ワニなつノート

《いるだけでいい》(その1)

 
国連・障害者権利委員会による「日本への勧告」が出た。
それから「インクルーシブ教育」についていくつかの記事を読んだ。その中で強烈な違和感を感じる言葉がある。
「ダンピング」。
 
たとえば、『何の工夫もなく「一緒にいる」ことは「インクルーシブ教育」ではない』という。
そこまではまぁいい。
しかし、
【障害のある子どもが通常の学級において何の工夫や配慮もされていない状態は投げ捨て(ダンピング)とも呼ばれ、これまで多くの批判がなされてきた。】と言われると、「ん?」と思う。
 
これは、誰に言っているんだろう?
 
「批判」したのは誰で、批判されたのは誰か?
 
【学校のあり方を見直さず、必要な工夫もされずに、同じ場に放り込まれる(ダンピング)状態は、むしろ差別を助長する可能性がある】
 
      □
 
批判されてきたのは、私(たち)だった。
 
「ダンピング」を「いるだけでいいのか」と置き換えれば分かりやすい。
「それは理想だが、条件整備がない状態では無理」も同じ。
 
私(たち)を批判してきたのは教育委員会や学校の教師だった。
「工夫し、配慮する役割」の人たちが、それを放棄し「ダンピング」でいいのか?「いるだけ」でいいのか? と脅してきた言葉。
 
それが「ダンピング」という言葉ではなかったか。
結果として今も、「分からない授業はかわいそう」と言われ続けている。
 
ふつう学級にいる子どもを「投げ捨て」「放り込まれる」という言葉で語る人を、私は一ミリも信用する気にならないな。
 
(つづく)
 
 
 
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