知的障害者としては日本で初めて
「他人介護料厚生大臣特別基準」を認定されたのが、
どうしてHideだったのか?
そう考えてみるとき、いくつかの要因が思い浮かびます。
現実には、いまHideの生活を担っている
≪自立生活センター≫の存在が最も大きいだろうと思います。
20年ほど前に『自立生活センター』を立ち上げたSさんと、
地域での自立生活の実績を積み上げてきた
多くの「身体障害」をもつ先輩たちの実績、
そして今のK2を支えているすべての人たち。
そうした、地域の自立生活を支えている人たちの存在と同時に、
私は、やはりHideが自分で歩んできた「ふつうの生活」の大きさを思います。
「普通学級のよさは、子どもが学校を終わってから、
大人になってからの方がよくわかる」という言葉を、
何人かの人に聞いたことがあります。
そうした言葉を話してくれるのは、
子どもが学校にいる間、誰よりも苦労した人たちでした。
子どもの「障害」から受ける印象も、
小学校に上がる前と大人になってからと、
ほとんど変らないように見えるタイプの「子ども」たちでした。
年齢と共に、こんなことができるようになったとか、
成長と共に言葉が増えたとか、そうした話とはほとんど縁がなく、
だから、学校にいるときには、
「ここにいても意味がないんじゃないか」
「この子のためには、もっといい場所があるんじゃないか」と、
最も多く思われ、言われてきた子どもたちでした。
多分、発達テストとか言語のテストをすれば、
その数値は3歳も20歳もほとんど変らない数値になるのでしょう。
それは、その子どもたちが「発達」「成長」していないのではなく、
そうした子どもたちの成長を図る能力のないテストを
一生懸命発明してきたからにすぎません。
子どものそばで暮らしてきた人や、
いっしょに育ちあった子どもたちには、
あまりに分かりきったことでも、専門家には見えません。
それは専門家が、「目に見えない」ものを見る教育を
受けてこなかったからに過ぎません。
「普通学級のよさは、子どもが学校を終わってから、
大人になってからの方がよくわかるのよ」
私も初めて聞いたときには、「そんなものかなぁ」と感じただけで、
よく分かってはいませんでした。
でも、同じような言葉を何回か聞くうち、
「そういうもんだよなぁ」と思えるようになりました。
それは何より、子どものそばにいた「年月」のおかげです。
その時々の子どもだけを見ても、分からないことが、たくさんあるのです。
そうして、いま、Hideが、今まで誰も手にできなかった
「特別基準」の認定を勝ち取ったことを考えるとき、
Hideの歩んできた道にはいくつもの「決断」を勝ち取った足跡が見えます。
今回のHideが手にしたものの意義を考えているとき、
Hideが高校に入るときに関わった人たちのことを思い出しました。
なかでも、県教委の指導課長だったFさんとYさん、
そして高校の校長のAさんの顔が浮かびました。
「0点でも高校へ」と言い、障害児が高校に行くことは「当たり前」
のことなんだと口にしてはいますが、
私たちの求めていることの「非常識扱いされる現実」は、
私たちが一番よく知っています。
また、同じ「障害児」と言っても、
言葉を話すかどうかでさらなる差別があります。
「点が取れない」のは同じでも、勉強以上に、
日常的につきあうことが難しそうな子どもはやはり露骨に嫌われます。
そうした意味でも、Hideは、かなり難しいタイプでした。
入試の日にも学校で大立ち回りを演じ、
職員会議ではその高校の先生たち全員が入学に反対しました。
そうした中で、ひとり校長の判断で、合格できたのです。
その校長の存在は、Hideの歩んできた道のなかで
ひときわ大きなことだと、今回改めて思います。
もちろんその校長に理解を求めて話し続けてくれた
教育委員会のF課長とYさんの存在の大きさも同じです。
私たちはHideが高校生になることは
「当たり前」のことだと信じていますが、
現実に今の教育行政や学校現場のなかにいて、
しかも職員全員が入学に反対する状況のなかで、
Hideを受けとめることは、やはり大きな仕事だと思います。
その組織の中で、
長年の慣行や決まり事の枠の中で仕事をしている人が、
それまでとは全く違う一歩どころか
10歩くらい踏み出した決断をするのは、
やはり理解と覚悟の必要なことなのだと思います。
そして、そのことはHideという一人の人間の一生に、
こんなふうに影響してくるのだと思い、
改めて感謝と尊敬の気持ちを抱きました。
世の中は、世界は、こうして一歩一歩、あきらめない人の歩みと、
その歩みをきちんと受けとめ評価してくれる人の間で、
切り開かれていくのだと思いました。
今回の認定に関しても、
市や県の誰が、どういう人が、どういう判断で、
Hideの申請を国に上げてくれたのか。
そして、厚生省の誰が、どういう人が、どういう判断で、
Hideの申請を認めたのか、
詳細はまったく分かりません。
でも、その一つ一つの過程に、
厚い壁のある場所毎に、
何らかの理解と受けとめる気持ちのある人間がきっと
そこにはいたのだということは分かります。
この社会には、ちゃんと道理と、希望が残っているのだと思います。
たとえ、不可能だと思うことでも、言い続け、動き続け、
信じ続けるなかで、新しい道は拓けていくのです。
最新の画像もっと見る
最近の「ワニなつ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- ようこそ就園・就学相談会へ(521)
- 就学相談・いろはカルタ(60)
- 手をかすように知恵をかすこと(29)
- 0点でも高校へ(405)
- 手をかりるように知恵をかりること(60)
- 8才の子ども(165)
- 普通学級の介助の専門性(54)
- 医療的ケアと普通学級(94)
- ホームN通信(105)
- 石川憲彦(36)
- 特別支援教育からの転校・転籍(48)
- 分けられること(69)
- ふつう学級の良さは学校を終えてからの方がよくわかる(14)
- 膨大な量の観察学習(32)
- ≪通級≫を考えるために(15)
- 誰かのまなざしを通して人をみること(134)
- この子がさびしくないように(87)
- こだわりの溶ける時間(58)
- 『みつこさんの右手』と三つの守り(21)
- やっちゃんがいく&Naoちゃん+なっち(50)
- 感情の流れをともに生きる(15)
- 自分を支える自分(15)
- こどものことば・こどものこえ・こどものうちゅう(19)
- 受けとめられ体験について(29)
- 関係の自立(28)
- 星になったhide(25)
- トム・キッドウッド(8)
- Halの冒険(56)
- 金曜日は「ものがたり」♪(15)
- 定員内入学拒否という差別(99)
- Niiといっしょ(23)
- フルインクル(45)
- 無条件の肯定的態度と相互性・応答性のある暮らし(26)
- ワニペディア(14)
- 新しい能力(28)
- みっけ(6)
- ワニなつ(351)
- 本のノート(59)
バックナンバー
人気記事