乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

金々先生造化夢 8 六丁裏 七丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-18 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 8 六丁裏 七丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

六丁裏 

きん/\せんせいにくハすべき

ちやづけのとうぐ、まつ

大ていソロいけれども、まだ

たい一のこめかなけれバ

ひやくしやうの仙人まつ

田へタネをおろす、これ

こめをくるまゝ、あき

のじよ、ひらきけり、

「此たねまきハすぎし

 ころと百しやうが

 かとうぶしても

    あるまい

「仙人のおやかた、きん/\

 せんせいとともなハ此

 ていを見せる、

「あれ、かたき

 まに くらせる

 ちやづけのめしに

 なるのだ、

 きん/\先生曰、

「もはやわたくしも

 おまへかたのきのながさに

 ハ あきれかへつて、はらが

 ヘリとをして もう へい

 きでこさります、しる

 し まだ ひもじいきのせい

 

七丁表

 かして、わたしがめにハおまへ

 のころもが、この先、せんへいの

         やうにみへ

            ます

 

七丁表

それ

より

女房

仙人

かゝあ

仙人

よめ

仙人、ば

ばあ仙

人、うちま

じり、田を

かへる、これ

までの

しんく

/\

ひつしに

のべがたし、

はいかいし

ていはといへるか、勺に

「さおとめの よるもそろへて

 いひきかな

といへるも、ひるのくさ、ひれし

さまみへて、まことそのしんく思ひやらる也

 

六丁裏 下

   仙人のおやかた

   にハざよらく

   がもんのやう

   子しる

   し

   と

   つ

   け

   て

   お

   かねバ

   たゞの

   仙人と

   まち

   がふ

   やつ

   さ

「此たねまきハすぎし

 ころと百しやうが

 かとうぶしても

    あるまい

 「此の種蒔きは過ぎし頃と、百姓が河東節でも有るまいに。」

河東節

 河東節(かとうぶし)は浄瑠璃の一種。

 また古曲の一つ。重要無形文化財(1993年4月15日指定)。

 歌舞伎で河東節(かとうぶし)を使うのは、『助六所縁江戸櫻』

河東節 

 江戸浄瑠璃の一派で享保年間に十寸見河東(ますみかとう)が創始、江戸節とも呼ばれて鷹揚で華麗、江戸気分豊かな曲想が特長ですが、文化文政期以降は常磐津、富本、清元といった豊後節系浄瑠璃に押され衰退してゆきました。

 現在も数十曲が伝えられていますが、芝居に関連して使われるのは市川團十郎家が『歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』を上演する際、助六の花道出端のところで舞台正面御簾内で語られるのみです。

 その際「河東節十寸見会御連中」として日替わりで並びますが、主に他の邦楽の心得がある旦那衆や奥様方が中心となっています。(金田栄一)(歌舞伎様案内より)

 

 勺は、尺貫法の体積の単位である。 合の10分の1、升の100分の1と定義される。

 日本では1升=約1.8039リットルであるので、1勺は約18.039ミリリットル、中国では1升=1リットルであるので、1勺は10ミリリットルとなる。

 

 

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金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-18 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

五丁裏 

ひやくしやうの仙人、いちやづけめしの

さいになる、けうの おの大こんをつくらん

と、まづ大こんのたねをまゝ、此たね

をまゝまでにも、はたけをかない

こやしをかけ、大こんになるまでのしん

くハさらにたとへがたし、

 

五丁裏 

又、ちゃつみの仙人ハちやづけのに

ばなになるちやをつむ、これも

ちやになるまでのしんくいか

ばかりか、しれず

 

五丁裏

「ちやつみの女中にみとれて

 おもハずちやの木にだき

 ついた そゞろな人さん

 じや チンツ チャン/\

 などゝちや

 つみの仙

 女、ごう

 せへに

 かく

 

五丁裏

「はやく

 こつちへ

 きせん

 ほうし

 わがいほハ

 

六丁表 

  みやこの

  ちやつみ

 しるぞ

 すな

 よう

 うち/\と

 らち

 のあ

 かぬこ、

 たぞ

 じれつ

 てへそ

  よウ

 

六丁表  

「おさる 

  さん、

 かんぶつ

 のちつたま

 めぞうを

 こるやうに

 ざるを

 もつて

  まご/\

  しなさんな

 

五丁裏 中

   「たねから大こを

    とらヤァ/\

    なむこう

    たんのうと

    にんげんに

    きこへれ

    ば、いく

       が

 

けうの おの大こん

 京の小野大根か?

 

「はやく

 こつちへ

 きせん

 ほうし

 

 「早くこっちへ喜撰法師」

 「早くこっちへ来せん法師」

 きせん(掛詞)

 

  喜撰法師

 伝不詳。宇治山に住んだ僧ということ以外、確かなことは判らない。

 いわゆる六歌仙の一人で、古今集仮名序には

「ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず」

と評されている。

『元亨釈書』には「窺仙」なる僧が宇治山に住んで密咒をなし、長生を求めて仙薬を服し、あるとき雲に乗って去って行った旨書かれている。

 また『孫姫式』には「基泉」の作が載るという(『古今和歌集目録』)が、いずれも喜撰と同一人物かどうか判らない。

 歌は古今集の一首以外たしかなものは伝わらない。

 歌学書『喜撰式』の著者と永く信じられていたが、今日この書は平安中期の偽書とみる説が有力視されている。

   題しらず   喜撰法師

   わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(古今983)

 喜撰法師は宇治山に住んだ僧であり、『金々先生造化夢』のここでは、茶摘みの話と挿絵を用いている。

 宇治は現在も有名茶所で、黒い風通しの良い布で直射日光を遮って茶を育て、玉露を作っている。

 

 

 

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2020. この夏のももちゃん (5枚)

2020-08-18 | ヨーキなモモちゃん

 

 2020. この夏のももちゃん (5枚)

 毎日、7回程 パパさんに連れられて、シィシィ。

 短いお散歩以外、モモは、お家にいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暑いので、ほぼ全部の写真、舌を出しています^^

 

 

 

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