《「母親」としてのパールバック》
【私は娘が9才になるまで、私のそばに置きました。
そしてそれから、私は彼女の永遠の家を
さがしに出掛けたのです。
学校の雰囲気は、私が感じた通りあたたかで、自由で、
しかもみんな仲よくくらしていることがよくわかりました。
家の裏庭で泥のパイをつくったり、
飛び廻ったりして遊んでいる子供たちは、
まるで自分の家にいるようでした。】
□ □ □
こうした親の言葉を読む時、
私たちは「親の立場」と「子どもの立場」を
ちゃんと分けて考えなければなりません。
「永遠の家を探しに出かけた」のは、親です。
「まるで自分の家にいる」ように感じたのは、母親です。
ここには、子どものことは何一つ書かれてはいません。
もしも、私が幼い娘を一人遺して死ぬと分かったら、
私も娘が「まるで自分の家にいるよう」に
安心できるところを探したいと思います。
でも、そのときに「安心」の基準は、
親の私ではありません。子どもの「安心」です。
しかも、このときパールバックは死にゆく訳ではありませんでした。
その子の「自分の家」はちゃんとあったのです。
□ □ □
【「子供の魂と精神が不幸から解放されないかぎり、
私たちはなにも子供たちに教えることが出来ないと
経験によって知ったわけです。
幸福な子供だけが、ものを覚えることができるのです」と、
その校長さんは言うのでした。
…私は大いに楽な気持ちにもなり、また安心もしたのでした。
そして心の中で私は、もうこれ以上学校を探す必要はないと
独り言をいったのでした。】
□ □ □
「大いに楽な気持ち」になったのは、母親です。
「安心」したのは、母親です。
「探す必要がない」と判断したのは、母親です。
子どもには、何一つ尋ねていません。
ここにも、子どもはいません。
□ □ □
【九月のある日、私は自分が見つけた学校へ
娘をつれて行きました。
…娘は、わたしとその婦人の手にしがみついておりました。
娘の小さな心の中にどんな思いがあったのか、
私にはわかりませんでした。
しかし、きっと何か虫の知らせがあったに違いありません。
それまで私と娘は一度も離れたことがなかったのです。
しかし死と同じように、
永遠の別離の時が迫っていたのでした。
…もう一緒には住めないということに変わりはないのです。
私たちはお互いに別れなくてはならないのでした。
自分では、娘の永遠の住み家をみつけることが、
彼女の将来の安全のために最もよいことなのだと
信じていながら、彼女が一生の家を見つけて
そこにすまなくてはならないということが、
私にはそもそも残酷に思えてならないのでした。】
□ □ □
「残酷に思えてならない」という母親の揺れる言葉、
それでも「娘のために」にあえて別れる決断をすることに、
読者は「子どもを思う親の愛」を感じるのでしょうか。
私には、母の手にしがみついていた
子どもの気持ちしか、伝わってきません。
『それまで私と娘は一度も離れたことがなかった』のに、
パールバックは、
『娘の小さな心の中にどんな思いがあったのか、
私にはわかりませんでした』と言うのです。
本当にそうなのでしょうか。
本当にそうだったのだとしたら、
その時代に「見えなくさせた」ものが何だったのかを、
私たちは問わなければなりません。
母親に、子どもの気持ちが、「みえない」
「分からない」と思いこませたのは、
「障害児には心がない」と見ていた時代の
差別のせいではなかったのでしょうか。
9年間同じ家で暮らしながら、
「死と同じ、永遠の別離」のときにも、
「子どもの気持ち」を感じさせない「障害観」とは、
どのようなものだったかと。
そして、「障害児には心がない」ように扱うのは、
昔の人たちだけではありません。
いまも、あちこちの教育委員会に、教育研究所に、
小学校に、中学校に、高校に、
たくさんいるのを私たちは知っています。
そうでなければ、6才の女の子を、
一人だけ遠足に連れていかず、
校庭に置き去りにすることなど、できるはずがありません。
クラスのみんなが2階の図書室に行くのに、
車椅子の子どもだけを1階の教室に置いていくことなど
できるはずがありません。
2年生の男の子を、給食の時間になると、
一人だけ校長室に連れて行き、
そこで一人で給食を食べさせるなんてことが
できるはずがありません。
高校入試で、3月末の定時制の追加募集で、
定員が16人も空いているのに、
たった一人受験した子どもを、
不合格にすることができるはずがありません。
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yo
ありんこ
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