ワニなつノート

HalとNaoちゃんの待ち時間(8)


HalとNaoちゃんの待ち時間(8)


HalとNaoちゃんの「日常」のカタチの違いは、
やはり、すべての子どもを受けとめる場所としての
学校の貧困が原因だと思います。

それを防ぐ手段の一つは、今の学校のあり方に、
入学前から異議申し立てをすることです。

「レッテルを貼ること」と、
「障害をオープンにすること」とは違います。

「特別支援教育を断る」ことが、
「障害を認めていない」かのように
受け取られる学校の中では、
あえて障害をオープンにすることが、ある意味を持ちます。

具体的には、親の意思と理由を明確にして、
就学時健診を公に拒否することです

子どもの障害を見せないとか隠すのではなく、
「障害があるけれど、ふつうに地域の学校に通わせること」、
そして「子どもを振り分ける就学時健康診断を
拒否すること」を、教育長に文書で伝えることです。

それは、この子の親として、
「子どもを分けるという誤った国の方針」よりも、
わが子のことを一番に考え大事にすることを
表明することになります。

また、この子の問題は、一人の問題ではなく、
「みんなの問題」であると主張することになります。
それをできるだけ公にし、表現し続けることです。

「この子は、同年代の子どもとはちょっと変わった子」と
言われるかもしれないけれど、
私にとってはただのわが子であり、
ごくふつうの子どもであること。
たとえ勉強ができなくても、集団行動が苦手でも、
歩けなくても、しゃべれなくても、
普通学級のみんなの中で育ち合ってほしいこと。

そうした親の意思と覚悟、
子どもへの思いがはっきりしている場合、
校長や担任は、最初からある覚悟を迫られることになります。

「この子は本当は特別支援教育の子どもだけど、
あの親はそれを希望しないし、考えが変わりそうにもない。
それならば、ここでいじめがあっても困るし…、
なんとかうまくやっていかなければ」と、
それなり気を配り、目を配り、結果的に学校全体で、
子どもたちみんなの安全を気遣う環境が生まれます。

うまくすれば、「この子に会えてよかった」と
言ってくれる先生に巡り会うこともあります。

そういう「環境」や「まなざし」があれば、
どんなに「重度の障害」とか「変わった子」と言われる子どもでも、
ふつうの学校生活を送り、当たり前の子ども時代を
楽しみ泣くことができます。

でも、親が何も言わず、何の準備もなければ、
障害のある子や、ちょっと変わった子は、いじめられたり、
仲間外れにされたりということがふつうに起こります。
昔も今も、学校は担任次第でそうなることがよくあるところです。

だから、初めから、「特別扱いしない」という
「特別扱い」が準備されていることが必要になるのだと思います。

コメント一覧

yo
そうなんだよね~~。

実際に、就学時健診を拒否したり、
普通学級で、ふつうに過ごしてることを、
経験した人でないと、
伝わりにくいっていうのが、
難しいとこなんだよな。

だから、少数派の中の、さらに少数派なんだろな。
こんなに、子どもたちと楽しく過ごせる世界があるのに、もったいないよなーーー(@_@;)

世間かー。
世間って、自分ってことだよね。

「世間という言葉は、『世の中』とほぼ同義で用いられているが、その実態はかなり狭いもので、社会と等値できるものではない。
自分が関わりをもつ人々の関係の世界と、
今後関わりをもつ可能性がある人々の関係の世界にすぎないのである。
自分が見たことも聞いたこともない人々のことは全く入っていないのである」
【世間とは何か 阿部謹也 講談社】

だから、障害のあるふつうの子どもたちが、普通学級にいないと、子どもたちの世間も、どんどん大人の世間と同じものになっちゃうんだよね。

最初から、仲間なら、子どもの世間の中には、かんたんに障害のある子も含まれるんだけどね。

ishizaki
ほんと、そう思います。
そう実感出来るのは、実際に普通学級へ行っているからなのかも知れませんね(^o^)

以前、blogにもあったように親がどのように考えるのかというのは、
その親の育ち方や環境が影響されるのでしょうね…

けれど、1番は世間様にたいしての心持ち、なのかな~と思います(・_・)
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