ワニなつノート

「膨大な量の観察学習」について (1)


「膨大な量の観察学習」について (1)


先日、isizakiさんが「≪主体≫と≪私≫はどう違うのか…」という
難しいコメントを入れてくれたので、
なんとなくそのことがいつも頭の隅にあります(>_<)

自分なりの理解の仕方を書いてみようかと思ったのですが、
これがそう簡単ではありませんでした。

それについて「気になっていたこと」が、
いくつも浮かんでくるのです。
要するに、自分でもよく分かっていないようです。

でも、いい機会なので、思い出したことを書きとめておきます。

まず、すぐに思い出したのは、
浜田寿美男さんの『「私」とは何か』という本です。


[意味世界の成り立ち]

【私たちの世界は意味で満たされている。

しかし、その意味のうち、生まれたそのときから
生得的なかたちで与えられていたものというのは、逆にほとんどない。

…生まれてのちこの世の中でさまざまのことを経験する。
意味世界の形成がこの経験によることは明らかである。

問題は、どのような経験の質が、
意味世界の形成の核を担うのかということである。

しかし意味世界の形成を論じようとするかぎり、
他者との関係、
また他者を介したものの体験を除外することはでいない。】



……などなど、自分でもよく分からないまま、
本に赤い線が引いてあります。

その中で、今回、私が言葉にできると思ったのは、
次の「三項関係」の説明でした。

[三項関係]

【たとえば鉛筆を与えられた赤ちゃんは、
一人で使っていろいろやっているうちに、
芯を紙の上におしつけてこすれば、
そこに黒い線が描かれてくことを知るようになるかもしれない。

しかしそれは、ものの物理的な意味にとどまる。

問題は、鉛筆が絵を描き、あるいは文字を書いて、
何かを人に伝えるコミュニケーションの道具になるということである。

つまり鉛筆というものが、
人どうしの作りあげる関係世界のなかで位置づいて、
そこで帯びる意味がある。

その言わば社会的、あるいは文化的な意味こそが、
ここでの意味世界形成の軸をなすのである。

この初期の交わりは、
他者《に対して》何かを《伝達する》といったていのものではなく、
他者《と》経験を《共有する》といったふうな交わりである。】



この部分を、自分なりに翻訳すると次のようになります。


≪ヤスのえんぴつ≫ または、≪ワニなつ的三項関係≫


ヤスの机に細長い棒がおいてある。
手に取ってみると、小さなクマの顔がいくつも見える。
となりの席のミホちゃんがいつも使っているものだ。
ヤスは口に入れてかんでみる。かたくて何の味もしない。
ヤスは思う。
「クマの棒か。食べられないな」


よく見ると、クマの顔はいろんな表情をしている。
笑っているクマ。驚いているクマ。困っているクマ。
眠っているクマ。泣いているクマ。叫んでいるクマ。
さわっているうちに、棒のはしっこがとんがっているのに気づく。
指で押すと、チクっとする。
「痛いもんだな。食べられないし」

机の上で棒をひっぱると、黒い線がつく。
何度もこすると、黒い線がどんどん増えていく。
「よごれちゃうな。たべられないし」

でも、いくつも線をつけて、グルグル回してみるのも楽しい。
マルをいくつもつくると、クマの顔みたいになる。
「けっこうたのしいな。食べられないけど」

そんなふうに、『鉛筆の機能を理解していくこと』は、
一人でもできる。


ミホちゃんが教室に戻ってくる。
「あ、やっぱり、ここに置いてったんだ。
ヤスくん、それあたしの。返してね」

ヤスはミホちゃんが大好きだから、うれしそうに笑う。

ミホちゃんはカナちゃんと一緒に、水色の紙に、
クマの棒で、いくつも小さな丸い線をつけている。

それから、クマの棒をおいて、水色の紙をちいさくたたんでいく。
それをもって、先生の机の上の赤い箱に入れる。

しばらくすると、先生が白い紙を
ミホちゃんとカナちゃんに渡している。

ヤスは窓の外のケヤキの枝がゆれているのを見ながら、
横目でミホちゃんの様子を見ている。

ミホちゃんとカナちゃんは、うれしそうにその紙を広げて、
のぞきこんでいる。

ミホちゃんの声がする。
「ミホちゃん、カナちゃん、おてがみありがとう。
せんせいの誕生日は9月18日ですよ。
星座はおとめ座です。
せんせいにぴったりでしょ。
また、なにか質問があったら、おてがみをください。
まっています。」

「せんせい、おとめざだってー。あたしと一緒だー。」
「ほんとだぁ。ねぇ、こんどなんてかくー」

二人の会話を、ヤスは楽しそうに聞いている。

そういえば、ぼくのランドセルにも棒が入ってたな。
ウルトラマンの棒。
あれも、楽しいのかな。でも、食べられないよな。
そう思いながら、ヤスが筆箱を開ける。
なかはからっぽだ。

朝、玄関でランドセルの中身を全部ひっくり返したときに、
いろいろ散らばった。
そういえば、ぜんぶ拾わなかった。

みほちゃんの声がする。
「ヤスくんも手紙かくの? はい、一枚あげるね」

そう言って、ネコのついた紙を一枚くれる。
「でも、ヤスくん、えんぴつ入ってないよ」
カナちゃんがヤスの筆箱をのぞきこむ。

「じゃあ、これ貸してあげるね。あとで返してね」
ヤスが手に持って、口にくわえようとする前に
ミホちゃんの声が聞こえる。
「食べちゃだめだよ」

仕方がないので、ヤスはそのネコの紙に、グルグル線をつける。
「あんまり、おもしろくないな。食べられないし」

ミホちゃんが紙をのぞきこむ。
「もう書けたの? じゃあ、ポストに入れにいこ」
ミホちゃんとカナちゃんに手をひっぱられて、
ヤスは先生の机まで行き、ネコの紙を赤い箱に入れる。


家に帰って、ヤスのお母さんがランドセルを開けると、
連絡帳に、明日の持ち物の紙といっしょに先生の手紙が入っている。

「ヤスくん。おてがみありがとう。
きょうはミホちゃんとカナちゃんとあそんでいましたね。
あしたのきゅうしょくは、ヤスくんのすきなチキンですよ。」

お母さんは首をかしげながら、ヤスに聞く。
「ヤスー、あんた、手紙なんか書いたの?」

ヤスは冷蔵庫からりんごジュースを出してコップに入れている。
「もう、またこぼしてるー。
やってあげるから、ちょっと待ってなさいって」

そう言いながら、お母さんはふきんを取りにいく。
ヤスはりんごジュースでびしょびしょになった先生の手紙を
ゴミ箱に捨てる。

それから、自分の部屋に戻り、
お母さんが玄関から拾っておいたウルトラマンの鉛筆を見つける。

「クマの棒の方がいいな。食べられないけど」
そう思いながら、鉛筆で連絡帳にグルグル線をつける。

「ヤス、そんなとこに書かないの。ヤスのノートはこっちでしょ」
お母さんに怒られながら、ヤスはノートにグルグル線をつける。

「明日はチキン。食べられるチキン」
ヤスはうれしそうにえんぴつをくわえる。

(おしまい)



【この初期の交わりは、
他者《に対して》何かを《伝達する》といったていのものではなく、
他者《と》経験を《共有する》といったふうな交わりである。】

コメント一覧

ishizaki
『主体』のこと忘れていなかったのですね。
主体って、日常生活では使わない言葉なのでこれからどんなふうに話が膨らんでいくのか楽しみです(^-^)

この『ヤスのえんぴつ』は、高度な交わりだな~と思いました。
うちの子には、できないな。
まだまだ、自分自身の体をとおして他者と交わりができるかな…って感じでしょうか。
yo
うーん。
授業参観、爆睡かーー。
さすがやっちだなぁーー。

でも、授業中に居眠りできるところも、
普通学級のいいところだよね。

「個別指導」じゃ、ゆっくり寝てられないもんな。


ちなみに、今回の「ヤスくん」はフィクションであり、実在のやっちゃんとは別人です。


やすハハ
最後までこれを読んで、昨日の授業参観のヤッチを思い浮かべたら、笑っちゃいました。
楽しいことがないとみきって、爆睡してました。6年間で膨大な量の観察が終わるとこうなるんでしょうか~。
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