ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

尊厳死を選択して

2020-07-05 06:46:41 | エッセー

 昨日送られてきた会報には、作家篠田節子さんのお父様が交通事故に遭

い、その後延命処置をされ、管を沢山繋がれ、まるで拷問のようだった7か月

間の経緯が紹介されていた。そのためか表紙には“絶好の死に時があるので

は?”と言うタイトルで私はドキッとした。ご当人の意思には関わりなく

何年か前まで実際に行われていた、過酷と思える延命処置が施されていた。

私はそのため「自分の死は自分で選択したい」と、「尊厳死協会」に夫と

共に、大分以前に入会した。それは「自分で自立して生きていられなく

なった時」だが、痛みだけは押さえて欲しいが、只生かされるための

治療は、決してして欲しくないからだ。

 

私にとってはさまざまな病気を持つ夫を、先に幸せに見送りたいと思って

いる。でも、いくら元気でも事故もあるし、こればかりは必ずそうできる

とは限らずまったく未知数だ。3年前84歳で亡くなった兄は、83歳まで元気

だったが、喉頭がんになり、口からは水すらも飲めなくなり、胃ろうを

勧められたが拒否し、それから間もなく亡くなった。

 認知症10年目の夫は、まだ晩酌も楽しめるし、感性も豊かで、会話も

普通にできる、ほとんど自立している。 そのため、私はそんな夫なので

長生きさせたいと思っている。

その会報に入っていたのは、「私の希望表明書」だが、用紙をコピーし

それぞれに記入したが、私達の意見は同じで「自立して生きられなければ、

自然な死を選びたい」それは子供達にもハッキリ伝え、遺書にも書いて

ある。私はある大学病院に検体登録してあるため、死後すぐにその病院

へ搬送されるが「お葬式は要らない」と言ってはあるが、病院では「葬式

後でも良い」そうだ。子供達の精神衛生上は、「お棺に花を入れる母との

別れのセレモニー」は、必要ではないかと感じているが・・・

 死後の世界についても勉強したが、たった今死んだとしても、私は思い

残すことは全くない。もしも医学の進歩のお役に立てれば、こんな

嬉しいことはない。それに、死ぬのもまた新しい始り?で、何だか

楽しそう!実は今そんな気がしているから・・・

何とも汚い字で呆れたが、これは即記入した、もっと丁寧に書けばと

少々反省している。

 

 

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