ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

瀬戸内国際芸術祭の思い出その一(瀬戸内)

2010年12月27日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 朗報。2010年瀬戸内国際芸術祭の数々のアート作品が、会期が終わった後も公開されるという事です。あの猛暑の中、これで見納めと、死にそうになりながら歩いていたのは何だったんだと思いつつも、今度は空いている時に見よう・・・とのん気に旅への期待を膨らませています。
 もう会期が過ぎてしまいましたが、ご紹介するのは直島です。直島は瀬戸内で原発が事故でも起こさない限り、すべての作品が四季を通じて見ることが出来ます。安藤忠雄の建築したベネッセミュージアムや、地中美術館で名高いアートの島ですが・・・しかし今回は大阪万博アメリカ館の月の石を見るよりも困難を極めた安藤忠雄の建築はスルーし、フェリー乗り場周辺の「宮浦エリア」と、民家をそのままアート作品として大胆に改装した家プロジェクトのある「木村エリア」を散策しました。まず、宮浦港からバスに乗り、島の反対側の木村エリアへ。のんびりした小さな集落を地図を片手にうろうろすると、まず綺麗に整備された家並みに驚きます。家々の塀は腐らないように黒く焼かれた焼板で、白い漆喰とのモノトーンの対比が鮮やか、所々にある凝った金具の意匠など、島の集落の建物というよりも武家屋敷や商人町を眺め見ているような風情です。京都ですら、町屋の存続が難しいというのに、古い町並みを建物の保存もかねてアートの島にしたという着眼点、恐れ入ります。
  
 もちろんアートの展示場以外のタバコ屋や喫茶室も店舗は少ないながら、個性的なお店ばかりで、中途半端な草木染や健康グッズなどを売る怪しさ満点の土産物屋が建って、来訪者をゲンナリさせるような事もありません。
   
 真夏の日差しは耐え難いほどでしたが、惚れ惚れするような古い家並みのたたずまいを歩くと、古い日本映画の主人公になったようです。しかしやはり主役はアート、個々の会場の質にばらつきはあるものの、スケールの大きさで魅了した作品を紹介してみます。
 
   
 「はいしゃ」大竹伸朗
 一見ありがちな2階建ての住居は、トタンや廃材、様々なオブジェでくるまれて異形の館となりました。中に入ればポップでクレイジー、とどめは吹き抜けに巨大な自由の女神、見るものの常識や観念を打ち砕く巨大な装置と化したこの民家の元が歯医者だったとの説明を聞いて「そのはいしゃだったのか」とまた笑いが起きる楽しさ。まるでダンボールアートの日比野克彦とかが活躍していた時の80年代の夢が蘇ってきます。芸術か、冗談か、所々に垣間見えるアートかぶれの学生が熱病のようにボロアパートを勝手に改装しているような中途半端さは意図されたものなのか・・・違和感であったり、驚きであったり、笑いであったり・・・そんな感覚がミルフィーユのように記憶の上に確実に層をなして蓄積されていきます。
    

 「門屋」宮島達男
 島の人々にそれぞれ早さを設定してもらって、様々な速さで点滅する無数の光のデジタルカウンターが、築200年経つ、真っ暗な古民家の中で点滅します。目まぐるしく進むカウンターもあれば、時を止めたようにゆっくりと点滅するカウンターもあります。それが示すものは、人のそれぞれ持つ時間の流れの違い、それは人生の長さという神様しか見ることの出来ない生命の時計のなのでしょうか・・・。古い民家の形作る夜のような闇は深く、明り取りの建具を通して降り注ぐ外の光はもはや別の世界、はたして電子蛍のようなカウンターを見ている私は生きているのか死んでいるのか・・・時間や思考を拡散していくように点滅するおびただしい光の中で誰しも、言葉を失うはずです。
  

 「護王神社」杉本博司 
 島の小高い山の上にある神社、森の中に突然開ける広い場所。
   
 夏の日に照らされて輝く、氷のようなガラスの階段は下の石室へと続き、その石室の中ではわずかな光がガラスを通して石室に届きます。 
 
 神聖な存在をガラスというクラシカルな趣とモダンなテイストの両極を併せ持つ素材で視覚化する所に面白さがあると思います。石室は本当の暗がりで、細長く、懐中電灯でも足元が見えないほどでした。この土地がが本当の神社の敷地である事など、スケールの大きな作品です。(下の石室で暗闇にも関わらずガキが大ハシャギしていて、鑑賞どころの騒ぎではありませんでしたが・・・。)
 
 「石橋」千住博
 製塩業で栄えた石橋家の中庭を望む部屋では禅寺風の襖絵、暗い部屋では千住博の有名な滝の絵が鑑賞できます。中庭はけして絶景とは言えません。襖絵はどんな絵だったのか記憶がありません。口々に批評家のように揶揄している関西弁のオバチャン達のオーラに掻き消されてしまったのです。また滝の絵は、いつかデパートの冷房が効いた展示会場で見たときは水しぶきの中に佇むようでその静けさに圧倒されたのに、夏の蒸し風呂のような家屋の中では苦行でした。氏の作品が現代アートというよりはやや古典に傾いているので、日本家屋との相性はいいのですがやや全体的に地味な作品になってしまったようです。
 

 (瀬戸内国際芸術祭の思い出そのニへ続く)

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