかることは無い、という事実と一貫している。というのは、政府は財政的に制約されていない、ということは、国債発行には資金調達オペレーションではない、ということを意味しているのであり、つめり、オペレーションの目的は金利維持にある、ということだ。財政赤字が発生したとき、比政府部門によって保有される国債残高の追加量と創造される準備預金の量の関係は、GBCの正統派バージョンで仮定されているような「ファイナンス」と「マネタイゼーション」の間の関係とは何のかかわりもなく、むしろ金利維持のために採用される方法(および、それより影響は小さいが、所要準備の性格)に依存するのである。

 

P19  4. マネタイゼーション対国債販売は、誤った二分法である

 

P19:3 前節では、現代貨幣体制の元手は租税や国債販売は政府支出の「ファイナンス」をしているわけでは無い、というのは、支出は銀行口座に電気的に貸方記入することによって行われ、徴税や国債販売はその反対だからだ、という事実を論じだ。国債販売とは金利維持のオペレーションなのである。考慮すべき問題がまだ一つある。一定の赤字があるとき、より多くの準備預金が流通し民間部門で保有される国債残高が少なければ、正統派GBCが想定するように、インフレスパイラルのようなものが発生するのではないだろうか。この場合、いずれのオプションについても、バランスシートでその含意を考えることが重要である(Wray, 2003-4)。正統派経済学で典型的なものの考え方は、貸付基金市場仮説でみられた通りの需要・供給関係であり、こうした仮定に従ってモデル構築をしてしまうと現実世界に存在する重要な関係を見落とすことがある。とりわけ資本制経済においては、いかなる取引においても両経済主体の財務状況に変化が生じる、という点である。もし仮定されている需要・供給の関係が、取引にかかわる各主体に実際に生じる財務状態の変化と矛盾しているとしたら、仮定されている需要と供給のモデルは不適切なのである。本節で示す通り、現代貨幣体制の下では「マネタイゼーション」対「ファイナンス」というGBCおよび正統派の貸付基金説に特徴的な論理は、この部類に属する。

P20:1 こう考えよう。まず第一に、連邦政府が赤字運営であるが、財務省もFedも国債を売らない。これは正統派がいうところの「マネタイゼーション」である。図1は民間部門のバランスシート上の影響を示している。ただし、金融部門と非金融部門を分けて示している。

 

図1(原論文では、論文末尾にすべての図・表と一括して掲載されている)

 

銀行

 

民間非金融部門

資産

負債

資産

負債

+準備

+預金

+預金

 

 

この場合、政府の純支出は銀行の準備預金勘定と民間非銀行部門(政府支出を受け取る経済主体)の預金勘定の純増となる。[※どうも”credit”という言葉の使い方がおかしいように思う。]しかし現在のFedによるオペレーション手続きでは、準備預金に支払われる金利(現状ゼロパーセント)よりFFレートの目標が高く設定されているため、通常であれば流通する準備預金の残高は必然的に銀行が決済および所要準備のために必要とする残高にとても近くなる。図1の財政赤字は銀行にとっては望ましからざる超過準備を作り出し、そしてFFレート[※原文では”FF目標”。誤記?]が目標を下回ってオファーされる――理論的には準備預金に支払われる金利水準(ゼロパーセント)まで――。と、いうのは、銀行自身は、流通している準備預金の集計量を変化させることができないからだ。図1――あるいは「マネタイゼーション」は、実際には現在のFedのオペレーション手続き、すなわち目標金利を準備預金に対して支払う金利より高く設定するというやり方の下では、ありえないのである。言い換えると、仮に連邦政府がGBCが想定している通りのやり方で「マネタイズ」したいと考えていたとしても、財務省なりFedなりがFedの目標レートにヒットするように国債を売ることであろう。と、いうのもそれこそが国債販売のオペレーショナルない機能だからである。(Mitchell and Mosler, 2005; Mosler 1997-8; Wray, 1998)

P20:2 シナリオに国債販売を付け加える前に注意しておきたいが、GBCで国債販売が「マネタイゼーション」よりインフレ的ではないとされるのは、融資及び借入について貸付基金市場理論をとっていることに由来している。つまり国債販売による政府赤字が民間部門の借入を「クラウド・アウト」している、ということを意味している。ちょっと脱線になるが、この物語には、異端派にはすでによく知られた誤謬がある。もっとも基礎的なことだが、民間部門の借入を制限するような利用可能な貯蓄の「プール」のようなものは存在しない。貸付は、内生的に、事前に貯蓄もなしに、所要準備による制約もなしに、生じるのである。例えば貸付によって民間部門の資本支出がファイナンスされる場合、同時に資本支出が行われることによって国民所得計算上、貯蓄が生み出されるのである。サーキット主義者たちによって繰り返し示されっている通り、民間部門貯蓄という言葉には、すでに投資支出が行われた、という含意がある。これはすでに(再度、民間部門を単独で考えると)貯金・預金の残高が存在している、ということ、つまりは、すでに銀行貸出が実行された、ということを意味しているのと同じである(Lavoie,1992)。企業と家計と政府の貯蓄を結び付け「国民貯蓄」と呼ぶこと――Gale and Orszag(2004)他、多くの論者がやっているが――は、部門間のキャッシュフローを総合計すればゼロになる、という意味で経済とは閉じた系である、ということを単純に見損ねているのである。定義上、どこかの支出は別の部門の収入であり、一部門の収支余剰はほかのどこかの収支不足である。閉鎖経済(対外取引がないという意味で)では、民間部門の純よい区は政府部門の赤字と等しくなり、逆なら逆である。開放経済では、国内民間部門の純貯蓄は、政府赤字と対外経常黒字の合計に等しい(例えば、Godley, 1999)。かくて非政府部門にとって利用可能な貯蓄が「クラウディング・アウト」するどころか、基本的な会計等式によるなら、政府部門の赤字こそが非政府部門の純貯蓄フローを作り出すことは明らかである。

P20:3 非政府部門の純貯蓄の増加が政府赤字の結果である、という点については図1、2、3を見れば、容易にわかる。定義上、ある部門のバランスシートに純金融資産が追加される。金融資産が作られるときには常に資産と負債の両方が生まれる。[※Fullwailer は、先の正統派経済学の説明をここでは受け入れており、株式も負債の一種として扱っている点に注意が必要。]政府赤字の場合、負債が政府側のバランスシートに残る一方、非政府部門ではエクイティあるいは財産wealth の純増が同時に生じている。図1では金融資産の純増は預金――M1指標の貨幣――が非金融部門のバランスシート上で増加している。ここでは国債発行による相殺は行われていない。図2は、同じ財政赤字だが、国債が発行され、政府の負債に計上されている。この場合、こうして準備預金を排出するオぺレーション上の効果は、金利目標を支えることにある。ここでも非政府部門には金融資産あるいは財産wealthの純増がある。預金(M1)は民間非金融部門のバランスシートに残っている。

 

図2 国債販売を伴う政府赤字(原論文では、末尾に一括して掲載されている)

銀行

 

 

非金融部門

資産

負債

 

資産

負債

+準備

+預金

 

+預金

 

-準備

 

 

 

 

+国債

 

 

 

 

 

図3は、同じ政府赤字が民間非金融部門への国債売却を伴う場合である。国債は非金融系の国債ディーラーへ売られる。

 

図3 非金融部門への国債販売を伴う政府赤字

銀行

 

非金融部門

資産

負債

 

資産

負債

+準備

+預金

 

+預金

 

-準備

-預金

 

-預金

 

 

 

 

+国債

 

 

図2の場合と同じで、準備が排出されたことでFedはFFレートを維持することができるし、ここでもまた民間非金融部門における国債という形で金融資産の純増加が生じている。

P21:1 これら3つのケースすべてで、貨幣(広義の)は創られている。というのは、預金あるいはM1貨幣は、図1,2では、流通に残り、図3でも流動性のある国債が流通している。非政府簿門の保有する金融資産の純額への効果という意味では「マネタイゼーション」と国債発行の間にはFFレートへの影響を除くと実質的な違いは何もない。ところが正統派のGBCの立場からは「マネタイゼーション」のほうが国債発行よりよりインフレ的だとされる。図1は図2や図3よりインフレ的というわけだ。ところが図1については、思い出してほしいが銀行には決済あるいは所要準備を満たす以外には準備預金を抱える理由はないのだから、Fedは銀行の準備預金に対する需要に対してはアコモデートしなければならないのではあるが他方で、こちらの文脈ではさらに重要なことだが、[準備が過剰な時には]図2や図3にあるようにして準備預金を排出したとところで、銀行の潜在的な貨幣創造力を制限することになどなりえないのだ。準備預金は貸付や貨幣創造の「原資を与える」ものではない。貸付や貨幣創造は、銀行が利益の見込める融資機会に出会ったときに生じるものなのである。

P21:2 GBCの立場からのもう一つの含意、あるいは(少なくとも)解釈では、図3のように民間非金融部門に国債という形で純財産が付け加えられている場合には、図1のように預金が創造されるのに比べあまり刺激的ではない、ということになるが、しかしそれも明らかに誤っている。正統派の見解は、次のことを無視している。M1貨幣は国債が銀行に売られた場合(図2)には、流通に残っている。したがって、この場合、区別に意味があるのは国債が民間非金融部門に売られるか金融部門に売られるか(つまり、図1&2対図3)の違いなのである。もっとも、これまで正統派には国債が銀行に売られる方が非金融部門に売られるよりもインフレ的だ、と示唆した人がいたわけではないが。民間非金融部門が預金ではなく国債を保有することで(図3)、支出が何ほどでも制約されるわけではない。丁度、預金者がこの新しい財産を支出に使わず定期預金することを選択しているのと同じで、国債を保有している(基本的にはFedに定期預金しているということ)部門は、この新しい財産にレバレッジをかけることを選択できるのである(国債は常に融資の担保として非常に価値が高い)。実際、預金であろうと国債であろうと、純財産あるいは純所得フローを増加させているのであり、非政府部門は論理的に言って、財政赤字[による総資産の増加]がなかった場合より支出を増やすであろう。銀行にとってはそのほうが信用力が増したと見えるであろうし、そして銀行の貨幣創造力は、オペレーショナルな制約にぶつかるということは無いのだから。

P21:3 最後に、全体にわたって注意すべき重要ポイントを挙げると、Fedによるオペレーションは非政府部門のバランスシートにおける純金融資産を作り出すわけではない。正統派はそのように推論して「マネタイゼーション」を恐れているようにも見えるが。実際には非政府部門のバランスシートにおける純金融資産の残高は、定義上、政府の総債務残高の大きさによって決まる。Fedのオペレーションで決まるわけではない。非政府部門の保有する純金融資産は準備預金、通貨、国債である。前にも論じたが、流通通貨残高は非政府部門の選好で決まる一方、国債残高と準備預金残高の比率は採用されている金利維持の方法(およびより低い程度で所要準備の額)によって決まる。Fedのオペレーションは、これらの金融資産に付け加えたり差引したりしているわけではなく、非政府部門の通貨や準備預金の需要[の変化]に対して内生的に反応することでこれら3種類の資産の相対的残高[の変化]に対応しているのである。そしてこの通貨・準備預金に対する需要は現在とられている金利維持の方法及び短期金利目標双方の文脈で決まる。プライマリー[発券]貸出や、日中物の当座貸越といった非政府部門の「要請」に対する内生的創造以外のFed貸出オペレーションでさえ、非政府部門の金融資産残高を増やすわけではない。というのは、こうした資産の増加はそれに対応して同額の金融負債を非政府部門にもたらすのであり、非金融部門はこれの金利を支払い償還なり更改なりをしなくてはいならないからである。国民所得会計及び資金循環統計フロー表によって、政府負債の変化だけが非政府部門の純金融資産に影響することができる[ということがわかる]。

P32:1 要するに、正統派のGBCでは、財政赤字が国債発行を伴うか否かを問題にしているが、これは財政赤字のインフレに対する潜在的な効果を理解するうえでは不適切なのである。前の節で示した通り、国債発行のオペレーション上の機能は、金利目標を支えることであって、赤字の「資金調達」をするためではない。政府による国債販売のため、正統派の貸付基金アプローチが想定しているように非政府部門が借入れによって利用できる資金が減少するわけではないのと同時に、国債が販売されなかったからといって流動金融資産や所得あるいは借入れ「可能な資金」が増えるということでもない。そういうことではなくて、政府の赤字は国債が発行されようとされまいと、常に非政府部門の金融的財産の純額を増やすのである。財務省の国債発行やFedオペレーションは非政府部門が保有する証券、準備預金、通貨の相対比率に影響するだけである。これらの合計額は政府の債務残高によって決まってしまう。国債販売が行われるか否かは、非政府部門がそれを支出するか貯蓄するかによって決まるのであり、そして所与の財政赤字がインフレーション効果を持ちうるかどうかにかかわる問題はこちらの方なのである。これは日本においてGDPの9%近くになる巨額の財政赤字がなぜ実質的なインフレーションや実質GDPの大きな成長を伴うことがなかったのかを理解する助けになる。財政赤字のバランスシート効果は、基本的には図1に示したものと同じだ(「量的緩和」及びゼロ金利目標によって)が、日本の民間部門は事実上、この名目所得の純増加より多く(さらに、対外経常黒字によって得られた純貯蓄のさらなる増加より多く)のものを貯蓄しようと望んだのである。他方、合衆国の政府赤字はGDP比では日本よりずっと小さかった(加えて巨額の対外経常赤字)が、日本より実質GDPの成長は早かった――合衆国財政赤字のバランスシート効果は基本的には図3と同じものであった――が、それは合衆国の民間部門(とりわけ家計)が、この時点では過去に例がないほど、純貯蓄を減らそうとした(Wray, 2006 b)ためである。

 

P22  5  政府債務の支払利息は貨幣的現象である

 

P22:2 これまでの議論で説明したとおり、銀行、Fed、財務省の間の現実世界における関係を前提とすると――つまり、財政赤字はクラウディング・アウトを引き起こすのではなく、非政府部門の純金融資産を増やす;国債発行は金利維持オペレーションであって資金調達オペレーションではない;連邦政府はオペレーション上のあるいは資金調達面での制約にぶつかることは無い;Fedは金利目標を不可避的に設定することになる――、正統派によるGBCの説明および貸付基金市場における「利用可能な資金供給」に対する財政赤字の影響の説明は、これらの関係と矛盾する。したがって、同じくこのひび割れた貸付基金市場パラダイムから派生した財政赤字の金利に対する影響についての正統派の説明は誤っているように思われる。思い出してほしいが、このひび割れた貸付基金市場パラダイムこそが、以前に論じた財政赤字の「非伝統的」効果の中心にあったものであり、これのために正統派の金利と財政的持続可能性に関する結論は、現代貨幣体制に関する現実をはるかに超えたものとなってしまったのである。しかし実際には、前の論点を続ければ現代貨幣体制における国家債務に対する金利とは貨幣的現象だ、ということである。

P22:3 正統派の貸付基金アプローチと一貫させるとなると、Fedが他の短期金利に対して影響を与える能力に疑問を呈する人もいた。広く引用されている文献において、Friedman(1999, 2000)はこう論じる。Fedは目標を実現するため、他の短期金利に影響を与えるには、基本的には金融市場のトレーダーたちをして「好きにさせる」ことが必要である、と。より近年では、ちょっと違う理由ではあるが、Thornton(2004, 2006)は、こう示唆した「大部分の目標変更は内生的である――Fedが目標を調整するのは、均衡短期金利が変化したときである。」(2006、p24)Friedman もThornton も一致するのは、「市場参加者がFedの金利目標を守る能力に疑問を感じるようになれば、均衡金利と大きく異なった目標金利を守るためには、大規模な公開市場操作が必要となる」(p24)という点だ。

P22:4 この種の議論はFedのオペレーションについて基本的事実を無視している。銀行が準備を必要とするのは、日々の無数の支払いを決済するためおよび、所要準備を満たすためであるので、Fedの目標金利が他の短期金利に裁定を通じて影響を与えるのであって、逆ではない。別の言い方をすれば、銀行が準備預金を必要としているからFedが目標とするインターバンクレートが他の短期金利の決定の際に「問題となる」のであるが、これはたとえFedがこうしたほかの金利へ直接働きかけることを意図しなくても、そうなってしまうのである(Fullwailer, 2006)。この点は数多くの研究によって確認できる。例えば、Bartolini et al. (2005)、 Cyree et al.(2003)、 Demirale et al.(2005)、 Griffich and Winters (1997)、 Lee(2003)、これらすべての研究で発見された証拠によれば、積み期間中の日中取引、およびとくに資金フローの多い日の取引がオーバーナイト物ユーロダラーおよび/あるいはレポ市場に影響を与えており、それは文献が大量にあり十分理解もされているFFレートのパターンをそっくりまねているのである(例えば、Clouse and Elmendorf, 1997; Demiralp and Farley, 2005; Furfine, 2000; Griffiths and Winters, 1995; Hamilton, 1996)。これらの調査によるなら、こうした市場間の裁定取引はデフォルト・リスク、担保、オフショア施設利用可否といったそれぞれの違いを問題にしないで済む範囲内ではとても活発に取引されている。実際、Demiralp et al. では、裁定機会のうち、使われなかった分はわずかに数ベーシスポイントとされ、他方で、Bartolint et al. (2005)では、高い頻度の日中取引を取り上げ、本当に小さな裁定機会しか残されていなかったことを示した。要するにFedによって定められた目標以外に「均衡」短期利子率などというものは存在しないのである。Fedの目標レートこそが、これら他の金利のアンカーを提供しているのである。

P23:1 正統派(例えばFriedman, 1999, 2000; King,1999)および異端派(例えばPalley, 2001-2)双方の調査において示唆されてきたことであるが、銀行に所要準備制度を出し抜く技があれば、あるいは民間の決済システムを使うことで準備の利用を避けることができれば、最終的にはFedの、目標金利によって他の金利水準に影響を与える能力が脅かされることがあり得る、とのことだ。だが、繰り返しになるが、こうした見解は貨幣オペレーションについて基本的に誤解している。銀行が準備預金口座に保有したいと願う準備預金の残高は、他の金利に対する中央銀行の金利目標の影響力とは無関係なのである(Fullwiler, 2006 p.p.508-510)。例えば、カナダでは、日中取引を除くと、実質的な流通準備残高はゼロなのである(Lavoie, 2005)。問題は簡単で、準備預金に対する需要が十分な大きさであれば――ノン・トリビアルであれば[とるに足らない、というわけでなければ]――Fedの金利目標は他の短期金利の決定にとって「問題になる」のである。所要準備制度や決済システムが今後どうなるかにかかわらず、民間部門の未払税金負債が民間銀行の準備預金勘定を通じて財務省へ支払われる限り、準備預金に対しては十分な、ノン・トリビアルな需要が存在し続けるのである(Fullwailer,2006,p.p.515-521)。ネオ・カルタリストが示してきたことであるが、未払税金負債が政府の貨幣によって定義されていることで、この貨幣に対する需要が創り出されている(例えばWray, 1998)のであるから、 税金負債が中央銀行に開設された準備預金口座を通じて決済される、ということは中央銀行の金利目標には、裁定を通じて他の市場の短期金利のアンカーを影響する力が十分にある、ということなのである。

P23:2 連邦政府の財政赤字および国債発行に話を戻すと、貨幣オペレーションを理解することは、国債に支払われる金利の含意を理解するために必要なのである。合衆国政府が発行する国債の満期はかなり広い範囲にばらついているが、これはそうしなければならないというわけでも、常にそうであったわけでもない。証券発行の方法が無意味に複雑であること、そして満期が広い範囲に散らばっていること、こうしたことが貸付基金パラダイムのような誤解に拍車をかけている。財務省証券について適切なたとえを挙げるなら、これは民間部門によってFedに開設されている定期預金のようなもので、これは準備預金のことをFedに開設されている当座性預金といっているのと同じことである(Mitchell and Mosler, 2005)。定期預金/当座性[要求払い]預金のアナロジーは1960年代以降、国庫がFedのバランスシートの中にのみ存在することおなり、所有権の移転がFedの電子移転システムを通じてのみ行われるようになってからは(Garbade, 2004)ますますよくあてはまることとなった。以下のパラグラフでは、現代貨幣体制の下での国債発行の4つの方法を論じることとする。

P23;3 当座性・定期預金のアナロジーからは、債務を発行するもっとも一般的または単純な方法は非政府部門が定期性預金(国債)を保有せず、準備口座に準備預金(Fedの要求払い預金)だけを保有することになる(図1の通り)。もちろん、最終的には超過準備が、何兆ドルとは言わないが、何十億ドルも積み上がり、多くの人の指摘する通りFFレートはゼロにまで下落するであろう(例えば、Bell and Wray, 2002-3; Forstater and Mosler, 2005; Fullwailer, 2005; Mosler, 1995, 1997-8; Wray, 19989, 2003-4)。Forstater and Mosler(2005)は、もっとも一般的あるいは「自然な」ケースでは、FFレートはゼロになる、としている。注意したいが、この場合、債務(準備)残高が、銀行にとって決済(顧客の未払税金負債の決済も含む)や所要準備のため必要な準備残高を上回る限り、国家債務の名目金利は、債務がどれほど大きかろうとゼロになる。

P24:1 以前にも書いたが、短期の貨幣オペレーション手続で正のFFレート目標を達成しようとするなら、流通準備残高を決済および所要準備を満たすために必要な量だけ残すことである。[しかし準備を市場が必要とする量とぴったり一致させることが非現実的であれば]「要求払預金だけで」正の金利目標を達成しようとする唯一可能な方法は、目標金利と準備預金から銀行が得られる収益とを等しくすることである。Lacker(2006)とWhitesell(2006)が論じるとおり、国債売却せずとも金利支払というオペレーション手続きだけで、伝統的貨幣政策(例えばオーバーナイト物目標金利を設定・変更する)を行うFedの能力が弱められるということは、いかなる意味においてもない。ただ、オペレーションが簡単化されるだけである。というのは、Fedはただ目標金利水準を変更するためには、準備預金に支払う金利を上げ下げすればよいからである(Fullwailer, 2005, P547)。国家債務の金利を債務残高や財政赤字の規模にかかわりなく、Fedの目標金利水準と等しい水準にする、というやり方は、この利付きの「準備預金しかないケース」と比べて、ほんのわずかでも「一般的」でもなければ「自然」でもない。[これが以下に述べるケースである。]

P24:2 財務省にとって三つ目の選択肢は、短期の定期性預金(たとえば財務省証券)を発行することで、これは図2、3に示されている。レポ(買戻約定付国債)やユーロダラーへの短期投資と同様、財務省短期証券の金利は残高がいくらあろうと投資家への裁定取引の機会がなければ[ママ。”without”があるが、不要では??]、Fedの目標から大きく乖離しないであろう。上記のとおり、租税が準備預金で決済されなければならない、ということは、Fedの目標金利が、短期財務省証券金利を含む短期金利のアンカーとして機能するうえで十分な条件なのである。準備預金への利払いによって、この場合には国家債務に対して支払われる金利が基本的にはFedの目標金利に沿う形で決まるわけだが、両者の間には満期やデフォルト・リスク・プレミアムの差があるので、それに応じてある程度の違いが出てくる。注意したいが、最終的にはたとえ前節で述べたとおり準備預金への付利により目標金利が設定されることがあるとしても、どの道、財務省は短期(あるいは状況に応じて長期)証券を発行することによって民間非金融部門にとって担保としてとくに望ましい、デフォルト・リスクがない短期投資物件を供給するであろう。

P24:3 財務省証券および国債――財務省の債務オペレーションにとっては第4の選択肢――は、本質的には非政府部門によって保有される固定金利の長期定期性預金である。これは図2,3で示されている通りである。よく知られている通り、こうした金融商品の金利水準は、期間や流動性プレミアムの違いに応じて大きく違うことがあるとはいえ、基本的には現在および将来の予想短期金利水準できまる。FOMC議長バーナンキ氏はこの点を繰り返し述べ、同時にそこに含まれている裁定取引関係について強調している。

 

他の条件がすべて等しいとして、問題となっている期間全体について、平均で短期金利の上昇が期待される場合、同じように長期のイールドも高くなる傾向にある。もしそうでないケースがあるとしたら、その場合には、投資家が短期証券をつなぎつなぎ保有することで利益を上げており、それで長期債券の保有量が減っていることになる。…同様にして、もし将来の短期金利が平均して低下すると予想されているなら、同じく長期債券のイールドも低下することとなる。(Bernanke, 2004, P3; 強調は筆者)

 

もちろん、短期金利それ自体はFedの目標金利と密接に結びついているわけだから、詰まる所、長期金利もFedの現在の、そして期待される将来の行動に基づいていることになる。他の方法で債務を発行しても同じで、どの場合も国家債務あるいは財政赤字の規模が、こうした長期・固定金利の政府が発行した定期性預金の金利水準に影響することは無いことは、後者がFedの貨幣政策スタンスに影響を与えることがないのと同じである。

P24:4 全体として言うと、国家債務に対して支払われるあらゆる金利は、それが金利付きの要求払い預金(Fed口座)であるか、短期定期性預金(財務省証券)であるかにかかわらず、貨幣政策スタンスによって決まってしまうし、同時に長期・固定金利の定期性預金(国債)が発行されるときには、期待貨幣政策スタンスが重要な意味を持つ。バーナンキやほかの人々も理解している通り、この原則から大きく逸脱した水準でビット-アスク・レートで財務省証券を取引しようとするトレーダーがいれば、たとえ将来の財政赤字が大きくなると期待されている最中であったとしても、他のトレーダーたちの餌食になる。Tレートの貨幣的性格は、次のことからも明瞭である。2004年の夏からFedの金融政策サイクルが引き締め期に入ったとされたが、それ以降もいかに長期金利が低いままであり続けたことか(それどころか、わずかに低下した)。この現象は多くの経済学者にとって「謎”コナンダム”」と呼ばれたほどであった。セントルイス連銀理事長Poole氏はこう断言した。長期Tレートは大部分、トレーダーたちの貨幣政策期待と一致しており、そのことは先物市場やイールド・カーブを見れば明らかである、と。

 

この状態を理解するうえでカギとなるのは、2004年6月には諸種の目標短期金利の上昇が予言されていた、ということだ。この時には1%という通常ならざる低金利からFFレートが上昇し始めたのである。2004年6月、市場は正確にこう論じていた。Fedは短期金利を1年半かけて少しずつ着実に引き上げるであろう、と。実際、2005年11月までFOMC会合では目標金利水準を2004年6月に予想された水準を超えて引き上げることはしなかった。短期金利が期待されたとおりに上昇してゆくのだから、10年債の金利も2004年6月に予想された水準から大きく外れてゆく理由は何もなかった。2005年11月以降、長期債券のイールドが上昇し始めたのも、これからは以前に市場が予想していたよりある程度大きく金利が上昇するだろう、という考えに対応したものである。(Poole, 2006, p5)

 

2005年後半についてのポール氏のコメントに関して言うと、その後10年物のTレートは最終的には4.5%を超えるという大きなものになった。Rudebusch et al.(2006, p.2)は、Poole氏と同じ意見で、「マネーマーケット先物金利は2005年に上方シフトした」が、このことによって、この時点でも引き締め政策が継続されるとは、以前には「予想されていないことであったことがはっきりした」。

P25:1 貸付基金市場パラダイムからは当然のことだが、正統派経済学によるこの「謎”コナンドラム”」についての広く受け入れられている解釈では、財務省証券を外国政府が大量にまとめ買いしたことによって、長期金利が「均衡」水準より低い金利に落ち着いた、とされる。この見方はいまだに受け入れられているものの、事実はこのような極端に多額の大量購入はどこの財務省証券市場でも生じていないし、最近ではサンフランシスコ連銀が出版物の中でこう論じている。

 

外国政府が長期財務省証券を集中的に保有しているなどということは無い。グリーンスパン議長(Greenspan (2004))が指摘する通り、「(外国)中央銀行の準備は満期が短いものに大いに集中している」。例えば2004年12月、外国の公的機関は1,173超ドルの合衆国財務省証券を保有していたが、2,450億ドルあるいは24%が満期まで1年未満の財務省証券によって形成されていた。さらに、財務省中期証券と国債は、満期が漸進的に到来するような形で購入されており(例えば9年前に購入された10年債は、翌年には満期が来るわけだから)実際の財務省証券ポートフォーリオはさらに短い。…2003年6月、外国中央銀行が保有している財務省証券の半分以上は2年以下で満期になり、わずか27%が実際に5年以上の満期であるにすぎない。要するに外国中央銀行の合衆国財務省証券ポートフォーリオは、かなり分散しており、長期債に集中してなどいないのである。(Wu, 2005, p2)

 

実際、財務省長期証券レートと外国の公的機関による購入額の間の通時的な相関関係は、正値であり、これが示しているものは、これが示しているものは――もし、何かあるとすれば――、事実上、因果関係はより高い財務省証券レートはより多く外国の購入を惹きつける、という逆向きのものだ(Wu, 前出; Rudebuch et al., 2006)。Rudebusch et al(2006)では――基幹構造に関する正統派のモデルを用いて――、こう結論付けた。すなわち、この正の相関関係は、2005年を通じて継続したが、「外国公的機関が合衆国財務省証券を購入していることが、長期イールドが低水準を保っていることに貢献しているという証拠は全く」発見できなかった。「ところが多くの市場関係者によって、この要因こそが長期債のイールドを低く維持する唯一にして最大の要因である、とずっと見做されてきたのである。」(P.5)

P25:2 もちろん、この「謎”コナンドラム”」に対する外国の購入という「解答」は、さらに入門レベルの話になるが、もし、長期の金利が現在の、および将来期待される貨幣当局の行動のラインから大きく外れたものであれば当然発生するであろうはずの、裁定機会を無視している(繰り返すが、今説明しているのは長期証券に付随する期間と流動性プレミアムという誰でも知っている話である)。Wu(2005)の言う通りで、「10年物国債に40ベーシスポイントの乖離があれば、債券価格には4[パーセント]のバイアスがあるはずだ(クーポン利率が0%の場合)。そして外国公的機関による購入がこんな大きなバイアスを生み出し、それを維持しているようには見えない」。何しろとても分厚く流動的な資本市場でトレーダーたちの裁定取引に向き合っているのだから(p2)。PIMCOボンド(世界最大の債券ファンド)のポール・マックレイPaol McCulley も、同様にこう述べる。「どんな市場勢力――外国であろうと内国であろうと――が合衆国の注長期金利に上昇圧力をかけようとも、Fedの引き綱の範囲内でしかできない。…FFレートがアンカーになるのである。…別の言い方をすると、イールドカーブがどんな傾斜を描くかは限定されている。イールドカーブの急な傾斜が意味している金融引き締め予想に対し、Fedが――繰り返し――ノーと言い続ければいいのである。

P26: 先に引用したGokhale and Smetters の問題意識、すなわち、かつてカリフォルニアであったように、連邦政府も債務のプレミアム上昇に直面するかもしれない、という懸念は現代貨幣体制の下での貨幣発行主体(例えば連邦政府)と貨幣利用主体(例えば各州・地方政府、家計、企業、等々)とを混同しているのである(Mitchell and Mosler, 2005)。Gokhale and Smetters、Gale and Orszag、Rubin et al. (そしてその他多数)は、現在および期待される将来の財政赤字のためTレートが不可避的に急上昇する、と警告しているが、その一方で将来も巨額財政赤字が続くと期待されている中での長期財務省証券金利不変という「謎”コナンダム”」の説明には失敗している。他方で、FFレートおよびユーロダラーの先物市場の基礎分析、あるいは財務省証券のイールドカーブからの推定された先渡価格の基礎分析の結果は、Tレートの性格がここで説明したとおりのものであることを支持するものである。それどころか、先ほど引用した正統派の研究による「証拠」すなわち期待財政赤字の拡大によって先渡ものの実質金利が上昇する、という研究には大いに疑問がある――集計的生産関数や貸付基金市場仮説を基礎づける回帰分析に関する明々白々の問題点(Galbraith, 2005; なお、脚注2も参照のこと)をさらに超えて――。というのはこれら研究のどれ一つとして、トレーダーの貨幣政策期待をコントロールしていないからである。貨幣政策期待は、正統派経済学の期間構造モデルに従がうなら先渡価格にとって重要な決定因子であることははっきりとしているのに、である(Rudebush et al, 2006)。要するに、正統派経済学者の発見する、あるいは発見しない財政赤字の金利に対する影響の経験的観測地といったものは、それらの分析がFed、財務省、その他金融システムの諸機関の間の実際の相互関係を誤って表現しているが、それはこの際受け入れるとしても、分析は最もよく言って不確かなものでしかない。

 



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