ワニなつノート

《これはひとりごと》


《これはひとりごと》

     

23日の相模原でのバクバクの集まり。
かずきくんの裁判のこと。お父さんの報告。

《教育委員会ははじめから養護学校しか考えていなかったこと。合理的配慮など一つも考えるつもりもなかったこと。なぜなら、最初から子どもを「見ただけ」で、ふつう学級は無理と判断したから。
そうしたことが明らかにはなったが、裁判の結果はどうなるか五分五分だということ。》

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そうした報告のなかで、「ご迷惑を・・」という言葉が聞こえた。

「??」と思っていると、「もし裁判に敗けることがあればさらに迷惑をかけることになる…」という言葉が続いた。

その場では発言できなかったので、ここで大きな声で書いておきたい。


「迷惑なんて、そんなもん、あるもんか」(・。・)

「たとえ裁判の結果が敗けであっても、迷惑?そんなもん、どこにもない!」

「裁判が敗けるのであれば、裁判所が間違っているだけのこと。裁判の基となる法律が間違っているだけのこと。子どもに迷惑なのは、法律だということがあきらかになるだけのこと」

「迷惑? そんなこと絶対にない。」

「子どものために、ここまで声をあげ、闘い続けてくれた親がいることに、私たちがどれほど勇気をもらい元気をもらっていることか。迷惑どころか感謝しかない」

・・・もし裁判に敗けたら?

そのときは、そこから本当の子どもを守る取り組みが始まるだけのこと。

今までも、これからも、私たちはそのためにここにいる。


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ここでも、師匠の松下センセの言葉を思い出す。

「はっきりいおう、ぼくらは裁判長にすら裁いていただこうと考えているのではない。ぼくらが裁くのである。ぼくらが、一回一回の公判廷で直接に九州電力を裁いていくのである。」

そう、法律の前に、いまを生きている子どもの生活があるのだ。


だから松下センセは一審で敗けたとき、「アハハハ・・・敗けた、敗けた」という垂れ幕を掲げたのだ。


「砦に拠る」という作品ではこんな言葉がある。

「お若いの。まだまだ日本の人民は敗け続けるたい。敗けて敗けて敗け続けるたい。ばってん、その敗北の累積の中に刻みつけていったものが、いつか必ず生きて芽を吹くとじゃ」


裁判の結果がどうであろうと、子どもを守る覚悟と行動は続く。


かずきくんが春からみんなと一緒に小学校に通えることを願って(^。^)y-.。
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