断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

機能的財政論 ミンスキーとラーナーの変化の比較検討 Part 4

2019-09-22 11:41:27 | MMT & SFC
レイによるミンスキーとラーナーの機能的財政に関する比較、および
MMTに対する影響ということだが、今回は最終回。

ラーナーもミンスキーも、スダグフレーションを前にして
単純な機能的財政論は放棄せざるを得なくなったことは
前回までに記した通り。その結果、ラーナーは結局、財政均衡路線へと
進み、そしてマクロ的な経済刺激は中央銀行の手に委ね、
財政というより、賃上げの許可証を発行し、それを市場での取引に委ねることで
賃上げを抑制する、マーケット・メカニズムの働きによるインフレ対策を
講じる方向へ向かった。これはフリードマン流のマネタリズムの流れに
竿を指すものであった。対してミンスキーもまたミクロ的な対策を
模索することになるが、それは移転支出を抑え、失業者を政府が
直接雇用することで生産性の引上げと底辺層の賃上げとを同時に実現し、
そして寡占大企業の賃金上昇率を抑制するという方向性であった――おいらとしては
生産性上昇率格差インフレーション論などを懐かしく思い出したりもしたわけだが――
が、しかし言うことはしばしば変わっており、
充分説得力のある形に実を結ばなかったのも事実である。
とはいえ、こうしたラーナーとミンスキーの立場の違いは
マーケット・メカニズムをどの程度信頼しているか、という立場の違いによるところも
あるだろう。

レイ自身は、今日のデフレバイアスのかかった経済では、こうした
論争が古臭いものに映ることを認めたうえで、なおその重要性を強調する。
それは、あるいは今後「地球温暖化との戦い」が本格化するにあたって
実際に稼働可能な経済資源を必要な経済資源が上回ってしまう、という
可能性があるからである、といった問題を
具体的に視野に入れているのかもしれない。

なお、ラーナーといえば、おいらの世代なんかだと
国際取引のモデルなんかもそうだが、同時に「ラーナーの独占度」などが有名であるが
ここで触れられている範囲では、ラーナー自身がこうした独占に対して
制度的な対応を目指そうとした話は出てこない。おいらはその点、
ラーナーのことは、全く何にも知らないのだが、ホンマかいな、という気もする。

あと、最後までミンスキーの"validity""validation"という言葉は、
すっきり訳せなかったな。。。。。


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MINSKY’S INSTITUTIONALIST INTERPRETATION OF KEYNES AND IMPLICATIONS FOR FUNCTIONAL FINANCE 
ミンスキーの制度学派的ケインズ解釈と、機能的財政の含意


シカゴ大学においてサイモンおよびポール・ダグラスの下で学んだことで、ミンスキーにとっては
ケインズの経済学と制度学派経済学とを統合することは比較的簡単であった。第二次世界大戦後に
ハーバード大学に移った時、彼はハンセン流のケインズ解釈を拒絶した――それは
多くの制度学派の人々と同じ理由で、まずは機械的・数学的ケインズ経済学博覧会から立ち去った。
彼は1996年にヴェブレン-コモンズ賞――アメリカの制度学派グループである進化経済学会 (AFEE) によって
授与される最高の栄誉――を受賞し、そしてその年の年次総会で彼の最後のプレゼンテーション(および論文発表)を
行った。彼の講演は「不確実性と資本制経済の制度構造」と題された(Minsky 1996a)。彼は
ジョン・R・コモンズ(制度経済学派の創設者の一人)宛のケインズの手紙からの引用で講演を始めた。
ミンスキーはこう語る。「ケインズの経済学とアメリカ制度学派の結びつきの説明、この結びつきは、
今も、ケインズがコモンズに宛てて手紙を書いた時と同じように適切である。つまり、
現在の富裕な資本制経済諸国におけるパフォーマンスと確信の危機によって、再び資本制経済成功にとって
制度的前提条件を再考することが必要になったのである。」

しかし、制度学派の J. Fagg Foster(同様にDudley Dillard)と同じく、ミンスキーはケインズと
ケインジアンとを区別することができた(Wray 2016参照)。ケインズもミンスキーも学部生としては
数学を専攻したのであるが、皮肉なことに両者とも数理経済学を拒否した。『一般理論』では数学の言葉が
使われている(例えば関数や独立・従属変数で語られている)が、ケインズは議論において関数関係を
特定することを拒否した。それは彼の目標――一般理論を提供するという――とは整合しなかったことで
あろう。特殊な数学的関数は一般ではありえ無い(Backhouse 2010 参照)。

制度学派であるフォスター(1981a)が述べる通り、一般性によってケインズの理論は「質が
科学的な理論に関連付けされているというような意味でオープンエンド」なのである。[29]ケインズの理論は
「証拠による検証vertificationと修正を受けることがある…。その結論は、その想定の単純な検証ではない。」
「分析のシステム内の独立変数は、実際に独立して変化しうる…。理論は…無限の発展に従う。」
フォースターによると、新古典派理論はこれとは対照的に「同義反復」――閉じられており、
そして非科学的である。単純な数理モデル――仮定によってあらかじめ結論が検証されている
――に対する脅迫観念によって、科学的方法という外観がすべて無効にされてしまう。

これらはまさにミンスキー(1991)のビデオと同様、AFEEのプレゼンテーションでも強調した点である。

「ケインズは理論構築を成功させるための「慎重な観察」の
重要性を常に強調していた。この立場では理論とはその時点の支配的な傾向を定式化して
表現する以上のことではない。そしてこうした傾向は、顕著な事実の反照から
導き出されるのである」[Skidelsky 1992, 221]。この立場では、適切な理論とは
普遍的真理と想定されている公理から導き出される命題の概要ではない。経済理論とは
数学の下位体系ではない。


適切な理論とは、経験に基づく観察に対する想像力と
論理的思考力の行使の結果である。それは実際の経済のオペレーションについての
命題を導き出す。昨今流行の方法論では、人工的に想像された経済を特定し、次いで
それがシミュレーションされ、最後に、シミュレーションの一般的特性が、観測
(例えばGNPなどの)に基づいた時系列の構築物の一般的特性と類似している(あるいは
類似していない)場合には、満足(不満足)とみなされることになっているのだが、これは
ケインズや彼の同時代の制度学派双方にとっては全くのところ呪わしいもので
あったことだろう。(Minsky 1996a)


ミンスキーはケインズの『一般理論』を受け入れはしたが、しかしその理論を我々の時代の関連する
制度的諸事実と結びつけることで発展させる方向へ進んだ。彼は現代の金融資本制の理論を発展させた。
それはこの資本制の欠点を理解し改革の試みの手助けになり得るものである。彼が常に論じていた通り、
理論は制度面を特定化しなければならない。そして彼の理論は現代の、発展した資本制経済、耐用期間が
長く高価な資本設備を伴う資本制経済を対象としていた。その経済は複雑で、非線形で、時間依存的で
ある。そこで生じる不安定性の期間はそれ自身の内的ダイナミクスから生まれるものであり、
外的なショックによるものではない。制度が適切であれば不安定性は抑制しうるだろうが、
なくすことは出来ない。安定とは不安定化のことである。

戦後の「ケインジアン」は成長を生み出すための呼び水という認識を推し進めた。ミンスキー(1971)が
指摘しているように、国防費は別として、「財政拡張を行うための望ましい方法はある種の減税あるいは
税に抜け道を作ることだ[とされた]。つまり租税から民間の消費や投資へシフトさせることである。」
こうした「ケインズ主義」政策によって完全雇用を促進しようとする場合、投資が刺激される
ビジネス環境が重要で、投資が刺激されると支出乗数を通じて消費が誘発されることになっていた。
様々な租税インセンティブ、例えば加速減価償却や投資税額控除などは、戦後の投資戦略に共通の
特徴だった。政策立案者もまた、資本所得の確実性を高めようとして、防衛や交通、住宅産業などでは
利益が保証されるような政府契約を行った。

しかしミンスキー(1973)は、早くから、高投資戦略には4つの問題があると論じていた。第一に、
資本所得にシフトさせる課税インセンティブは通常の労務者と、所得を投資し政策が投資を促進することで
報酬を高めることができる人たちとの間の格差を悪化させる。第二に、資本所得が高くなると富裕層による
奢侈的消費と、そこまで富裕では無い層の対抗的消費も引き起こし(さらに所得が低い層による
「世間に後れを取るまい」とする who try to "keep up with the Joneses" 債務によって資金調達された
消費は言うまでもない)、そこからディマンド・プルインフレーションの可能性が生み出される。 第三に、
洗練されたハイ・テク産業との政府契約は熟練の、高賃金労働に対する需要を産み出し、労働部門内部での
所得格差を悪化させる。最後に、資本所得の規模と確実性を目標とすることで、減税プログラムは事業の
確信を高め、そしてそれが債務発行による資金調達と借り手側の安全余地率の低下を引き起こすだろう。
こうして民間投資戦略は債務によって資金調達された投資ブームへ進み、金融システムの安定性を傷つける
可能性がある。

先に述べたとおり、ミンスキー(1963)の当初の議論では、民間部門主導の拡張は民間の債務増加と
金融不安定性を高める傾向がある。見込み営業利益に対して債務償還比率を引き上げるからである。それとは
対照的に、公共部門の支出によってもたらされた拡大は、安全な資産(予算が赤字に転じたときに発行される
国債)を提供することによって、実際に安定性を高めることになるだろう。

要するに、戦後期を特徴づけるものは民間投資戦略の重視で、民間投資によって民間支出と経済成長を
促そうとしていた。「貧困に対する戦争 the War on Poverty」が始まった時でさえ、ジョンソン政権は
民間部門支出戦略を選好し、1964年、次いで1965年、さらには1966年と減税案を通過させた。民間部門支出
(とりわけ投資)を奨励することで、政策立案者たちは総所得を刺激することを目指した。ケネディ政権と
ジョンソン政権が戦後、経済成長に成功し、1960年代半ばには一時的には失業率を引き下げることにも成功した
(これはしばしば合衆国経済の「黄金時代」と呼ばれる)にもかかわらず、政策立案者たちは「経済を
スラック状態から持続的な完全雇用へと動かすのに十分な政治的手段では、完全雇用を持続するためには
十分ではない」“policy weapons which are sufficient to move an economy from slack to sustained
full employment are not sufficient to sustain full employment”(Minsky 1971, 28)ことを
理解できなかったのである。需要刺激策によって経済を完全雇用近傍にまで持ってゆくことができるとしても、
そのポジションは持続不可能であろう。なぜならそれが金融不安定性とインフレーションを導くリスキーな
行為を奨励することになるだろうからである。

ミンスキーによれば、この「ケインジアン」アプローチは投資を刺激し、そしてインフレーションが
発生するまで成長させると、次にはインフレーションと闘うために成長率を引き下げる政策を用いることになる。
というわけで、たとえ過熱期に失業率が低下したとしても、停滞期には元に戻るだろう。他方、金融脆弱性は
傾向的に悪化し、金融危機が繰り返されシステムにはストレスがかかるだろう。政府が危機を
改善しようとして介入すれば、ただ、よりリスクテイキングな行動を奨励するだけである。言い換えれば、
こうした政策戦略はインフレーションばかりでなく金融脆弱性も促進する方向へ寄って行ってしまうだろう。

ミンスキー自身のインフレーション理論は1986年の著作および、新しい著作のため、手を加え続けていた
一連のワーキング・ペーパーで展開された。簡単に言うと、ミンスキーはケインズの、需要増加の
インパクトはそれが向けられる場所に依存する、という『一般理論』の議論を受け入れていた。
ケインズは、需要の増加に対する産出の弾力性は部門ごとに様々であり、一方の端のゼロ
(価格が上昇するだけ)から1(産出量が増加するだけ)まである。ここに、ミンスキーは
変形カレツキー利潤方程式を付け加える。すなわち、集計的レベルでは、物価は消費財部門の賃金額に
マークアップを上乗せしたものでなければならず、それによって総利潤をもたらす余剰が
保証されなければならない。

従って、他のすべてを同一とすると、投資、政府支出から租税を差引したもの、純輸出、ある
いは利潤からの消費支出が高くなると、マークアップ価格は必ず高くなる。賃金からの貯蓄が
高くなれば、マークアップは減少する。投資、政府赤字、対外経常収支黒字、あるいは利潤からの
消費支出が時とともに上昇するようだと、これによってインフレーション圧力が高まる
(賃金からの貯蓄が増加すればこの圧力は弱まる)。インフレ圧力は、労働生産性の上昇によって
軽減される。ミンスキーの見解では、60年代後半から70年代全般にわたるインフレーションの高騰は
これらの要素の結びつきに起因するものであった。高い投資を促進する政策、同様に非生産部門
(軍事、福祉、社会保障)へのより大きな政府支出、この両者は集計的マークアップを引き上げ、
同時に、生産の弾力性が低い部門(組合の組織率が高く、価格支配力の強い先進部門)における
需要の増加を引き起こすこととなる。[30]というわけで、政府支出のインフレ的インパクトは、
どこに支出が向けられるか、あるいは大きな需要を享受できる部門の制度的構造といった様々な
要素に依存するのである。これはケインズのアプローチでもあり、同時に制度学派のアプローチでも
あった。そして時間とともにそして経済的な位置づけによってもこうした関係性は変化するだろう。

ミンスキーは機能的金融に対する初期の考え方を変化させたが、それは経済が進化したからである。
政府予算の立ち位置が変わるとき、そのインパクトは経済の、複雑で非線形的なダイナミクスに
依存するだろう。60年代後半までは、こうしたダイナミクスは金融脆弱性の進展とともに、巨大企業と
労働組合による大きな市場支配力を含んでいた。大規模な赤字によって高い利益がもたらされると、
経済は急激な拡張の影響を受けやすくなる。同時に政府支出のパターン――多くはより先進的な部門と
移転支出とに向けられる――もインフレーション的バイアスを産み出すだろう「巨大政府」と
「巨大銀行」によって収縮リスクからも守られ、こうした先進部門における賃金と価格は上昇する
だけであろう(ラーナーもまた理解していた)。

ミンスキーが好んだ解決方法とは修正マネタリズム政策へ向かうことではなく、
政府支出の構成を、インフレーション圧力に責任のあるこうした先進部門の賃金と価格についての
制約と、結び付けて調整を図ることであった。彼の政策提案の重要な構成要素は、政府支出の
方向を変え、目標を定めた就業プログラムに向けなおすことで、低賃金層の賃金を引き上げ
(この場合、平均生産性より急速に賃金は上昇するだろう)、高賃金層の賃金を抑制する
(平均生産性の伸びよりゆっくり引き上げる)ことを唱えた。もちろん彼は、脆弱性を高めることを
抑制するための様々な改革も唱えていたし、同時に常に、金融改革には終わりがあり得ないと
警告していた――金融構造が進化するなら、規制と監督も進化しなければならない。

ラーナーは機能的財政の単純化バージョンではミクロレベルのインフレ圧力が無視されていることを
知ってはいたが、カレツキー方程式のマクロ経済的含意は拒否した(彼にはこの方程式は、
どちらからでも読める思われた)。その点は金融不安定性の含意についても同じである(彼は
マクロ政策が適切であれば否定的結果に対処できると考えた)。ラーナーであればインフレーションを
縛るために、貨幣創造に対するコントロール(Fedの手によって)と市場で売買できる
インフレベース賃金引上げの許可証の発行(発行数を限定する)とのコンビネーションを使うであろう。
これは基本的にマクロレベル政策アプローチに留まっている。


CONCLUSION 
結論




ラーナーは自分自身の初期の見方を棄却したが、その結果、需要管理は貨幣政策に
ゆだねられるべく、中央銀行の下に置かれるべきだと論じることになった。彼は、
政府支出の増加はどこかほかの支出の削減によって相殺されることが必要だと論じた
――ほかの政府支出を減らすということもあり得るが、それよりは彼が推奨したのは増税によって
民間支出を減らすことであった。皮肉なことだが、ラーナーは機能的財政を、均衡予算の
健全財政アプローチに置き換えたのである――彼が懸念したのは政府の資金不足ではなく、
インフレーションへの影響であった。彼は財政赤字ハト派の立場さえ超えて、不況期においてすら
もはや財政拡張を主張しなくなっていた――貨幣政策だけで経済のステアリングは回せると論じたのだ。

ミンスキーもある程度同じラインに沿って議論を展開した――彼もまた移転支出や金利支払いは
「非効率」であるため、財政政策が赤字に偏りすぎれば、その債務がインフレーションを
加速するかもしれないことの恐れを抱いていた――、ただし、ミンスキーは制度的現実により
根拠を持っていたし、そしてFedが貨幣供給コントロールを通じて「需要管理」に責任を
持つべきだなどと主張したことは一度もなかった。

彼らは両者ともなぜ単純なバージョンの機能的財政論を放棄したのか?筆者は理由の一つは
1960年代から1980年代の加速するインフレ時代を生きた人々には経験によるトラウマが
あったことだと思う。ラーナーは機能的財政をある種の賃金物価統制(売買可能な、賃金・
価格引上げ「許可証」)とマネタリズムのコンビネーションに置き換えた。どちらも
「マクロ的」に適正になる(物価や賃金上昇の適正な額、新規貨幣注入の適正な額)を
得ることに依存しているのであるが、しかしそれが「ミクロ的」適正であるためには市場の力に
依存するのである。

ミンスキーは政府の支出全般よりは、目標を絞ることを重視しており、特に、
インフレーション抜きに完全雇用を達成し、賃金を引き上げ所得平等化を促進するため、
エンプロイヤー・オブ・ラストリゾート・プログラムの利用を提唱した。彼が推奨したのは、
追加的な政府主導政策(金融規制・監督強化、投資の社会化)であり、見えざる手を
信頼することではなかった。ミンスキーにとって、経済の制度的構造とは個人が機能する
場面設定を決定するものであった。ミンスキーは常に、政策が効率的であるには、行動の変化
――これにはこうした場面設定への効果的な調整が必要になる――を引き起こすことが必要だと
論じていた。経済的結果を変化させることが目標なら、マクロ経済構造をそのまま経済システムの
制度的構造を変化させることなしに数字だけを引き上げようとするのはナンセンスである。
ラーナーの提案(従来のケインジアンやマネタリストも同じだが)は矛盾した制度的構造に
手を付けず放置したまま、結果が変わるのを期待している。それは、しばしば(明らかに
間違いなんだけれど)アインシュタインに帰せられている狂気の定義と一致する。「狂気とは
同じことを何べんも繰り返しながら違う結果が出ることを期待することである。」ミンスキー(1996b)の
論じるとおり、


筆者はヘンリー・サイモンの立場を受け入れている。
経済政策の目的とは狭い意味で経済的なものではない。政策の目的は、
開かれた自由な社会の文化、そして文化的基準を維持するための
経済的前提条件の存在を確実なものにすることである。不確実性や
極端な所得の不適切な分配、そして社会的格差が増幅され、民主主義を
支える経済が衰弱するのであれば、そのような状況を作り出す市場の行動には
制限がかけられなければならない。民主主義を脅かす不確実性を封じ込めるため、
市場の効率性や集計的所得がごく一部断念せねばならないのであれば、
そうすべきだ。とりわけ、民間の所得を社会的に給付される所得で補い、
文化的態度と文化的責任を促進することが必要である。


ラーナーとは異なり、ミンスキーはどのような政府支出を増やすためにであっても、
租税を引き上げることは推奨しなかった。実際、彼が推奨し続けていたのは、予算を
反循環的に変動させることで、集計的需要の変動を封じ込める一助にしようということで
あった。したがって、彼は財政政策の安定化の役割を放棄しなかった。ただし、
キーワードは「安定化」である――彼は、予算が安定化の役割を果たすためにあまりにも
赤字に偏りすぎるようになることを懸念していた。他にも彼が懸念していたことは、
予算が移転所得(金利支払いなど)に偏よることで、安定化を果たす能力が減じられて
しまうばかりか、非効率的な支出にばかりに偏ってしまうのではないか、ということであった。

特にレーガン時代の後、彼は経済の資本発展を懸念していた――政府支出も民間金融部門の
急速な成長も生産能力を増加させるための長期的投資を促進していない。彼の懸念は、
合衆国の対外収支が赤字に転じ、そしてそれが慢性化し増加する一方になったことで
複雑化された。この様に彼はインフレだけでなく、ドル減価の可能性も恐れていた。
こうした懸念も(アジア通貨危機の後のドル準備に対するほぼ無限とも言いたくなるような
需要があったことを考えれば)大げさに思われるかもしれないが、国内経済の資本発展及び、
長期停滞の可能性に関するミンスキーの懸念は、依然として重要性を持っている。

ミンスキー(1965、183)は「財政支出、財政赤字、簡易な資金調達…に対する不合理な偏見」は
無視されなければならない、と、長々と警告する一方で、法律的な障壁は考慮しなければ
ならないことも認識していた。「経済的諸勢力は、政策目的がこうした諸勢力と矛盾していたり、
たとえ原理的には達成可能であっても、プログラムに説得力がなく不必要な障害と衝突しながら
進めなければならないとしたら、プログラムをダメにしてしまうかもしれない(Minsky 2013)。
そのようなプログラムを無力化しうる経済力の1つはインフレである。彼はこう論じる。
「政策的問題とは、タイトな完全雇用を」を「物価や賃金のインフレーション的上昇なしに」
達成し、持続することである(Minsky、1972)。だがミンスキー(1965)の反貧困キャンペーンでは
「貧困ライン近傍の、あるいはそれを下回る人たちの賃金を急速に引き上げる」ことが
求められていた。彼は、この種の政策にはインフレーション的バイアスがるかもしれない、
ということを認識していた。特に低賃金労務者層の生産性(時間当たり産出高)の上昇が賃金と
歩調を合わせるのに失敗すればそうなるであろう。

全般的物価水準をそれなりに安定させるためには、ほかの財サービスの価格上昇を封じ込めなければ
ならないだろう。ミンスキー(1965,186)で示唆されているのは、高賃金産業においては
賃金上昇率は「その労務者の生産性の上昇率より低くなければならないだろう」。企業が
ただ自分たちの利潤を引き上げるだけで終わらせるのを防ぐために必要なのは、「しばしば
寡占的でもあるこうした産業のマネージャーたちが、単位費用の低下を顧客に知らせざるを
得ないようにする」確実な状態を作り出すことである(Minsky 1965, 183)。このように彼は
「効果的な利潤・物価制約はタイトな完全雇用を達成するためには必要になるだろう」
(Minsky 1972)と論じた。ミンスキーが恐れていたのは、インフレーション圧力を封じ込めることが
できなければ、「完全雇用の政治的人気」が損なわれるであろう、ということだった
(Minsky, nd 55 [※“nd”とあるが、”ib”(前出)か何かの間違い?])。

とはいえ、インフレーション封じ込めは今日のグローバル経済ではそれほど懸念されていない。実際、
ミンスキー及びラーナーのインフレーションに対する懸念は古臭く見える。第一に、数多くの国が
国内需要を抑制して貿易黒字にしようとしているため、世界中でデフレーション圧力が大きく
なっている。合衆国は世界中の「超過」生産物に対する需要を提供するように求められているようだ。
最も重要なのは多くの世界的輸出国はかなりの低賃金国でもあり、これによって世界的に物価低下が
継続している。これが意味しているのは、合衆国の企業は大きな価格競争に直面している、ということで
あり、それゆえ相対的に急速な成長でさえ――クリントン時代そしてGFCに先立つ数年間に
経験されたとおり――、大きなインフレーション圧力を産み出すことはないのである。

第二に、技術進歩および貿易制限の撤廃によって海外との賃金競争が高まり、低失業率が
賃金物価スパイラルを生み出す可能性が減じた。実際、1970年代中葉以来、合衆国の問題は、
平均賃金の上昇が労働生産性の伸びより大幅に低かったことであった――その理由の一つが
生産のグローバル化である。こうした競争圧力のため賃金上昇率が生産性の上昇率の範囲に
とどまって限り、物価圧力は緩慢なままであろう。ミンスキーとラーナーは1960年代後半に
始まった高インフレーションに強く影響されているが、今日であれば、その見方を和らげようと
思ったかもしれない。我々は機能的財政の強いバージョンに対する拒絶については、ある程度、
当時の高インフレーション時代の文脈で考えなくてはならない。

ミンスキーが論じた最後の制度的障害は、為替レート体制に関わっている。ミンスキーの貧困政策に
関わる論文の多くは1960年代から1970年代初頭に書かれている。合衆国の政策が固定為替レート制の
国際貨幣システムによって制約されていた時代である。ブレトン・ウッズシステムの整合性はドルの
金との交換性に依存していたため、政策立案者は財政・貨幣オペレーションを国際収支に悪影響を
及ぼさないように制限しなければならなかった。ミンスキーの言葉(1965、192-93)によると、

1958年以降については、かなりの程度、ドル本位の必要性によって
国内所得が制約されていた。私たちがタイトな労働市場を持てないのは、ドルに対する
独特の拘束が国際的に存在しているからである。ここでウィリアム・
ジェニングス・ブライアンを思い出しながら、こう語るのがいいだろう。アメリカの貧者に背負わされた
十字架は金でできている、、、。金本位制の障害を解決するのは簡単だ。金本位制をやめればいい。


今日ではドルは変動通貨であり、したがって外貨準備と金準備を守る必要性によって制約されることは
ない。従って、タイトな完全雇用を実現し維持するにあたって第一義的な障害は政治的な意思である。
外国為替体制ではない。そう言ったからといって、アメリカの経常収支が政治的な問題を
引き起こさないということにはならない――大部分の政策立案者は多くのエコノミスト同様、
経常収支赤字を減らす政策の支持者であるといっている。ミンスキーはこの問題についてそう多く
書き残してはいないが、彼が書いたものでは微妙なアプローチが取られている――もし合衆国ドルが
国際的な準備通貨であり続けるなら、ドルは世界中に供給されなければならない。ここに大きな
選択肢が三つある。ドルを供給するため、合衆国が国際融資を行うか、外国資産を購入するか、
経常収支赤字になるという手段である。

金融安定性の立場からは、合衆国の支出のほうが融資よりよい。しかし経常収支赤字は、
合衆国消費者がその消費の資金調達のため、債務に依存するとなると、問題である。確かに、
彼らは国内的であろうと対外的であろうと債務の重荷を負う。1960年代初頭にミンスキーが
論じたとおり、民間主導の拡張は危険であり、そして我々が(GFCの準備段階で)学んだ通り、
それは企業によってであろうと家計によってであろうと真実である。思うにミンスキーなら、
さらにこう論じたのではないか。つまり、財政拡大、それも最低所得層の雇用創造と底辺層の
賃金引き上げに目標を絞った政府支出によるものによって担われた方がよい、と。

いずれにせよ、ラーナーおよびミンスキー両者とも単純な機能的財政の解釈を放棄したことがわかる。
ラーナーの拒絶はミンスキーより先へ向かい、マクロ経済政策を中央銀行の手に任せるマネタリズム的
バージョンを受け入れている。ミンスキーはそれとは異なり、財政政策の責任は十分な集計的需要と
完全雇用の達成にあるとする考えかたにとどまり続けた。ただし、彼は、物価を制約し
金融を安定化させる政策とともに、目標を絞った支出を推奨した。彼の推奨する政策がラーナーのものより
曖昧であり、しばしば言うことが変わっているというのは事実である。思うにこれは、
現代資本制システムが著しく複雑、非線形、そして動的なものであり、政策立案者はそれを
コントロールする可能性についてそれほどはっきりした確信を持てるはずがない、とする彼の考え方を
反映している。彼が常に認めていた通り、彼の金融不安定性の立場は最終的には悲観的なものだ。
ラーナーの手紙、そしてジョン・メイナード・ケインズについてのレビューを見ると、ラーナーは
こうした立場を共有していないことは明らかだ。ただし、彼らのやり取りに続く40年間によって、
ミンスキーの資本制経済が基本的に矛盾したものだという見解の妥当性が示されたと思われる。


脚注

29 フォースターは、特に、三つの独立した行動を数学的に関係を特定することをケインズが拒絶した点を
指摘した。ケインズの説明は、動的で、一般的で、そして「オープン」であった――「一般性を達成するには、
所得を三つの独立変数の間のありうる関係の全領域のの一時で偶発的な結びつきとして特定することである。
この理論はあらゆる状況に等しく適用可能なので、あらゆる消費性向、資本の限界効率、利率の間の関係の
あらゆるパターンに適用できる。Foster(1981b)として出版された関連する1966年の論文も参照のこと。

30 これらのことはすべて、Minsky(1982)で詳細に論じられている。



REFERENCES

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