ワニなつノート

就学相談会の後で… (その1)


就学相談会の後で… (その1)


就学相談会、とりあえず終わりました。
相談会の終わりは、
子どもにとっては「始まり」ってこと。

だから、いつも相談会の後は、
あれでよかったんだろうかと落ち着かなくなるのでした。
でも過ぎたことは、どうしようもなく…。
ただ、就学相談会の後に「残るもの」は
年毎に増えていくのでした(>_<)

何年か前までは、あれも言えなかった、
これも言い忘れたと、後悔ばかりでした。
そこには、「普通学級がいいんだ」
「親の考えを変えさせたい」という
傲慢な思いがあったのだと思います。

いろんな資料や情報を伝えて、
法律が…、権利条約が…、就健は義務じゃないと、
そんな「正しさ」を伝えて、
親の考えを変えようと思ったのでした。

正しい情報を知れば、考えを改めて、
普通学級を選べるのだと、
そんなふうに間違っていた時期がありました。

でも、いつのころからか、
その思いは変わりました。

会の情報や説明を聞いたから、
「普通学級」へと考えが変わったのではなく、
それは、もともと心の奥にあった親の思いだったのだと、
気づくようになりました。

「普通学級にはいれるんですか?」

「普通学級に入ってもいいんですか?」

その言葉は、情報がなかったから、
入れないと思い込んでいたのではありませんでした。

それ以前に、
「この子は障害があるのだから、普通と名がつくものは、
何一つ望んではいけない」と思わされ、
あきらめさせられてきたのでした。

だから、アンケートに、
「今日の話を聞いて、普通学級入れたいと思うようになりました」
と書く人も、本当は話を聞いて変わったのではなく、
もともと抱いていた子どもへの思いに、
正直になっただけなのだと、
そんなふうに思うようになりました。

親にとっては、もともと、どの子もふつうの子でした。
差別だらけの社会が邪魔をしなければ、
どの子も、ただの、わたしのふつうの子どもだったのです。

それを、ふつうじゃない、ふつうじゃない、という扱いが、
この社会にはあふれすぎていて、
親も、そう思い込まされてきたのです。

生まれる前から「出生前検診」、
生まれた直後の医師や看護師の扱い、
一歳半検診などで交わされる言葉、
保育園や幼稚園で、わが子を断られる言葉の数々。
それらすべてが、「あなたの子どもは普通の子じゃない」と、
ありったけ伝えているのでした。

「この子はふつうの子じゃない」という扱いが、
ありったけの豪雨のように、
親を打ちつけているのでした。

くる日もくる日も、そうした雨に打たれ続けていると、
ふと「特別な子ども」という軒下で、
しのげる雨に一息つけるのは、
あまりにあたりまえのことでした。

ここでなら、この子を守り育てていける。
この子が安心して暮らせるのはこの場所以外にないのだと
思わされるのも、無理のないことでした。

そこでしか、子どもに手をさしのべる人に
出会ったことがない。
そこでしか、この子に笑いかけてくれる人に
出会ったことがない。
それならば、この子はここでしか守れないと思うのも
当たり前のことです。

そうして、雨の当たらない場所で子どもを守り育てる日々。
子どもが一歩歩いては喜び、
ひと言ふた言の言葉に涙をこぼし、
子どもの笑顔だけに救われる日々。
降りしきる雨をよけ、子どもを育てることで
せいいっぱいの日が続きます。

でも、ある日、ふとした晴れ間に出会います。

「この子が普通学級に、はいれるんですか?」

「本当に、この子が、普通学級に入ってもいいんですか?」

そう、つぶやいている自分に、驚く瞬間が訪れます。

もともと、そう思っていたのです。
もともと、ただの一人の我が子として大切に思い、
守り育ててきたのです。

だから、私たちは、その思いにうなずくだけでよかったのです。

「みんな、ふつうの子だよ。
歩けなくても、しゃべれなくても、
子どもであることはみんな同じ」

「遠慮しないで、ふつう学級にいこうよ」

就学相談会は、そんなふうに呼びかける場所でした。

「でも、私はみなさんみたいに強くありません。
一人じゃこの子を守れる自信がありません…」

「ひとりじゃないよ。
支えてくれる仲間はいっぱいいるよ」

「どこに…? ふつうでいいなんて、
そんなこと一度も言われたことがないのに…」

「ここに。
ここにいる人たちは、みんな仲間だよ。
子どもに何かったら、みんなで助けにいくよ」

そのことを伝える会を、
私たちは「就学相談会」と呼んできたのでした。

   ☆    ☆    ☆

そうなんだ(^_-)-☆、
10月31日の
「気管切開の子どもの学校生活を考える講演会」
も、
そのための会でした。

3人の子どもたちの主治医である長谷川先生も、
山田真さんも、会の人たちも、
「講演会」を通して、
かいとくん、はるなちゃん、はるとくんを、
助けにくるのでした。

10月31日。
講演会まで、あと25日(^^)v

コメント一覧

ai
今日、台風のため、下校時間が早まりましたので、お迎えよろしくとの緊急連絡メールが入りました。
○を迎えに、教室まで行ったら、○の姿が見当たりません。クラスメートたちは、静かにテストをしていました。
担任は、私の姿を見つけるなり、申し訳なさそうに、「下です。」と人差し指を下に向けました。
あぁ、やっぱりそうなんだ。
特別支援教室の隣りの部屋。
段ボールで作られたパーテーションと呼ばれる衝立の中が、特学の頃からの、逃れの場所。
最近の○は、ずっとそこから動けなくなっているようでした。案の状、○は、その中で、何もせずに、ただごろりと寝転がっていました。
介助の先生は、何にもせず、ただ黙って時の過ぎるのをじっと待っているだけ。
全てを察した私は、もう言葉を発する気力もありませんでした。
○が教室に戻り、帰り支度を始めたことがきっかけで、
みな帰りの準備を始めたようでした。「○、お帰り。」という声もありません。
担任と同じように申し訳なさそうな空気と、あぁ、帰ってきたんだなという、しらっとした空気が、あたりに漂いました。唯一の救いは、皆の中に、○の存在は、しっかりとあるのだけは確かでした。
私は、○の学校生活が、どんなものかを知り、胸が痛くなりました。

どんな形であれ、○は、みんなの一員なんだから。
そうだろうか?
それで安心していていいのだろうか?
やっぱり、○は、特学の時と変わらない毎日を送っているのではないか。

帰り際、いつも○を気にかけてくれている女の子が、悲しそうな顔で私を見つめました。
あぁ、私たちと子どもたちは、今、産みの苦しみをしているのかもしれないと。ともに生きるとは、どういうことなのか、身をもって感じているのだと。

○が出来るだけ教室にいられるように、また、たとえいられなくても、特別な子にしないでほしいと訴えたいと思います。
子どもたちは、ちゃんと見ています。子どもとともに、闘い続けた母親がいたことを。
ai
かいとママさん、kawaさん、mayumiさん。
みなさん、ありがとうございました。
返信が遅くなって申し訳ございませんでした。

毎回、ここに来ると、涙が止まらなくなります。
一言一言にこめられた、みなさんの思いがあたたかくて。
今朝も泣きました。
時がたつのを忘れるくらい。
○は、そんな私を心配して、いつもより早く目覚め、ずっとそばに寄り添っていました。
○は、私以上に、私の気持ちがわかるのでしょう。

「だって、(こんなに重かったなんて知らなかったから)」
「でもね。(県にも市にもお金がないんですよ。)」
「お気持ちはわかります。でも・・・・」と言われない場所。

ここにいていいんだよ。と言ってくれる人たち。

どんなに辛くても、
同じ痛みをともにできる人たちに出会えたことがうれしくて。
ここに来ると、いっぱい泣きます。

強くなくてもいいのだと。
みんな弱いのだと。
仲間は多くないのかもしれないけれど、
深いきずなで結ばれているのだと。
だから、痛みを分かち合えるし、いっしょだよ。と言えるのですね。
ひとりじゃないよ。と。


かつて、壁にかかっていたカレンダーの詩の一節を思い出しました。
「弱さが集まれば、より真実に近いような気がする。」

強くあることよりも、心に正直であることの方が大切なのだということに気づきました。

「○君は、幸せだね。こんなお母さんを持って。」
と、ぽつりと語ってくれた人。
無我夢中で走り続けていた時だったから、その人の言葉の背後に隠された思いを計り知ることはできませんでした。最近やっと、何を訴えたかったのか理解できるようになりました。

あぁ、私たち、とても幸せなんですね。
いっぱい泣かないと、いっぱい笑えないから。
相談は、ここにします。
「だって。」
「でも」
「お気持ちはわかります。でもね・・・」
のない場所だから。

kawa
aiさんへ
6年前の私を思い出しました。
その時、私が闘っていたのは「学校」ではありませんでした。
「でもね、私たちもいろいろ折れてきたんだから。ここは千葉ではない!」
心から信じてきた「会」に、真っ向から反対をされました。
千葉から遠く離れていた私は、この地で生きていくのだから、「会」の言うことを聞くしかないと思い込んでいました。
でも辛くて辛くて、aiさんのコメントのように辛い気持ちを千葉の会の方にメールしました。辛い気持ちを、苦しい状況をただ聞いてほしかったのです。
でも千葉の会の方たちは「そんな会やめればいいよ。なんにでも相談に乗るし、アドバイスするから」と、思いもよらない返事が返ってきました。
私は「一人ではない」と思いました。千葉までは物理的にはとても遠い距離がありました。何回も何回もメールのやり取りをしながら、すぐ横を向いたら千葉の方が「そこにいる」感じがしました。心の距離は全然ありませんでした。
私の気持ちを受け止めてくれるところは、千葉の会しかありませんでした。どこにいても相談はできるし、とっても勇気をもらいました。私の地域では誰もいなくても、千葉では同じ思いの方がいると思うだけで元気が出てきました。
不安で心が揺れながら、でも子どもの気持ちを大事にしたくて。
みんな同じ思いでつながっています。決して「ひとり」ではありませんよ…
かいとママ
 豪雨に打たれ続けた私は我が子を雨から守ることに必死で、自分の泥跳ねに気づかないような毎日を送っていました。守っていたつもりの子どもから「がっこういかないよ・・・」そんな言葉まで言わせてしまう、情けない親、堂々巡りの毎日・・・
 六月、「だいじょうぶ。」その言葉に単純な私は、「そうだ。だいじょうぶなんだ。」長い間の集中豪雨が通り過ぎた気がしました。それが、就学相談会でした。
 その日から、今日まで揺らぐことのない「だいじょうぶ」のたくさんの声をいただきました。そして私も「だいじょうぶ」と言ってあげることが多くなりました。
 [気管切開の子どもの学校生活を考える講演会]たくさんの「だいじょうぶ」に、たくさんの子どもたちが勇気をもらえる、そんな講演会にしたいと思います。
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