ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

はじめに

2010年06月16日 | 古い建物
 10年を一昔前というのなら、もう2昔前の事、私は郷里を後にしました。田舎という木屑や埃がその文字からポロポロとこぼれてきそうなその二文字と別れを告げたいからに他ならなぬ、上京という名の逃亡でした。
 私の田舎・・・そこは瀬戸内の海沿いの埋立地で、昔の海岸線の名残として、あたり一面どぶ川が広がっていました。アオサの浮いた潮が満ちては、生ぐさい臭気を放つ真っ黒な川。引き潮になれば川のヘドロの表面から炭鉱夫のように真っ黒な蟹が、穴から気ぜわしく出たり入ったりして、いびつな光景を形作ります。川岸には粗末な神社の建物、傾いた木造の商店、手入れのされていない樹林が広がり、町に出れば、けばけばしい黄色やオレンジの電球がグランドキャバレエやモーテルの看板をグルリと囲み、酒場町を猥雑な光で賑やかに満たします。そしてそんな光景と共に、切れ切れとなって浮かんでは消える恥ずかしくも悲しい思い出・・・乾いた膿に絆創膏が張り付いて、剥がそうとしても剥がれない、もはや第二の皮膚のようになってしまった古傷のような思い出がこびり付く街・・・。そんな一切合財を捨てて、東京に出てきたが良いが、あんなにも輝き、未来都市のごとくに見えた摩天楼もやがては色あせ、目まぐるしく変わる都会の刺激的毎日は、目的もなくただ生きているに過ぎないという乾いた日常へといとも簡単に転じてしまいました。
 そんな焦燥感の中、突如、小さなお稲荷さんから有名な寺院まで、祠や寺社建築を見て回る事に取り付かれ、今はその周辺に佇む門前町、花街の跡、街道沿いの宿場町を歩く事に喜びを見出しています。そこでつい足を止めて見てしまうのは、あんなにも呪詛していたはずの、板塀の奥に朽ちている木造の粗末な家々や、煤けたモルタル作りの商店です。それは閑散とした私の郷里に酷似した侘しい佇まいでした。  
 さて、そんなわけでこのブログがご紹介するのは古い街角のそぞろ歩きです。こちらをじっと見つめる猫が道先案内人で、アロエの植木鉢が連なる込み入った路地裏に誘われるままに入っていけば、破れた赤提灯が線香花火の最後のポッチリのように灯る古い飲み屋街、表通りから三間も離れていないのに、戦争前のランプが下がり、魚の煮付けの良い匂い。白い猫の影がおいでおいでとさらに誘う暗がりの向こう、何やら意味深な酒場が連なって、闇と闇とが手を繋ぎ、密やかなハートマークを形作る束の間のパラダイス・・・。そんな場所へ人が誘われるのは、生まれ出てきた生命が意識下で欲する体内への回帰、つまりは母体への思慕なのではないかという凡庸な仮説を唱えつつ、今日もまたブラリブラリとあの街角、この街角へ向かうのです。

浅草観音温泉。ネオン管が残る戦後の浅草らしい風景。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿