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60からのつれづれ日記

6回目の年男、現在は月20日ほど、午前中3時間ほどのパートでのんびりと仕事をさせてもらっています。

四国霊場八十八ヶ所・善通寺へ

2014-06-18 10:08:06 | インポート
6月21日(土)は四国八十八ヶ所75番札所の五岳山誕生院善通寺へ出掛けました。
真言宗善通寺派の総本山であるここ善通寺は空海誕生の地であり、京都の東寺、和歌山の
高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰を集めたところ。
この日も、駐車場には香川ナンバー以外の観光バスや乗用車で一杯です。






総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内。恥ずかしい話ですが、行く前の知識や
情報はゼロ。行って分かったのですが、善通寺は「伽藍」と称される東院、「誕生院」と
称される西院の東西二院で構成されていました。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、
創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが誕生された
佐伯家の邸宅跡にあたるとか。
ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝え、その荘厳な雰囲気に日常の俗世界?!から
心洗われる別世界に足を踏み入れた感じがしました。






創建当時の金堂は、永禄元年(1558)、戦火により焼失し、現在の建物は、元禄年間
(1688-1704)に再建されたそうです。本尊の薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ
巨像で、元禄13年(1700)、大仏師運長法橋によって造像されたもの。
また、善通寺のシンボルと言えばおなじみの五重塔。近くで上げると首が痛くなりますが、
その高さ45メートル。総欅造の大塔ですが、創建以来、大風や火災により、いくたびかの倒壊・
焼失を経てそのたびに再建。現在の塔は、弘化2年(1845)に再建が始められ、明治35年
(1902)に完成したものだそうです。


西院側から金堂に入る仁王門を抜けた塀の左右には羅漢さんがずらりと設置されていました。
いわゆる五百羅漢です。もちろんこの言葉は知っていて写真も見た事はあるものの、
情けない話ではありますが、何の知識の持たずに今日に至っております……。
この機会を逃せば、二度と五百羅漢さんが一体何なのかを永遠に知る事はない?!だろうと
早速、ネットで検索を開始。
引用先の文章を簡略化し、最後に記載していますので興味のある方はご覧下さい。










確かに羅漢さん顔の表情、仕草を一体一体見ていると、様々な人間の喜怒哀楽などの感情を
表していてそれぞれの像が個性豊かで違います。ただ、よくよく見ると共通点がひとつありました。
それは「耳」です。皆さん?!福耳でした。そうか煩悩が取れて悟りを開いたらこんな耳に
なるんだなと……。






弘法大師が八十八ヶ所を開設して1200年。その関係もあり境内は参拝する人が引きも切らず
訪れていました。色々な思いや事情を抱えて人は生きています。人生という旅の中で
何か自分だけでは問題解決出来ないもどかしさ、目の前に立ちはだかる大きな壁がある時、自分の
非力を感じた時に何かにすがり、救いを求めるケースは多々あります。
悲喜こもごもにつき、人は何かイベントを持つことでそれを増幅させたり、解消させたりして
心のバランスを取ることを知っています。マズローの欲求の五段階で明らかなように、より良く
生きたいのは人間の持つ本能であり欲求です。
暫く、境内の樹齢1400年の楠の木陰で、時折吹いて来る心地よい風に吹かれながら、
老若男女行き交う人々の姿を見てあれこれ思いを馳せた時間となりました。






羅漢さんとは?  

人の心の迷い、悩み、苦しみをひきおこす原因となる心の垢や精神の汚れのことを、
仏教では煩悩と呼ぶそうです。修行してこの煩悩を拭い去り、清らかな人格をつくりあげ、
人間として本当に価値のある人生を生きぬいてゆくための真実の智慧を完成した聖者を、
昔からインドでは「アラハン」とよびました。人びとからの供養をうけるにふさわしい
聖者という意味です。中国の仏教者は「アラハン」の発音をそのまま活かして「
阿羅漢」と表現しました。使い慣れるうちに「阿」がとれて「羅漢」というように
なったのです。これが「らかんさん」の語源。






悟りをひらいたお釈迦さまは、いわば「らかんさん」の第一号。しかしお釈迦さまには
「仏陀」とか「如来」などというような尊い呼び方がいろいろあったために、「羅漢」と
いうとお釈迦さまのお弟子のことを意味するようになりました。いいかえれば「らかんさん」は
お坊さんの第一期生、遥かな大先輩ということになります。
お釈迦さまと同じ時代のインドに生まれ、縁あってお釈迦さまに出会ってその弟子となり、
説法を我が耳で聴き、教えのとおりに修行に励み、とうとう煩悩を断ち切って聖者となり、
人びとの尊敬をうけたのが「らかんさん」です。
「らかんさん」は、ほかの多くの仏さまとちがって生身の人間です。実在していた人なのです。







私たちは昔から、仏さまのお名前に「さん」をつけて身近に呼び、親しんできました。
お釈迦さん、阿弥陀さん、お薬師さん、観音さん、お地蔵さん、お不動さん……。
そのような仏さまのなかでも、らかんさんは、また一段と親しみをもって迎えられました。
 




時代が江戸に入ると五百羅漢さんが登場。ひとりひとり顔のちがったらかんさんが
ならんでいるなかに、お参りの人びとは亡き人の面影によく似たらかんさんを見つけだして、
久し振りに再会したような感激をおぼえたのです。
写真のなかった当時、羅漢堂は懐かしい人の面影を偲ぶことができる有難い場所になったのです。
瞼の父に会いにきて、小さな手をあわせて一生懸命に祈っていた幼な児もいたはずです。
そんなところが人気を呼んで全国各所に五百羅漢像が造立されました。羅漢堂にいならぶ
五百羅漢さんは、人びとにとって懐かしい自分の肉親の姿であり、恋人の姿だったのです。
引用元(天恩五百羅漢寺/らかんさん広場より)






生憎、この日の天気は曇り気味。メリハリの弱い写真ですが掲載しております。




















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駐車場からこの橋を渡って大師堂のある西院に向かいます。










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東院に行く途中の仁王門です。






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お遍路さんがそれぞれの思いを胸に本堂を後にします。






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薬師如来が本尊の金堂です。真言はおん ころころ せんだり まとうぎ そわかを唱えます。」






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若いお二人です。真摯な後ろ姿、何を祈っているのでしょうか。






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ご夫婦でしょうか。参拝お疲れ様です。






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善通寺のシンボルとも言える五重塔。高さは約45メートル。






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池ではのんびり、カメ達が甲羅干しをしていました。






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大師堂の後ろの山並みから、山号は「五岳山」になったそうです。








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境内にある五百羅漢の石像。それぞれ個性豊かな表情で参拝者を迎えてくれます。






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消費税、TTP、集団的自衛権、それとも日本経済の先行き?空を見上げて何を思うか羅漢さん。






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こちらの羅漢さんは何に怒っているのか、気になりますね。






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まあ、怒らずにゆっくり行きましょうとにっこり顔の羅漢さん。






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本堂のある東院の南大門。
























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仏教において如来の精神や智慧は5つの色で表すとか。青・黄・赤・白・黒が
基本となる五色ですが、青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合などがあるようです。





瀬戸内しまなみのわ2014

2014-06-15 10:44:50 | インポート
6月8日(日)は大三島に出かけました。
愛媛と広島の両県がタッグを組んだ「瀬戸内しまなみのわ2014」の様々なイベントがあちら
こちらで開催されていて、10月まではしまなみ海道、大いに賑わいそうです。




特に、中村知事が愛媛県のトップセールスとして実現した「瀬戸内しまなみ海道・国際
サイクリング大会・サイクリングしまなみ」は普段、車しか走れない高速道路を規制して行う
日本でも唯一のサイクリング大会で10月26日(日)に開催、世界各国からの参加もあり
8000人が走る大規模なものになるようです。そんな影響もあってか今日も、今治から
大島までの来島海峡大橋は、颯爽と風を切って気持ちよく自転車を走らせるサイクリストが
多く見られました。先般は、その中村知事が吉本新喜劇に出演、「瀬戸内しまなみのわ2014」の
PRをし集客に一役買っている様子が放映されました。


厚労省によると2060年には65歳以上の高齢者が2.5人に一人、経済や社会に置ける影響は
大きく自立出来ない地方自治体が増えるとの予測。これからは何事も自己防衛、自分たちの県は
自分たちで存続させる努力、工夫をしないと生き残れない時代。中央からの「地方交付税交付金」が
当てにならなくなれば、親が子供に小遣いをやれないのと同じで、子供は自分でやりくりする
しかない状況に似ていて大変です。
ここ数年、農林水産畜産物の愛媛ブランドの確立、台湾や東南アジアへの積極的な企業や商品の
売り込みなど、その動きが活発になっているのも頷けます。






話をもとに戻して大三島へ。
大山祇神社の周辺がにいつになく賑やかなので何かなと思うと、ここでも「瀬戸内しまなみのわ
2014」のイベントの一環で市川海老蔵主演の「しまなみ歌舞伎」が開催されているとのこと。
夕方、5時30分開場の6時開演で当方が行った時はその準備中。
神社にはぞくぞくと県内外からの観客が詰めかけていて、境内には大きな舞台が設置され
すべて指定席のイスが整然と並べられ、照明の為のこれまた大きな櫓が組まれていました。
ちなみに披露された演目「碇知盛」は、源義経が平家討伐後、兵庫県尼崎市を船出し九州に
向かう途中の瀬戸内海が舞台。海老蔵が演じる平知盛が船頭に扮し、義経を倒そうとしたが敗北。
いかりを体に巻き付けて海に身を投げるという筋書き。






この歴史ある大山祇神社で2日間で3000人を超す観客を集めるイベントは、島を大いに
元気づけるだけでなく、愛媛の地、しまなみを全国に情報発信できたことは間違いないと思います。














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仁王門の前には歌舞伎関連の商品なども販売されていました。






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大きな舞台、野外ステージがこの社にぴたりと調和するのが歌舞伎の持つ魅力なのか。






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イスもセッティングされ後は開場を待つばかりです。














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境内にある樹齢2600年と言われる楠。




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威厳と神々しさが宿る大木は長年、何を見て来たのでしょうか?






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今治の親類、Hさんお手製のお弁当。味はもちろん、ヘルシーで彩りも良く
美味しくいただきました。






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島で見つけたサボテンの花。





写真展へ

2014-06-03 10:45:24 | インポート
5月31日(土)の午前中は2つの写真展を見学に行きました。
一つ目はフジグラン松山の5回ギャラリーでやっている「フォトサークル季」の写真展。
四季折々の自然の風景を中心に人物写真まで、多彩で個性溢れる作品群が並んでいました。
技術的な知識は勉強不足で多くは語れませんが、被写体をどう切り取るか、構図やトリミングなどを
見比べながら作者の意図を感じ取るべくじっくり鑑賞させて頂きました。






中でも印象に残った作品は、介護施設でのヘルパーの方と入所者の方が手を握ってこちらを
向いてにっこりと笑っている写真。お二人とも嫌みが無く純真な心の底からの笑顔で、
見ている側をほっこりさせてくれます。実際の施設での日々はいろいろあると思いますが、
お互いの気持ちがひとつになった瞬間をタイミングよくシャッターを切ったと思われます。










もう1点は古都(京都?)での古い町並みの路地を走っている人力車の作品。
側面からのアングルで背景の白壁と人力車の黒と赤い毛氈、車夫の粋な法被姿が調和して
明治時代にタイムスリップしたような感じ。典型的な「和」の世界ですが、ノスタルジックな
写真は風情や情緒があって癒されます。
あと1点は鷲か鷹?が大きな魚を足で捕まえて、悠々と羽を広げて滑空している作品が
印象に残りました。対角線の構図が大胆で、自然界の弱肉強食の様を叩き付けているようで
はっとさせられる写真でもありました。


その後、小坂にあるエスパス21乗松巌記念館へ直行。
こちらは以前から楽しみにしていた展覧会「ユーモア路上観察展」が開催されています。
日々の生活の中で、カメラを持ち歩き珍しい光景、何かおかしい物体、不思議な情景などを
撮影し「さあどうぞ」と言って我々の目の前に差し出してくれています。
街の中には見方によって本当にユニークなものがこんなにあるんだなと、改めて視点の大切さを
実感させられること間違いありません。






我々が感知しない時間の経過や、作為のない作為、街が人知れず刻んだ歴史や文化などが
そこには溢れています。忙しさにかまけて見えない世界、ゆとりが無くフォーカスできない世界、
言わば無用の用の必要性、意味性を感じる写真展となっています。
一般の写真展は静かに鑑賞するのがマナーだと思いますが、こちらの写真展は思い思いに
声を出しながら、仲間と感想を述べ合っての自由な鑑賞が許される場、といってもいいと思います。
もちろん、適度な声で迷惑にならない程度で、ですが。






最後に、館長さんとお話が出来きました。「ここの作品は写真の技術や完成度を見てもらう
ものではなく、街を構成しているものの面白さを見てもらって、日常を観察する鳥の目、
アリの目で好奇心を忘れないようにして欲しい」車のスピードで走ると見えないもの、ゆっくり
歩いてこそ見えるものがあるようです。
何が大切で大切でないか?そんなことをユーモアたっぷりに示唆してくれる写真展でありました。






今日はYouTubeから平原綾香の「ジュピター」を添付しています。






















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YouTube: Jupiter 「 平原綾香 」。






夏の畑へ模様替え

2014-05-29 11:39:28 | インポート
今日の気温、松山で11時過ぎにはには26度を超えて夏日となり、この調子だと
日中は30度近くまで上がるのではないかと思える天気となっています。


昨日は、午前中は愛大附属病院でのボランティア、昼からは川柳ノラの会に参加し大いに
楽しませていただきました、皆さん、打々発止で川柳を語る姿は、本当に明るく笑いが絶えず
個性豊かで頼もしく思います。十人十色いろいろな考え方や見方があって刺激を与えて
もらっています。



夜7時からは砥部町公民館でのスポーツ吹矢の練習。吹矢仲間と切瑳琢磨?!も交えながら
和気あいあいの時間を過ごしました。Kさんのアドバイスもあり、この日の練習でも矢がまとまり
出して、1年以上続いていた暗くて長い?!トンネルを脱出できそうな気配がしております。






さて、遅れに遅れていた畑の作業ですが、夏野菜を植える場所の確保をするため、先週の土、日
で空豆とスナップエンドウ、キヌサヤエンドウの始末をして来ました。
今度の土、日を利用してそれらの株を抜いて、耕して畝作りをするつもりです。
豆類は順調に収穫出来て、栽培に関しては上手く行ったと思います。特に職場のYさんから
いただいた特別な?!(農家の方のノウハウが詰まったもの)空豆の苗は見事に成長し味も
良く立派なものになりました。
また、スナップエンドウも甘くて美味しいのでサラダとして重宝しました。










以前に作った畝には今、トマトの苗、枝豆の苗、ピーマン、同じく茄子の苗を植えています。
苗以外では、もう葉が枯れ始めたので収穫しないといけないタマネギ、順調に育っているレタス、
残念ながら6割方が枯れたり、葉の病気?でだめになっていて、残り4割にすべて託すしかない
状態のジャガイモ。それに人参の種も植えています。この人参は水やりが足りなくて一度失敗した
ので2回目になります。
あとは自宅のポットで種から黒の枝豆、スイートコーン、九条ネギ、パセリ、ゴーヤ、オクラを
植えています。もちろん、枝豆、スイートコーン、ゴーヤ、オクラは成長したら畑に移植をします。
昨年はピーマンは大失敗、今年はなんとか成功させたいと思います。


これからは、野菜だけでなく雑草がどんどん成長してくれます。こまめに草も引きながら
農作業にも精を出したいと思います。また、この天候だと野菜にもよりますが、水やりも
欠かせません。
取り敢えず、最新の畑の画像を掲載させて頂きます。














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赤タマネギも何とか収穫出来ました。サラダの彩りに活躍してくれます。






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すでに畑に移植した枝豆。










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こちらはゴーヤです。畑に植えるにはまだしばらく掛かりそうそうです。






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レタスもここまで育ちました。葉がどんどん大きくなっています。
この土地はスギナが繁殖して大変です。引いても引いても地下茎で繋がっていて
どうにもなりません。






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空豆を刈り取る前です。高さは1.5M位はあると思います。










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刈り取ったあとの様子です。兵どもが夢の跡 といった風情?!










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違う方向から見た刈り取る前の空豆。横のマルチシートの畝は枝豆を植える前の状態。






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キヌサヤエンドウも最後はこんな感じでその一生?!を終えました。










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豆類を片付けた後、スッキリと衣替え?!させたのですが、これからがまだ一仕事です。






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手前がトマト、奥が茄子の苗になります。






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早くもトマトの花が咲いています。トマトはわき芽をとって1本仕立てにします。





四国霊場八十八ヶ所・竹林寺と禅師峰寺

2014-05-24 09:13:59 | インポート
今日は先般、高知の牧野植物園に行った際に寄った四国霊場八十八ヶ所・竹林寺(三十一番札所)と
禅師峰寺(ぜんじぶじ・三十二番札所)の様子を掲載します。






竹林寺は五台山にある牧野植物園と隣り合った場所に位置していて、多くの参拝客で
賑わっていました。階段のある仁王門を抜けると、本堂までの小径の両横にかえでの新緑の樹々が、
アーチのようになっていて参拝者を優しく癒してくれ、まさにゆったりした時間が流れています。
さらに階段を上がると目の前に五重塔が現われ、左手には大師堂と右手奥に本堂が見えます。
竹林寺の本尊は「智恵の仏さま」「三人寄れば文殊の智恵」と親しまれる文殊菩薩様。
こちらの本尊は古くより、京都・切戸(きれと)の文殊、奈良・安倍(あべ)の文殊とともに、
「日本三文殊」のひとつに数えられているとか。
さらにそのお姿は四体の待者像とともに僧・行基の作と伝えられ、わが国に現存する
文殊五尊像の中で最古の作例といわれている貴重なものだそうです。






竹林寺の境内では竹を素材に様々なオブジェが設置されていました。山門の階段に置かれた造形、
同じく山門手前では丁度、女性の方が竹の簾のようなものを作っている最中でした。
さらには本堂に上がる手前の道筋の作り物等々。竹林寺ですから竹だと思うのですが、お寺という
空間を活用したアートシーンの創作。アートを身近にというコンセプトなのかも知れません。
これで思い出したのが、我が愛媛の道後温泉で開催中の「道後オンセナート2014」。
気鋭のアーティストの最先端の作品と伝統ある道後温泉の融合で生まれる新しい空間。
それが道後の新しい魅力となって今年の大型連休も多くの観光客で賑わった訳です。

なんでも合体させればいいとは思いませんが、昨今様々な場所や場面で異業種のコラボが
注目を集めていることは事実です。
ケースバイケースであり、時と場合によりはしますが、過去の遺産と現代アートの
コラボレーションは可能性を探りつつ、これからもますます増殖して行きそうです。










後から調べて分かったことですが、そんな竹林寺の修行僧のある逸話から歌われだしたのが
「よさこい節」だとか。「よさこい節」と言えば高知県の代表的な民謡。江戸時代から歌われている
そうですが、おなじみの歌詞の〈土佐の高知の播磨屋橋で,坊さん簪(かんざし)買うを見た〉と
歌われるのは,次の様な話があったようです。
1855年(安政2)竹林寺(ちくりんじ)南坊の僧・純信(順心)が鋳掛屋(いかけや)信平の娘お馬に
恋慕し,寺の品物を持ち出して与えていたが,あるとき,播磨屋橋の小間物屋でサンゴ(珊瑚)の簪を
買っているところを見つかり,情事と不正が明るみに出て,2人とも追放になったという事件があり
その時の事を歌にしたということです。






さて、竹林寺の参拝を終えたあと、2ヶ所のお寺をお参りする予定でしたが、帰りの時間の
こともあって1ヶ所だけを参拝することに。
竹林寺から東南に約20分ほど走ったところにある三十二番札所・禅師峰寺は行基菩薩が開基。
807年,弘法大師がこの地を訪れ,海上安全を願って十一面観音像を刻んで安置。行基菩薩が
開いた峰の寺の意味で禅師峰寺となり,本尊は船魂観音と呼ばれ,漁師の信仰も篤く,歴代の
藩主も浦戸湾を出帆するとき必ず海上安全を祈ったとのこと。


太平洋が眺望できる土佐湾の海岸に近い場所にある禅師峰寺。標高82mほどの小高い山「峰山」の
頂上にあり、そこから見渡す太平洋は壮大な広がりを見せていました。右の方角には桂浜も見えます。
ここから大海原を見ていると人間の悩みや煩悩など、小さな事だと思い知らされます。
まさに命の洗濯が出来そうな空間であります。竹林寺が優しさ癒しが漂うお寺とすれば、禅師峰寺は
元気や勇気が湧いて来るお寺、そんな印象の高知の二ヵ寺でありました。








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竹林寺の仁王門です。階段の横には竹のオブジェ作品が置かれていました。






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かえでのトンネル。新緑が眩し過ぎるくらいですが、森林浴の効果も大でしょう。






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ここにも竹の制作物がありました。






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明治32年の台風により倒壊。昭和55年、高さ31メートル、総檜造り、鎌倉時代初期の様式をもつ
五重塔として復興しました。






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文殊菩薩を本尊とする本堂。五十年に一度のご開帳ということでした。










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ここでも竹を使った作品を制作中でした。






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三十二番札所・禅師峰寺の本堂です。こじんまりとした境内でした。






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太平洋が目の前に。まさに海上安全祈願を願った場所だということが伝わります。






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十一面観世音菩薩像は深い慈悲により、衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す
菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多いそうです。