ワニなつノート

みかちゃんとのり子さん、ひなのちゃんといずみさん

みかちゃんとのり子さん、ひなのちゃんといずみさん


毎日のようにブログを書いていて、
自分の思いを言葉で伝えることは本当に難しいと思います。
言葉というのは、思いの何十分の一、何百分の一、
何千分の一しか、形にできないような気がしています。

子どもたちに向かって、
「言葉の遅れ」とか、「言葉の障害」というとき、
私たちは、「何を言っているんだろう?」と思います。

わたしが言葉で伝えているもの、伝えられるものは、
ほんのわずかなことだと思います。

しかも、私がこうして言葉で伝えようと思えるのは、
私が「言葉を扱える」というその前に、
私(私の伝えたいこと)が、受け入れられていることを
私自身が知っているからです。

【コミュニケーションの前に、コミュニオンがある】
【ブログの言葉の前に、会がある】
「子どもを分けてはいけない」と信じている仲間がいます。
そこには、「言葉」以上に大切なことを
分かり合えている仲間がいます。

相談会で、「普通学級に行ってもいいんですか?」
「普通学級に入れるんですか?」
そうつぶやく人に、私たちはまずうなずきます。
そこにいる親たちが、みんな、
わが子を普通学級に入れているということ。
そこにいる子どもたちが、みんな、
普通学級に通っているということ。
そういう「コミュニオン」(会)があること。

それがあって初めて、
「あのね、子どもは分けてはいけないんだよ」と、
分かり切った言葉で話すことができるのでした。

     □     □     □

今回の「そのうちぽっと」に、
就学相談会に参加した人の感想が載っています。
その中に、「これまであった迷いが、一日にしてなくなった」
という言葉がありました。

「会と出会うことができなかったら、
いつまでも気持ちの整理がつかないでいたかもしれません」と。

その人の中にはもともと、
「今まで普通に生きてきていたから、
これからも普通でいたいと願うだけなのです」
という言葉がありました。
ただ、その言葉に耳を傾ける人が誰もいなかったのでしょう。
誰も聞く人がいない「言葉」は、「言葉」にはなりません。

「それまでは言われるままに就学相談を受け、
教育委員会に出向き、こちらへどうぞ…が
あたりまえなのかなと思う中迷いがあり、
しょうがない事なのかと納得せざるを得ないものと思っていました。」

そうしてあきらめていた迷いが、一日でなくなったのは、
ただ、「それでいいんだよ」とうなずく仲間がいたからでした。
そのとき「言葉」は、うなずいていることを補足するものにすぎません。

     □     □     □

昨日のブログを書きながら、
私のなかには、子どもたちの顔がいっぱい浮かんでいました。
そして、藤崎さんと白井さんの「出会い」と同じような、
大切な出会いを、切り取って見せてくれる言葉を思い出していました。

「ひなのちゃんと山田泉さんの出会い」もその一つです。
テレビの番組を録画して何度も見たせいか、
ひなのちゃんに会ったことがあるような気さえしています。

一年前のブログに、何度か山田さんのことは載せています。
その中の、ひなのちゃんの記事を再紹介します(^^)v

     □     □     □


「ひなのちゃんの『いのちの授業』」

山田泉さん(49)
乳がん転移 告知から1年、元養護教諭。


「中学校の保健室のおばさん」を退職して1年になる。
昨年の今頃は、
「よっし! 今から日本中を歩いて、
『いのちの授業』をしよう」と、はりきっていたのに、
あっという間に乳がんは転移し、
ただいま抗がん剤の治療中。

毎週通院して、点滴を受けながら、
「あとどのくらい残された時間があるんかな」と、
つぶやきながらスリル満点の日々を送っている。

転移の告知を受けたのは、昨年の5月。
医師から「今のうちに好きなことをしてくださいね」
と言われたので、
県内外の親友の教師が勤める学校へ行って、
子どもたちに「いのちの授業」をして歩いた。

犬も歩けば棒に当たるというけれど、私もいろんな棒に当たり、
飛び込み授業はどこでも、もーな(すごく)おもしろかった!

なかでも、がんと向き合いながら
学校に通っている子どもたちとの出会いでは、
どれだけ励まされたことか。

目のがん、血液のがん、卵巣がん……。
再発しながら、今を生きている子どもたちが、
あちこちにいた。

県南の海辺の小学校で出会った、ひなのちゃんは、
その中の一人。今でも交流が続いている。

昨年の秋に教室へ授業に行った時は、
彼女のことは詳しく知らなかった。

数日後、自宅の郵便ポストに届いていた手紙で
病気のことを知った。


「山ちゃん、私は『急性骨髄性白血病』という病気に
1年生の時になりました。
4年生の時、再発しました。
1年生の時、白血病という病気がわからなかったけれど、
ドラマで知って、私は『死ぬ病気なんだ』と思いました。(略)」

「でも、山ちゃんや私は、再発をしても、
まだ、ここに生きています。
私が山ちゃんすごい、と思ったことは、
病気が治らないと言われたあとに、
『いのちの授業』をしたことです。(略)」

「山ちゃん、これからも手紙を送ります。
だから元気でいてね!
命の授業をしてくれてうれしかったよ。
山ちゃん、ありがとう!」


先日、ひなのちゃんが汽車に乗って会いにきてくれた。
「山ちゃん、私、卒業前にクラスの友達に
自分の病気のことを話したんよ」

「なんで?」
「教室にはいろんな子がおる。
死ね!とかふざけて言う子もいるし、
自分の言いたいことを言えずにじっと耐えている子もいる。
本当に今のままでいいんか?ちゅうことを今、
考えてほしかったんや」

小児病棟で亡くなっていった友達の顔を、
思い浮かべながら泣きながら訴えたひなのちゃん。

本気で語り、本気で受け止めた子どもたち。
これこそ、ホンモノのいのちの授業ちゃね!


≪やまだ・いずみ 59年3月、
豊後高田市生まれ。元養護教諭。
00年に乳がんと診断され、
02年から「いのちの授業」に取り組んでいる。≫


(朝日新聞・2008年04月18日)

コメント一覧

ishizaki
yoさんのいうように「親の事情」なんですよね
けれど、その「親の事情」が、子供の環境作りに大きく影響するんですよね
かいとママ
みなさん、たくさんのコメント、ありがとうございます
おとなは、自分を守るすべを知っている・・・その言葉にハッとさせられました。
そうですね。私は子どもを守っているつもりでも、それはきっと、自分を守っているんですね。
無条件に子どもの側に立つことができない私は、子どもにとったら、敵でしかないんですね。
子どもの目の前にある大きな壁は、世の中ではなくて私なのかもしれません。
私にとって、今、解決しなければならない問題から逃げているのも、自分を守るためで、けして子どものためではありません。
何度も何度も、みなさんと話すことがあるのに、いまだ、みなさんに近づくこともできない自分に自己嫌悪です。
yo
「親の事情」を聞いてくれて、
「親の思い」を分かってくれる、
そんな友だちがいてくれたら、
うれしいですよね。
安心ですよね。



誰も事情を聞いてくれず、
誰も思いを分かってくれず、
孤独でいることが
一番苦しいことだと思います。



……子どもは?


☆  ☆  ☆


…わたしは無条件で子どもの側に立ちたいだけです。

無条件で子どもの側にたつとは、
どんな事情であっても、
「親をかばわない」ということです。

私自身、30年前に、
「親は敵だ」という言葉に
何より救われた一人です。
子ども時代、「父親を殺す」ことを
幾度も考えていた私が救われたのは、
その一言にこめられた障害者の声でした。

だから、すみません。
この件では、話がかみ合わないと思います。


mayumi
かいとママさん、私たちは、どんなに重い障害があっても普通学級でやれると思っています。普通学級を望んできた人たちが軽い障害の人たちばかりでは、ありませんでしたよ。耳も聞こえない、目も見えない、お医者さまにそう言われたお子さんの、普通学級での一日入学での表情を見逃さないお母さんは、みんなの力を借りて、普通学級に入りました。2年生になる事は叶いませんでした。「生まれてからずっと病院と家の生活だけでした。学校に入って初めて親子で社会に参加した気がしました。」・・・と言っていました。学年が変わりクラスが変わるからと、亡くなってしまった我が子に会いに来てくれる同級生を我が子と重ねて成長を感じられるお母さん。
そのお母さんは、どんなに重い障害でも、普通学級を諦めませんでした。
 そして、私から見たら、何の問題もなく普通学級でやれるお子さんでも、うちの子は普通学級は無理です。と、諦めてしまうお母さんもいます。
DVDを見て、希望が持てました。と感想を頂いたとき、・・・どんなに大変でも、子どもと特別な所ではなく、普通学級で生きていきたいと願う人たちを、私は心から応援してきたんだと、思いました。
やすハハ
私たちの会は障害の重い軽いで動いてるのではないし、実際お祖母さんが会に来ている方も知っています。「現実には無理・・、実際は、ね~」と言ってあきらめていく人たちを私も見てきました。でも、どうしてもその言葉を私は素直に受け取れないのです。大人たちは、そうやって、自分を守るすべを知っています。じゃ、子どもの気持ちには、誰が寄り添ってくれるのでしょうか・・。
かいとくんや、はるなちゃんたちが地域であたりまえの生活を送っていく。そんな日々を重ねていくことでしか、伝えられないのかなと思いました。



かいとママ
yoさん、先日定例会でパパが「DVDを観て、つらく思う人もいるんじゃないか・・・」と言った事。
私たち夫婦は、生まれたその日から病気と闘うたくさんの子どもたち、そして命を落とした子どもたち、そして家族、そして障害を持ちながら生きていく子どもたちと出合ってきました。
「こんなに重い障害を持っているこの子を、兄弟と同じ学校に入れてあげたいけど、現実には無理・・・」
「可愛い孫を、普通に通わせたいけど、母親がいないこの子を毎日送り迎えをするのは・・・」
先日、会った友人たちの言葉です。
私は、心に思ったことの100分の1も1000分の1も伝えることができませんでした。
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