乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-3 【巻一 朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-3 【巻一 朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

【巻一 朝覲行幸】一紙

黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)とは、平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束。

「黄櫨染」色の袍(ほう)のことである。

 黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は櫨(はぜ)の樹皮と蘇芳(すおう)から染め出される色で、「赤みがかった黄色」や、「黄がかった茶色」等と言われる。

 時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられている

 令和元年(2019)の即位昇段の儀における海外報道の多くでは、その色調はbrown-goldと評され

 

袍(ほう)

 袍(ほう)とは、日本や中国などで用いられる衣服。

 日本においては、朝服の上衣のひとつ。

 武官・幼年用の闕腋袍(けってきのほう。 両わきの袖付けの下を縫い合わせない)と、文官用の縫腋袍(ほうえきのほう。)

櫨(はぜ)

 うるし科

蘇芳(すおう)

 蘇芳(すおう)とは、黒みを帯びた赤色のことで、『蘇方色』『蘇枋色』とも書きます。

 蘇芳とは染料となる植物の名前で、蘇芳の芯にある色素を明礬(みょうばん)や灰汁を使って発色させたものです。

 明礬焙煎では赤に、灰汁で赤紫に、鉄では暗紫になります。

 今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われています。

 

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を真っ黄色に置き換えるっと、

 歌舞伎『蜷川十二夜』の翫雀(現鴈治郎)の衣装だわ^^

 この衣装では、翫雀(現鴈治郎)さん、

「ぼっちぃ(僕)、ぼっちぃ(僕)。

と連発されていたなぁ^^

 歌舞伎、見たいなぁ^^

 

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乱鳥徒然  大明神様でございまするわぇのう。

2020-08-25 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 此処のところ運動がてらジャズやらロックに合わせて、ステップを踏んだり、激しくドラムを叩くそぶりでストレスを発散させていた。

 挙句、スティックぐらいは買おうかと思っていたさなか、腕が痛くなった(><)

 こりゃダメだわと、昨日夫にリコーダーを貸してと頼んだのだが、渋々、短い方の笛を貸してくれた^^

 にゃはは!と言わんばかりの私^^

 でたらめに、ソニー・ロリンズだの、ニール・ヤングだの(どういう組み合わせやのん?!)のりのりで吹いていたが、木笛の滑らかさは全くなく、ピーピー、ピイィ!

 まるで能楽のカケリの始まりのような音を何度も立てていた。

 あらま!

   能楽見たや、歌舞伎見たや!の、大明神様でございまするわぇのう。

 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-2 【年中行事絵巻、朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-2 【年中行事絵巻、朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

『年中行事絵巻』小松茂実

 もとは12ヶ月全て、宮中腫瘍の年中行事を絵画化

 一年の前半が比較的残る。

 7〜9月、12月がほとんど残ってない。

 

『朝覲行幸』 

 対象者が天皇の御所の外に別個に御所を設けて居住している場合には、天皇の行幸を伴うことになり、こうした朝覲を目的とした行幸を特に朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)と称する。

 

『朝覲行幸』(日本第百科全書)

 覲は謁見の意で、天皇が親である太上(だいじょう)天皇・皇太后の居所を訪問し拝謁すること。

 朝覲行幸とはそのために行幸、すなわち外出すること。

 嵯峨(さが)天皇の809年(大同4)8月に始まったとされ、平安時代に盛んになる。

 鎌倉時代まで行われたが、以後は下火になった。

 年始の挨拶(あいさつ)として正月の3、4日ごろに行われるのが朝廷の恒例の儀となったが、ほかに践祚(せんそ)、即位または元服のあとに行われる臨時の儀もあった。[酒井信彦]

 

朝覲

 朝覲(ちょうきん)とは、天皇が父母もしくはそれに準じる太上天皇・女院に拝礼すること。

 対象者が天皇の御所の外に別個に御所を設けて居住している場合には、天皇の行幸を伴うことになり、こうした朝覲を目的とした行幸を特に朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)と称する。

 

朝覲  (大辞林)
 
 ① 天皇が太上天皇や皇太后の御所に行幸し、恭敬の礼をつくすこと。
  年頭に行われる恒例の儀と、践祚・即位・元服の後に行われる臨時の儀とがある。
 
 ② 諸侯や属国の主が天子に拝謁すること。
 
行幸 ( 名 )
 
 天皇がが出かけること。みゆき。
 
行幸 
 
 《名・ス自》天皇のお出まし。みゆき。
 
 
 
 
 
 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

小松茂実

1977年12月20日

 

『年中行事絵巻』  (大辞林)

 絵巻物。

 平安後期の成立。

 後白河院の命により常盤光長らが制作。

 当時の宮廷での年中行事や民間風俗が描かれている。

 もと六〇巻と伝えられるが焼失、現在は模本一六巻その他が伝わる。

 

『年中行事絵巻』  (日本大百科全書)
 
 絵巻。
 平安時代における宮中の儀式や、祭事、法会(ほうえ)、民間の宗教上の風俗など、年中の行事を集めて描いたもの。
 平安末期に後白河(ごしらかわ)法皇が六十巻余に及ぶ絵巻を常盤光長(ときわみつなが)を中心に制作させ、藤原基房(もとふさ)に校閲させて蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)の宝蔵に収め後世に伝えた。
 この原本はしだいに散逸し、残ったものも江戸時代に幾たびかの内裏(だいり)の炎上で焼失した。
 現在は失う前に模した模本が伝わり、田中家その他に分蔵される。
 これは、1661年(寛文1)ごろ、宮中にあった原本を土佐広通(ひろみち)(住吉如慶(じょけい))が写した白描(はくびょう)模写十六巻をはじめとしたもので、二十四、五巻分の図様を伝えている。
 近世の模写とはいえ、平安時代の風俗資料としてきわめて高い価値を有する。[村重 寧]
『新修日本絵巻物全集24 年中行事絵巻』福山敏男編(1978・角川書店) 
『日本絵巻大成8 年中行事絵巻』小松茂美編(1977・中央公論社)』

 

後白河院

 第七十七代天皇。後鳥羽天皇の第四皇子。

 母は藤原公実の娘。

 戦乱の世にあり、長く院政をすすめた。

 仏教を厚く信仰。

 東大寺の大仏再建。

 今様を愛す。

『梁塵秘抄』を編纂した。

 建久3年(1192)66歳、歿

 

『梁塵秘抄』

 平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。

 主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。

 記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明である。

「今様」は、その当時として〈今よう〉、つまり現代ふうという意味で名づけられたもの七五調四句の詞型を特徴とし、独唱者が主として鼓などの単純な打楽器の伴奏とともに謡ったのではないかと推定されている。

 歌詞集及び口伝集、ともに10巻ずつがあったと推定されているが、歌詞集の巻1の断簡と巻2、口伝集の巻1の断簡と巻10のみが現存する。

 成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる。

 現存本では566の今様を長歌(ながうた)、古柳(こやなぎ)、今様、法文(ほうもん)歌、四句神歌(しくのかみうた)、二句神歌などに分類して収載している。口伝集には撰述の事情などが記してある。

 平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており,文学史音楽史のみならず風俗思想史上にも重要な資料である。

 

常盤光長

 12世紀後半,後白河上皇のもとで活躍し,『年中行事絵巻』や『伴大納言絵詞』の筆者に擬せられる宮廷絵師。

 生没年をはじめ経歴の詳細は不明であるが,後世土佐派の系図において,基光,隆能などに続く祖先の一人に列せられて土佐光長などと呼ばれ,当時の能画の第一人者と目された。

 この光長は,後白河上皇の寵妃建春門院が建立した最勝光院の御堂や御所の障子絵制作を命ぜられた常盤源二光長と同一人物と考えられる。

 

藤原基房

 [生]久安1(1145).京都

 [没]寛喜2(1230).12.28. 京都

 平安時代末期の廷臣。

 関白忠通の次男。

 松殿,中山菩提院などと呼ばれた。

 保元1 (1156) 年正五位下となり,権中納言,内大臣,左近衛大将,右大臣を経て長寛2 (64) 年左大臣。

 仁安1 (66) 年後白河院政下で摂政,関白となったが,平氏抑圧を策して平清盛によって治承3 (79) 年解任された。

 のち宮本義仲結んで復活したが,義仲の死後失脚した。

 

土佐広通

 室町初期から幕末にいたるまで,おもに宮廷の絵所を拠点として日本の伝統的な絵画様式を継承・保持した画派。

 1414年(応永21)に描かれた京都清凉寺の《融通念仏縁起絵巻》に,各場面を分担制作した6人の画家名が記されるが,そのなかに〈土佐〉と呼ばれた2人の画家,行広と行秀の名が知られる。

 行広は《教言(のりとき)卿記》応永13年(1406)10月29日条に土佐将監と記され,《足利義満像》を描いたのをはじめ1443年(嘉吉3)まで活躍し,経光と号した

 

絵所

 画(絵所・えどころ)とは、平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ。

 本来は宮廷の絵画・意匠を考案・制作する「所」であるが、鎌倉時代には絵画の需要が多い寺社の工房にも置かれるようになり、南北朝時代には独立した絵師の工房に対しても用いられるようになった。

 

『融通念仏縁起絵巻』

 融通念仏宗の開祖良忍の伝記、同宗の功徳などを描いた2巻本の絵巻物。

 念仏勧進のため正和3年(1314)に最初の作品が成立し、以後広く伝写された。

 南北朝時代に良鎮 (りょうちん) の勧進により制作された「知恩院本」、明徳2年(1391)制作の木版による「大念仏寺本」、この木版本の図様を踏襲した紙本著色の「清凉寺本」(応永年間の作)などがある。

 特に清涼寺本は六角寂済 (じゃくさい) 、藤原光国、土佐幸宏、粟田口隆光ら、当時一流の画家たちが制作に参加しており、室町期の大和絵の貴重な作例として国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 7 十丁裏 十一丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-25 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 7 十丁裏 十一丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

十丁裏

斯(かく)て山中といへる建場(たてば)に似たる、爰ハ両側に、茶

屋軒をならべて、「おやすみなさいまァし、くだり

諸白(もろはく)もおざりやァす、もち(餅)よヲ、あがりやァし、いつ

せんめしヲあがりやァし、お休みなさいやァし/\

弥二「きた八、ちつと休んでいかふ、 ト ちゃ屋へ入る、此内のにハにつきたてたる、へつついのまへへ

おもてのかたより、たけのきせるをくはへて、一人のくもすけ、ずつと入り、「おへねへひやうたゝれどもだ、

ある熊や、どぶ八目が、峠まで長持ちでゆつたァな、

 

十一丁表

ひとりのくもすけ「ゑいは、そんざいあびてが、あんどんにげんこ(五十)ハ

ふんだくるべい、この長もちといふハ、六百の事、あびごといふハ、さりての事也、今一人「コレそりやァ

ゑいが、コノやろうが、しやらくを見ろべ、しつかりもん

つきをきァがつた、酒ごもきている雲すけ、「きんによう(昨日)、小田原

の甲州屋で、やらやつと壱まいもらつてきたが、あん

まり裾が長くて、お医者様のよふだとけつかる

丸はだかのくも、「やろうめらァ、工面がゑいから、すきなものをき

やがる、こんぢう(此中)内から、はだかでゐりやァ、がら

 

建場(たてば)

  江戸時代、宿場と宿場の間の街道などで、人足、駕籠かきなどの休息した所。

  明治以後は人力車や馬車などの発着所をいう。

 2 人の多く集まる所。たまり場。

 3 位置。たちば。

  業者がその日に集めた廃品を買い取る問屋。

諸白(もろはく)

 諸白(もろはく) とは日本酒の醸造において、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を用いる製法の名。

 または、その製法で造られた透明度の高い酒、今日でいう清酒とほぼ等しい酒のこと。

 一方、麹米は玄米のままで、掛け米(蒸米)だけに精白米を用いる製法、またはその製法で造られた酒のことを片白(かたはく)という。

 麹米、掛け米ともに精白しなければ並酒(なみざけ)と呼ばれた。

諸白(もろはく)もおざりやァす、

 → 諸白(もろはく)もございます

げんこ(五十)

 ① 固く握った手。

 ② 〔近世、馬子、駕籠(かご)かきなどが用いた隠語〕 五・五〇・五〇〇などの金額。片手

甲州屋

 実家の宿屋か、酒屋。(日本古典文学全集 頭注)

やらやつと

 やっとの事で。(日本古典文学全集 頭注)

裾が長くて

 医者の着る気長い合羽に見立てて(日本古典文学全集 頭注)

 

 

 

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映画『Brightburn ブライトバーン/恐怖の拡散者』2019 4,3★

2020-08-24 | 映画

 

  映画『Brightburn ブライトバーン/恐怖の拡散者』2019 4,3★

 

 

  • 原題/Brightburn
  • 制作年/2019
  • 制作国/アメリカ
  • 内容時間(字幕版)/91分
  • ジャンル/ホラー・SF/ファンタジー宇宙から地球に来た12歳の少年、超能力を使って惨劇を起こすように……。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のJ・ガン監督がプロデュースを務めたSFサスペンス。

 宇宙から地球に来た12歳の少年、超能力を使って惨劇を起こすように……。

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のJ・ガン監督がプロデュースを務めたSFサスペンス。

  • 監督
    デヴィッド・ヤロヴェスキー
  • 製作
    ジェームズ・ガン
  • 製作
    ケネス・ファン
  • 脚本
    ブライアン・ガン
  • 脚本
    マーク・ガン
  • 撮影
    マイケル・ダラトーレ
  • 音楽
    ティム・ウィリアムズ
トーリ・ブレイヤー エリザベス・バンクス
カイル・ブレイヤー デヴィッド・デンマン
ブランドン・ブレイヤー ジャクソン・A・ダン
ノア マット・ジョーンズ
メリリー メレディス・ハグナー

 

 

 家族と、映画『Brightburn ブライトバーン/恐怖の拡散者』を見た。

「水色」を基調に大胆な構図から始まる、美術的に品さへ感じるこの映画も、「赤」を刺し始めるころから話が展開する。

 ネタバレは避けたいと思うが、子供を欲しいと思い続けていた夫婦に、宇宙からの授かりもの、それが、ブランドン・ブレイヤーであった。

 ブランドン・ブレイヤーは宇宙船の地球着によって、体から血を流し落下の衝撃で痛めつけられていたが、夫婦、特に母親が子供として大切に育てる。

 だが、十年の月日を経て、ブライトバーン自身と親二人は次第にブライトバーンが普通でないことに気づき始める。云々

 

 ブランドン・ブレイヤーは言う。

「本当は良い人間(人?子?)で居たいんだ。」 

 この言葉は大変重要。

 ブランドン・ブレイヤーは多くの酷い事件を巻き起こし、三角が四つのサインを後に残す。

 △△

 ▽▽

 酷い連続事件であったが、三角が四つのサイン

 △△

 ▽▽

を残しつつ、次のような事を思ったかもしれない。

「本当は良い子で居たいんだ。本当はBright Burnで居たいんだ。」

と。 

 

 そう考えるとせつなくさへ感じる映画であった。

 この映画は、私は好きだな^^

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 6 九丁裏 十丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-24 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 6 九丁裏 十丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

九丁裏

(ゑつちうふん)どしであつた、弥二「てめへ、ゆふべ、ふろへはいるとき、

ふんどしをたもとへいれて、それなりに忘れたハ、おか

しい、大かた、けさ、手水(てうづ)をつかつて、顔もそれで

ふいたろふ、きたねへおとこだ、北八「そふよ、どうりこそ

わるぐさい手ぬぐひだとおもつた、弥二「ナニ、ぜんてい

てめへが、あたじけねへから、こんな恥をかくハ、北八「なぜ

弥二「もめんをしめるから、手ぬぐひと取ちがへるハ、コレ

おいらァ、見やれ、いつでも絹のふんどしだ、北八「それだ

 

十丁表

とつて、やねやがながつぼねのふきかへに行きやァ

しめへし、きぬをしめることもねへす、エヽまゝよ、たびの

はぢハかきすてだ、斯(かう)もあらふる、

 

 手ぬくひと おもふてかふる ふんどしハ

  さてこそ恥を さらしなりけり

 

それより かぶと石をよめる弥次郎兵衛

 

 さがこゝに 脱捨おきし かぶといし

  かゝる難所に 降参やして

 

手水(てうづ)

 手水(ちょうず)

 手や顔などを洗い清めること。また、そのための水。

 出典枕草子 正月に寺にこもりたるは
「半挿(はんざふ)にてうづ入れて」
 [訳] 半挿(=湯水を入れて物に注ぐ器)に水を入れて。◆「てみづ」のウ音便。
 
ながつぼね
 
 大奥
 
斯(かう) かかる
 
 [連体]《「かくある」の音変化》このような。こういう。「斯かる行為は許されない」
 
 
かぶと石 
 
 神奈川県
 
 湯河原は源頼朝にゆかりがあり、様々な伝説が残っています。

 頼朝が石橋山の合戦で敗れ、逃れている時に兜を脱いで休息したとされるのが兜石。その形はまさしく頼朝が脱いだ兜にそっくりです。

 その近くにあるのが立石で、その姿はまるで地面に立っているかのよう。

 頼朝が自らの天下を占うために投げたと言われ、見事に山の中腹に立ったことから運が開け、鎌倉幕府を開くにいたったと言い伝えられています。(湯河原町観光課HP https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/753/)

 

かぶと石 

 かぶとを脱ぐ

 →降参やして

   さがこゝに 脱捨おきし かぶといし

   かゝる難所に 降参やして

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 5 八丁裏 九丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-24 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 5 八丁裏 九丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

八丁裏

(「ふじのあたまが、つん)もへる、なじよにけふりがつんもへる、三嶋女郎衆(ぢょろしゆ)

に、がらゝ打こみ、こがれおじゆつたらつんもへたぁ、

しよんがへドゥ/″\ こちらからゆく馬かた たがいに行ちがひて 「ヒヤア 出羽宿の

先生どふだ、向ふよりくる馬かた 「べらぼうめ、おれが先生

なりやァ、うぬハはつつけだァ 「ヒイン/\ 又むかうより来るハお大名

のお国からおゑと入の女中たち、かごをつらせて、四、五人づれ、さいぎつれてくるを見て弥次郎 「ヲヤ/\、ゑらい/\

きた八 「ほんに是ハみな生た女だ、きめう/\、ナント弥次さん、つかねへこつたが、白い手拭をかぶると、顔の色

 

九丁表

がしろくなつて、とんだいきな男にみへるといふ

ことだが、ほんとうの 弥次「ソリヤァ ちげ(違)へなしさ、北八「よし/\

トたもとから、さらしのてぬぐいを出して、ぐつとほうかふりにすると、

とふりすがひに女中たち、きた八がかほをのぞいて見て、みな/\わらひ、

とふりすぎる、 「ナント、どうだ、今の女どもが、おいらが顔を見

て、うれしそうに笑いていつたハ、どふでも色男ハ

ちがつたもんだ、弥二「わらつたはづだ、てめへの手拭

を見や、木綿さなだの紐が、さがつていらァ、

北八「ヤァ/\、こりやぁ、手じやね、ゑつちうふん

 

出羽宿

 江戸時代に入ると村上藩(新潟県村上市)の本城である村上城の城下と、庄内藩(山形県鶴岡市)の本城である鶴ヶ岡城を結ぶ街道として改めて整備され、村上藩主は海、岩石、小俣宿、雷に番所が設置されています。

 庄内藩初代藩主酒井忠勝が初めて御国入りした際にも出羽街道が利用されています。特に参勤交代では利用されず、日本海の沿岸部はが整備されていましたが、羽州浜街道に比べると難所が少なく、季節によっても影響が受けにくかった事から引き続き多くの人々が利用したようです。

 元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥之細道で当地を訪れた際には酒田から鼠ヶ関宿(山形県鶴岡市)までは羽州浜街道を利用し、鼠ヶ関宿からは出羽街道に入り、村上城の城下町に至っています。

 江戸時代後期になると、出羽三山(山形県鶴岡市)の信仰が全国にも広がり、日本海側の参拝者は出羽街道を利用したとされ、村上城の城下の鎮守である神社は戦国時代に本庄氏によって出羽三山の一翼を成す羽黒神社の祭神である羽黒大権現に分霊を勧請したもの。

 藩主の祈願所の観音寺は、同じく出羽三山の一翼を成す湯殿山神社と関係が深かった事から城下の住民も出羽三山を詣でたと思われます。

 又、街道沿いの湯田川温泉(山形県鶴岡市)は鶴ヶ岡城の奥座敷とも云われ庄内藩の温泉場が設けられ、出羽街道を通過する旅人や商人、出羽三山の参詣者などから利用され大変栄え、湯野浜温泉(山形県鶴岡市)、温海(あつみ)温泉(山形県鶴岡市)と共に庄内三名湯に数えられました。   (https://www.niitabi.com/kaidou/dewa.html)

 

木綿さなだの紐

 木綿の平打ちの紐

 

       

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東海道中膝栗毛 三巻 4 七丁裏 八丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-24 | 十返舎一九

 観月祭

 

 東海道中膝栗毛 三巻 4 七丁裏 八丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

七丁裏

扨(さて)もわれ/\、伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕

さまへは月参(つきまいり)も大願うを起こし、ぶらりしやらりと

出かけ、ねつから急ず候ほどに、ゑい奴とはこねの

駅に着て候、玉くしげ 箱根の山の 九折/\

げにや久肩の醴(あまざけ)売りや 産しよ魚の名所多き

山路かな、 あまざけやうりのおやぢ「めいぶつあばらしやいませ あま

ざけのましやいませ、 北八「弥次さん、ちつと休やせう、

ヲイ、一盃(いつペい)くんな、トせう木にこしをかける、おやじ一杯くんで出す、「こいつハ黒い/\、

 

八丁表

弥次「くろいよふであまいハ、遠州はまじやァな

いか 北八「わりい/\、コウ、おめへ、なぜのまねへ 弥二「おいらァ

いやだ、そのちやわんを見や、施主の気づきのね入る

あさがほなりにでもすれバいいよ、 北八「そふき、是じやァ

強飯のかうのもの、奈良漬じやァあるめへの

おやぢ「かうのもんハござらねへが、むめぼしを進ぜます

べい、ト皿にある梅母子をいだす 北八「ヲイ/\、いくらだへ、サァおせハトぜにを払日出て行

向こうよりくる小荷駄馬ひきもきらず、すゞのおと しやん/\/\「富士の頭がつん

月参  (ガッサン)

 がっさん グヮッ‥

 がっさん〔グワツ〕

 つきまいり ‥まゐり

 毎月一定の日に神社や寺に参詣(さんけい)すること。

 つきまいり。

ねつから

 根っから

 一向に

玉くしげ

 「箱」の枕詞

九折/\

 箱根の山道の様に、くねりくねり折れ曲がった道

施主 (せしゅ)

 1 法事・供養(くよう)をする主人役の人。また、寺や僧などに物をほどこす人。

 2 物事、特に建築や造園の資金を出す注文主。
 
あさがほなりにでもすれバいいよ、
 
 歌舞伎『助六』では、風呂上がりの「朝顔のかんぺら」が出てくる^^
 この朝顔のかんぺら、なりはごついが、弱ぇえ弱ぇえ(笑)
 ここでは、朝顔型に開いた茶碗の形こと。

 

 

       

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映画『Along with the Gods: The Last 49 Days 神と共に 第二章:因と縁』2017 韓国

2020-08-23 | 映画

イラン タフト・ソレーマーン

 

 

  映画『Along with the Gods: The Last 49 Days 神と共に 第二章:因と縁』2017 韓国

 

 

  • 原題/Along with the Gods: The Last 49 Days
  • 制作年/2017
  • 制作国/韓国
  • 内容時間/142分
  • ジャンル/SF/ファンタジー

 

 

 先日見た『神と共に 第一章:罪と罰』に続き、今日は、『神と共に 第二章:因と縁』を見た。

 前回、現代美術的な場面とCGと古典的な画面のメリハリに面白みを感じていたが、今回は表現主義が加わり、さらに満足した。

 役者が有名な方なのか、演技もメリハリがあり、前回今回共に、涙を流させる、映画の文法に則った娯楽的秀作だと感じた。

 

 また、前回今回共に韓国語が日本語の単語に似た部分があることに気づかされる。

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます^^

 

 

 第一章 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c689e0b50e596c362fdbcaae07b09f7b

 

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 3 七丁表 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-23 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 3 七丁表 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

七丁表

浮世道中膝栗毛後編

       十返舎一九

長明が東海道記に曰、松に雅琴(かぎん)の調あり、浪

に鼓の音ありと、息杖の竹笛をふけバ、助

郷の馬、太鼓をうつ、膝栗毛扁の序びら

き、ヒヤリ/\、すつてん/\、狂言詞 「か様に

候者ハ、お江戸の神田のハ丁掘辺に住居せし、

弥治郎兵衛、きた八と申す、なまけものにて候、

 

 

雅琴(がぎん)

〘名〙 琴の美称。風雅な琴。上品な琴。
 
 ※和漢朗詠(1018頃)下「嵐に随ふ落葉は蕭瑟を含めり 石(いは)に濺く飛泉は雅琴を弄ぶ〈源順〉」
 〔司馬相如‐長門賦〕
 
息杖
 
 駕籠 (かご) かきや重い物を担ぐ人が、ひと休みするときに荷物を支えたり、からだのバランスをとったりするために使う長い杖。

 

 

       

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東海道中膝栗毛 三巻 2 一丁裏 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-23 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 2 一丁裏 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

 

一丁裏

 

 中っ腹五十三次

 売っ尻道中之記

閲覧 

膝栗毛初編、序にして、世に行流、仍而(よって)其後編を索(もと)むれ

ども、作者、例の悠長にして、鼻の下と惧に長し、其上

去年の初秋、常総に遊て、鳥此申湖(ママ)の居続に尻を

腐らし、斬旧蝋中旬の比、東都に帰る、予頻に此編を

商求む(はかりもとむ)、於是不得止事、終に前後二巻を編転す、

気迫なれは、排説の中、齟齬あることハ見赦し給へと、

十返舎の主にかハりて、書肆(しょし)栄邑堂しるす、

                  印 印

 

索(もと)む

 【索】 サク

  ① 太いなわ。つな。 

  ② もとめる。さがす。 

  ③ ものさびしい 。

悠長

 [名・形動]動作や態度などが落ち着いていて気の長いこと。また、そのさま。「悠長に構える」「悠長な話」

鼻の下

 痴人の様をいう。(日本古典文学全集 頭注)

 鼻の下が長い

 (女性に甘い。色香に迷いやすい。好色である。「女性に言い寄られて―・くなる」)

 鼻の下が干しあがる

 (収入がなく、生活ができなくなる。口が干上がる。「不景気で―・る」)

惧 グ ク

 おそれる。おそれ。「危惧」

危惧

 悪い結果になりはしないかと心配しおそれること。

長し (古語)

 ①長い。▽空間的な隔たり。

 ②長い。永久である。▽時間的な隔たり。

常総

 常総(じょうそう)は、常陸国と下総国の併称。

蝋中旬

 蝋燭の中程(半分燃えた状態)

比  (ころ)

  ヒ・くらべる ならぶ・ころ

東都

 東方のみやこ。

 日本では、京都に対して江戸または東京をいう。

於是不得止事

 これにおいて、止め得ずこと、

齟齬 (そご)

 《名・ス自》

 意見や事柄が、くいちがって、合わないこと。くいちがい。

赦し

 ゆるし

書肆 (諸氏)

 書物を出版したり、また、売ったりする店。書店。本屋。

 (肆 連ねるという意味)

 ①くに。領地。みやこ。「食邑」

 ②むら。さと。むらざと。「邑落」 ③うれえる。「忿邑」

栄邑堂

 江戸 版元

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 1 心構え  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

2020-08-23 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1 心構え  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 

 中っ腹五十三次

 売っ尻道中之記

 早稲田大学 ヘ13 03123 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 全18冊だが、1冊目と2冊目部分は日本古典文学全集で読んだので、3冊目は早稲田大学所有の「発端,初,後,3-8編 」で読もうと思う。

 それもこれも、黄表紙の『今昔狐夜噺』(十返舎一九作)が面白かったため。

 今度こそ苦手意識を持たず、十返舎一九と正面から向き合いたい。

 

 “Rancho, Are you ready? “

 “Yes, come on,come on, let go.“

 それでは、旅の始まり、はじまりぃい〜〜^^

 

 

 

 

 

 

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金々先生造化夢 読了   16 金々先生造化夢 口上(十五丁裏) 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-22 | 山東京傳

 

 

 金々先生造化夢 読了 16 金々先生造化夢 口上(十五丁裏) 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十四丁裏の続き、十五丁裏 口上

十五丁裏の続き
 
と思ひしハ夢に手あたり
 
をみれバ、やう/\にはながにへ
 
たちけれバ、手をはたとう
 
つてアヾきなるかな、みやう
 
ごぜへす、ろせい
 
ハあハいゝかしく
 
うちに五十年の
 
ゆめを見、われハ小
 
ばなのできるうち
 
千万人のしんくを
 
しれり、われうきよ
 
をゆめと思ひなし
 
て、ただ かる/″\と
 
くらしたるが、今日
 
より心をあら
 
ため、天地へおん
 
をほうづるため、
 
一ツのとせいをはじ
 
めんと、これよりむしやうに
 
うせぎけれバ、四、五年たゝぬ
 
うち、百万両のぶげんとなり、
 
のちハゆめにあらぬ、ほんまの
 
ゑいぐわのみとなりけるぞ、
 
御あつらへ、とびきりのめで
        たし、/\
 
 
 
十五丁裏
京傳が飯のまえでおおのびをして喜んでいる^^
京傳の羽織の紋付には、金の文字^^
 
 「アヽ、ひさし
 
     ぶりで
 
  くさぞうしの
 
    しまいが
 
     ゆめだ、
 
 
 
十五丁裏 中
  
 京傳作
 
    口上
 
   此度山東京傳儀、かみたば
 
   こ入れ、みせ出し、いろ/\ゑん
 
   がた、仕入仕下直の品に
 
   て、切れたばこ入 同様、
 
   御用ひに相成候やう、
 
   工夫仕候 何とぞ
 
   御ひゐき、御取立
 
   ひとへ奉希上候
 
   以上
 
   江戸京橋銀
 
   座一丁目
 
   京屋
 
     傳蔵
 
  「こればつ
 
    かりが
 
    ましめだ。
 
 
  京傳は歔
 
  作の大人
 
 
 
 
 
       金々先生造化夢 読了^^v
 
 
 
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金々先生造化夢 15 十三丁裏 十四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-22 | 山東京傳

 

 

 金々先生造化夢 15 十三丁裏 十四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十三丁裏 

かくてやりこせんのちやづけめし、できあがりけれバ、
 
仙人のおかしら、これを、きん/\せんせいにくハする
 
きん/\せんせいハ此ちやづけめしをこしらへるおほ
 
くの人のしんろうをもくぜんにみたる事、なれ
 
ハぜんにすはりて、つく/\思ひけるハ、わずかに
 
ちやづけめし、一ぜんたつた、二夕キレのうらの
 
ものといへども、いく万人の手にかゝり
 
ける かぞくへつくしがたし、りやうり なん
 
どハ、いくおくをく、万人のしんくなる
 
かは□□しるべからす、これを思へバ
 
家をつくり、きものをき、人間一生入
 
用の品/\ハみな、これいく万人
 
のしんくをつめりしかる
 
時ハ互に一まい
 
はし一戦も
 
わがものに
 
あらす、皆
 
天地より
 
めぐみ給ふ
 
所なりて
 
め一りらも
 
あそんていて
 
くらふハもの
 
 
十四丁表
 
たいなき
 
事なり申
 
そうじや
 
ナァ、と、かん
 
しんのあまり、ひざの
 
うへゝ、しろきなみだ
 
をこぼしければ、おきう
 
じのどうじがめつけて、
 
もしめしつぶがこぼれ
 
ましたもいく/\
 
 
十四丁表
 
「いかにきん/\せんせい、なん
 
 ぢなまものじりにして、さだま
 
 ると、せいもせず、あたかに
 
 きあくまてくらひ、千万人の
 
 しんくをついやて、ぶらついて給
 
 たるハ、大きなるあや
 
 まりなり、うき
 
 よハいぼあい
 
 もちなんと、こ
 
 れでちや
 
 づけめし
 
 をくふ
 
 やうに
 
 さら/\とさ
 
 とりがひらけ
 
 たであろふ、
 
 
 
十三丁裏 下
 
   たゞ今までハちやづ
 
   けめしなどハ
 
   なんのきもつ
 
   かず、ふ
 
   しやう/″\
 
   にたべ□(欠け)
 
   したる、
 
   さん/\
 
   おぼゞの
 
   人のしん
 
   ろ□す
  
   る所を
 
   こまして
 
   ハのどへ
 
   つかへて
 
  たべられませ
 
  ぬ、今までゑようくひに
 
  着よく、ちのみいた
 
  したハ、大き
 
  なあやまり、
 
  ひもじひ
 
  ときにまづ
 
  い
 
  ものな
 
 
十四丁表 下
 
  しと
 
  申が
 
  よい
 
  たとへで
 
  ござり
 
  ます、
 
 
 
 
 
 
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