30年ぶりに帰ってきた北海道での生活の日々、メリハリが無くなっている本州の四季の移ろいと違い、明確な四季の区切りと待ちわびる心が他の地域では感じられない魅力なのだろうか。本州で暮らしている中で漠然と思い出していた北海道の魅力はこの感覚だったのだと感じる今日この頃。
暖かな日差しに包まれて冬の遊歩道を散策していると、雪に埋もれた木々からも、雪の下の大地からも、春を待ちわびる息吹が感じられる。木々の茶色と雪の白さだけの林を眺めていると、無音の林に吸い込まれそうな感覚に襲われることがある。夏のざわめく林も同様であるが、北海道の自然にはそこに生きる人々を、優しく時には猛々しく、包み込むような、飲み込むような雰囲気が漂い、まさに大自然と共に生きていると実感できる。
何で感傷的になっているかというと、最近聞き込んでいる作品「サンベア・コンサート」、大嫌いだったキース・ジャレットの日本公演でのソロ作品。LP時代は10枚組の大作であり、ケルン・コンサートでの呻き声が個人的には問題外で絶対に受け入れられない存在であったため、今まで全く聞く機会が無かった・・・・聞かず嫌いが今更ですが、この作品の素晴らしさ、柔らかな・暖かな・穏やかな日本の風景が反映しているような、まさに日本の「心象風景」それも何故か北海道の大自然を感じさせる気がします。
ウインダムヒル/ジョージ・ウィンストン/美瑛
的な感覚もあるが、もっと奥深い何かを感じ取れる作品。元々呻き声さえ無ければ崇高な芸術の域に達するケルン・コンサートも今聴き直せば・・・無理でしたが、他のソロ作品もかなり出ていますので、還暦前の楽しみが増えたと言うことですね。
車のオーディオに入れて通勤時(行き帰りで50分程度)に聞き込んでいますが、最初は名古屋と札幌が気に入っていて「京都も良いな」とか思っていたら、大阪も「おやおや」と言う瞬間があったりして、北海道の四季に合わせて聞き直すたびに違った感動、新鮮な驚きを感じずにはいられません。
ジャズでもないし前衛でもない、その辺が良い塩梅なのでしょうね。
暖かな日差しに包まれて冬の遊歩道を散策していると、雪に埋もれた木々からも、雪の下の大地からも、春を待ちわびる息吹が感じられる。木々の茶色と雪の白さだけの林を眺めていると、無音の林に吸い込まれそうな感覚に襲われることがある。夏のざわめく林も同様であるが、北海道の自然にはそこに生きる人々を、優しく時には猛々しく、包み込むような、飲み込むような雰囲気が漂い、まさに大自然と共に生きていると実感できる。
何で感傷的になっているかというと、最近聞き込んでいる作品「サンベア・コンサート」、大嫌いだったキース・ジャレットの日本公演でのソロ作品。LP時代は10枚組の大作であり、ケルン・コンサートでの呻き声が個人的には問題外で絶対に受け入れられない存在であったため、今まで全く聞く機会が無かった・・・・聞かず嫌いが今更ですが、この作品の素晴らしさ、柔らかな・暖かな・穏やかな日本の風景が反映しているような、まさに日本の「心象風景」それも何故か北海道の大自然を感じさせる気がします。
ウインダムヒル/ジョージ・ウィンストン/美瑛
的な感覚もあるが、もっと奥深い何かを感じ取れる作品。元々呻き声さえ無ければ崇高な芸術の域に達するケルン・コンサートも今聴き直せば・・・無理でしたが、他のソロ作品もかなり出ていますので、還暦前の楽しみが増えたと言うことですね。
車のオーディオに入れて通勤時(行き帰りで50分程度)に聞き込んでいますが、最初は名古屋と札幌が気に入っていて「京都も良いな」とか思っていたら、大阪も「おやおや」と言う瞬間があったりして、北海道の四季に合わせて聞き直すたびに違った感動、新鮮な驚きを感じずにはいられません。
ジャズでもないし前衛でもない、その辺が良い塩梅なのでしょうね。
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