エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

恋愛は一種の「奇跡」

2007-01-12 | 恋愛関連
恋愛というものは、当然の事だけど相手があって成立します。
相手も自分と同じ人間。様々な事を考え、様々な価値観をもって行動しています。
恋愛に限らず他人とのコミュニケーション全般について言えることだけど、だからこそ、同じ行動をとっても相手によってはその受け取られ方も違うだろうし、会話にしたってそう。
ゲームと異なり、実際の人間を相手にする場合は確実な「正解」なんてものはないし、人付き合いの難しさというのはその点にあるのだと思います。(常識や慣習、法律などで、これはやっちゃダメだとか、こういう事は人としてすばらしい・・なんて言う、有る程度の基準はあるかもしれませんけど)
こんな事、改めて言われなくても当然の事で、誰でも分かる事だと思いますが、どうにも恋愛の当事者になると、そこが見えにくくなる模様。
恋愛というのは、相互交通であって、いくらこちらが一方的に相手を想っていてもそれだけじゃ成立しません(『片思い』も恋愛と言えば恋愛の一形態ですが、『片思い』では『恋愛が成就した』とは言えませんよね)こちらが相手を想い、相手がそれに答えて相手も自分を想ってくれる。それで初めて成立するのですが、相手がこちらを想ってくれるかどうかは、当然の事ですが、それは相手が決めること。
自分に出来ることは、相手に想ってもらえるよう、自分を磨く努力をすること・・位だと思います。決して自分を好きになるように押しつけることは出来ないし、暴力や脅迫等の手を用いるなんてもってのほか。
自分で出来ることを精一杯した上で、それでも相手に好きになってもらえなかったら・・・そりゃ、諦めるしかないでしょ?と、俺は常々そう思ってます。
「潔さは美徳」っては俺の価値観ですが、そういう自分の価値観からも、ダメだったら素直に諦めるべき。というのが俺のスタンスです。
「相手のことを諦め切れない」という話を良く耳にするんだけど、「諦めきれないもなにも、相手がこっちを思ってくれないならどうしようも無いじゃん?」と毎回思うのですが、仲の良い友人だとなかなか面と向かってそうも言えなかったりして「そっか~、それは辛いね。」位の当たり障りない会話になったり(笑)
どうにも、そう言う状況(恋愛が叶わないという状況)に置かれた人は「努力すれば何とかなる」と思う節があるみたい。「こうすれば相手は俺のことを好きになってくれる」という方法が必ずあると思っているらしい・・・いや、そう思い込みたいだけなのかもしれないけど・・・
相手にしているのは「物」じゃなくて「者」なんですよ。努力ではどうにもならない場合もあるし、いくら想っても受け入れてもらえない事がある。それが人を相手にすると言うことだと思うし、恋愛とは基本的にそういうものだと思う。
俺が好きな、ちょっとばかり昔の某ドラマで
「自分が好きな相手が自分のことを好きになってくれるって、奇跡だよね?」という台詞が忘れられません(一字一句この通りでは無いと思いますが。笑)
まさしくその通りだなあ・・と俺は今でも思ってるのですが、何となく恋愛をゲーム感覚で簡単に考えすぎな人が多いような?と感じる事もあります。
どうあがいてもダメな場合があるからこそ、それが成った時の喜びが大きいわけで、一種の「奇跡」ですよ。「奇跡」(笑)
そう思えばこそ簡単に「浮気だ」「価値観の違いだ」なんて事でケンカになって、すぐに別れ話になることも無いんじゃないかなあとか思うんですけどね。

でも、諦めず何度もアタックを繰り返した結果、最終的に結ばれた・・という場合もあるんですよね。
それについては、俺なりに「多分こいう理由なんだろうな~」という考えはありますが、個人的にはもし俺がそう言う立場なら「潔さは大切である」という自分の信念に基づいて、ダメならばそこできっぱり諦めちゃいます。
まあ、ストーカーとか他人に迷惑を掛けない限りは、想い続けるのも個人の自由でしょうけどね。