エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

疑問点の追求と潔さ

2007-01-07 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
俺は「納得の出来ないことは、その疑問点はとことん追求する」性格です。
職場などにおいて、上司等と意見が衝突した場合「屁理屈を言うな」というような形で、「力(権力)」で一方的にねじ伏せられてしまうの良くあることですが、かなり嫌な感じです。
一方俺は、自分の中で「潔さは美徳である」という価値観も持っています。
己の非は素直に認めるべきだと思っていますし、そういう人間でありたいと思い続けています。「開き直り」「逆ギレ」などをする人間は俺の最も嫌いなタイプの一つですね。
己に非がある場合は素直に認めよう・・とは思うのですが、納得の出来ない物事に対しては無条件でこちらが退く事はできません。自分は自分でそれが正しいと思うからこそ行ったワケであって、俺の方が悪い、俺の方に非があると言うなら、どういう理由で、なぜ俺の考え・行動に非があるのかきちんと俺を納得させて欲しいわけです。
だから、俺が何かを主張したときにそれに反発してもらっても全然OKだと思ってますし、ひょっとしたら俺に非があるかも知れない。俺がそれに気付いてないだけなのかもしれない。
そう言う場合は、俺を「ぐぅの音も出ない」ほど完膚無きまでに、俺の非を指摘して欲しいと思うし、俺を議論で叩きのめして欲しいと思うし、そして俺に納得させて欲しいと思う。・・俺に非がある場合はね。
ただ、仕事場では、どうにも俺が納得しきれないままに力でねじ伏せられてしまうことが殆どですけどね。そこは「お金のため」と思って我慢することにしてますが。
そういう事で「自分で納得出来る非」ならば素直に認めたいと思う。自分に非があるのにそれを認めない事は、逆に凄く惨めで格好悪いことだと思う。でも、納得出来ない内は当然認める事が出来ないし、そうなるまでは俺も反論するし議論にもなる。
意見が衝突する場合は、単純にとことんまで疑問点追求の為の論争を交わしたいなあと思うのだが、現実社会では役職の上下だとか、論争に憎悪の感情を持ち込んで来る場合が多くて、後の人間関係とか色々と邪魔になる要素があって「純粋な論争」をする機会というのは滅多に無い。
そう言う意味ではブログはバーチャルであり、匿名性が高いからこそ、そのような事が出来る数少ない場の一つかもしれませんね。
今のところ、幸いにしてブログ運営上でそのような論争に発展することは殆どありませんけどね