この子がさびしくないように(その14)
《「母親」としてのパールバック》
私がこの本でもっとも違和感を感じたのは次の場面です。
□ □ □
校長さんは、子供たちに五、六分の間、中国の子供たちについて
話をしてもらいたいと私にたのみました。
子供たちの中には話のわかる子供もいるからということでした。
…人生には、長い年月の間に起こったことの意味が、
一瞬のうちに結晶するような瞬間がごくまれにはあるものです。
あの講堂の壇上に立ち、
そして私をみつめている数百人の子供たちの顔を見た時に、
私はそのような瞬間に見舞われたのでありました。
何という心痛がその子供たちの背後にあったことでしょうか。
その子供たちのためどのくらい苦しみ、泣き、
おそろしい失意と絶望におちていった人たちが
あったことでしょうか。
子供たちは運命の虜となって、
死ぬまでその学校にいなくてはならないのでした。
しかも、その子供たちの中に、
私の娘もこれから入ることになっているのでした。
□ □ □
『何という心痛がその子供たちの背後にあったことでしょうか』
私はここに、「子どもたちへの思い」が
表現されていると、読みました。
「死ぬまでそこにいなくてはならない子どもたちの心痛」を
思いやっているのだと読みました。
でも、それは私の願望による読み間違いでした。
「死ぬまでその学校にいなくてはならない」
数百人の子どもたちの顔を見たとき、
パールバックの心と頭のなかを占めたのは、
「子ども」たちの心痛や人生のことではありませんでした。
「背後にある心痛」は、
子どもたちのものではなく、
健常者である「親の心痛」でした。
家族から一人分けられ、死ぬまで隔離される
数百人の子どもたちを前にしても、
パールバックには「子ども」が見えなかったのです。
パールバックには、目の前にいる子どもではなく、
そこにいない親たちが見えたのです。
この本に感銘を受ける人たちにも、
同じように、「子ども」ではなく、
「親たちの心痛」だけが見えるのでしょうか。
先の言葉に続けて、
パールバックはこう書いているのです。
「何という心痛がその子供たちの背後にあったことでしょうか。
その子供たちのためどのくらい苦しみ、泣き、
おそろしい失意と絶望におちていった人たちが
あったことでしょうか。」
やはり、ここに「子どもたちの心痛」への思いはありません。
あくまでも、その子たちが生れたために
「おそろしい失意と絶望におちていった人たち」だけが、
この人の心を動かす関心事だったのです。
その場にいない人たちの悲しみや絶望が見えるのに、
目の前にいる子どもの屈辱や悲しみは見えませんでした。
ノーベル文学賞を手にするほどの「創造力」のある母親に、
それを「見えなくさせる差別の力」とは、どういうものでしょう。
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