ワニなつノート

教育の「虐待行為」について(1)



教育の「虐待行為」について(1)



先日、ネットで「定員内不合格」についての情報開示の資料を見つけた。
「広島県情報公開・個人情報保護審査会」(平成22年度)のものだ。

異議申立て人は次のように述べている。

              ◇


《私が今回情報開示を求めた理由は、…受検し不合格となりましたが、その理由がどうしても納得できず、自分のこれからの進路や生き方に大きな不安を感じるからです。》


《募集定員 147 名に対して 107 名が受検しました。ところが合格になった受検生は 80 名で、残り 27 名は不合格になりました。定員が67 名も空きます。
67 名の空き定員がありながら、私を含め 27 名が「高校教育を受ける資格がない」という判定を下されたのです。
私はこの学校長の判断がどうしても納得ができません。今後の自分の勉学や進学等を考える上での参考にしますので、自分が不合格になった理由を明らかにしていただきたいと考えます。》


《自分がなぜ不合格とされたのか、その理由が全く分かりません。開示された文書に、「監察1.本校の指導の限界を超えると判断した。」とありますが、それが不合格になった理由の結論なのでしょうか。そのことすらも分かりません。もし、「本校の指導の限界を超える」というのが結論であるならば、相当の理由があると考えられますが、私には全く推測することすらできません。》


《今日高等学校教育は準義務教育化しており、広島県の高校進学率は以前より低下したとはいえ 97.4%の高い水準にあります。このような状況にありながらも、「40 名の空き定員があるにもかかわらず27 名を不合格にし67 名の空き定員を生じさせる」ことが、責任ある県教育行政及び県立学校長のあり方なのでしょうか、これは不合格になった私たち生徒に大きな衝撃を与えますが、受検するように進路指導した中学校の教育関係者にも不信感を与えることとなります。それは広く中学校の保護者、そして県民に対しても大きな不信感と動揺を与えるものです。学校長及び県教育委員会は、このような大量の定員内不合格者を生じさせたことに対して、少なくとも該当者には説明責任を果たすべきです。》


《自分が不合格にされた理由を知ることが、どうして県の事業の遂行に支障を及ぼすのか、全く理解できません。県の事業は公正・公平でなければならない……。「自分が不合格と判断されたすべての資料」の情報開示を再度求めます。》


              ◇


初めて見つけたこの資料。理路整然。至極まっとうな道理である。


今年の春、「定員内不合格」にされた時、伊織くんは生まれて初めて「どうして?」という「言葉」を口にした。知的障害があり、ふだんは家族や友人の名前や生活行為に関わる言葉しか使わない彼が、人生をかけて考えた言葉が「どうして?」だった。その「どうして?」を丁寧に説明する言葉が、ここにある。


この広島の方が受検したのは2006年とあるがその約10年後、同じ広島県の中村天哉さんが定員内不合格にされている。中村さんは今年の春、次のように書いた。


              ◇


【ともに育ってきた仲間たちがそうだったように、僕も地域の高校への進学を選びました。オープンスクールに参加して、自分の居場所はここしかない!と思った高校を受験することにしたのです。…(制度上)選択問題しかできない僕にとって、広島県公立高等学校の入試問題は選択問題が少ないので、大きな痛手でした。それでもまばたき受検が認められたことや、3年間一生懸命やってきた調査書や面接もあるから大丈夫だろうと、慌ただしい状況の中でも、なんとか受検に臨むことができました。しかし結果は…1人だけ不合格。それも定員内不合格でした。情報開示請求をしましたが、不合格になった理由は分かりませんでした。当然落ち込みましたが、意を決して次の年もチャレンジしました。結果はというと、大幅な定員割れにもかかわらず、また1人だけ不合格になったのです。この時、県教委から最初に言われた「受検することは拒まない」という意味が初めて分かりました。ショックで倒れた僕は、病院で点滴を受けながら、「真面目にずっとやってきたのに…」と自暴自棄になりました。】


              ◇


中村さんは今年5月に亡くなった。19歳だった。

「定員内不合格」にされる孤独と恐怖は、定員内不合格にされた人にしか分からない。その「思い」を理路整然と説明できる人がいる。あるいはただ一言、「どうして?」と吐き出す子がいる。あるいは25回の「定員内不合格」に対して、一度も「言葉」にしない人もいる。その人はただ希望に向かって7年受検し続け、一言も言葉にしないまま21歳で亡くなった。


「思い」を、言葉にできる人がいる。

では、言葉にしない人には、「思い」はないか? 

言葉にしない人には、「こころ」はないか?



「言葉を話さない者には学ぶ意欲がない」、と扱う校長がいる。

「言葉を話さない者には学ぶ資格もない」、と扱う教育委員会がある。

それを「定員内不合格」という。


どんな行為が「残酷な行為」かは、その社会の文化と時代によって変わる。


高校進学率が60%くらいで中卒就職者が金の卵と言われた時代と99%が進学する無償化の時代。

「定員内不合格」が加える痛みと不安はけた違いに残酷な仕打ちになっている。

長い間、慣習として行われてきた「定員内不合格」という名の「入学拒否」。

それを、「高校は義務教育じゃない」からという言葉で片付けられる時代は終わったのだ。
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