祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)
『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日
小松茂実
1977年12月20日
『年中行事絵巻』 (大辞林)
絵巻物。
平安後期の成立。
後白河院の命により常盤光長らが制作。
当時の宮廷での年中行事や民間風俗が描かれている。
もと六〇巻と伝えられるが焼失、現在は模本一六巻その他が伝わる。
平安時代における宮中の儀式や、祭事、法会(ほうえ)、民間の宗教上の風俗など、年中の行事を集めて描いたもの。
平安末期に後白河(ごしらかわ)法皇が六十巻余に及ぶ絵巻を常盤光長(ときわみつなが)を中心に制作させ、藤原基房(もとふさ)に校閲させて蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)の宝蔵に収め後世に伝えた。
この原本はしだいに散逸し、残ったものも江戸時代に幾たびかの内裏(だいり)の炎上で焼失した。
現在は失う前に模した模本が伝わり、田中家その他に分蔵される。
これは、1661年(寛文1)ごろ、宮中にあった原本を土佐広通(ひろみち)(住吉如慶(じょけい))が写した白描(はくびょう)模写十六巻をはじめとしたもので、二十四、五巻分の図様を伝えている。
近世の模写とはいえ、平安時代の風俗資料としてきわめて高い価値を有する。[村重 寧]
『新修日本絵巻物全集24 年中行事絵巻』福山敏男編(1978・角川書店)
『日本絵巻大成8 年中行事絵巻』小松茂美編(1977・中央公論社)』
後白河院
第七十七代天皇。後鳥羽天皇の第四皇子。
母は藤原公実の娘。
戦乱の世にあり、長く院政をすすめた。
仏教を厚く信仰。
東大寺の大仏再建。
今様を愛す。
『梁塵秘抄』を編纂した。
建久3年(1192)66歳、歿
『梁塵秘抄』
平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。
主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。
記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明である。
「今様」は、その当時として〈今よう〉、つまり現代ふうという意味で名づけられたもの七五調四句の詞型を特徴とし、独唱者が主として鼓などの単純な打楽器の伴奏とともに謡ったのではないかと推定されている。
歌詞集及び口伝集、ともに10巻ずつがあったと推定されているが、歌詞集の巻1の断簡と巻2、口伝集の巻1の断簡と巻10のみが現存する。
成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる。
現存本では566の今様を長歌(ながうた)、古柳(こやなぎ)、今様、法文(ほうもん)歌、四句神歌(しくのかみうた)、二句神歌などに分類して収載している。口伝集には撰述の事情などが記してある。
平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており,文学史音楽史のみならず風俗思想史上にも重要な資料である。
常盤光長
12世紀後半,後白河上皇のもとで活躍し,『年中行事絵巻』や『伴大納言絵詞』の筆者に擬せられる宮廷絵師。
生没年をはじめ経歴の詳細は不明であるが,後世土佐派の系図において,基光,隆能などに続く祖先の一人に列せられて土佐光長などと呼ばれ,当時の能画の第一人者と目された。
この光長は,後白河上皇の寵妃建春門院が建立した最勝光院の御堂や御所の障子絵制作を命ぜられた常盤源二光長と同一人物と考えられる。
藤原基房
[生]久安1(1145).京都
[没]寛喜2(1230).12.28. 京都
平安時代末期の廷臣。
関白忠通の次男。
松殿,中山菩提院などと呼ばれた。
保元1 (1156) 年正五位下となり,権中納言,内大臣,左近衛大将,右大臣を経て長寛2 (64) 年左大臣。
仁安1 (66) 年後白河院政下で摂政,関白となったが,平氏抑圧を策して平清盛によって治承3 (79) 年解任された。
のち宮本義仲結んで復活したが,義仲の死後失脚した。
土佐広通
室町初期から幕末にいたるまで,おもに宮廷の絵所を拠点として日本の伝統的な絵画様式を継承・保持した画派。
1414年(応永21)に描かれた京都清凉寺の《融通念仏縁起絵巻》に,各場面を分担制作した6人の画家名が記されるが,そのなかに〈土佐〉と呼ばれた2人の画家,行広と行秀の名が知られる。
行広は《教言(のりとき)卿記》応永13年(1406)10月29日条に土佐将監と記され,《足利義満像》を描いたのをはじめ1443年(嘉吉3)まで活躍し,経光と号した
絵所
画所(絵所・えどころ)とは、平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ。
本来は宮廷の絵画・意匠を考案・制作する「所」であるが、鎌倉時代には絵画の需要が多い寺社の工房にも置かれるようになり、南北朝時代には独立した絵師の工房に対しても用いられるようになった。
『融通念仏縁起絵巻』
融通念仏宗の開祖良忍の伝記、同宗の功徳などを描いた2巻本の絵巻物。
念仏勧進のため正和3年(1314)に最初の作品が成立し、以後広く伝写された。
南北朝時代に良鎮 (りょうちん) の勧進により制作された「知恩院本」、明徳2年(1391)制作の木版による「大念仏寺本」、この木版本の図様を踏襲した紙本著色の「清凉寺本」(応永年間の作)などがある。
特に清涼寺本は六角寂済 (じゃくさい) 、藤原光国、土佐幸宏、粟田口隆光ら、当時一流の画家たちが制作に参加しており、室町期の大和絵の貴重な作例として国の重要文化財に指定されている。