《高校生になることより大事なこと》
私にとって高校とは何だったか。いつも15歳に戻って考え続けてきた。
障害児の高校進学で出会った子たちとの35年。
定時制高校での17年。
中学の「適応指導教室」で不登校の子たちとつきあった14年。
援助ホームで中卒や中退の子たちと暮らした10年。
そしていまも私は中学2年の同級生と毎年旅行に行く。同級生は生まれた町で六十まで暮らしてきた。私は町を出て40年余。中学時代の思い出以外、話はひとつもかみ合わない。
そのすべてを通して、高校生になるより大事なことを感じてきた。
それは、15歳まで自分の存在をかけてなじんできた寄る辺を手放さないことだと思うようになった。
□
この子たちは、「能力差別」の前に、「存在差別」の現実を生きている。
「存在差別」とは、「いること」を疑われること。いつも「わたし・たち」の外に置かれ、見られること。「存在差別」の世間を生きてきた子どもは、それを知っている。
高校は義務教育じゃないと言われるが、小学校も中学校も「いること」を疑われてきた。だから、「いること」を疑わない世界を、誰よりも知っている。15歳まで自分の存在をかけてなじんできた寄る辺の、確かさを知っている。その仲間がどこにいるのかを知っている。
この子たちが、行きたいのは、「高校」というより、「いること」を疑われない仲間のいる場所だ。そこは、テストがあり、点数を取らないと行けない場所だと、知っている。だからこそ、「いること」の価値がある。高校に「いること」ができること、それは子ども時代のすべての場所に、自分の居場所が当たり前にあることの体験となる。それは、自分の人生をかけ、仲間とのつながりの寄る辺をかけて、「存在差別」のない世界への信頼を確かめることになる。
存在差別とは、「いること」を疑問視されること。
だから、誰もが「いること」を問われない場所。ただ「いること」に「なぜ」と問われない場所。そこが子どもの人権のある場所になる。
高校生になるより大事なことがある。高校生になれなくても守りたいものがある。
だから、私は高校にこだわり続ける。
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