ワニなつノート

感情の記憶(その1)

感情の記憶(その1)


理解とか、守るとかいう言葉を、大人は使うけれど、
子どもたちの一人ひとりが、
どんなふうに、出会う人を受けとめているか。
子どもの立場で考え、感じるということは、どういうことだろう。


感情の記憶だけが記された年表が、私の中にある。
どんな出来事があったかではなく、
どんな感情があったかが、記されていて。
ある子どもの話を聞くと、自分の中の感情の記憶が、
そのとき、私に起こった出来事を思い出させる。
出来事がそのときの感情を、思い出させるのではない。
その逆だ。

同じ感情、同じ思い、
それにだけ反応するセンサーがある。

感情の記憶。
気配の記憶。
家とは、家族とは、子どもの最初の気配の感覚をつくるところ。

感情の記憶の呼び出し。
気配の記憶の呼び出し。

呼び覚まされる、感情の記憶。
揺り起こされる気配の感覚。


たとえば、この子は、初めて出会う「その人」の
何に反応するか。

顔、声、身長、体重、髪、目、表情、
笑顔、年齢、性別、職業、関係、

その人が、何に反応するか。
その人が、何を大事にするか。
その人が、どんなふうに笑うか。
その人が、どんなことで笑うか。
その人が、どんな声で話すか。

その人が、気にするものは何か。
その人が、表情を曇らすのは何か。
その人の気持ちが、遠ざかるのは、何にか。
その人の気持ちが、近づくのは、何にか。

その人は、わたしの中の何に、興味があるのか。
その人は、わたしに、何を求めているのか。

その人は、わたしが何をすれば、喜ぶのか。
その人は、わたしがどんな気持ちの時に、いちばん笑ってくれるか。

その人は、わたしの気持ちの揺れに、
どれくらい、敏感なのか。
その人は、わたしのやれること、
できることにどれくらい敏感か。
その人は、わたしの我慢していることに、
どれくらい敏感か。
その人は、わたしの怒りに、どれくらい寛容か。
その人は、わたしの意思に、どれくらい寛容か。
その人は、わたしの希望に、
どれくらい、喜んでくれるか。
その人は、わたしのゆめを、どれくらい、抱きしめてくれるか。

その人は、わたしのさびしさを、どれくらい見守ってくれるか。
その人は、わたしの涙を、どれくらい泣いてくれるか。

その人は、わたしがここにいることに、
どれくらい支えられているのだろうか。

その人は、わたしの存在に、
その人は、わたしと出会ったことに、
ここにいっしょに、生きていることに、
その人は、わたしといまを生きていることを、
いきる喜びに感じてくれるだろうか。

こどもはきっと、こうしたことを、
言葉で考えたりはしない。
ただ、感情の記憶は、そうした場面で感じたものでつながっている。


私が生きて、ここまでくる途中で、出会った子どもたちは、
みんなだれも、私の人生でかけがえなく宝物だった。
いま、それ以上の、よいものを、思い出すことができない。
同じ時代に生まれて、そこにいてくれて、
わたしと出会って、話して、笑ってくれて、
話をきいてくれて、自分の物語を教えてくれて。
走馬灯のように、一人の子どもの笑顔に、
ことばに、涙に、感謝し、目を閉じる。
人生の最後の日まで、その子どもの笑顔が、声が、
わたしに話してくれた言葉が、
わたしの人生の日々を豊かに照らし続ける。
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