こだわりの溶ける時間2016 (a-3)
《登場人物が「同じ」ということ》
ふつう学級という空間にいることで(抜け出すことも含めて)、
自分が「自分のままでいい」という、
対話による言葉たちの気配をあびることができる。
感じる中身は、一人ひとり違う。
そこから、その子だけの物語を形作る。
大切なことは、それぞれの物語ではあるのだけれど、
「登場人物」はみんなが同じである、ということ。
みんなが「同じ登場人物」をもとに、それぞれの物語を生きていく。
障害のある子どもの「私」が、見ている「登場人物」と、
障害のない子どもの「私」が、見ている「登場人物」が、同じ人たちだということ。
物語の登場人物が、みんなと同じ登場人物であるということ。
私の「先生」と、私たちの「先生」が、同じ登場人物。
私の「学校」と、私たちの「学校」が、同じ物語設定。
給食のおばちゃんや事務室のおばちゃん、通学路のおじちゃんに、誰のお母さんだか分からないお母さんたち、パン屋のお姉さんやガソリンスタンドのお兄さん、通学路でみかけるすべての登場人物が、共有されているということ。
そこから、一人ひとりの子どもの、物語が始まる、ということ。
自分にだけ、特別出演の看護師さんがいることもあるが、その程度の例外は誰にもある。お父さんが外国人だとか、両親がいなくておばあちゃんと暮らしているとか。それはそれ。
大切なのは、子どもである自分が、学校という大きな建物のなかで、長い年月、生活していくときに、みんなと同じ生活をしていくなかで、成長に含みこまれていくすべての登場人物が、おなじである、ということの意味だ。
子どもの見ている世界を、その子にだけの「特別な」登場人物だけにしてしまったら、みんなの物語がみえなくなる。
みんなとは違う意味を与えられた特別な「先生」や特別な「お医者さん」、
特別な「隣人たち」、すべてが特別な登場人物になってしまったら、ふれあうきっかけがない。
《同じ登場人物で、対話をしている、ということ》
クラスが同じとか籍が同じというだけでなく、その子の目を通じて、その子のカメラを通じて蓄積される、映画(人生)の登場人物の「役割」が同じである、ということの意味が、まだほとんど語られていない。
そういう対話を、誰も障害のある子どもたちとしてこなかったから。
今子どもたちは、その宝物を、ただ当たり前という言葉で、持っている。
それを言葉にしてみたいな。
(つづく)
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