《「自立」についての発見》 (その2)
今日は成人式だから、「自立」と「不在」が結びついたのかもしれない。
去年の11月と12月、二人がホームから「自立」した。
一人は15才だった。
もう一人は、17才になったばかりのクリスマスイブにホームに来た。
一緒に暮らした時間はそれぞれ4年と3年。
定時制高校も卒業まで4年のつきあいだった。
でも、学校でのつきあいと、家のつきあいはまったく違う。
しかも、そのうち約一年は手術や抗がん剤の治療をしながらの生活だった。
体調の悪いときは本当に寝ているだけだった。
「寝ているだけ」でも「仕事」になったのは、「生活という仕事」だったから。
あのころ、どうしたって「がんばれない」状態になってはじめて、ひとり一人の子どもが、実はどれほどがんばっていきているか、に気づかされた。
二人が自立してホームを離れ、はじめの4年という一区切りがついた。
約4年で12人の子がホームを通過していった。
たった4年とはいえ、結婚も出産も離婚もある。
子どもが自立していくとは、私にとって、一緒に暮らした子どもの「不在」が増えていくということ。
生活のある場面で、それぞれの子どもとのエピソードを思い出す。
思い出すたび、不在を考え、不在であることが、「いること」を考えつづける力になる。
ここに来る子どもたちは、家での生活が「しあわせ」ではなかった。
しあわせどころか、家も親もない、から、仕方なくここにくる子もいる。
自立が、一人で生活すること、だけなら、彼らはホームに来る前も一人だった。
家があっても、家族がいても、「一人で生活」するしかない子もいる。
自立が、一人で生活すること、だけなら、ホームを出て自立するのと、ホームに来る前の家がない一人と同じことになってしまう。
私にとって、彼らがここに来る前の「一人の生活」を、そのまま呑み込むことはできない。
だから、「よかったら、ここで暮らしてみないか…」と声をかける。
「誰かに縛られたり、自分のやりたいことをあきらめさせられたり、苦しいだけの生活なら、ここで少しゆっくりして、自分の人生を自分で生きていけるように…」
そんな思いで、一緒にいる。
だから、「自立とは何か」と考える時、相手の「自立の形」を考えると同時に、
私にとっての相手の自立=相手の不在を、私自身がどう納得できるか、を考えなきゃいけないのだ。
・・・話の流れは、こんな感じ、かな。
(つづく)
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