ワニなつノート

その1%は助ける価値があるか?  (その3)



その1%は助ける価値があるか?  (その3)


《昭和の助ける順番 ① ② ③ ④》



戦後の復興とともに、高校に行きたい子、高校に行かせたい親は増え続け、日本中で「15の春を泣かすな」という言葉に希望が込められた。

みんなが高校生になりたいという、15才の子どもたちの思いを、国をあげて応援した。

高校くらい行かせてあげたいという親心は、当たり前に受け入れられた。

『高校3年生』という歌が100万枚売れた。(1963年)
戦後18年で、進学率は62%にまで伸びた。

        ◇


「こうこう~さんねんせい~」と3才のわたしが歌っていたころ、生活保護世帯の子どもは、全日制高校に行くことが認められなかった。

理由は、貧乏だから。親が生活保護を受けているから。
だから、あなたは昼間の高校に行く資格はない。
高校に行きたくても、あなたを助ける制度はない。

「あなたには、助ける価値がない。」
「あなたには、助ける意味がない。」
そういう時代があった。

その子どもたちに「助ける順番」が回ってきたのは、1969年だった。

理由は、「当時一般世帯の高校進学率が急速に上昇し、すでに80%を超えていた」から。

「一般家庭」の子どもたちが先に80%助けられた後に、ようやく残された「生活保護世帯」の子どもを助けてあげることにした。

(ただし、本気でその子どもたちが昼間の高校に行くためには、小・中学生の教育扶助と同様に高校就学経費が扶助されることが必要だったが、その「本気で助ける」が認められたのは2005年だ。)

       ◇


その1969年。

児童養護施設の子どもの高校進学率は、20%前後だった。

「一般家庭」の子どもたちが先に80%助けられた後に、ようやく「生活保護世帯」と「養護施設」の子どもたちに「助ける順番」が回りはじめた。

1973年に「養護施設入所児童等の高等学校への進学の実施について」という通知を厚生省が出した。
1975年に「特別育成費」という高校就学経費が支払われるようになってようやく、道が少しずつ開いた。

それでも、1975年の高校進学率85%に対し、養護施設の子どもは39%しか高校に行けなかった。
2005年、全国の高校進学率が97.6%に対し、養護施設の子どもは87%である。

         ◇


2015年、現在。

全国の高校進学率は、98~99%で語られる。
特別支援学校の高等部は、100%だ。

では、残りの1%の子どもは、どこにいる?
1%の子どもは、どんな子どもか?


わたしがいま一緒に暮らしている16の子は、「生活保護世帯」で高校に行けなかった子だ。

わたしがいま一緒に暮らしている17の子は、「養護施設」にいて高校に行かなかった子だ。

じゅんくんは、障害のために3年も浪人させられて、高校に行けないでいる。

わたしのすぐ隣に、その1%の子どもがいる。


1%の子どもは、どんな子どもか?

わたしが知っている1%の子どもたちは、誰よりもがんばって、誰よりも一生懸命生きている子どもたちだ。


1%の子どもだけを、高校に行かせない仕組みを、私たちはなぜこんなにも頑なに、守り続けるのか?

1%の子どもを助けるよりも、1%の子どもを守るよりも、
99%の子どもだけが高校生になれる制度を続けようとするのは、どうしてなんだろう?


「高校」は99%だけど、「高等部」なら100%入れるよと、違う制度をわざわざ莫大な予算をかけて向こうに作りながら。


それでも、みんなと一緒に「高校」に行きたいんだという子どもがいる。

その1%の子どもは、助ける価値があるか?

その1%の子どもを、助ける意味はあるか?
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