ワニなつノート

「ルポ消えた子どもたち」(その3)


「ルポ消えた子どもたち」(その3)


《それとこれは別の話。か?》


テレビで見たときには、「監禁された子ども」に関心が向いたのだったと思う。
その「監禁」を生き延びて、助けられた時がゴールではなかった。
そこからさらなる生き苦しさが始まる。
番組から感じたのは、ナミさんの「今」の苦しさだった。
ナミさんの表情が、番組の印象のすべてだったとおもう。

でも、今回、文章で読むと、私は違うことに関心が向いた。


それは、「6才のナミさんはどんな気持ちだったろうか」というところから、ゆっくりと動き始めた。

ばあちゃんにランドセルを買ってもらって、学校に行くのを楽しみにしていた子ども。

友だちと遊ぶのを楽しみにしていた子ども。

学校でみんなと勉強するのを楽しみにしていた子ども。

その子ども時代をすべて失った子ども。

18才まで同世代の子どもとの生活のすべてを経験しないまま過ごした時間。

     ◇

こう書けば、このブログを訪れる人の多くは「障害児」のことを思い浮かべるだろうと思う。
決して、私のこじつけではない、と思う。

楽しみにしていたのに、一度も使わなかったランドセル。
18歳までひとりも友だちがいない生活。
そして大人になってからも、みんなとは違う子ども時代に縛られて、一人では抜け出せない孤独。

…どう考えても、私のなかに浮かぶのは、就学猶予免除された子どもたちだ。

障害児が座敷牢に閉じ込められて過ごすのが当たり前だった時代。
それはそんなに遠い昔の話ではない。
私にとっては、「同世代」の子どもたちの話だ。

私の大切な友人は小学校に入れてもらえなかった。
監禁されていた訳ではない。
彼の気持ちを大事にしてくれる母親がいて、いつも一緒にいてくれる兄弟たちがいた。
でも、小学校の門を閉ざされて、ひとりだけ「学校外」で、「消えた子ども」にさせられた苦しみは生涯消えることはなかった。

…その友人も17年前に亡くなり、私は彼の思いも引き継いで、いまも子どもが誰も分けられたりしないようにと動いている。
その子が、「行きたいと願う」学校に、行けるようにと生きている。

      ◇

障害児が学校に行けないのと、ふつうの子どもが親の虐待で、学校に行かせてもらえないのは、別だという人はいるだろう。

この本のNHK取材班の人もそうなのだと思う。

この本のテーマは、「消えた子どもたち」だ。
副題は「虐待・監禁の深層に迫る」。


前回も書いたが、私は「仕事」として、この番組のアンケートに答えた。
その時の私は、取材班の人たちと同じ問題意識だったと思う。

それは、私が自分の生き方としてやっている「就学相談」や「高校相談」とは、とりあえず「別のテーマ」だと思った。

放送を見たときも、私の意識としては、「虐待された子ども」のために私ができることは何か…だった。

でも、ナミさんのことばを、文字で読んでいるうち、私のなかで何かがずれている、何かがちがうという気持ちが抑えられなくなった。

消えた子どもたち。

消えた?

どこから?

社会から。

娑婆から。

みんながふつうに生活する場から。

あれ?

これって、そんなに珍しい話じゃない。

私が子どものころ、そんなこと当たり前だと、誰もが思っていた時代があった。
確かにあった。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「分けられること」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事