ワニなつノート

わたしは、無条件に子どもの側につく(その6)

(08.8.14日のブログです)


伊部さんへ


「受けとめられ体験」から
「受けとめ合い体験」を考えるようになって、
出会ってきた子どもたちのことを、
以前にもましてよく思い出すようになりました。

それと同時に、娘と向き合ってきた日々を思い出しながら、
伊部さんや、たっくんのお母さんたちにもらったものの
暖かさと大きさをあらためて感じています。

よくまあ、これだけたくさんの素敵な親子と、
私は巡り会えたものだと思います。

ことばを話さない子ども、歩くことや食べることも
一人ではままならない子どもを「ふつうに育てる」こと。

その日常には、端から見ているだけで、
こぼれおちる愛情が確かにあふれていました。

どれほどに大事に子どもと向き合い、慈しみ、
ふつうに日々を生きているかを、
私は見せてもらってきたのでした。

例会やキャンプといった場所での、
親の表情やさりげないしぐさ。
そして、何より我が子と同じ障害のある
小さな子どもへ向けるまなざしのやわらかさ。
語りかける声とともに伝わる小さな命への愛おしさ。

その優しさと同じ目と声と表情で、
子どもに対する理不尽な扱いには、
どんな相手であっても屈することなく、立ち向かう人たち。

願いが叶わなくても、思いが届かなくても、
あきらめることなく、投げ出すことなく、
ただまっすぐに歩き続ける人たち。

その世界のすぐそばに、
わたしはいさせてもらってきたのでした。

何より、私が一番多くのものをもらったのは、
その子どもたちが暮らす家の中の気配に触れ、
感じさせてもらった経験でした。

私が幸運だったのは、子どもの家の中の気配、
家族の中で交わされる当たり前のやりとりに、
私自身が「受けとめられることの意味」を
感じさせてもらってきたことでした。

当たり前のことですが、外で会うときと、
その子どもの家の中で会うときと、
子どもという生き物はまったく別の子どもになります。

知ちゃん、たっくん、朝子…。
それぞれの子どもの家の中には、
ふつうの親子、ふつうの家族の暮らしがありました。
そこには子どもが生まれたときから
呼吸してきた世界がありました。

そうしたそれぞれの家の気配と、
子どもたちの顔を思い出しながら、
Yちゃんが亡くなったあとに家におじゃましたときの、
お母さんの言葉をいま思い出します。

いつも静かな子だったから、いまも家のなかに、
ここにいる気がすると…。

そのとき、そこで感じたもの、ことばにはできないものを、
いま私はあらためて感じています。

ふつうの親子、ふつうの家族でいることが、
そこに確かにあって、そのふつうの関係の延長に、
ただふつうの幼稚園生活、
ふつうの学校生活があったのでした。

そうした場所には、「教育」がことさら入り込む余地は
なかったのだと、本当に、今、この瞬間、気づきました。

たぶん、「高校」もただその先に、
ふつうの生活として現れるものだったのでしょう。
そして仕事も。

いまようやく私にわかってくることがあります。
私は、普通学級で生活する子どもたちの手に入れるもの。
それらが誰の目にも見えるものだと、思ってきました。

私自身が、子どものころには
知らなかった世界がそこにはあり、
ただそこに居合わせることができれば
見えるものだと思っていました。

しかし、教育のまえに、私たちは、子どもの生活を、
もっともっと考え、感じなければいけないような気がします。

伊部さんやたっくんのお母さんと出会うことができて、
私は「障害児」とよばれる小さな人たちへの感性を、
「育ち直し」させてもらったのだと、いま感じています。

それは、ふつうの子どもへの感性を、
「育ち直し」させてもらうことでもありました。
そのことを何とかことばにして伝えたいと思っています。

朝子の笑顔、たっくんの笑顔。
康治の笑顔。
そうした笑顔の先には、ひたすら人間的な対応と、
誰に対しても一人の人として受けとめ合う
覚悟をもった人たちのまなざしがありました。

私が、どのような覚悟で、娘と生きてくることができたか。
私と娘の「受けとめ合い体験」を、
根底から守りそだててくれたのは、
一番大事なことを教えてくれたのは、
康治やたっくん、朝子だったと、いま確かに分かります。

娘は、いわゆる障害はなく、
重い病気もせずにここまで育ってきました。

その中で、たとえ娘が、康治やたっくんや朝子のように
障害があっても、NiiがNiiであることに変わりなく、
私とNiiの関係も同じだという確信をいつのときも、
確かなこととして支えてくれたのは、
まぎれもなく伊部さんたちとの出会いでした。

Niiが生まれる前、
そして生まれてしばらくは思っていたことを、
18年たって、いま思い出しています。

伊部さん。
ちょうどお盆だし、うちにもよって
これを読んでいってください。

「ちがうんだよなー。そうじゃないんだよなー」
いつものようにそう言いながら、
寄っていってください。

コメント一覧

mayumi
aiさんへ、
hideの母親です。今、本当に辛い状態の中にいるのですね。私もここに書かれている母ですが、私は、強くないのだよ。強く見えるのは、泣きながらでも譲れないものを譲らないでいたことかな。今だって、泣きたい事いっぱい抱えて暮らしているよ。学校の中では、私も一人でした。
自分は、間違えていないと思って、譲れないことは、譲らないで、子どもの味方でいました。
私と先生たちとの戦いを、子どもたちは、お母さんが子どもの味方だと、思って見てくれていました。だから、頑張れたよ。
答えにはならないけど、・・・aiさん、ひとりじゃないよ。
行けない時は、学校を休ませて、この子が安心していける学校にして欲しいと、せまっていこう。
「ここに居るんだ、みんなと一緒に生きて行きたいんだ。」と学校に考えさせよう。そのことを、子どもたちみんなが見ているよ。
私は、ここで、応援しているよ。
yo
就学相談会でエネルギーを使い果たし、
ようやくちょっと充電して、
就学相談会のことを書いたところなので、
すぐに返信するのが難しそうです。

半分は、「就学相談会を終えて」に
書いたことが返信の中身になるでしょうか。

ただ、わたしの出会ってきた人は、
みんな強くは、ありませんでしたよ。

いま、いっしょにいる会のお母さんたちも、
強くは、ないですよ。

みんな、泣きながら、ですよ。

また、書きます。

ai
孤独なんです。
とても・・・・
どこにいても、いつも最後は、二人だけになってしまいます。
子どもたちの雰囲気も、最近ぴりぴりしていて、○は、教室に入れない日が増えてきました。
だから、「ここにいるのは無理、いない方がいい。」ということではないと思うのです。
子どもたちも介助の先生任せ。
先生が来ないと、○は、教室に一人置き去りにされていることが分かりました。
だんだん、子どもたちも大人の都合に振り回されて、
大人と同じ感覚を受け入れるようになっていくのでしょうか?

不安な○は、介助の先生にべったり。少し騒ぐと、すぐ取り出されているようです。
そうしないでくださいと訴えました。
○が、出たいというのですから。
と、困った顔をしていましたが、一応、解ってはくれました。


私は、ここに書かれている親たちのように、
強くないと。
親は、強くなければ、
子どもを守れない。
あたりまえのことなのに、ひとつひとつの親がのりこえなければならないハードルが高くて、くしの歯が抜けるように、仲間がいなくなる。
支援者がほしくて、訴える声に、耳を傾ける人はいても、仲間にはなれない。必ず言われる「でもね、現実は・・・・。」
こんなこと書きこんだら、叱られそうですね。
でも、ああ、でもなんて、言いたくないですが、
特学にいた頃、いろいろ相談したくて、yo
さんたちのような活動をしている人たちを頼って、電話した時、「ここは、普通学級に行っている親たちの相談室ですよ。」と開口一番に言われ、へしゃげてしまったことを思い出します。
普通学級に行きたくても行けなくて、それでもがんばって、やっと特学に入れさせてもらって。
なのに、そこでも、邪魔者扱いされて。
どこに行っても、孤独・・・
そんな親と子がいることも解ってほしいなぁと思いました。
普通学級に行っている子の親だけの相談室じゃないですよね。すべての子どもたちの相談室ですよね。

こんなこと、もう、十分わかっていることなのでしょうね。
親ならみんな出来れば普通学級に入れたいんです。
そうしたいんです。
私たちのように。

孤独です。
とても・・・
周囲にyo
さんのような人がいてくれたらと心底思います。



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