重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

近在古寺/稲沢市「円光寺」

2008-08-25 | つれずれ


先週土曜日の名古屋地方は、梅雨時のように弱い雨が、間断なく降り続いていました。
こんなふうに終日の雨の日は、当地では何カ月ぶりのことだったでしょうか。



そんな雨の日でしたからあえて、
出掛けてみました。
自宅のほぼ隣市・稲沢市の「円光寺」へ。

別名「萩寺」として知られる、とネットに載っていたのを見たからです。
知りませんでした。


萩――言うまでもなく「秋の七草」の1つです。
時期はまだ少し早いかも知れないけれど、
そろそろどんな感じかな、と思いながら車を走らせました。

もし、雨に濡れた萩の花なんか見れらたなら、
癒されるじゃないですか。



けれど――。

案の定、



葉は生き生きとしていますが、
花はまだまったく咲いていません。

急に秋めいてきたとはいえ、
やはりまだ半月ほど、時期が早いんでしょうね。


………などと思いながら境内を見渡してみると、

「……?」

様子が何か変なことに気付きました。
「円光寺は別名“萩寺”と呼ばれる」とネットには書かれていました。

それなのに、
萩が、
たしかに境内にあるにはありましたが、



この一角の数株しか見当たりません。

ほんの数株しか植えられていないのに、
これで「萩寺」とは
いささか誇大宣伝ではないのかい?

――と怪訝に思いながら、
ともかくも境内のあちこちにカメラを向け、
シャッターを切っていたのです。





でも、
家に帰り、
あとでもう一度調べ直してみて、
疑問が解けました。

いやはや、
私がとんでもない間違いをしていたのです。


実は、
稲沢市には「円光寺」というお寺が2つあったのです。

私が出掛けたのは稲沢市下津土山町の天台宗「円光寺」。
「萩寺」として知られるのは稲沢市矢合町の臨済宗「円光寺」だったのです。

充分に調べもせずに出掛けた私の大チョンボ。
記者を生業にしているくせに、恥ずかしい限りです。



この天台宗「円光寺」は養老7年(723年)に創建され、
最盛期には塔頭23カ寺、末寺48カ寺を抱えたが、
戦国時代に度重なる戦災を受けるうちに衰退。
江戸時代中期に尾張藩主の寄進を受けて復興した――と門前の札に書かれていました。

なので、古刹には間違いなく、
嘉永7年(1884年)建立と言われる山門も、鐘楼も、
それらしい落ち着いた佇(たたず)まいがありました。


そして何より、
山門内の左右の暗がりに立つ



              

眼光鋭い仁王像に出会えたのは、
思いがけない喜びでした。


というので、
「間違いも、たまにはよいものさ」などと
自分の馬鹿さ加減を、
誰もかばってくれる人がいないから
自分で自分を慰めている私です。




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