8才の子ども 2010年終わり
yoは着替えなくていいと、山田先生が言った。
父ちゃんが迎えにくるという。
体育館の入口で、みんなが不思議そうにわたしを通り過ぎる。
学校を出て、父ちゃんと一緒にその建物に入る。
何か取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
でも、それが何なのか8才の子どもにはわからない。
いろんなテストをされ、いろんなことを聞かれる。
何を試されているのか分からないままがんばった。
必死でがんばった。
何を聞かれてもうまく切り抜けた、つもりだった。
「おねしょはどうですか?」
まずい。本当のことを言ってはいけない。
「…ときどき」
父ちゃんと目が合う。
「時々じゃねーだろ。本当のことを言え」
ぶちこわしだ。終わった。
そう思った。
せっかくうまくやってきたのに…。
必死でがんばったのに。
その後のことを覚えていない。
翌日から、またいつものように学校に通った。
次、がいつくるのか。
迎えがいつくるのか。
おびえながら、わたしは生きた。
何の説明もないまま、時が過ぎた。
わたしが何をしたのか、わたしの罪は何だったのか。
8才の子どもだった私にはわからない。
迎えは来ず、いつしか子どもは、その日のことを忘れた。
だけど、わたしはただの子どもではなくなっていた。
自分が悪い子だから、
この学校にいさせてもらえなくなるのだと、8才のときに思った。
自分がだめな人間だから、友だちと遊べなくなるのだと、8才のときに思った。
自分が情けない人間だから、家族と一緒に暮らせなくなるのだと、8才のときに思った。
気をつけろ。もう一度目をつけられたら、今度こそ終わりだ。
だけど何に気をつければいいのか。それが、わたしにはわからなかった。
自分がどんな悪いことをしたのか、わからない。
ただ、自分はみんなとは違う。自分には何かが足りない。
そのことが、わたしになった。
取り返しのつかないことが何かわからないまま、
何に気をつければいいのかわからないまま、私は生きてきた。
たいした望みはなかった。
ただ、ここにいたい。父ちゃんと母ちゃんと妹のいる家。友だちがいる学校。
ただ、ここにいたかった。
だけど、頼れる確かなものは、なかった。
わたしだけ着替えなくていいと、また言われるかもしれない。
わたしだけ学校にこなくていいと、いつか言われるかもしれない。
どこからか、迎えがくるかもしれない。
自分を守るすべが、どこにもなかった。
それがわたしの「8才の子ども」だった。
☆ ☆ ☆ ☆
人生50年夢幻のごとくなり。
人生50年なら、私の人生はもうすぐ終わる。
そうして、ふと思う。
わたしは何を必死でがんばってきたのだったろう。
ただ、自分がふつうのこどもだったと、確かめたくて、あのときも、いつだって、ただみんなといっしょにいていいこどもだったのだと、確かめるために50年の人生のほとんどを使ってきた。
大学でなにを知りたかったのか。特学や普通学級に勤めて、何を知りたかったのか。小学校、中学校、高校で子どもたちと出会って、何を知りたかったのか。ホームで、児相で子どもたちと出会って、何を知りたかったのか。
すべては、ただ自分がただのふつうの子どもだと知るためだった。みんなと同じあの場所にいてもよかったのだと、ただ確かめたかった。
私が出会ってきた子どもは、みんなふつうの子どもだった。子どもはみんなどこにいても、ふつうの子どもだった。
分けるのは大人だけだった。
ヒデやたっくんや朝子や知ちゃんに出会って、私がもらったものが何だったか。特別支援教育を疑問に思えない大人たちには、死んでも分からないだろう。
やっちゃんやあーちゃんやハルくんが、いま普通学級でふつうの子どもでいてくれることが、8歳のわたしの居場所にうなずいてくれる。
わたしも、この子たちと同じふつうの子どもだったのだと、言ってくれる。ひとつも遠慮なんかしないで、あの場所にいてもよかったのだと教えてくれる。
「hrが普通学級で過ごせない理由がなくなりました。」
ハルくんのお母さんの言葉を、8歳のわたしが聞いて泣きながらうなずいているのを感じる。そう、わたしも、あの場所で過ごせない理由など、ひとつもなかったのだと。
わたしの50年の人生で、一番大好きだったあの場所に、
みんなのいるあの場所に、ただそこにいてもよかったのだと。
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