歴史のウラ話&「今日は何の日」です!
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2006年07月30日
明治天皇崩御 明治45年(1912年)
明治天皇は在位1867.1.9~1912.7.30。45年という長期間在位した近代国家形成期の天皇である。
名を睦仁といい、孝明天皇の第二皇子であった。1860年に親王となって、先代孝明天皇の急死により1867年に践祚して皇位を継承した。江戸幕府の大政奉還は1867年の10月だから、幕末期も経験している天皇なのである。
歴代天皇中、唯一「大帝」と呼ばれる天皇で、ちょうど日本が近代国家として生まれ変わろうとする激動の時代の君主となった。明治天皇は、よく「大政奉還により、政権は天皇に返還され、明治新政府も天皇を頂点とした行政改革を進めたはずであるから、明治天皇は専制君主だった」…と思われがちだが、実際はそうではない。一言で言ってしまえば、基本的には明治維新に功のあった、政府の元老たちがほぼ全ての政治的、外交的、立法的決定を下していたのである。
ただし、これらは明治政府が天皇をないがしろにしていたということではなく、政府および政策・外交が、危機的状況に陥れば天皇が調整していた。特に、松方正義内閣は首相の松方自身が、望まないままに総理大臣の椅子に座ったこともあり、実に危機的状況に陥ることが多かったという。松方内閣は、第一次政権時に、選挙干渉問題で窮地に追い込まれ、松方も辞意を表明したが、この時は天皇に止められた。
結局は薩長首脳の圧力で退陣することになるのだが、少なくとも、最終的には天皇が政府の問題の調整をするということが見てとれる。また、松方内閣は、第二次政権の際にも政党事情から閣内での連立政権の画策などの迷走状態となり、天皇は混乱の元となっていた高嶋陸相と樺山海相と共に松方にも退陣するよう命じている。
天皇の指示による退陣は、この他に昭和4年(1929)の田中義一内閣の退陣があるが、後にも先にもこの2回だけであった。
明治天皇は、国の元首であり、統治権の総攬者とされ、陸海軍の統帥権や文武官の任免権、外交権などあらゆる権利を網羅していたが、実際の決定は政府が下していた。しかし、明治天皇も政治にまったくノータッチだったわけではなく、むしろ政府の先行きに関わる重要な場面での決定は明治天皇が下していたことも多いと言えそうである。
なお、明治天皇は1894年からの日清戦争時にはその軍隊の統帥権を発揮し、広島に置かれた大本営に移って、国務・統帥にあたっている。
明治45年(1912)7月29日、尿毒症によって崩御。ただし、宮内省からの正式発表は30日であったとされる。9月13日大葬。
文明開化のシンボルともされるが、写真などは嫌いで、明治天皇を写した写真も数少ない。
⇒明治天皇陵(伏見桃山御陵)周辺の地図(livedoor地図情報)
⇒明治神宮周辺の地図(livedoor地図情報)
※写真は『明治天皇―幕末明治激動の群像』です。私は読んだ事ないですが、天皇家から見た幕末・明治の時代の本みたいですね。面白そうですね。
※『明治大帝』は、明治天皇について非常に詳しいのでオススメです。ある程度の予備知識がある人にもオススメ。
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(補足情報)
●明治天皇の趣味
趣味とまで言えるかどうかになるとそうでもないのかもしれないが、薩摩琵琶を好んで弾いておられたという。また、犬や馬が好きであられたらしい。
一方で、西洋文化は好まず、写真はもちろん、電灯も嫌ったといわれる。
●誕生日が文化の日
明治天皇の誕生日は5月3日。文明開化のシンボルといわれたため、現在も5月3日は「文化の日」として、国民の祝日に指定されている。
明治天皇は、それまでの天皇に比べれば、はるかに多くの土地を巡幸しておられるが、国民との接点は相変わらず少なかった。それでも、明治という時代は、それまでの武家政権とは根本的に異なるものであり、国民は国家の君主たる天皇を尊敬し崇めた。
それゆえに、明治天皇が崩御された後、明治神宮が創建されたり、明治天皇の誕生日が国民の祝日に指定されたりしたものと思われる。
それまでの長い武家政権から、近代国家への第一歩を踏み出した時代の国家君主たる明治天皇への敬慕の念は、日本人の心に深く刻まれていたことであろう。
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明治天皇は、大変な時代の天皇陛下だと思います。何しろ、根本的な改革の時期ですからね。
明治維新~日清・日露戦争くらいの時代までは新しい日本づくりに大変だった時代です。その時代に日本のトップとして尊崇される立場にいるんですから大変ですよね…。政府の混乱時にきっちり指示を出している点など今でも尊敬します。
昔は勲章みたいのがたくさんついた大元帥服を着て髭を八の字型に生やした明治天皇の肖像を怖いと思ったものですが…いやー当時は私も子供でした…。