6月21日(土)は四国八十八ヶ所75番札所の五岳山誕生院善通寺へ出掛けました。
真言宗善通寺派の総本山であるここ善通寺は空海誕生の地であり、京都の東寺、和歌山の
高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰を集めたところ。
この日も、駐車場には香川ナンバー以外の観光バスや乗用車で一杯です。
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内。恥ずかしい話ですが、行く前の知識や
情報はゼロ。行って分かったのですが、善通寺は「伽藍」と称される東院、「誕生院」と
称される西院の東西二院で構成されていました。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、
創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが誕生された
佐伯家の邸宅跡にあたるとか。
ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝え、その荘厳な雰囲気に日常の俗世界?!から
心洗われる別世界に足を踏み入れた感じがしました。
創建当時の金堂は、永禄元年(1558)、戦火により焼失し、現在の建物は、元禄年間
(1688-1704)に再建されたそうです。本尊の薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ
巨像で、元禄13年(1700)、大仏師運長法橋によって造像されたもの。
また、善通寺のシンボルと言えばおなじみの五重塔。近くで上げると首が痛くなりますが、
その高さ45メートル。総欅造の大塔ですが、創建以来、大風や火災により、いくたびかの倒壊・
焼失を経てそのたびに再建。現在の塔は、弘化2年(1845)に再建が始められ、明治35年
(1902)に完成したものだそうです。
西院側から金堂に入る仁王門を抜けた塀の左右には羅漢さんがずらりと設置されていました。
いわゆる五百羅漢です。もちろんこの言葉は知っていて写真も見た事はあるものの、
情けない話ではありますが、何の知識の持たずに今日に至っております……。
この機会を逃せば、二度と五百羅漢さんが一体何なのかを永遠に知る事はない?!だろうと
早速、ネットで検索を開始。
引用先の文章を簡略化し、最後に記載していますので興味のある方はご覧下さい。
確かに羅漢さん顔の表情、仕草を一体一体見ていると、様々な人間の喜怒哀楽などの感情を
表していてそれぞれの像が個性豊かで違います。ただ、よくよく見ると共通点がひとつありました。
それは「耳」です。皆さん?!福耳でした。そうか煩悩が取れて悟りを開いたらこんな耳に
なるんだなと……。
弘法大師が八十八ヶ所を開設して1200年。その関係もあり境内は参拝する人が引きも切らず
訪れていました。色々な思いや事情を抱えて人は生きています。人生という旅の中で
何か自分だけでは問題解決出来ないもどかしさ、目の前に立ちはだかる大きな壁がある時、自分の
非力を感じた時に何かにすがり、救いを求めるケースは多々あります。
悲喜こもごもにつき、人は何かイベントを持つことでそれを増幅させたり、解消させたりして
心のバランスを取ることを知っています。マズローの欲求の五段階で明らかなように、より良く
生きたいのは人間の持つ本能であり欲求です。
暫く、境内の樹齢1400年の楠の木陰で、時折吹いて来る心地よい風に吹かれながら、
老若男女行き交う人々の姿を見てあれこれ思いを馳せた時間となりました。
羅漢さんとは?
人の心の迷い、悩み、苦しみをひきおこす原因となる心の垢や精神の汚れのことを、
仏教では煩悩と呼ぶそうです。修行してこの煩悩を拭い去り、清らかな人格をつくりあげ、
人間として本当に価値のある人生を生きぬいてゆくための真実の智慧を完成した聖者を、
昔からインドでは「アラハン」とよびました。人びとからの供養をうけるにふさわしい
聖者という意味です。中国の仏教者は「アラハン」の発音をそのまま活かして「
阿羅漢」と表現しました。使い慣れるうちに「阿」がとれて「羅漢」というように
なったのです。これが「らかんさん」の語源。
悟りをひらいたお釈迦さまは、いわば「らかんさん」の第一号。しかしお釈迦さまには
「仏陀」とか「如来」などというような尊い呼び方がいろいろあったために、「羅漢」と
いうとお釈迦さまのお弟子のことを意味するようになりました。いいかえれば「らかんさん」は
お坊さんの第一期生、遥かな大先輩ということになります。
お釈迦さまと同じ時代のインドに生まれ、縁あってお釈迦さまに出会ってその弟子となり、
説法を我が耳で聴き、教えのとおりに修行に励み、とうとう煩悩を断ち切って聖者となり、
人びとの尊敬をうけたのが「らかんさん」です。
「らかんさん」は、ほかの多くの仏さまとちがって生身の人間です。実在していた人なのです。
私たちは昔から、仏さまのお名前に「さん」をつけて身近に呼び、親しんできました。
お釈迦さん、阿弥陀さん、お薬師さん、観音さん、お地蔵さん、お不動さん……。
そのような仏さまのなかでも、らかんさんは、また一段と親しみをもって迎えられました。
時代が江戸に入ると五百羅漢さんが登場。ひとりひとり顔のちがったらかんさんが
ならんでいるなかに、お参りの人びとは亡き人の面影によく似たらかんさんを見つけだして、
久し振りに再会したような感激をおぼえたのです。
写真のなかった当時、羅漢堂は懐かしい人の面影を偲ぶことができる有難い場所になったのです。
瞼の父に会いにきて、小さな手をあわせて一生懸命に祈っていた幼な児もいたはずです。
そんなところが人気を呼んで全国各所に五百羅漢像が造立されました。羅漢堂にいならぶ
五百羅漢さんは、人びとにとって懐かしい自分の肉親の姿であり、恋人の姿だったのです。
引用元(天恩五百羅漢寺/らかんさん広場より)
生憎、この日の天気は曇り気味。メリハリの弱い写真ですが掲載しております。

駐車場からこの橋を渡って大師堂のある西院に向かいます。

東院に行く途中の仁王門です。

お遍路さんがそれぞれの思いを胸に本堂を後にします。

薬師如来が本尊の金堂です。真言はおん ころころ せんだり まとうぎ そわかを唱えます。」

若いお二人です。真摯な後ろ姿、何を祈っているのでしょうか。

ご夫婦でしょうか。参拝お疲れ様です。

善通寺のシンボルとも言える五重塔。高さは約45メートル。

池ではのんびり、カメ達が甲羅干しをしていました。

大師堂の後ろの山並みから、山号は「五岳山」になったそうです。

境内にある五百羅漢の石像。それぞれ個性豊かな表情で参拝者を迎えてくれます。

消費税、TTP、集団的自衛権、それとも日本経済の先行き?空を見上げて何を思うか羅漢さん。

こちらの羅漢さんは何に怒っているのか、気になりますね。

まあ、怒らずにゆっくり行きましょうとにっこり顔の羅漢さん。

本堂のある東院の南大門。

仏教において如来の精神や智慧は5つの色で表すとか。青・黄・赤・白・黒が
基本となる五色ですが、青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合などがあるようです。
真言宗善通寺派の総本山であるここ善通寺は空海誕生の地であり、京都の東寺、和歌山の
高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰を集めたところ。
この日も、駐車場には香川ナンバー以外の観光バスや乗用車で一杯です。
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内。恥ずかしい話ですが、行く前の知識や
情報はゼロ。行って分かったのですが、善通寺は「伽藍」と称される東院、「誕生院」と
称される西院の東西二院で構成されていました。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、
創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが誕生された
佐伯家の邸宅跡にあたるとか。
ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝え、その荘厳な雰囲気に日常の俗世界?!から
心洗われる別世界に足を踏み入れた感じがしました。
創建当時の金堂は、永禄元年(1558)、戦火により焼失し、現在の建物は、元禄年間
(1688-1704)に再建されたそうです。本尊の薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ
巨像で、元禄13年(1700)、大仏師運長法橋によって造像されたもの。
また、善通寺のシンボルと言えばおなじみの五重塔。近くで上げると首が痛くなりますが、
その高さ45メートル。総欅造の大塔ですが、創建以来、大風や火災により、いくたびかの倒壊・
焼失を経てそのたびに再建。現在の塔は、弘化2年(1845)に再建が始められ、明治35年
(1902)に完成したものだそうです。
西院側から金堂に入る仁王門を抜けた塀の左右には羅漢さんがずらりと設置されていました。
いわゆる五百羅漢です。もちろんこの言葉は知っていて写真も見た事はあるものの、
情けない話ではありますが、何の知識の持たずに今日に至っております……。
この機会を逃せば、二度と五百羅漢さんが一体何なのかを永遠に知る事はない?!だろうと
早速、ネットで検索を開始。
引用先の文章を簡略化し、最後に記載していますので興味のある方はご覧下さい。
確かに羅漢さん顔の表情、仕草を一体一体見ていると、様々な人間の喜怒哀楽などの感情を
表していてそれぞれの像が個性豊かで違います。ただ、よくよく見ると共通点がひとつありました。
それは「耳」です。皆さん?!福耳でした。そうか煩悩が取れて悟りを開いたらこんな耳に
なるんだなと……。
弘法大師が八十八ヶ所を開設して1200年。その関係もあり境内は参拝する人が引きも切らず
訪れていました。色々な思いや事情を抱えて人は生きています。人生という旅の中で
何か自分だけでは問題解決出来ないもどかしさ、目の前に立ちはだかる大きな壁がある時、自分の
非力を感じた時に何かにすがり、救いを求めるケースは多々あります。
悲喜こもごもにつき、人は何かイベントを持つことでそれを増幅させたり、解消させたりして
心のバランスを取ることを知っています。マズローの欲求の五段階で明らかなように、より良く
生きたいのは人間の持つ本能であり欲求です。
暫く、境内の樹齢1400年の楠の木陰で、時折吹いて来る心地よい風に吹かれながら、
老若男女行き交う人々の姿を見てあれこれ思いを馳せた時間となりました。
羅漢さんとは?
人の心の迷い、悩み、苦しみをひきおこす原因となる心の垢や精神の汚れのことを、
仏教では煩悩と呼ぶそうです。修行してこの煩悩を拭い去り、清らかな人格をつくりあげ、
人間として本当に価値のある人生を生きぬいてゆくための真実の智慧を完成した聖者を、
昔からインドでは「アラハン」とよびました。人びとからの供養をうけるにふさわしい
聖者という意味です。中国の仏教者は「アラハン」の発音をそのまま活かして「
阿羅漢」と表現しました。使い慣れるうちに「阿」がとれて「羅漢」というように
なったのです。これが「らかんさん」の語源。
悟りをひらいたお釈迦さまは、いわば「らかんさん」の第一号。しかしお釈迦さまには
「仏陀」とか「如来」などというような尊い呼び方がいろいろあったために、「羅漢」と
いうとお釈迦さまのお弟子のことを意味するようになりました。いいかえれば「らかんさん」は
お坊さんの第一期生、遥かな大先輩ということになります。
お釈迦さまと同じ時代のインドに生まれ、縁あってお釈迦さまに出会ってその弟子となり、
説法を我が耳で聴き、教えのとおりに修行に励み、とうとう煩悩を断ち切って聖者となり、
人びとの尊敬をうけたのが「らかんさん」です。
「らかんさん」は、ほかの多くの仏さまとちがって生身の人間です。実在していた人なのです。
私たちは昔から、仏さまのお名前に「さん」をつけて身近に呼び、親しんできました。
お釈迦さん、阿弥陀さん、お薬師さん、観音さん、お地蔵さん、お不動さん……。
そのような仏さまのなかでも、らかんさんは、また一段と親しみをもって迎えられました。
時代が江戸に入ると五百羅漢さんが登場。ひとりひとり顔のちがったらかんさんが
ならんでいるなかに、お参りの人びとは亡き人の面影によく似たらかんさんを見つけだして、
久し振りに再会したような感激をおぼえたのです。
写真のなかった当時、羅漢堂は懐かしい人の面影を偲ぶことができる有難い場所になったのです。
瞼の父に会いにきて、小さな手をあわせて一生懸命に祈っていた幼な児もいたはずです。
そんなところが人気を呼んで全国各所に五百羅漢像が造立されました。羅漢堂にいならぶ
五百羅漢さんは、人びとにとって懐かしい自分の肉親の姿であり、恋人の姿だったのです。
引用元(天恩五百羅漢寺/らかんさん広場より)
生憎、この日の天気は曇り気味。メリハリの弱い写真ですが掲載しております。

駐車場からこの橋を渡って大師堂のある西院に向かいます。

東院に行く途中の仁王門です。

お遍路さんがそれぞれの思いを胸に本堂を後にします。

薬師如来が本尊の金堂です。真言はおん ころころ せんだり まとうぎ そわかを唱えます。」

若いお二人です。真摯な後ろ姿、何を祈っているのでしょうか。

ご夫婦でしょうか。参拝お疲れ様です。

善通寺のシンボルとも言える五重塔。高さは約45メートル。

池ではのんびり、カメ達が甲羅干しをしていました。

大師堂の後ろの山並みから、山号は「五岳山」になったそうです。

境内にある五百羅漢の石像。それぞれ個性豊かな表情で参拝者を迎えてくれます。

消費税、TTP、集団的自衛権、それとも日本経済の先行き?空を見上げて何を思うか羅漢さん。

こちらの羅漢さんは何に怒っているのか、気になりますね。

まあ、怒らずにゆっくり行きましょうとにっこり顔の羅漢さん。

本堂のある東院の南大門。

仏教において如来の精神や智慧は5つの色で表すとか。青・黄・赤・白・黒が
基本となる五色ですが、青・黒の代わりに樺・紫・緑などを含める場合などがあるようです。