「理解」について(メモ)
「障害児教育」とか、「障害者問題」という言葉が
普通に使われています。
「障害者理解」という言葉も気軽に使われます。
でも「問題」があるのは、障害のある人の問題にたどりつけない、
私でした。
私に足りないのは、「障害」の理解以前に、
「自分の理解」でした。
自分がどれほど、差別と偏見にまみれた文化と
社会常識にとらわれて生きているかという、
その自分理解がなさすぎるのでした。
この子のための教育とか、この子の理解とか、
この子の問題などという言葉を、上から目線で使いながら、
この子自身の問題に少しもたどりつけない私が、
一番の障害であるという「理解」が、
いつももっとも足りないことでした。
見えないこと、聞こえないこと、歩けないこと、
言葉がしゃべれないこと、勉強ができないことは、
恥ずかしいこと、嫌なこと、そうはなりたくないことと、
自分が「できること」に必死でしがみついている人間が、
この子たちを大事にすることなんて、できるのだろうか。
障害のある人や認知症の老人をみて、
「ああはなりたくない」と、心から願う人たちで作られる社会が、
「その人」を大事にすることが、できるだろうか。
この子をさびしくさせないなんてことが、できるだろうか。
「ああはなりたくない」と願う人間がたくさんいる、
その社会にいるだけで、すでにこの子たちを
さびしくさせているじゃないか。
「この子は、見えなくてかわいそう」
「聞こえなくてかわいそう」
「歩けなくて、かわいそう」
「しゃべれなくてかわいそう」
「字も書けなくてかわいそう」
「みんなと違って、一緒にいられなくて、かわいそう」
そうとしか見えない自らの「問題」を、
「特別支援」とか「専門性」とか「障害児のため」という
言葉にすり替えて、「良いこと」をしていると社会が思いこむ。
「みんなと一緒にいられない子ども」などいるものか。
「みんなと一緒にいれない」とみる「大人」がいるだけだ。
「みんなと一緒にいさせない」大人たちがいるだけだ。
かわいそうとか、哀れみとか、障害のあることをマイナスとして
抜き出すことを、どうしたら、無くすことができるのか。
実際に障害を持ちながらの子ども時代を生きたこともなく、
障害のある人生の生き方を知らない大人が、
どうして、子どもたちに、希望を、教えられるというのだろうか。
この子の人生がさびしくないように、
どうしたら考えることができるだろう。
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