乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『ペスト』 6 (門番のリンパ腺はさらに大きくなり、さわってみると固く木のようになっていた。医師は女房に言った。「ずっと付いててあげなさい。」)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

2021年08月28日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 

『ペスト』 6 (門番のリンパ腺はさらに大きくなり、さわってみると固く木のようになっていた医師は女房に言った。「ずっと付いててあげなさい。」)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

 

 

 前回記録した、

 夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、  P.21

 

 を受けての、、、

 

 門番:リンパ腺はさらに大きくなり、さわってみると固く木のようになっていた。

 医師は女房に言った。

「ずっと付いててあげなさい。」  P.27

 

 情報もなく、人は姿の見えぬ病に対し、無力であった。

 

 門番の死は、人をとまどいさせるような数々の兆候に満ちた一時期の終了と、それを比較してさらに困難な一時期-----の発端とを画したものであったということができる。  P.28

 

 割合のどこで、人々は屈託無く生活するが、その後、病は徐々に広がりを見せることになるであろう。

 

 

『ペスト』カミュ作  (全体像)

『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

『ペスト』 4 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

『ペスト』 5 (夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、  歴史は繰り返される、、、で済む問題か)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

『ペスト』 6 (門番のリンパ腺はさらに大きくなり、さわってみると固く木のようになっていた。医師は女房に言った。「ずっと付いててあげなさい。」)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

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強烈な長雨でお花が1/3くらいに減ってしまいました。     (8景)

2021年08月28日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 強烈な長雨でお花が1/3くらいに減ってしまいました。

 花は随分減り、ひどいものですと茎さえ痛んでいました

 毎日花柄は積んでいましたし摘芯もして人と接触しないお外遊びを楽しんでいましたが、長雨には勝てませんでした。

 それでも健気に花を残している花もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 あ、ランタナをとる忘れてしまいました、、、

 ランタナは多く花をつけていたというのに、、、

 

 

 これはあまり株を広げない白色の桔梗

 蕾が可愛らしい形です。

 

 

 桃色の萩は花を咲かせ始めました。

 もうすぐ咲く時を待つ白色の萩は大きくなりすぎ、この長雨で、こうべを垂れすぎています(笑)

 萩は垂れ下がりが好きなのですが、成長しすぎた萩が、長雨で、一部分ベタ〜と横たわっています。

 かわいそう、、、

 しかしながら、ようよう 今日は枝を持ち上げ、元気が出てきました^^v

 

 萩を見ると京都を思い浮かべます。

 鴨川やお寺に多く植えられていたからです。

 それにしても、桃色の萩がもう咲いているなんて、、、

 お盆もすぎ、秋が訪れるのも、間近なのでしょうね。

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種から野菜やハーブを育てる ( ラディシュ チンゲンサイ ミニキャロット パセリ  セイジ  ディル シソ(大葉) ゴーヤ カボチャ

2021年08月28日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 お野菜の種まき

 

 ラディシュとチンゲンサイの種を蒔きましたら、二日間で芽吹いてまいりました^^

 

 まばらだけれど、チンゲンサイ

 

 ラディシュ

 

 ポットに蒔いたバジルも芽吹いてきました。

 

 ところが、バジルと同じ日に野菜プランターに蒔いたミニキャロット。

 数日経つのに、まだ、双葉が出てきません。

 長雨がたたったのでしょうか?

 もう少し様子を見て見ましょう^^

 

 種から蒔いた

   パセリ

   セイジ

   ディル

   シソ(大葉)

 は順調で、大きくなり収穫しています。  

 

 ゴーヤとカボチャ

 こちらの収穫は難しいでしょうと思います^^

 

 

 ハーブなど、毎日の成長を見守りつつ

 調理中にチョチョイと取りに出て台所に戻る喜びは、

 主婦の私にはたまらない遊びです^^

 

 

 

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再生植物   山茶花(切り株)、 ミニトマト(脇芽)、 ゴーヤ(収穫したゴーヤの種)、 カボチャ(食卓に出したカボチャの種)   (写真あり)

2021年08月28日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 山茶花の切り株から、新芽が出てまいりました。

 生命力を感じ、可愛くて仕方がありません。

 肥料を与えて、成長を見守っています。

 

 

 

 

 生命力のある今年の植物といえば、ミニトマト。

 二株植えていましたが一株は七月に撤収。

 一株は、脇芽が出ていたので、主軸を切り、遊びで置いて置きましたら、こんなに大きくなりました。

 

 トマト(顔が後ろに写っていてごめんなさい)

   ずっと奥に小さく見えるのが

  我が家のアイドル、ワンコのももちゃんです。

 

 トマトの脇芽が成長した証の写真です。

 横で、ディルが

「かんばれ〜頑張れ〜。」

と、見守っています。

 

 

 上は以前にも紹介させていただいた、七月に種を蒔いたゴーヤです。

 我が家で収穫したゴーヤの種を遊びで蒔いたら、ゴーヤはどんどん大きくなってまいりました。

 こうなれば、実の収穫が目的ではなくなっています。

 毎日の成長を見ているのが楽しいのです。

 

 上は、以前のゴーヤの様子(七月末)

        

 (八月現在)

 

 以前のゴーヤに加え、さらにカボチャが増えています。

 このかぼちゃはネットスーパーで買ったもの。

 食卓で食べた種を蒔いたものです。

 

 八月初めに蒔いたので、おそらく実はならないでしょう。

 もしかしたら、十一月頃に一つ位はできるか知らんと期待していますが、無理でしょうね^^

 気が変われば、秋野菜に植え替えるかもしれません^^

 

 

 山茶花、ミニトマト、ゴーヤ、カボチャなど、我が家の再生植物を紹介させていただきました。

 ミニトマト、ゴーヤ、カボチャなど実はならないでしょうけれど、再生してくれた植物たちを見ていると、昨今の目を背けたくなる事柄を忘れる多少の時間保てることが、喜びです、、、

 

 

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早咲きの「アイフェイオン」(5球)を植え付けました。

2021年08月28日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 球根を植える季節が近づいてまいりました。

 我が家では今現在、12種類の球根を用意しました。

 基本九月〜十二月に植え付けるものが多いですね。

 今の所は早咲きの「アイフェイオン」(5球)を植え付けました。

 

 写真が、アイフェイオンの球根です。

 私にはあまりなじみのない球根ですので、写真に記録して見ました。

 

 アイフェイオンは八月から十月の植え付け。

 5センチ間隔。土を1センチ程度、被せるそうです。

 

 八月の雨などで球根が腐る可能性があるとのこと。

 軒下の日陰に置き、九月に水を乾き気味にやるそうです。

 

 二月から三月の花が、楽しみです。

 アイフェイオン、アイフェイオ〜〜〜ン、かも〜〜ん♪ かも〜〜ん、べぃびぃ〜♪

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『ペスト』 5 (夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、  歴史は繰り返される、、、で済む問題か)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

2021年08月27日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

写真は、ビルの窓

 

 

 

『ペスト』 5 (夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、  歴史は繰り返される、、、で済む問題か)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

 

 

 夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかしRが行ってみると、病人は寝台の外に乗り出して、片手を腹に、もう一方を首に手を当て、ひどくしゃくりあげながら、薔薇色がかった液汁を汚物溜め最中に吐いていた。   P.21

 

 小説『ペスト』はリアルである。

 例えば一、二例をあげると、、

 

 二安倍マスク(布製)。

 マスクが不足し庶民の手に入らない時は、挙句の果てマスコミや政治家や専門家やコメンテェーターは、

「マスクには効果はない。」

と強調する。

 安倍マスクを配られ、間も無く庶民の手に市販の不織布製マスクが手に入るようになれば、マスコミや政治家や専門家やコメンテェーターは、

「マスクの必要性」

「布マスクの効果の薄さ」

を訴える。

 そして一年以上経った現在、やはりマスクはある程度有効であるという事で落ち着いている。

 半ば、強制的に、、、である。

 (その実私は、コロナが始まった当初から、不織布マスクを2重あるいは、中に不織布を織り込むマスクを付け、タオルなどで覆って重要箇所以外は行かぬように心がけていたが、それは別問題である)

 

 小説でも、【夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。】とあるが【しかしながら、、、】と続く。

 ある問題が起こった場合、二転三転するマスコミや国の言い分を鵜呑みにせず、自分の身は自分で守る覚悟を持たなければならない。気をつけ気をつけ取り掛かり、それでも流行病にかかってしまった場合、運が悪いと諦めなければならないのだろう、、、

 現在の日本では医療崩壊が現実で、こうなることは以前からわかっていたはずだが、国は利権に目を向け、オリンピックやパラリンピックを強行している。

 国の言い分は、

「始まってしまえば、国民はみんな重大さを忘れ、スポーツ観戦を楽しむ。」

である。

 そうは問屋がもおろすまい!と言った国民も、少なからずいる。

 そう云った国民(実は日本好き)を、国は非国民と宣う。

 

 大臣は

全ての国民に、素早いワクチン接種を

「ワクチンは十分足ります。」 

「日本は早い確率でワクチンが打たれている」

とおっしゃっていたが、現実はどうだろうか。

 現実は、語るまでもない。

 

 歴史は繰り返される。

 しかし、歴史は繰り返される、、、で済む問題であろうか、、、

 医療崩壊が起きている、買っては先進国、今や、自称先進国の日本の 只今2021年の現実問題である事が恐ろしい。

 

 

夕刊の呼売り

 呼売り(YOBIURI)は明らかに、言葉遊びであり、或る意味も含まれている。

 ここでも、訳者である宮崎嶺雄氏の考えとユーモアが見て取れる。

 宮崎嶺雄氏はセンスの良い方である。

 

 

『ペスト』カミュ作  (全体像)

『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

『ペスト』 4 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

『ペスト』 5 (夕刊の呼売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。←→ しかし、、、  歴史は繰り返される、、、で済む問題か)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

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『ペスト』 4 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

2021年08月26日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

古墳

 

 

『ペスト』 4 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

 

 

 とかくするうち、四月二十八日にはR通信社は約八千匹の鼠が収集されたことを報じ、市中の不安は頂点に達した。

    P.21

 

 M老人

 首と腋(わき)の下と蹊部(そけいぶ)に激しい疼痛(とうつう)、、で、P神父の助けを乞わなければならなかった。

「腫物(できもの)だね」(R医師)

「えらく骨が折れたよ。」

 P.21

 

 R医師は M老人の首の付け根あたりを指で探った。

 

 

 

蹊部(そけいぶ)

 大腿(だいたい)前面と腹壁との間の溝(鼠径溝)に近い左右の下腹部。鼠径部の下端には腸骨と恥骨の間に張る鼠径靭帯(じんたい)があり,大腿に下る筋肉,血管,神経はこの下を通る。

 鼠径靭帯の内側の直上には,ほぼ平行した鼠径管が腹壁の筋を貫き,この中を男子では精索,女子では子宮円索が通り抜ける。

 鼠径管は発生的に精巣が陰嚢内に下降してきた径路のあとで,精巣をネズミ(鼠)にたとえてこの名が生まれた。 →関連項目鼠径ヘルニア

 鼠の死→鼠蹊部

 本文ではどう書かれているか知る由もないが、訳者である宮崎嶺雄氏は素晴らしい!!

 

『ペスト』カミュ作  (全体像)

『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

『ペスト』 4 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

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『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

2021年08月26日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

難波

 

 

 

『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

 

 

 四月十六日の朝、医師BRは、診療所から出かけろうとして、階段口のまんなかで一匹の死んだネズミにつまずいた。 

    P.8-9

 

 タルー(男)はいかにも打ちのめされたとうに、気づかわしげであった。機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。

 P.17

 

 

 

 

 

 

『ペスト』カミュ作  (全体像)

『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 3 (一匹の死んだネズミ/ 人が機械的な動作で、しきりに首を擦っていた。)カミュ著  宮崎嶺雄訳 

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『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

2021年08月26日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

『ペスト』 2  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

 

 

 無機質な町 オラン(アルジェリアの要港)は美しい文章で無機質に淡々と描かれる。

 

 

 この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。

 、、、、、、

 、、、、、、

 病人は全く一人ぼっちである。云々

 

 

 

オラン(アルジェリア)

 903年にイベリア半島のイスラム教徒によって商業の拠点として建設された町がオランの始まりである。

 オランはイベリア半島への小麦粉の供給地となり、ムワッヒド朝、ザイヤーン朝の時代に繁栄した。

 

 1509年にスペインのシスネロスに占領され、町は衰退する。

 1708年にオランはオスマン帝国に征服される。

 1732年に再びスペインが奪い返したものの、オランの貿易都市としての必要性が下がったため、時のスペイン王カルロス4世はオスマン帝国に町を売却した。

 1791年にオランはオスマン帝国に編入され、オラン州の州都に定められた。オスマン帝国の支配は1830年にフランスがアフリカの植民地の拠点としてアルジェリアを占領するまで続く。

 1831年にフランスに併合された後、ヨーロッパからの入植拠点として近代的な市街地が建設され、20世紀後半のアルジェリア独立後の大都市の原型となった。

 

 フランス植民地時代のオランは200,000人のヨーロッパ系入植者が居住する、ヨーロッパ風の近代的な都市として繁栄を享受していた。

 第二次世界大戦時には事実上半ばドイツ占領下にあるヴィシー政権下に置かれ、1942年後半のトーチ作戦で連合国軍によって占領されるまでそれが続いた。

 フランス海軍の艦隊がドイツの手に渡るのを恐れたイギリス軍がフランスに対して艦艇をイギリスの港に回航すること、自沈すること、英軍と戦闘を交えること(艦隊を壊すため)などの最後通牒を突きつけるが、フランスはこれを拒否したためフランス艦隊が停泊しているアルジェリアのメルス・エル・ケビールで戦闘が始まった(メルセルケビール海戦)。

 

 オランにも艦艇が10隻ほど存在したため、ここでも戦闘が行われていた。

 

 

 

 

 1954年からアルジェリア独立戦争が始まるまで、オランはフランス領であり、北アフリカの中でも特に多くのフランス人を始めとしたヨーロッパ人(ピエ・ノワール)が居住していた。

 しかし、アルジェリア独立戦争が終わるまでにほとんどのヨーロッパ人やユダヤ人がフランスに去った。

 特にアルジェリア独立時の1962年7月5日にオランで起きたヨーロッパ人の大虐殺は、彼等のアルジェリア外への脱出を促進した。

 これによりオランはわずか3ヶ月で人口が半分にまで減少した。1962年7月5日以降は独立に伴い、アルジェリア領となる。(ウィキペディア)

 

 

『ペスト』カミュ作  (全体像)

『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

『ペスト』 2 (この町でそれ以上に特異なことは、死んでいくのに難渋を味わうことである。) カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

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『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

2021年08月26日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

  『ペスト』 1  カミュ著  宮崎嶺雄訳 昭和54年18版

 

 

『ペスト』  

カミュ著  

宮崎嶺雄訳

新潮文庫

昭和44年発行

昭和54年18版

400円(現在1985年 825円)

 

 アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。

 ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。

 外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。(新潮文庫)

 

宮崎嶺雄

 (1908-1980)東京生れ。東京帝大心理学科中退。

 岸田国士に師事、バルザック、サンド、メリメ、カミュ等、多くの仏文学を翻訳紹介。

 1941年、フランス文学賞受賞。

 戦後創元社編集長を務めた。(新潮文庫)

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『ペスト』カミュ作  (全体像)

2021年08月26日 | ことのは

ギアーシャフル(イラン)

 

『ペスト』カミュ作

 出版は1947年

 1957年に40歳代前半でノーベル文学賞を受賞したカミュの代表作の一つである。

 フランツ・カフカの『変身』とともに代表的な不条理文学として知られる。

     四度目、カフカの『変身』を読む。   『変身』、Die Verwandlung(変革) 1912年  フランツ・カフカ 著

カフカの『変身』は不条理が個人を襲ったことを描いたが、カミュの『ペスト』は不条理が集団を襲ったことを描いた。

 

 この『ペスト』で描かれる不条理は伝染病のペストである。

 

 カミュは、中世ヨーロッパで人口の3割以上が死亡したペストを、不条理が人間を襲う代表例と考え、自らが生まれ育った北アフリカのフランス領を舞台にしたこの小説を書いた。

 

 物語は、フランスの植民地であるアルジェリアのオラン市をペストが襲い、苦境の中、団結する民衆たちを描き、無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起される。

 医者、市民、よそ者、逃亡者と、登場人物たちはさまざまだが、全員が民衆を襲うペストの脅威に、助けあいながら立ち向かう。

 語り口は、個々のセンテンスが複数の意味を内包し、その一つが現象的な意識および人間の条件の寓意である点で、カフカの小説、とくに『審判』に通じるものがあると言われている。

 

 カミュのアプローチは非情で、語り手である主人公は、自分たちは結局何もコントロールできない、人生の不条理は避けられないという考えを力説する。

 

 カミュは不条理に対する人々のさまざまな反応を例示し、いかに世界が不条理に満ちているかを表した。

 なお、この小説は架空のものであり、オラン市で実際にペストが発生したわけではない。ドキュメンタリー風に描かれている。

 

 

 

 あらすじ

 はじまりは、リウーを階段でつまづかせた一匹の死んだ鼠だった。

 

 やがて、死者が出はじめ、医師のリウーは死因がペストであることに気付く。

 新聞やラジオがそれを報じ、町はパニックになる。

 死者の数は増える一方で、最初は楽観的だった市当局も対応に追われるようになる。

 やがて町は外部と完全に遮断される。脱出不可能の状況で、市民の精神状態も、生活必需品の価格の高騰も相まって困憊してゆく。

 

 一方で富裕な家族はほとんど不自由しない。

 ペスト対策による「実効ある公正さによって、市民の間に平等性が強化されそうなものであったのに、エゴイズムの正常な作用によって、逆に、人々の心には不平等の感情がますます先鋭化される」に至る。

 完全無欠な死の平等だけは残されるが、誰もこの平等は望まない。

 ランベールが妻の待つパリに脱出したいと言うので、コタールが密輸業者を紹介する。コタールは逃亡者で町を出る気はなかった。

 

 パヌルー神父は、ペストの発生は人々の罪のせいで悔い改めよと説教する。

 

 一方、リウー、タルー、グランは必死に患者の治療を続ける。

 タルーは志願の保険隊を組織する。

 ランベールは脱出計画をリウー、タルーに打ち明けるが、彼らは町を離れる気はない。

 やらねばならない仕事が残っているからだ。

 リウーの妻も町の外にいて、しかも病気療養中だということを聞かされたランベールは考えを改め、リウーたちに手伝いを申し出る。

 少年が苦しみながら死んだ。

 それも罪のせいだと言うパヌルー神父に、リウーは抗議する。

 確かに罪なき者はこの世にはいないのかも知れない。

 神父のパヌルーもまたペストで死んでしまうのだから。

 

 災厄は突然潮が退いたように終息する。

 人々は元の生活に戻ってゆく。)(ウィキペディア)

 

 ランベールは妻と再会でき、コタールは警察に逮捕される。

 流行は過ぎたはずなのに、タルーは病気で死んでしまう。

 そして、リウーは療養中の妻が死んだことを知らされる。

 

 市中はペスト終息であちこちから喜悦の叫びが上がっている。

 しかし語り手は、ペスト菌は決して消滅することはなく生き延び、いつか人間に不幸と教訓をもたらすために、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに現れるだろう、自分はそのことを知っている、と述べて物語を締めくくる。

 

      アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy]) (1913年11月7日 - 1960年1月4日) 

      四度目、カフカの『変身』を読む。   『変身』、Die Verwandlung(変革) 1912年  フランツ・カフカ 著

      実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)

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実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)

2021年08月26日 | 哲学

 実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)

 

 

 

 実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。

 あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。

 実存(existenz)の当初の日本語訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした(1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」においてのことであり、可能的存在に対置してのものである)。

 語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。

 何の外にかといえば、存在視/存在化されたものの外に、ということである。

「実存」についての語りで習慣的にまず言及されるキルケゴールが、デンマーク語で主張した「実存」は、やはりラテン語出自でExistentsである。

 ドイツ語では、ラテン語からの外来語としてExistenzがあり、一方、土着の語としてはDaseinが相当する。しかし、前者のほうが日常的頽落性にもある後者よりももっと、実存の持つ、自由へ向かった本来性という様態に特化して使われている。(ウィキペディア)

 

 

 

 実存主義は、サルトルによると普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。

 本質をないがしろにするような思想のものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたものまで幅が広い。

 本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。

 

 また悲観的な発想にもなりがちとなっている。

 問題としているのは人間の実存であり、スプーンなど、モノの実存ではない。(ウィキペディア)

 

 

 

 思想史

 古代哲学では、ヘラクレイトスのロゴスの思想の影響下に、イデア論を構想したプラトンを批判的に継承したアリストテレスが、第二実体 (普遍者) と第一実体 (個物に対応) との区別を提唱した。

 ここに、プラトンの普遍者実体観に対するアリストテレスの実存を見ることができる。

 このとき、アリストテレスからはプラトンの普遍者実体が自分にとって実存につながらない存在論性だとして見えている。これが継承される形で、中世哲学で、可能態と現実態との区別が説かれるようになった。

 近代哲学では、ヘーゲルが、理念と現実との不可分性(理念的・必然的、あるいは合目的的ではない、一回的な、あるいは偶発的な個物は永続性や普遍性を欠く、という意味で現実性を欠く、という意合い)を説いて「理性的なものは現実的となり、現実的なものが理性的となる。(Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig.)」(法の哲学序文)であるとした。

 

 これに対抗して、神の前に教会を経ずに立つ単独者としての、自己自身の「実存」(existenz )を価値としたキルケゴールは、実存哲学の嚆矢ともいわれる。

 その場合に、信仰者を前提とした制約された姿勢がキルケゴールの実存にはあるということを、正しい実存理解のためには見据えておかなくてはならない。(ウィキペディア)

 

 

 批判

 梅田寛によれば、ヘーゲルの唱えた「絶対説、人類進歩についての三体説及び『実在するものは全て合理である』という結果に対する効果は盛んに論議され」て当時の皇帝制度も含めその合理性が主張されていたが、次第に青年ヘーゲル派などヘーゲル崇拝者の中からも批判が生じる結果となった。

 

 プロイセン(ドイツ)では、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ、カール・マルクス(フォイエルバッハに関するテーゼ)、フリードリヒ・エンゲルス(フォイエルバッハ論)、ロシアではヴィッサリオン・ベリンスキー、アレクサンドル・ゲルツェン、ニコライ・チェルヌイシェフスキー、デンマークではキルケゴールなどがヘーゲルに批判的な立場から活動を行った。(ウィキペディア)

 

 

アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy]) (1913年11月7日 - 1960年1月4日)

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アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy]) (1913年11月7日 - 1960年1月4日)

2021年08月26日 | ことのは

 

アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy]) (1913年11月7日 - 1960年1月4日)

 

 

 

 アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy]

 (1913年11月7日 - 1960年1月4日)は、フランスの小説家、劇作家、哲学者。

 

  フランス領アルジェリア出身。第二次世界大戦中に刊行された小説『異邦人』、エッセイ『シーシュポスの神話』などで「不条理」の哲学を打ち出して注目され、戦後はレジスタンスにおける戦闘的なジャーナリストとして活躍した。

 また『カリギュラ』『誤解』などを上演し、劇作家としても活動した。

    舞台『caligula  カリギュラ』  アルベール・カミュ作 蜷川幸雄演出 小栗旬 若村麻由美 横田 栄司 他

 

 戦後に発表した小説『ペスト』はベストセラーとなり、エッセイ『反抗的人間(フランス語版、英語版)』において左翼全体主義を批判し、反響を呼んだ。

 

 小説『転落』発表の翌年、1957年、史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞した。

 

 1960年、交通事故により急死し、未完に残された小説『最初の人間』が1994年に刊行された。

 

 カミュの著作は「不条理」という概念によって特徴付けられている。

 カミュの言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命を目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれる。

 そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が人々の間で連帯を生むとされる。

 

 カミュの文学的営為は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力との闘いだった。

 それに対して、彼は一貫してキリスト教や左翼革命思想のような上位審級を拒否し、超越的価値に依存することなく、人間の地平にとどまって生の意味を探しもとめた

 彼は「父」としての「神」も、その代理人としての「歴史」も拒否した。

 

 カミュは何よりも時代の妥協しない証言者であった。

 彼は絶えずあらゆるイデオロギーと闘い、実存主義、マルクス主義と対立した。

 ソビエト全体主義に対する批判は、彼をコミュニストたちと対立させ、サルトルと絶交するに至った。

 彼の著作のヒューマニズムは、歴史の最悪の時期における経験のなかで鍛えられたものであり、この意味で、彼は20世紀のもっとも高いモラルを体現した人物のひとりである。

 日本で活動するタレントのセイン・カミュは従孫(兄の孫)にあたる。(ウィキペディア)

 

 形成期

 

 1913年、フランス領アルジェリアのモンドヴィ(現ドレアン)近郊に生まれる。

 父リュシアン・オーギュスト・カミュは、農場労働者であったが、19世紀初め彼の祖父がフランスからアルジェリアに渡ってきた。父リュシアンはスペイン系の大家族の娘であるカトリーヌ・サンテスと結婚、リュシアンとカミュの二人の息子をもうけている。

 しかしカミュが生まれた翌年、この父はマルヌ会戦で戦死した。

 以後母と2人の息子はアルジェ市内のベルクール地区にある母の実家に身を寄せた。

 この家には祖母のほかに叔父が一人同居していたが、聴覚障害のあった母親も含め、読み書きできるものは一人もいなかった。

 カミュはこの家で、貧しくはあったが地中海の自然に恵まれた幼少期を過ごした。

 1918年に公立小学校に入学。

 貧しいサンテス家ではもともと高等学校へ進学する希望はなかったが、この学校の教諭ルイ=ジェルマンはカミュの才能を見抜いて彼の家族を説得し、おかげで1924年に、奨学金を受けながらアルジェの高等中学校リセ=ビジョーに進学することができた(カミュは彼から受けた恩を生涯忘れず、ノーベル賞記念講演の出版の際に「ルイ=ジェルマン先生へ」との献辞を添えている)。

 

 リセ時代のカミュはサッカーに打ち込み、ときにアルバイトなどしながらも比較的優秀な成績を取っている。

 しかし1930年より結核の徴候が現れやがて喀血、病院を退院後もしばらく叔父の家で療養生活を送った。

 この結核は以後生涯を通じてカミュの健康をおびやかすことになる。

 またリセ時代にカミュはリセの教員ジャン・グルニエ(フランス語版)と出会っており、彼の著書『孤島』やアンドレ・ド・リショー(フランス語版)の『苦悩』などに触発されながら文学への志望を固めていった。

 グルニエとは卒業後も書簡を通じて交流を保ち、のちにグルニエは『回想 アルベール・カミュ』を著している。

 1932年、バカロレアに合格しアルジェ大学文学部に入学、在学中の1934年、カミュは眼科医の娘であったシモーヌ・イエと学生結婚するが、これをきっかけに結婚に反対していた叔父と疎遠になり、カミュはアルバイトやイエの母親からの支援を受けながら学生生活を続けた。

 しかし奇矯で派手好きなシモーヌとの生活はやがて破綻し、後に離婚にいたることになる。

 カミュは1935年にグルニエの勧めもあって共産党に入党している。

 カミュは共産主義の思想自体にはそれほど共感を寄せていなかったが(マルクスもエンゲルスもほとんど読んでいなかった)、党の文化活動の一環として劇団「労働座」の創設に関わり、アンドレ・マルローの『侮蔑の時代』を翻案し舞台にあげるなどした。

 しかし党幹部とアラブ人活動家たちとの間で板ばさみになり、最終的に党から除名処分を受けている。(ウィキペディア)

 ジャーナリズムと創作

 1936年5月、学位論文「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」を提出しアルジェ大学を卒業。

 1937年5月には処女作となるエッセイ集『裏と表』を出版するが、生活の安定のため12月からアルジェ大学付属の気象学・地球物理学研究所でデータ整理の職に就く。

 1938年、パスカル・ピアに誘われ人民戦線寄りの新聞『アルジェ・レピュブリカン』(のち夕刊紙『ソワール・レピュブリカン』となる)の記者となり、冤罪事件や植民地経営の不正を暴く記事を書いた。

 平行して『異邦人』の原型となった小説『幸福な死』を書き上げるが、これは完成度に不満があったため出版を見合わせている。

 1939年、第二次世界大戦の開始にともない徴兵を志願するも、健康上の理由で拒否される。戦争開始前後より、カミュは『ソワール・レピュブリカン』紙上で、当局の厳しい検閲を受けながらで平和主義を唱え続けており、1940年、このために同紙は発行停止処分となった。

 同紙から責任を問われ解雇されたカミュは、しかしまたもパスカル・ピアの助力で『パリ・ソワール』紙の編集部に雇われ、ここで印刷関係の仕事をしつつ、その傍らで不条理をテーマにした三部作『異邦人』『シーシュポスの神話』『カリギュラ』を書き進めていった。

 1940年、ナチスドイツによりパリが占領されると、『パリ・ソワール』紙編集部の移動に伴って自由地区のクレルモン・フェラン、ついでリヨンへと移り、占領体制下の1940年12月に同地にてオラン出身の女性フランシーヌ・フォールとの婚姻届を提出した。

 しかし物資の不足と読者の減少から『パリ・ソワール』紙でも人員整理が進み、失業したカミュは妻の実家のある北アフリカのオランに一時身を寄せた。

 この地で前述の三部作を完成、さらに『ペスト』の執筆に着手するが、1942年に喀血し、療養のため夫妻でフランス自由地区シャンボン・シュール・リニョン付近の小村ル・パヌリエに移る。

 そして6月に小説『異邦人』、12月にエッセイ『シーシュポスの神話』を刊行した。

 1943年からは非合法誌『コンバ(戦闘)』の発行に関わり、また占領下のパリでサルトル、ボーヴォワールらとも知り合い親交を深めている。

 1944年8月のパリ解放後は、それまで地下発行であった『コンバ』を公刊し同紙の編集長となった。

 なお同紙でカミュは対独協力派(コラボラシオン)に対しては厳しい姿勢を取り、極刑もやむなしという意見を示し、寛容派のフランソワ・モーリヤックと対立したが、後に自説を修正し死刑には反対するようになる。

 終戦前後にはまた『カリギュラ』『誤解』が上演され、1946年にはアメリカのコロンビア大学に招かれて講演を行い、現代に蔓延する物質崇拝に警鐘を鳴らした。

 同年、ガリマール社の企画審査委員会のポストにつき、ここで当時無名だったシモーヌ・ヴェイユを発見し、彼女の叢書を企画、「永久反抗論」に影響を受ける。

 1947年、極限状態での市民の連帯を描いた小説『ペスト』を刊行、復興期のフランス社会で幅広い読者を得てその文名を高めた。

 しかし、1952年に刊行されたエッセイ『反抗的人間(フランス語版、英語版)』は毀誉褒貶を受け、特にサルトルは一切の政治的暴力を斥けるその「反抗」の論理を、革命へと踏み出さない曖昧な態度だとして徹底的に批判した(カミュ=サルトル論争)。

 さらにカミュは故郷で起こったアルジェリア戦争に対しても、フランスとアラブの共同体という考えを捨てきれずに曖昧な態度を取って批判を受け、これらによってフランスでの彼は次第に孤立を深めていった。(ウィキペディア)

 ノーベル賞とその死

 1956年、現代人の二重性と罪の意識をテーマにした中編『転落』を発表、翌年6篇からなる短編集『追放と王国』を発表した。

 同年、彼の「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して」ノーベル文学賞が贈られた。

 当時カミュは43歳であり、これは戦後では最年少の受賞である(史上最年少はラドヤード・キプリング)。

 しかしアルジェリア戦争をめぐる政治的態度やサルトルとの論争で左右両翼やアラブ人からも非難を浴びていたカミュへの授賞に対し、当時のフランスは冷淡だった。  

 カミュの墓 受賞後、カミュはプロヴァンス地方の田園地帯ルールマランに家を構え、しばしばパリとの間を往復する生活を送っていた。

 1960年、友人ミシェル・ガリマール(ガストン・ガリマールの甥)が運転する自動車(ファセル・ヴェガ)でパリに向かう途中、ヨンヌ県ヴィルブルヴァン(フランス語版)において立ち木に衝突、助手席のカミュは即死、ガリマールも手術中に死亡した。

 しかし、後部座席に同乗していたガリマールの妻子は怪我だけで済んだ。

 当時の報道では、スピード超過(時速約180km)や、運転していたガリマールのてんかんの発作(走行中の並木模様によって引き起こされたとされる)、それにいっそう可能性が高いものとしてタイヤのパンクが指摘されているが、イタリアの大学人であるジョヴァンニ・カテッリ(Giovanni Catelli)は、2011年に『コリエーレ・デラ・セラ』で「KGBによって暗殺された」という説を発表した。

 これは、カミュが『Franc-Tireurs』紙(1957年3月)で発表した記事において、1956年のソ連軍によるハンガリー動乱弾圧で、ソ連外相ドミトリー・シェピーロフを非難したことから、シュピーロフがKGBに暗殺指令を出したというものである。

 作家のルネ・エチアンブルは「ずっと調査してきて、このファセル・ヴェガが棺であったという証拠を握っているが、私の記事を公表したいという新聞は探したものの見つからなかった」と発言している。 執筆中であった自伝的小説『最初の人間』は未完となった。(ウィキペディア)

 思想

 カミュはその思想的な近さから実存主義者に数えられることがしばしばあるが、カミュ自身は実存主義との関係をはっきり否定していた。

『シーシュポスの神話』の中でもキルケゴール、シェストフ、ヤスパース実存主義哲学者の名を挙げ、その思想が不条理から発していながら最終的に不条理の世界から飛躍し、理性の否定へと向かってしまう「哲学上の自殺」だとして批判している。

 カミュによれば、「不条理(absurde)」という感情は単にあるものの感覚や印象の検討から生じるものではなく、馬鹿げた計画と明白な現実との比較、理に合わない結果と当然予想される結果との比較というように、「事実としてのある状態と、ある種の現実との比較から、ある行動とそれを超える世界との比較から噴出してくる」ものであり、したがってそれは人間のなかにあるものでも世界にあるものでもなく「両者の共存のなかにあるもの」「両者を結ぶ唯一のきずな」である。

 そしてカミュは自殺を不条理な運命を見つめない態度として退け、逆に不条理を明晰な意識のもとで見つめ続ける態度を「反抗」と言い表し、それが生を価値あるものにするものだとして称揚している。

 

『反抗的人間(フランス語版、英語版)』でカミュはこの「反抗」に対する考察をさらに深めていく。

「反抗」とは、例えば長く虐げられてきた奴隷が突然主人に対して「否(ノン)」を突きつける態度である。このときこの「否」には、「これ以上は許すことができない」という境界線の存在が含意されている。

 つまり境界線の外側のものを「否」として退け、内にあるものを「諾(ウイ)」として守ろうとすることであり、言い換えれば自分の中にある価値に対する意識である。

 そして不条理の体験が個人的な苦悩に終わるのに対して、他者に対する圧迫を見ることからも起こりうる反抗は超個人的なものであり、そこから連帯が生まれる。

 また『反抗的人間』ではかなりのページを割いて革命を中心とした歴史の記述に当てられており、そこでは「無垢への郷愁」であるところの反抗から起こったあらゆる革命が必然的に自由を縛る恐怖政治と全体主義へと変貌していく様子が考察される。

 しかし革命に必要な政治的暴力を批判するカミュのこのような態度は、上述のように(コミュニストでもある)サルトルとの間の論争を呼び起こすことになった(カミュ=サルトル論争)。

 論争の直接のきっかけはフランシス・ジャンソンがサルトルの雑誌『レ・タン・モデルヌ(近代)』に『反抗的人間』に対する批判的書評を載せたことで、これに対してカミュがサルトル宛に反論、さらにジャンソンとサルトルが反論するという形で起こったが、ここでサルトルはカミュの思想を曖昧な態度と見なし、彼がモラリスムに陥り「美徳の暴力をふるっている」として徹底的に批判している。

 この論争ではカミュの文章が文学的な曖昧さを持つこともあり、論理の明晰さにおいてサルトルのほうが優勢なのは明らかだが、カミュの思想もまた革命や党派性の限界を示すものとしてその意義を失っていないばかりか、左翼革命の幻想が潰えた今日ますます価値を高めている。(ウィキペディア)

 

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『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム』1 20話(内1〜5話)新帝の誕生 皇帝の宴 初めての夜伽(よとぎ) ヒュッレム 皇帝の指輪 4,8★/5

2021年08月24日 | ドラマ

『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム』1 20話(内1〜5話)新帝の誕生 皇帝の宴 初めての夜伽(よとぎ) ヒュッレム 皇帝の指輪 4,8★/5

 

 

 超大作の『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム』の1〜5話までを一気に見た。

 トルコの懐かしい風景に歴史の人物や当時の様子などが重なって、ホロ狩りを感じた。

 また、ペルシャやロードス島などの訪れたことのある地名がスレイマン一世の口から出てきて、内容はともかく、懐かしい思いがした。

 

 チェンバロの美しい音色と調べは私の好きな音楽の一つ。

 私のイメージする昔のトルコらしさや中東らしさが満載で、満足のいくドラマである。

 

『オスマン帝国外伝 1』 20話、『オスマン帝国外伝 2』79話といった長編ドラマだが、今日見たのはとりあえずの5話まで。

 これからどう展開していくのであろうと想像するのが楽しい思い出ある。

 

 今回も見たという記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム』20話

『オスマン帝国外伝 2』       79話

 

 脚本:メラル・オカイ

           ユルマズ・シャーヒン

 監督:ヤウムル・タイラン

           デゥルル・タイラン

 

 出演者

 ハリット・エルゲンチュ/メルイェム・ウゼルリ/オカン・ヤラブク/ネバハット・チェフレ

 

 (C)Tims Productions

 

 オスマン帝国を46年もの年月に渡り統治し、最盛期に導いた“TheMagnificent”第10代皇帝スレイマン。

 その栄華に彩られた宮廷ハレムを舞台に、寵妃ヒュッレムを中心とした女性たちの、熾烈な権力争いとロマンスを描いた超大作。

 トルコのみならず中東、東欧、アジアをはじめとする世界80カ国以上で放送された。

 

 

スレイマン一世

 スレイマン1世(Kanuni Sultan Süleyman I, オスマントルコ語: سلطان سليمان اول‎, ラテン文字転写:Sultān Suleimān-i evvel, トルコ語: I. Süleyman、 1494年11月6日 - 1566年9月6日)

 オスマン帝国の第10代皇帝(在位:1520年 - 1566年)。

 9代皇帝セリム1世の子。

 46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた。

 英語では「壮麗帝(the Magnificent)」のあだ名で呼ばれ、日本ではしばしばスレイマン大帝と称される。

 トルコでは法典を編纂し帝国の制度を整備したことから「立法帝(カーヌーニー、 オスマントルコ語: القانونى‎, ラテン文字転写:al‐Qānūnī, トルコ語: Kanuni)」のあだ名で知られている。

 名前のスレイマン(Süleyman)とは、ユダヤ教やキリスト教と共にイスラム教でも聖典とされる旧約聖書に記録された古代イスラエルの王、「ソロモン王」のアラビア語形である「スライマーン」(アラビア語: سليمان‎, Sulaymān)のトルコ語発音である。

 またオスマン帝国の歴史において「スレイマン」の名を持つ最初の皇帝であることから「スレイマン1世」と呼ばれるが、まれにバヤズィト1世がアンカラの戦いでティムールに敗れた直後にエディルネで君臨したバヤズィト1世の長男スレイマン・チェレビーを1世に数えることがあるので、その場合は「スレイマン2世」と呼ばれることもある。

 

 スレイマン一世 文化

 スレイマン1世は哲学などの学問や芸術を好み、「ムヒッビー(恋する者)」の筆名で詩作を行う詩人でもあった

 また詩も流行したが、宮廷のゴシップをイスタンブールの大衆に伝える噂としての役割もあり、スレイマン1世とヒュッレムの結婚、皇子ムスタファの処刑、黒幕とされるリュステムの非難にまで及んでいる。

 詩人は上流階級をパトロンに求めている部分もあり就職の斡旋を依頼しているが、時に政治的背景も絡む場合もあるため、上記の記事は詩人ドゥカーギンザーデ・ヤフヤーがムスタファに同情的な軍人の心情を歌ったものとされている。

 建築の分野ではミマール・スィナンを登用し、帝国全土のモスク、墓廟、橋梁、上水道など、建築物の建設・修復の任務を与えた

 スィナンがスレイマン治世下で建設した代表的な建物としてはシェフザーデ・ジャーミイ(英語版)やスレイマニエ・ジャーミイなどがある

 

第1話 (字幕版)新帝の誕生

第1話 (字幕版)新帝の誕生

16世紀初頭、オスマン帝国の領地マニサ県で軍政官を務める皇太子スレイマンのもとに帝都イスタンブールより火急の使者が馳せ参じる。それは父帝セリム1世崩御の知らせだった。スレイマンは第10代皇帝に即位。やがて最盛期を迎える帝国の新時代が幕…

時間:52分

 

第2話 (字幕版)皇帝の宴

第2話 (字幕版)皇帝の宴

オスマン帝国第10代皇帝に即位したスレイマンは潤沢な資金をもとに軍備を進め、ロードス島へ外征することを宣言する。そして腐敗高官を一掃するため、思い切った英断を下す。一方、皇帝妃マヒデブランと皇子ムスタファがトプカプ宮殿に到着する。

時間:53分

 

 

第3話 (字幕版)初めての夜伽(よとぎ)

第3話 (字幕版)初めての夜伽(よとぎ)

スレイマン皇帝の寝所へ向かうアレクサンドラは、皇帝妃マヒデブランに先手を打たれ、不本意にも引き返すはめになる。その後、アレクサンドラとの一夜に水を差されたスレイマンは怒りに任せてある行動に出る。一方、オスマン帝国領シリアで反乱が起…

時間:47分

 

第4話 (字幕版)ヒュッレム

第4話 (字幕版)ヒュッレム

スレイマン皇帝のお召しを受けたアレクサンドラは、その陽気さで皇帝の心をつかむ。ひと晩のみならず、神聖な木曜日すらアレクサンドラを身近に置く皇帝に、皇帝妃マヒデブランは深く嘆き、アレクサンドラへの嫉妬と憎悪を燃やすのだった。

時間:49分

 

 

第5話 (字幕版)皇帝の指輪

第5話 (字幕版)皇帝の指輪

牢から解放されたヒュッレム(アレクサンドラ)はスレイマン皇帝の寵愛を受け英気を養う。一方、ハンガリー王国ブダ王宮に向かったオスマン帝国の使者ベフラムは国王ラヨシュ2世に謁見し、朝貢を命じるスレイマン皇帝の書状を手渡す。オスマン帝国…

時間:47分
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『華麗なる一族』全12回  4,7★/5  げんさく:山崎豊子『華麗なる一族』

2021年08月23日 | ドラマ

『三番叟』 天神祭 船能 (帝国ホテル前)

 

 

  『華麗なる一族』全12回  4,7★/5

 

 

 

『華麗なる一族』全12回をみた。

 話も役者も面白く、一気に見ることができた。

 それにしても、それぞれ、ここまでぴったりの役者をよく見つけ出したものだ。

 ここの役者に拍手を送りたい。

 

 特に演じ方として良い意味で面白く感じた役者の言動を少しだけ記録しておきたい。

 

 中井貴一

  表情と言動。

  ここ一番という時に、一つの単語だけの見事な関西弁。一単語の後は、標準語で、とウッドリトしての見事な演じ方であった。

 向井理

  間の取り方

 内田有紀

  堂々たる才女及び悪女ぶりな言い回し。

  ダンスの、アクセント。

  最後での、本当は愛情深い女の匂わし方。

 麻生祐未

  透き通るような品の良さ

 「鉄平は、あなたの子です!!!」という言葉の芯の強さ

 石坂浩二

  下心見えたりの、ウヒャヒャ、ウヒョヒョ、ウキャキャ、ウキョキョ、、、(言葉は違うかもしれない)

 萬田久子

  まったりとした、玄人の今日女になっておられた。

 六角精児

  表情といい言い回しといい、大バーゼスチャーで、ドラマ版歌舞伎のようで楽しかった。

  こういった面白い演じ方をする方をアクセントに出されると、ドラマや映画が楽しく感じる。

 甲本雅裕

  「チッッ、チッツ、チィ」

   が印象深い。

 温水洋一

  味があるなぁ〜

 小倉久寛

  味があるなぁ〜

 上に書かなかった役者の方々も、それぞれによかった。

 

 話の展開といい、役者群といい、非常に満足のいくドラマであった。

 

 

原作
山崎豊子『華麗なる一族』
(新潮文庫刊)
 
脚本
前川洋一
(「連続ドラマW 沈まぬ太陽」ほか)
 
 
監督
西浦正記
(「コードブルー」シリーズほか)
池澤辰也
(「WOWOW×東海テレビ共同製作連続ドラマ ミラー・ツインズ Season1&Season2」ほか)
 
 
 
 WOWOW開局30周年記念。政財界をまたぎ、富と権力をめぐる人間の野望と愛憎を描いた山崎豊子の傑作小説『華麗なる一族』を、中井貴一主演でドラマ化。
 

万俵大介中井貴一

阪神銀行頭取であり、万俵コンツェルンの総帥。金融業界でこれから始まる再編成・合併の話を聞きつけ、万俵家の生き残りをかけて、壮絶な戦いを繰り広げていく。

 

万俵鉄平向井理

大介の長男であり、阪神特殊製鋼・専務。社員たちに慕われており、寧子や銀平、妹たちから愛されている万俵家の良心。死んだ万俵財閥の創設者である祖父・敬介に容姿が似ている。

 

高須相子内田有紀

万俵家の家庭教師兼女執事。万俵家の縁談を司る、閨閥作りを担い、そして、大介の愛人でもある。その政治力はさることながら、抜群の美貌の持ち主で、大介を手懐けている。

 

万俵銀平藤ヶ谷太輔

大介の次男で阪神銀行貸付二課課長。一分の隙も無い瀟洒な身なりで、周囲の雰囲気や慌ただしい人の出入りとかかわりないような姿勢で仕事を運び、常に冷静な判断ができる切れ者。

 

万俵寧子麻生祐未

大介の妻。相子により、妻妾同居という奇異な生活を強いられるようになるが、平静を保ち続けてきた。悪夢のような毎日だが、息子、娘たちの幸せを第一に願っている。

 

安田万樹子吉岡里帆

関西財界の重鎮・大阪重工の安田太左衛門の娘。銀平が閨閥のために見合いをすることになる相手。ある時、万俵家の秘密を垣間見ることになり、一家の闇を知る。

 

万俵二子松本穂香

万俵家の次女。二子もまた、大介、相子により閨閥結婚を強引に進められる。だが、顔見知りだった一之瀬四々彦と阪神特殊製鋼で再会し、情熱的な彼の性格に次第に惹かれていく。

 

美馬中要潤

大蔵省主計局次長。大介の長女・一子の夫。国家予算を司る主計局に在りながら、銀行行政を司る銀行局の動向をつかんでいる。

 

美馬一子美村里江

万俵家の長女。三人姉妹の中ではいちばん母・寧子に似ており、清楚で控えめな性格をしている。
美馬中と強引に結婚させられた閨閥の犠牲者。

 

万俵早苗笹本玲奈

かつて通産大臣と国務大臣を歴任した大川一郎の娘で鉄平の妻。閨閥の犠牲者であり、相子の存在を快く思っていない。夫の良き理解者。

 

万俵三子福本莉子

万俵家の三女。好奇心旺盛な学生。楽観的な性格で、相子を深刻な存在とはとらえておらず、自分たちの良縁探し役というからりとした割り切り方をしている。

 

永田格石坂浩二

日本の経済行政全てを握る大蔵大臣。銀行を再編成(合併)して大型化させようとする金融再編成の考えに、預金高下位の都市銀行が恐れている。

 

芥川秀之高嶋政伸

阪神銀行常務で東京事務所長。手際がよく、機敏に立ち回る大介の右腕。芥川を筆頭に東京事務所に所属する者は忍者部隊と呼ばれ、芥川は部隊長である。

 

三雲祥一石黒賢

阪神特殊製鋼のサブバンクでもある大同銀行の頭取。鉄平がアメリカの大学に留学していた時に日銀の現地の駐在参事をしていたことでお互い懇意にしている。

 

芙佐子田中麗奈

東京麻布の「つる乃家」を取り仕切る若女将。鉄平の亡き祖父・敬介とつる子にまつわる、鉄平には言えない秘密を知っていた。

 

一之瀬潔加藤雅也

阪神特殊製鋼の工場長。四々彦の父。鉄平と同じく高炉建設を常々夢に思ってる一人。

 

一之瀬四々彦工藤阿須加

阪神特殊製鋼社員。一之瀬工場長の息子。鉄平に似て、好きな鉄のことに熱心に取り組む精悍な若者。

 

つる子萬田久子

芸妓との遊興や飲食をする待合「つる乃家」の大女将。芙佐子の養母。普段は大阪新町の店にいる。万俵家とは先代の敬介からの付き合いがあった。

 

小森章子新川優愛

銀平の元恋人で画家の卵。鉄平がシカゴに出張に行った際に、個展を開く予定の章子と邂逅し、銀平の今を章子に告げる。

 

細川一也宮田俊哉

佐橋総理婦人の甥。東大法学部卒、業界大手の帝国製鉄秘書課勤務のエリート社員。外務官僚の小泉夫人の遠縁で、美馬と相子によって二子と見合いをすることになる。

 

綿貫千太郎六角精児

大同銀行専務。叩き上げの専務らしい野暮ったさがあり、三雲とは正反対の存在。三雲が鉄平率いる阪神特殊製鋼に肩入れしていることを快く思っていない。

 

銭高孫六甲本雅裕

阪神特殊製鋼常務。元阪神銀行本店の融資部長で、大介の意を受けて、阪神特殊製鋼の経理担当役員として送り込まれた。

 

田中松夫温水洋一

大蔵省銀行局の官僚。金融検閲を予告なしに検査し、徹底的に内容を洗い出す金融検査官。

 

渋野堀部圭亮

阪神銀行常務、融資担当。阪神銀行の体質改善を図るためという名分で、能力厳選主義で選び抜かれ、抜擢されたエキスパート。

 

大亀井上肇

阪神銀行専務、経理担当。大介が人間的な弱さを安心して露呈できる存在。

 

速水英二細田善彦

阪神銀行頭取(大介)の秘書。銀平と同い年、同じ大学で経済を学び、同期で阪神銀行に入社。

 

大川一郎永島敏行

早苗の父/元通産省大臣

 

春田飯田基祐

大蔵省銀行局長

 

石川正治長谷川初範

阪神特殊製鋼・社長

 

安田太佐衛門中村育二

安田重工・社長/万樹子の父

 

大垣市太小倉久寛

老狩猟

 

田淵円三小野寺昭

大蔵省幹事長

 

角田相島一之

阪神銀行池田支店・支店長

 

佐橋伊武雅刀

総理大臣

 

兵藤モロ師岡

帝国製鉄副社長

 

法華マギー

大蔵省次席検査官

 

曽我音尾琢真

阪神銀行顧問弁護士

 
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