エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

比較

2007-01-28 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
ある目標を掲げて、それに向かって取り組む場合、この時の目指すべき到着点というか、正否の判断基準はその自分の掲げた目標であって、要は「敵は己自身」という事になると思います。
一見、当たり前の事に思えますが、いざ現実となるとコレが自分自身の理想との比較ではく、他人との比較になってしまう場合が多々あるように思われます。
わかりやすい具体例を挙げると、例えばテスト。

テスト前に自分で掲げた目標が、例えば80点とします。
そして、その受けたテストはいつもより難易度の高いテストで、結果は70点。
ただ、周囲も軒並み通常より悪くて平均点も低めで、70点でも上位5人以内の成績だった。

具体的な数値で出るという意味で、テストを引き合いに出しましたが、例えばこんな場合。
「80点に届かなかった」と悔やむよりも、「今回は難しかったから」とか「周りもみんな悪かったから」と、周囲と比較して、そして5位以内に入ったということもあって「今回はまあ、それでもよし」とする方向に意志が向く場合が強いんじゃないだろうか?・・・という話です。

と、ある技能・知識習得のための研修を受けた時の話です。
ちょっと理解に苦労した事項や、話を聞いた分では分かったけれど、覚えなければならない事項が多岐に渡り、すべてを覚えきれるのは困難だと感じた部分などがありました。
俺は「自分ではこれだけ吸収しよう」と意気込んでた部分が達成できなかったので、これからの勉強も必要だなと自分への戒めとして感じたんですが、周囲の話を聞くと「最初は誰でもそんなもんだよ」とか「最低○○程度まで覚えれば良いんだよ」とかいう話が殆どで、まあそれもその人の基準がそこにあってそこまでを達成すれば良いと思ってるのならそれで良いんだろうけど、それと+して「どの程度まで覚えた?」とか「だよなあ、覚えきれないよなあ」とか「やっぱりその程度で良いんでしょ?」とか。結構周囲を気にした話題が登ってました。

例えば、順位の付く試験かなにかの為の勉強で、そのうち上位何人に入ればOKのような・・・その為の勉強ならまだしも、最終的にはすべて仕事上必要になる知識というか、そのような物で、他人云々に関係なく自分で覚えなきゃどうしようもない。そんな性質のものなのに、そういう他人と比較して何になるのだろう・・・と。

まあ、要は自分のふがいなさを認めたくないというか、正当化したいというか、ありのままに受け入れる覚悟が不足しているんだろうと言うことだと思うんだけど。
俺も完璧に出来たワケじゃないし、まだまだ勉強の必要性を感じたんだけど、ただ、最低限、それをうやむやにしたくないなあと。自分の不足部分は不足しているとしっかり認めようと、俺はそう思ってます。
戦うべき相手は、他人でなく自分。そこを見失わないように・・・