ワニなつノート

藤崎さんの作文と白井のり子さんのこと


藤崎さんの作文と白井のり子さんのこと


作文や感想文のコンクールは、
あまり好きではありません。
今回も、受賞作品だけなら、
通り過ぎてしまっていたと思います。

作文を読んで、思うことがあっても、
直接、それを聞く機会がないと、
子どもの思いと、先生や大人の側の意図が、
よく分からなくて落ち着かない気持ちになるのです。

でも、今回は偶然、作文についての文章を読んで、
自分が何を感じたのか、
何を知りたかったのか、
そんなことを考えることができました。


たとえば、作文では、
「一年生に足の事を話してみようか」と先生にはげまされて、
というふうに書かれています。

それを疑う気持ちがあるわけではないのです。
それは、その通りなんだろうし、
そういう先生でよかったよねと思うのです。

でも、本当に彼女の背中を押したのは、何だったのだろうと、
やっぱり思っていたのでした。

それが、「続編」を読んだときに分かりました。
応募したのは、「白井のり子さんという、
両手が不自由な方と出会ったことがきっかけでした。」
とあります。

白井のり子?

はじめはピンときませんでしたが、
『典子は、今』の、のり子さんでした。

『典子44歳いま、伝えたい』
という本を思い出しました。

それで、私の中で、なんとなく気になっていたことが、
ひとつ腑に落ちました。

小学生の藤崎さんにとって、
白井のり子さんがどのような存在であるのか。
障害のない小学生が受け取るものとは、
違う何かを、受け取っているように思えるのです。

白井のり子さんのHPには、
次のようなプロフィールが載っています。

    □    □    □

昭和56年に封切られた映画「典子は、今」、
それはサリドマイド禍に翻弄されながらも逞しく生きる、
ひとりの女性を描いたものであった。

サリドマイド被害児、辻 典子の誕生から
社会人に至るまでの生活ぶりをドキュメントタッチで描いた
映画「典子は、今」は空前の大ヒット、ロングランを記録。
映画出演後、職場に見学者やマスコミ陣が押しかけるなど、
自分を取り巻く環境が一変、
以後、マスコミの取材等、一切を拒否し
普通の働く主婦、母親に専念した。

あれから25年、平成18年3月、熊本市役所を退職。
4月に「スマイルビー白井のり子事務所」を設立する。
結婚、育児を経て「今の自然な自分を伝えることで、
何かを感じて、元気になっていただけるなら」と
講演活動を開始する。
現在までその数は全国220ヵ所に及ぶ。
同年5月、初めての手記
「典子44歳 いま、伝えたい」(光文社)を出版
 

   □    □    □

藤崎さんが次のように書けるのも、
のり子さんとの出会いがあってこそ、と思うのです。

【「にせ物の足」という言葉を使った一年生のみんなは、
よく考えると「義足」という言葉と
その意味を知らなかったので、
勇気を出して教えるつもりで1年生の教室に行き、
話をしたことがよかったと思います。
その思いを書きました。】



わたしが、藤崎さんの文章で一番好きな言葉は、
次の言葉です。
【自分の気持ちを相手にわかりやすく伝えることで、
私自身もとても楽になりました。】



私たちは、もっと、子どもたちに見える形で、
どんな障害があっても普通学級で育ちあう子どもたちの姿や、
「0点でも高校へ」を生きている高校生の姿を、
伝えていかなければならないのだと思います。

Hideのように「自立生活」を送っている若者や、
歩さんたちのように、
人工呼吸器を使いながら「生活」をしている若者の姿、
そうした大人たちの姿が、あたりまえに「見える」社会。
そのなかで、子どもたちは自分に必要なモデルや、
将来のイメージ、夢やあこがれを、
自分自身で見つけていくのだと思います。

大人や学校が「教える」のではなく、
(そもそも、「障害をもって生きる姿」を、
学校の先生が教えられるわけなどないのですから。)
子どもたちに、いろんな生き方をしている姿を、
ふつうに見えるようにすることが、
本当に大切なことなのだと思います。



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