子どもたちからの贈りもの
初めての定時制高校で生徒からもらった贈りもの。
それは、子どもの人生への敬意を忘れない教師でいることだった。
一人ひとりに、私の知らない人生があり、私がどれほどたくさん学んでも、どれほど耳を傾けても、何度生まれ変わっても、追いつかない物語があることを最初に教えてくれたのは、彼らだった。
障害のある子が教室にいる、というありふれた当たり前。
目の前の世界と自分の運命をありのままに「受け止める」世界。
それは特別なことじゃなく、一人ひとりの子どもにとって、ふつうに受け入れなければいけない世界があるということ。
それを、ふつうに教えてくれたのも、初めての定時制の生徒たちだった。
あの場所には、お互いに、共に、ここに、いる、運命に対する共感があふれていた。
(その時には、自分の目の前に広がる宝物の山に気づいてはいなかったけど。)
その贈りものが、いまの私を「支えてくれる」。
「助けてくれる」。
子どもたちからもらった無数の共感と「ノームのトランポリン」に囲まれている。
だから私は怖れないでいられる。
子どもを助けられないかもしれない怖れに縛られないでいられる。
誰にも、どうしても、助けられないことやときが、ある。
だからこそ、大丈夫、必ず助けるから、守るから。という声を子ども時代に届けることが大切になる。
その声が聞こえれば、手が届かないときにも、「誰も助けない」怖れからは、助けられる。
お互いに。
お互いに共に、助けられる。
そういう、共に助け合う声、人と人のつながりを私たちは探したい。
大事にしたい。
助けるとは何か。
お互いの人生への敬意を確認し合うこと。
助けるとは何か。
敬意から生まれる贈り物は、10年後にも30年後にも何度でも届くということ。
生きていくかぎり何度も届き、たとえ生きられないと分かってもなお届く。
今までに、私が子どもからもらった贈り物。
それは、子どもの人生への敬意を忘れない大人になることだった。
「おれも、いい人になれるかな」
声がきこえる。
「まだ、間に合うかな」
小6のクソガキだった。
鍵のかかった二重扉の向こうの一時保護所で、その子と出会えたのも、定時制での贈り物があったからだ。
クソガキだけど、いいところもある。
かわいげのない子ほど、そう思える機会は少ない。
その瞬間、その一瞬だけでも、それを素直に認められる自分でいられるか。
大嫌いなやつに、素直になれるか。
それだけで、つながる糸もある。
自分でも気づかないまま、持っていた私の宝物。
彼が見ていたのは、私が気づかずに持っていた、その贈り物たちだったと、いまおもう。
私がすべての子どもからもらった贈り物。
それは、子どもの人生への敬意を忘れない大人になることだった。
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