ワニなつノート

『普通学級の障害児のために知っておきたい大切なこと』(その10)


第4章
《大切なのは仲間がいること、
そしてふれあいがあること》




私たちはみな、社交的に生まれついています。
私たちにとって、孤独であることは、時に身体的苦痛や病気の苦しみより、辛いものです。
人類が生活を始めたとき、集団で多くのことを共にし、一日の大半を親密な関係のなかで過ごしてきました。

現在では家族の人数は減り、一人暮らしの人も増え続けていますが、私たちの基本的な性質は変わっていません。
親しい、信頼できる、なじみのある人がいてくれると、自分自身についても、人生についても肯定的になれるのです。
私たちは自分の感情や経験を分かち合い、自分がありのままに理解され、受け入れられていると感じたいのです。

これは、赤ちゃんからお年寄りまで、そのままあてはまることです。
多くのお年寄りも、障害のある子どもたちも、もっと仲間とのふれあいをこそ求めているのです。


(認知症のお年寄りや障害のある人たちへの「不適切な対応」を「赤ちゃん扱い」と表現することの間違いはここから分かります。
たとえば失語症や認知症のお年寄りや、言語の障害のある人へ「赤ちゃん言葉」を使ったり、「赤ちゃんのように何もわからない人」のように扱うことを「赤ちゃん扱い」と表現することがあります。
その言葉の使い方は、その社会の文化では、まさに赤ちゃんに敬意が足りない社会だということを表しています。
そうした社会はまた、赤ちゃんや子どもを甘やかしてはいけないとしつけと称する暴力や虐待に寛容であることを示します。)


認知症のお年寄りは、おそらくより仲間とのふれあいを強く必要としているでしょう。
同じように、知的な障害ある子どもも、自閉的と言われる子どもも、仲間とのふれあいを必要としています。
孤独では生きること自体が困難な人としての性質を認識し、その人の社会的な欲求を認識し、うながし、ほかの人と分かち合う人生を形作り、それを保てるようにできることをすべてすることが大切です。

社会性は、たとえ他の能力が未発達であっても、その反対に衰えつつあっても、引き続き人と人との間で開花できるものです。

知的な障害があっても、言葉の障害があっても、認知症のお年寄りであっても、うまくやっていけるというはっきりしたしるしのひとつは、社会的に自信を持って安心していられることです。


《感情につきあう》

※ この項は、『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』トム・キットウッド&キャスリーン・ブレイディン著、より原文のまま引用します。)


心は脳よりも強いものです。
私たちの感情は、思考よりも深いのです。
これまでわかった限りでは、感情をつかさどる脳の部分は、思考をつかさどる部分比べてずっと損傷を受けにくいのです。
ですから、介護者は、介護される人の感情に特に敏感である必要があります。

(※ ここを読む度に思うのは、子どもが通う学校の先生は、他の職業よりは子どもの感情に敏感である必要があると思うのですが、
私の経験では、とくに不登校の子どもの感情に、一般の人よりも明らかに鈍感な人たちだったという経験です。)

感情は幅広いものです。
喜びや幸福、希望につきあうのはおそらくたやすいことでしょう。
けれども、わたしたちは否定的と思われるものも含め、すべての感情につきあう必要があるのです。
元気のない人を元気づけようとするのは、たいていの場合、間違っています。
わたしたちは、自分よりも元気がなくなるのを防ごうとしているだけかもしれません。
怒りや憤り、ねたみ、フラストレーション、悲しみ、絶望といった感情はどんな人の人生にもつきものです。
こういう感情をわたしたちが受け入れ、ほかの人にそれを表現することを許さなければ、その感情を真剣に受け止めていない、そんな感情は本物じゃないというメッセージを送っていることになってしまいます。
それでは相手のことを真剣に受け止めていないか、相手は実在の人間ではないと伝えているようなものです。

多くのお年寄りは、たくさんのものをなくしてしまったということに思いを馳せてください。
おそらく、友だちや愛する人を最近亡くしてしまっているでしょう。
仕事や取引をなくしたこと、または親や主婦としての役割をなくしたことから立ち直れない人もいます。
健康、精力、そして積極的な性生活の機会も失われてしまいました。
たいていの場合、収入やそれが裏付ける安心も失われています。
なかには、そのような喪失にもかかわらず、とてもうまく対処して満足して暮らしている人もいますが、喪失が互いに積み重なって不安とストレスが引き起こされる人もいるのです。知力が衰えている人は、また別の種類の喪失にも対応しなければいけません。

それは自分が何者かという感覚を脅かすような喪失です。
しばらくの間、彼らはその事実に目を瞑り、まわりにも隠そうとするのかもしれません。多くのお年寄りがこういう困難に直面しているのだと心に留めておけば、ふれあいもしやすくなるでしょう。
喪失の感覚につきあうことができれば、その他の多くの感情にもつきあうことができるでしょう。


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』
トム・キットウッド&キャスリーン・ブレイディン著 筒井書房

     ◇     ◇     ◇     ◇


普通学級を希望する子どもや、現に普通学級にいる子どもに、なんとしても特別支援の場を勧めようとする人たちが、何をしているのかが、ここには書かれています。

「多くのお年寄りは、たくさんのものをなくしてしまったということに思いを馳せてください。」
「喪失の感覚につきあうことができれば、その他の多くの感情にもつきあうことができるでしょう。」


つまり、「普通学級に自分の居場所がなくなる子どもの喪失の感覚」を感じることができないから、いまいる教室での子どもの多くの感情にもつきあうことができないのです。

それは、さっき書いた、不登校の子どもの気持ちに鈍感であることと同じ鈍感さです。
「障害のある子ども」を、子どもの気持ちを考えず、「特別のニーズに応えてあげよう」という「いいことをしている鈍感さ」であふれている学校だから、毎年十万人者の子どもが不登校という表現をし続けているのです。

障害のある子どもを排除する学校で、障害がないからといって安心はできないと感じる子どもがいるのはあまりに自然なことだと思います。
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